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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和60年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  関西創価中学・高等学校 第十三回入学式(メッセージ)〈昭和60年4月6日〉
 すべてに「一生懸命」の姿勢で
 関西創価中学校・高等学校の入学式、まことにおめでとうございます。交野の里の爛漫たる桜花も、皆さんの晴れ姿を祝福していることでしょう。私も、かならずや二十一世紀にきら星のごとく、躍り出るであろう皆さんの青春の門出を心から喜び、大いなる成長を祈っております。
 何の変哲もない、黒い一本の桜の本から、あのように美しい花が咲く。それと同じように、人間はだれでも、各人の生命のなかに、最高のすばらしい個性や才能という宝をもっているのです。それを引き出し、輝かせていけるかどうかが、これからの学園での勉学であり、努力であります。ゆえに、皆さんに今一番、大切なことは「一生懸命」ということです。
 フランスの作家ロマン・ロランは「英雄とは、自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしない人で、できもしないことを望んでばかりいる」と指摘しています。どうか諸君は、日々の課題に一生懸命に取り組むなかで、自分の長所を見つけ、それを思う存分、伸ばしてください。そして、自分らしく自信をもって朗らかに、進んでいっていただきたいのであります。
 早く新しい環境と生活のリズムに慣れるように、健康には十分注意してください。元気な皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。
2  創価中学・高等学校 第十八回入学式〈昭和60年4月10日〉
 志は高く徹して学ベ
 晴れて創価学園に入学された諸君、ならびにご両親の皆さまに、私は心からお祝いを申し上げます。おめでとうございました。そしてまた、未来に偉大なる活躍をしゆくであろう諸君の、つつがなき健康と成長を、切にお祈り申し上げるものであります。
 私の諸君に対する願望は、学園生となったからには、一にも二にも「徹して学べ」ということであります。
 しかし、時代の風潮は、この正しき真理の姿勢をなおざりにしているようである。これは、誤りであると私は思います。もちろん、受験制度への反発であるとも考えられますが、私はやはり諸君の年代には、ただただ勉学にいそしんでいくことが、正しいと確信しております。
 アメリカの第二十代大統領に、ジェームズ・ガーフイールドという政治家がおりました。彼が大学生のころ、こんな話があった。一人の優秀な学友と成績を争った。しかし彼は、数学だけはその級友に勝てなかった。そこで彼は、その級友がなぜ、好成績をおさめているかを知りたかった。やがてわかったことは、自分がランプを消した後にも、かならず数分間、その級友の部屋には明かりがついているということでした。「ここだ、この数分間だ!」(『さわやかに生きた88人―古今逸話特選』池波正太郎監修、講談社)ここに勝負があると、彼は気がついたのであります。彼は、翌日から消灯する時間を遅らせることにした。その努力はすぐに成績に反映し、ついに級友を越えることができたというのであります。
 後年、この学生時代の思い出を、大統領となってから次のように述懐しています。「一笑に付すべき瑣事のように思えるが、もう一歩突っ込んで考えると、決してそうではない。寸陰を利用することが、いかに大なる効果をもたらすかという証拠を、あの時に突きつけられたのである。僕は実に、この一瑣事によって、いかなる種類の戦いにも勝利を得る秘訣を知ったのである。すなわち、少しの時間、少しの熱心の、本当の力を知ったのである」(同前)と。
 たとえ「少しの熱心」であっても、それが蓄積したときには計り知れない力となる。逆に「少しの怠惰」が積もりつもれば、人生に取り返しのつかない損失をもたらすこともあるにちがいない。
