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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和61年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  創価中学・高等学校 第十九回入学式〈昭和61年4月10日〉
 君よ、先輩を乗り越えよ
 私の生涯をかけた大切な創価学園に、本日、諸君を迎えることができ、創立者として、本当にうれしい。心から「入学おめでとう」と申し上げたい。
 諸君の晴れの入学にあたって、 三百申し上げたいことは、どこまでも「勉学」「努力」「忍耐」を忘れないでいただきたいということです。古今東西を聞わず、「勉学」なくして偉大になった人は一人もいないといってよいでしょう。「努力」せずして、深き価値ある人生を生ききった人もいません。経済界であれ、政治、学術の世界であれ、社会のいかなる分野においても、立派な指導者となっている人は、皆、人一倍の勉強と努力をしているものです。また、社会に貢献し、成功した勝利の人は、例外なく「忍耐」強き人であります。
 ともかく諸君の若き時代に、苦労して勉強したものは、生涯の財産となるものです。樹木にも、それぞれ生長する「時」があります。その時にこそ、存分に太陽の光をうけ、また雨などによる水分や十分な養分を吸収しつつ、みずからの生命力で、ぐんぐんと伸びていかなければならない。もしも、その「時」に、生長への生命力が弱く、十分な養分をとらない場合には、生長が遅れ、虚弱な細い樹木となってしまいます。
 それと同じく、勉学に努力すべき現在の大切な「時」を安逸に、むなしく過ごしてしまったならば、心狭き、弱々しき精神の、知性なき人間となり、敗北の人生となってしまいます。それでは、取り返しのつかない生涯の損失となるでしょう。どうか諸君は、今は何をなすべき時かを、しっかりと自覚していただきたいのです。弱い自己に打ち克ち、真剣に勉学に励みゆく姿は、だれが見ても尊敬できる立派な姿であり、伸びゆく美しい姿なのです。もしも遊び半分のだらけた姿であっては、貴重な青春の「時」を失ってしまうことになります。その意味で「勉学」と「努力」と「忍耐」を忘れない一人一人であっていただきたいと訴えたいのです。
 一期生から十八期生まで、学園生全員の健勝と活躍を、私はつねづね祈っております。また、卒業生のさまざまな活躍のようすも耳にし、深い喜びの気持ちをいだく昨今です。
 たとえば、中学一期では、寺西宏友君(創大助手)、神立孝一君(創大講師)、多賀雄司君(聖教新聞記者)、新堀富士夫君(弁護士)、尾張員則君(東大助手)、畝見達夫君(東工大助手)、栗原正行君(創価高校教諭)らがいます。また高校一期では、忍田和彦君(本部職員)、田代康則君(同)、吉郷研滋君(同)、梶岡誓君(同)、西野辰彦君(同)、羽吹好史君(創大助教授)、馬場善久君(同)、石井秀明君(創価女子短大講師)、前田清隆君(同、公認会計士)、狩野俊一君(創価高校教諭)、築地伸之君(弁護士)らのことが思い浮かびますが、他の卒業生も立派に成長し、人格者として多くの人の信望を集めております。また、社会に根を張り、各分野で活躍しています。(=カッコ内は当時)
 そうした姿を見るにつけ、私は本当にうれしく思います。諸君もまた、力ある諸先輩のあとに陸続と続いてほしい。そして、やがて先輩たちを凌駕しゆく有為の人材へと成長していただきたい。ここに、社会貢献の人材の育成をめざす「学園精神」があることを知っていただきたいのです。
 諸君は、学園創立二十周年を前にした「花の十九期生」であります。どうか、これからの三年間、また六年間を、日先の成績に一喜一憂することなく、健康で伸び伸びと成長していっていただきたいと思います。そして、いかなる苦難をも力強く乗り越え、すばらしき青春時代、学園時代であるよう、心から念願しております。
3  創価中学・高等学校 第十九回栄光祭〈昭和6‐年7月17日〉
 国際性豊かな次代のリーダーに
 はつらつと、また生き生きと、学園魂を発揮した青春躍動の姿を見て、本当にうれしい。創価学園にまた一つ、新しき歴史と伝統を刻み、壮大にして深き土台をつくってくださったとたたえたい。また、お父さん、お母さんに、よろしくお伝えくだされば幸いです。