 このささやかな逸話のなかから、諸君は何かをくみとっていただきたいのであります。
 諸君は、吉田松陰という人をご存じだと思います。彼は、二十九歳の若さで刑死しておりますが、松下村塾という学舎から多くの優れた門下を育てあげ、明治維新という大事業を成し遂げる原動力となった人物であります。
 幼少のころから、松陰の勉強ぶりは大変なものであった。八歳で、長州藩の藩校である明倫館の教授見習になっており、また十歳のときには、藩主の前で講義までしております。読書の量と時間も驚くほどだったようであります。松陰は、旅行中のわずか七十日ほどで、百冊以上の本を読み、その一部を書き写しております。
 また松陰は、一年ニカ月という長いあいだ、山口県の萩にある牢獄に入っております。そこでも松陰は万巻の書を読み、なんと囚人仲間で勉強会まで行っている。
 それによって牢獄の空気は一変して、殺人や傷害などで何十年も獄中生活を送っていたような囚人までも、深く松陰を慕うようになったというのであります。
 向学心に燃えている人、勉学にいそしんでいる人は、多くの人々に、しぜんのうちに尊敬の念をいだかせるものであります。
 この松陰の勉学と精神は、何を目的としていたか。それは「新しい日本の夜明けをつくろう」との鉄石のごとき「志」であったのであります。
 ともあれ、死を数日後にひかえた松陰は、門下生に次のように遺言しております。「君たちは、私の志を知っているはずだ。だから私の死を悲しんではならない。私の死を悲じむことは、私の志がわからないからだ。私の志を知るということは、その志を主張し、おおいに広めていくことだ」と。松陰門下の若者たちは、師の「志」を継いで、新しい日本の建設に思う存分、生命を賭して戦い進んでいったのであります。そして大勝利をおさめました。
 どうか諸君も、創価の学舎に集い来たときの「志」を生涯もち続けていっていただきたいのであります。そして、二十一世紀の檜舞台に躍り出るために、健康第一で、充実したすばらしき学園生活を送っていかれんことを心から祈って、私のスピーチといたします。
3  創価中学・高等学校 第一回鳳友会総会〈昭和60年5月5日〉
 人生の階段を一歩一歩のぼれ
 きょうの集いほど、近年、心待ちにしていたものはありません。また、諸君の成長した姿を拝見できることほど、うれしいことはありません。ともかく、諸君がこのように母校に戻り、もう一度、自分の目的を確認し、わが友と語りあいながら、ふたたび社会の第一線へ進んでいくことは、大変に重要であると思います。
 人生にあっても、学問にあっても、師弟の絆は永遠です。それは、親子といった血縁のつながり以上に、社会に広がりをもち、かつ歴史的なものです。その意味で、私自身、師弟という人間関係を大切にし、生きぬいてきたつもりです。
 私の最後の仕事は、教育であると考えています。その「原点」が、この創価学園であります。草創期は、人にはわからないような苦労が多かったことも、よく知っています。しかし、先生方や職員の方々もよくやってくださり、感謝にたえません。また、これからも諸君の後輩のために、大いに力を入れていくつもりです。
 学園時代は、勉学に対する取り組みや読書について、やかましくいわれてきたことでしょう。しかし、今になって思うと、心身の鍛錬、そして身につけた学問への姿勢は、その当時はつらいこともあったかもしれませんが、現在、社会貢献の偉大なる姿として、見事に結実していると思いまそのこと自体、学園における教育の正しさの一つの証明であり、私は大いに誇りに思っています。
 私は、諸君の成長と健康とを、日夜祈っています。真実の先輩とは、自身の毀誉褒貶の一切を超越して後輩の礎となり、後輩が最後の総仕上げの鐘を打ち鳴らすことに、すべてを託していくものです。ゆえに創立者として、卒業生が、あるいは社会の成功者となり、あるいは一時的に挫折と敗北の姿となった人であっても、すべての学園生を、どこまでも守り、応援していきたい。その意味で、きょうは一人一人の肩をたたき、胸の奥底と握手をする思いで、諸君との出会いを待っていました。