 皆さん方は、現在、学園草創期の息吹そのままに、真剣に勉学に取り組んでいると聞いています。日々、懸命に勉学に挑戦し、成長している事実ほど、創立者としてうれしいことはありません。現在、創価大学のアメリカ・ロサンゼルス分校(現アメリカ創価大学)や、パリの欧州語学研修センター(現創価大学ヨーロッパ語学研修センター)の開設の準備が進んでいますが、私の願いは、これらの地で人材を錬磨し、将来の平和の指導者をつくりたい、国際性豊かな新しき時代のリーダーをつくりたいということです。この「教育」という一点に、私は全力をあげています。また、長野の菅平に今夏、創価大学のセミナーハウスがオープンし、さらに霧ケ峰のほうにも、林間学校として使用できる施設の建設も考えられています。こうした施設を、創価一貫教育の原点ともいえる学園の皆さんも利用していただき、各自の成長を図っていただければと思っています。
 ともかく、一切が人で決まります。企業も人で決まる。一国も人で決まる。平和の建設も人で決まる。その「人」をつくっていくのが教育です。ゆえに私は、諸君に、最高の環境で、伸び伸びと、思う存分、勉強し、新しき世紀のリーダーに育ってもらいたい。すべては、そのための構想であることを知っていただきたいのです。
4  創価中学・高等学校 第十二回寮生・下宿生懇談会〈昭和61年9月19日〉
 強靭なる知の力を
 諸君が、勉学のうえで大変に向上しているとうかがいました。これは、私にとって最高にうれしいことです。創立者として、これほどの喜びはありません。
 社会は闘いの連続です。成績がいい、学力がある、知の力をもったということは、勝利の一つの姿でしょう。
 世間にさまざまな学校があるなかで、諸君の先輩は短期間のうちに、社会に評価される立派な創価学園の伝統を築いてきました。そして本年は、それ以上の成果が表れつつあるという報告を聞いて、私はうれしい。この勉学の上昇の機運を、後輩のためにも、さらに高めていただきたいのであります。
 ところで、来年の三月には立派な新寮ができます。現在の寮にもさまざまな意義があり、思い出も深いでしょうが、諸君がさらに勉強しやすいように新しい環境にしていくことも、また大事なことです。後輩のためにも、また大事です。そういう意味で、きょうこの場にいる諸君が、新しい寮の第一期の伝統を築いていただきたいと思います。
5  第一回小中高合同体育大会〈昭和61年10月10日〉
 校訓のもと勝利と栄光の人生を
 きょうは体育の日で、全国でさまざまな体育の行事が行われていることでしょうが、学園の体育祭が日本第一の体育祭であると、祝福申し上げます。
 青春時代にあって、勉学やスポーツで、不本意な成績となったり、負けたりする場合もあるでしよう。しかし、若竹や樹木が、いかなる風雪にあっても、上へ上へと伸びていこうとするように、諸君は「この次は勝利するぞ」「次の機会には一歩成長するぞ」「倒れてもふたたび立ち上がって進むぞ」との、強き一念を忘れずに進んでいただきたい。この一念さえあれば、決して人生のレースに敗北することはないし、かならずや勝利と栄光の人生を飾ることができるのです。
 明年は学園創立二十周年でもあり、ここで改めて校訓を確認しておきます。
 一、真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ
 二、決して人に迷惑をかけず、自分の行動は自分で責任をとる
 三、人には親切に、礼儀正しく、暴力を否定し、信頼と協調を重んずる
 四、自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する
 五、進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て
 創価学園はこうした崇高な理念のもと、世界に貢献しゆく立派な指導者を育成していくための学校である。その使命と目的を忘れず、転んだら立ち上がって、なおも前へ駆けていくような気持ちで、勉学やスポーツで負けても、かならずまた伸びていこうとする気性だけは、もち続けていただきたいことをお願いして、私のメッセージとさせていただきます。
6  創価大学・創価学園 合同懇談会〈昭和61年12月20日〉
 学は光、力であり希望
 これまでにも何度か話してきたことですが、私の生涯の仕事の一つは、教育であると思っています。「学」は光であり、「学」は力、また希望でもあります。人間としての確かな骨格を築きゆく教育ほど重要なものはないし、また、尊い仕事はないと思っています。その意味から、私も全魂をかたむけ教育に力を尽くしてきたつもりです。
 その教育構想の一貫として、創価大学、創価学園の各校を創立してきたわけです。これまでに創大には、海外から、交換教員が七大学・四十七人、留学生は、十七カ国二地域から二百四十五人が訪れ、勉学に励んでいます。さらに創大からの海外派遣も、教員が二十一人、学生が百十人に及び、今後もこうした教育・学術交流を活発に進めていく予定です。また、創価学園も、全世界で活躍する数多くの人材を輩出するなど、各校とも発展の足跡を刻んできています。創立者として、これほどうれしいことはありません。
 今後一層、私は私の立場で、創価教育の振興、発展へ、全力をそそいでいきたいと念願しています。
 私は、一九七二年(昭和四十七年)の春、イギリスのオックスフォード大学とケンブリッジ大学を訪問しました。そこで教授の方々と和やかに、有意義な「教育」の語らいを行いました。当時、創価大学は開校(昭和四十六年)したばかりであり、いわば両大学は若い創大から見れば、お父さん、お兄さんのような存在の大学でした。そのさい、創価大学の将来の参考のために、世界に人材を輩出してきた両大学の基本精神、伝統精神についてうかがいました。
 オックスフォード大学の基本精神は「理性と情熱の調和」である。そして伝統は、(一)個人教授に力を入れている、(二)知性の開発と人格の陶冶、(三)社会への議調をめざしていることである、と明快に答えが返ってきたことが、今でも鮮明に胸に刻まれています。
 また、ケンブリッジ大学では、大学構内の礼拝堂も視察しました。そのとき案内をしてくれた大学側の人は「礼拝は学生に義務づけられてはいない。だが、チャペル(礼拝堂)の存在は、研究者や学生の価値観の形成に大きい役割を果たしてきた」と語っていました。
 オックスフォード大学とケンブリッジ大学は、ともに、日本でいう国立でも公立でもない、私立大学です。すなわち、その本質は、何らかの公権力によってつくられた大学ではありません。学問に対する教師と学生の自発の情熱が、創立の淵源となっているのです。ここに、大学教育を考えるうえでの重要な一点があると思われます。
 両大学とも、教授と学生が共同生活をする「学寮」があり、そこでは、学問の研究と学生の教育を営むことを特色としていました。今なお、この学寮制が両大学の基本的性格をなしているといわれています。この学寮生活があったからこそ、学問的にも、また人格的にも、緊密な師弟関係が成立したわけです。この学寮には、確かな規律がありました。勉学を中心とした秩序が、よく維持されていました。まじめな青年を、よい意味でのエリートに仕上げ、社会に送り出していったのです。ゆえに、学寮は世間の信頼を勝ち得ていたのです。
 また、オックスフォード、ケンブリッジ両大学の性格について、次のようにもいわれています。「学者をつくる所ではなくして『紳士』をつくるところである。また、科学を研究し教授するというより、むしろ『教養』を与える所である」と。
 つまり国家の指導者にふさわしい教養ある紳士をつくることは、イギリス大学教育の伝統的な理想だったのです。
 大変に示唆に富んだ言葉であると、私は深く感銘を受けました。両大学とも、歴史的にはさまざまな振幅があったようです。批判を受けたこともありました。しかし、青年を立派な「紳士」に育てあげることが基本の精神だったのです。
 暴力や無頼、瀬惰の学生ではない、学問と教養を身につけ、知性と情熱に秀でた、人格者を育んでいくのが、大学の使命なのです。学問を通して人格を陶冶しつつ、社会のいずこにあっても通用する、信頼厚き指導者を陸続と輩出していかなければならないのです。その意味において、両大学のあり方は、創価大学のいき方にとっても傾聴すべきものを多くもっていると思います。
 両大学の出身者は、あらゆる分野で活躍しています。その一人であるイギリスの詩人トマス・ウォートンは、母校オックスフォード大学を次のように謳い、讃えています。
 「徳の畏怖すべき王座! 英知の不滅の源泉!」と。
 「畏怖すら覚えるような荘厳な『徳の王座』が、わが母校である。見上げるべき高き人格の輝きが、厳然と備わっている。また人の世を照らす『英知』の光が尽きることなく、無限にあふれ出てくる『源泉』こそ、わが巣立ちし大学である。母校はいずこにもまさりて輝かしき『徳』と『英知』の殿堂である」と、ウォートンは誇らかに謳っているのです。
 きょうは、オックスプリッジといわれる両大学の伝統を通して、創価大学に対する私の期待と所感の一端を、述べさせていただきました。何らかの示唆をくみとっていただければ幸いです。
 最後に、創大に縁深き諸先生方、留学生、学生の方々、また創価学園の皆さまのご多幸とご成長を心より念願し、本日のあいさつとさせていただきます。
7  創価中学・高等学校 第十七回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月16日〉
 より高き、深き自分を
 きょうは、どうしても午前中用事があって、出席できないことが残念です。午後からの行事には間に合うと思います。
 ともあれ、晴れやかな第十七回卒業式、まことにおめでとうございます。きょうは、昨今、私が心に思いついたままを述べて、メッセージとして皆さんに送らせていただきます。