 みずからの力で大学に進み、みずからの力で社会への道を切り拓いて活躍している姿は、いわばわが学舎から他流試合に臨む姿であると思います。それはまことに尊いし、そこに人生の勝負の縮図があると思うからです。
 これからも一年ごとに、後輩が続々と増えていくことでしょう。したがって、この鳳友会の総会をさらに盛大にし、毎年の五月五日を目標としながら、同窓の絆も強く、人生の階段をたくましく、一歩一歩上っていっていただきたいものだと念願しております。
4  創価中学・高等学校 第十回寮生・下宿生懇談会〈昭和6年5月14日〉
 厳冬を乗り越えて万花は薫る
 きょうの会合は、わが学園も十七周年を迎え、二十周年を目標に大きく前進をしていくという意義をこめ、また、学園のため、学園生のため、寮生のために最大の努力をしてくださった、富樫征彦先生の七回忌の追善という意味もこめながら、開催したものです。
 富樫先生は、私にとっても忘れ得ぬ先生であった。学園が大変なときに、一緒に車に乗りながら語りあったことがありました。先生は、「これだけ優秀な人材が集まっている学園を、何としても守りぬきたい」と情熱をこめて訴えておられた。学園生のことを、最後の最後まで意識し続けながら、生きぬかれた。その姿は、私の胸中から生涯消えることはないと思います。その意味で、学園が続くかぎり、大功労者として、その名前を残し、顕彰していきたいと思っています。
 きょうは、創価大学に学んでいる、中国からの留学生の皆さんにも来ていただきました。中国と日本とは、永遠に友好を深め、ともに永遠に平和のために尽くしていくべき国であります。このことは何度となく申し上げてきたし、今でもその信条は変わることはありません。中国の未来のリーダーに育ちゆく留学生の皆さんと、学園生がこのように交流できることは、大変に喜ばしいことです。
 まもなく、中間考査が始まることをお聞きした。厳寒の冬を乗り越えてこそ、暖かい春はやってきます。冬を越えてこそ、万花は薫るのです。これが、自然の理です。今、諸君にとって、試験は厳しい冬のようなものかもしれません。しかし、悔いなき勉強で、それを乗り越えたときに、「自分はやりきった」との、強く生きぬいた証として、みずからの胸中に、花が咲くのです。その繰り返しが人生です。一生のなかで、今こそ勉強しなければならない時期であって、諸君の人生にとっては、もっとも大切な時期であるといえます。ゆえに、試験の冬にも、自分らしく取り組み、「悔いがない」との春を迎えてほしい。そして、楽しい学園生活を満喫しながら、次の冬に進んでいく、との一年間であっていただきたいのです。
 先日、鳳友会の総会がありました。そこに集ってきた諸君の先輩たちの姿は、大変に凛々しく、成長したものだと、誇りに思うほどでありました。先輩たちは、学園を愛し、学園での薫陶を最大の誇りとして、社会の各分野で活躍をしています。この先輩たちが築いた伝統を受け継ぎ、たくましく前進をしていってほしいのです。
 人生は悩みとの戦いです。どんな人も、大なり小なり悩みはあるものです。しかし、悩みに引きずられた人は、人生の敗北者となる。悩みを何とか乗り切っていこうと努力し、挑戦していくところに、一歩、大きく開けた自分自身を見いだすことができるのです。
5  創価中学・高等学校 第十八回栄光祭〈昭和60年7月17日〉
 知性と情熱が未来の財産
 皆さんの心清らかで、生き生きとした演技に接し、私は創立者として、まことに心満たされた思いがします。
 諸君にも、いい格好をしたいとか、恋愛をしたいといった気持ちもあると思う。しかし、それらの誘惑に負けて、人生の大切な時期を無為に過ごしてはなりません。
 時が来なければ、花は咲かないし、また、果実も実らないものです。長い人生には、順序をふまえたリズムというものがあることを知っていただきたいのです。
 諸君は今、人生の土台を築く時期におります。とくに、学問、勉学に励むべき、重要な時代にいるのです。青春の誘惑や、厳しい現実に流されて負けることなく、勉学の本分に徹した有意義な学園生活であっていただきたいと思います。