 中学、高校それぞれ三年間の勉学は、思い出多いことであったと思います。旅立ちというものは、いつでも一つの希望であります。皆さんの胸のなかは、さまざまな期待や夢で、いっぱいでありましょう。同時に皆さんの巣立ちは、私自身にとっても大いなる希望であります。
 武蔵野に春が来るたびに、川辺や野の緑が一斉に芽吹きはじめる。その芽や茎が伸びていく方向に太陽の輝きがあるのです。それと同じく、若人が旅立って伸びていく先に、希望の輝きがある。私は、そう信じて、皆さんのこれからの成長を、心から期待しております。また、待っております。
 皆さんは、青春の真っ只中にいる。みずみずしく若い生命力というものは、その存在自体が美しく輝かしいものです。Zフンスの詩人ボードレールは、次のように青春を讃えている。
  ――姿は素朴、額はやさしく、眼は水の
  流れるやうに 透明で また清らかで、
  大空の青さの如く 小鳥の如く 花の如く
  無関心でありながら、全てのものに 薫と歌と
  快い熱とを濯ぐ 神聖な青春に。 (『悪の華』鈴木信太郎訳、岩波文庫)
 どうか、皆さんもまた、尊い日々を純粋にして朗らかに、また夢多くして悔いなき青春時代としていってください。
 その意味からも将来ある鳳雛の皆さんに、次の二つの点を申し述べたいと思います。
 第一に「より高き、より深き自分を求めゆけ」ということであります。青春とは、ある意味ではひたむきさの異名であります。より高いもの、より深いものを求めて、ひたむきにがむしゃらなまでに一直線に進んでいくエネルギーを失えば、それはもはや青春とはいえません。どうか皆さんも、臆せず勇気をもって、嵐にゆるがぬ大樹のような自分自身をめざして、ひたむきに走り続けてください。
 私の若いころ、青春時代の必読書とされていたものに阿部次郎の『三太郎の日記』があります。優れた資質をもった青年の赤裸々な内面生活の告白として、多くの読者をもっておりました。そのなかに、次のような一節があります。
 「生活の焦点を前に(未来に)持つ者は、常に現在の中に現在を否定するちからを感ずる。現在のベストに活きると共に現在のベストに対する疑惑を感ずる。ありのままの現実の中に高いものと低いものとの対立を感ずる。従って彼の生活を押し出す力は常になんらかの意味において超越の要求である」(角川書店)と。
 たしかに、その通りであります。きょうの自分とあすの自分とのあいだに、何らかの「超越」がなければ、進歩はありません。澱んだ水が腐り、そこからボウフラがわいてくるように、青春とは、もはや名ばかりのものとなり、生命の「張り」は失われてしまいます。
 どうか皆さんは、そうした惰性を排し、一日そしてまた一日、「脱皮」と「超越」をなしゆく、成長の日々であってください。
 第二に「努力また努力の青春たれ」ということであります。
 たしかに、努力とは平凡なことかもしれない。しかし、平凡なことを、俗まず弛まず持続していくことは、まぎれもなく非凡なことなのであります。そして、人生における真実の勝利を手にする人は、何か特別な才能に恵まれた人ではなく、そうした平凡にして非凡な道を、着実に歩み続けた人であることを忘れてはならない。
 江戸時代の有名な学者であり、政治家でもあった新井白石も、努力につぐ努力の学問で、若い時代を貫いています。彼が九歳にして冬の夜、桶の水をかぶって眠気をはらいながら学問したことも有名ですが、その彼は『折たく柴の記』に、次のように述べております。
 「こんなにしてまで勉強してきたのは、前にも書いたとおり、いつも堪えがたいことに堪えることを心がけ、世間の人が一度することを、わたしは十度おこない、十度することは百度したからである」(桑原武夫訳、『日本の名著15―新井白石』所収、中央公論社)と。
 いかなる秀才も、人に数倍する努力を重ねているものであります。すなわち、才能とは、長い努力に堪える自発の力にほかならず、そこに、勝利の栄冠がある。敗北とは、困難に負けて、自分で自分を見放してしまうことにあるのです。
 皆さんは、そのような弱い心であってはならないと申し上げて、私の大切な大切な学園っ子の卒業にあたり、はなむけの言葉といたします。
 最後になりますが、ご父母の皆さま方、私の創立した学園にお子さまを送ってくださったことに感謝申し上げます。また教職員の皆さま方、三年間また六年間、本当にご苦労さまでした。心から感謝いたします。
8  創価中学・高等学校 第十七回卒業記念謝恩会〈昭和62年3月16日〉
 努力の青春に人間の栄冠
 私は今まで、世界の四十力国を訪れましたが、ブルガリアにも、ルーマニアにも、アメリカにも、ソ連にも、どこの地にあっても、ありがたいことに創価学園の出身者がいました。「私は何期生の学園生です。学園時代はあまり勉強はできなかったけれども、今はこうして頑張っています」と笑顔であいさつに来る。これは驚くべき事実であり、私は大変にうれしい。
 ともかく学園の卒業生は、私にとって子どものようにかわいいのです。このうえなく大切な宝である。全国には多くの学校があり、他校の卒業生に対し、不公平だと叱られるかもしれません。しかし、創立者として、学園生こそ、もっともかわいく、大切な存在であると申し上げておきます。
 学園生であるということは、たとえていえば、戸籍のようなものです。自分の戸籍が生涯、消えないのと同じように、「学園生」であるという戸籍は、一生涯、消えません。また、これからずっと子や孫の代になっても、「学園生」という社会的戸籍は消えることがないのです。
 諸君の先輩は、世界中で自身に挑戦しながら、後輩の道を切り開いてくれています。この姿こそ「負けじ魂」です。諸君は、この学園で培った「負けじ魂」を、生涯失ってはならない。なかには、今はどうも成績がパッとしない、という人がいるかもしれません。
 しかし、十年さきに勝てばよいのです。二十年さきに勝てばよいのです。あるいは、五十年さきに勝てばよい場合もあります。これが、創価学園の教育の根本精神です。「負けじ魂」です。目先のことで行き詰まって倒れたり、くさったりせず、生き生きと前へ進んでいっていただきたい。悩みとの戦いこそ、人生です。
 大切なことは、自身の確かな軌道をまちがえないことです。着実なる人生の軌道を見失わないことです。一時的に何があろうとも、「絶対に負けない」という一念をもち続けるならば、かならず勝利の方向へと、最後は完結しゆくことはまちがいありません。さまざまな環境に屈することなく、強く豊かな「自分自身」を築きあげる生き方にこそ、勝利の人生の基本があることを申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
  
 (帰路において)
 東京の創価学園も今秋、創立二十周年の佳節を迎えることになりました。教員の先生方もみな、教育に対する情熱と知性、また人格のうえでも、こよなく優れた方々ばかりであり、本当にうれしく思います。きょう卒業した十七期生も、すばらしい生徒ばかりでした。
 また新栄光寮では、全寮生と対面しましたが、大変にすばらしい生徒たちでした。これを思うにつけ、私は心の底からうれしいし、幸福者だと思います。
9  関西創価中学・高等学校 第十二回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月16日〉
 「根本の使命」を胸中に
 晴れの卒業、本当におめでとう。皆さんの胸は、新たな旅立ちへの期待でいっぱいのことでしょう。どうか、青春の学舎で勉学と友情を深めつつ、胸中に刻んだ「根本の使命」だけは、絶対に失うことなく、新たな世界へ勇んで飛翔していってください。
 トロヤ文明、ミケネ文明の発見者として知られるハインリッヒ・シュリーマンは「トロヤやミケネの墳墓を発掘した私の鋤と鍬とは、幼少の時に最初の八カ年を過したドイツの小村で早くもきたえ磨かれていたといってよい」(『古代への情熱―シュリーマン自伝』村田数之亮訳、岩波文庫)と記しています。
 彼は、少年のころ、父からトロヤ戦役伝説の物語を聞くうちに、いつしかその実在を確信し、遺跡発掘を生涯の目標とすることを誓ったのであります。しかし彼は、たんに夢想に生きるだけの空想的ロマンテストではありませんでした。ロマンを実現するために、現実に挑戦し続けたリアリストでもありました。
 十四歳で実業中学校を卒業し、小さな商店に奉公してからの彼の人生は、努力、努力また努力の連続でありました。その努力のなかで貧困と不遇を克服。また十数力国語をマスターし、経済的にも成功し、四十六歳にして初めて発掘に着手、ついに少年の日の夢を実現しました。
 「努力は天才の異名である」といわれるように、努力なくして偉大な仕事を成し遂げた人はいません。皆さんも、これからさまざまな問題にぶつかり、悩み、試行錯誤を繰り返すかもしれません。しかし、そのときこそ「わが使命の開拓の鋤は、あの学園生活の春秋で早くも鍛え磨かれているのだ」と確信し、それぞれの使命の庭で、現実に挑戦しゆく努力を積み重ねていっていただきたい。
 ともあれ、私は皆さんを信じております。そして生涯、皆さんを守りぬいてまいります。皆さんこそ私の希望であります。愛する皆さん方のご健康と精進を祈りつつ、はなむけのメッセージとさせていただきます。

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