 中学、高校時代は、「知性」と「情熱」を将来のために、いわば「貯金」しておく時期です。この「貯金」が、いかに重要なものであるかは、時とともに、かならず明らかになっていくものです。
 いわゆる優等生が、「人生の優等生」であるとはかぎりません。もっとも大切なことは、日々の地道な努力を怠ることなく、少しずつでも自己を向上させていく、人間としての姿勢をもつことです。確固たる自分自身を築き、人生をどう開いていくかとの点に、教育の本義があると申し上げたいのです。
 栄光寮からはこれまでも、多くの優秀な若きリーダーが育っていきました。学園建設の所期の目的は、順調に達したといってよい。学園の輝ける伝統を、栄光寮の諸君が、さらにさらに発展させていっていただきたいものだと、私は念じております。
6  創価中学・高等学校 第十一回寮生・下宿生懇談会〈昭和60年9月13日〉
 心身を鍛え豊かな人間的成長を
 勉強は大切です。しかし、それだけでは、豊かな人間的成長ができない場合があります。ゆえにクラブ活動を通して、心身を鍛え、友情を培っていくことが、重要となるのです。勉強とクラブ活動の両面をやりきるなかに、人間的完成への道もあることを知ってほしいと思います。
 何気ない言葉や振る舞いが、思わぬところで人の心を傷つけ、深く人生に残っていくものです。一流の指導者の育成をめざす、学園の人間教育の伝統のうえからも、諸君は、周囲の人を大きく包容し、ほめたたえていけるような一人一人に成長していただきたいと思います。
7  関西創価中学・高等学校 第四回健康祭〈昭和60年l0月10日〉
 人生の基本を堅固に築け
 勝った人も負けた人も、本当にご苦労さまでした。
 輝いた瞳、真剣な表情に接し、「真剣」という姿がどれほど美しいか、また、青春の光をたたえた、すばらしき姿に深い感銘を覚えました。英知と情熱に満ちた、諸君の成長の姿を見るとき、未来へ私の胸は躍ります。
 身体の鍛えは、頭脳の働きを高め、知性を豊かに向上させていくというように、双方がともに向上していくものでなければなりません。努力を重ねながら、少しずつでも着実に成長していっていただきたいのです。
 諸君の時代は、学問と人生の基本を堅固に築いていくときです。基本こそ、一切の基盤であり、基本をおろそかにする人に将来の大成はありません。青春の苦悩に負けることなく、全国の中学、高校をリードする模範の生徒に成長していってください。
8  創価中学・高等学校 第十六回卒業式(メッセージ)〈昭和61年3月16日〉
 学園魂を忘れず創価の旗を振れ
 第十六回卒業生として、わが創価学園を巣立ちゆく皆さんに、心よりお祝いを申し上げます。
 ほとんどの人が進学するであろうし、また、社会に躍り出て、現実との格闘のなかで自己を磨いていく人もいるでありましょう。いずれにしても、皆さんは、若き柔軟な心に刻みこんだ「学園魂」を忘れることなく、それぞれの分野で、創価の旗を振り続けていってください。ギリシャの哲人ソクラテスは、教育とは「魂の世話をすることである」といっております。知識や学問の習得も、教育の大事な要素であります。しかしそれのみが、教育の目的ではありません。もう一つ重大な柱は、この「魂」の教育にあるわけであります。
 皆さんは、最高の人間教育の府であるわが学園において、勉学はもちろん、広く深い人間陶冶の薫育を存分に受けてきました。このことを誇りとし、生涯をかけて「わが魂の世話」すなわち自己鍛錬を重ねつつ、鍛えの青春を乱舞していってください。
 「青春は臆するを知らず、青春は退くを知らず」といわれます。皆さんの、この青春の王道に栄光あれ、と祈りつつ、私のメッセージとさせていただきます。
 晴れの卒業、重ねておめでとうございます。
9  関西創価中学・高等学校 第十一回卒業式(メッセージ)〈昭和61年3月18日〉
 確固たる自分自身を築きゆけ
 春の風光り、交野の地にも、はや新芽が吹くきょうの佳き日、新築なった講堂で晴れて卒業式を迎えた皆さんに、心から「おめでとう」と申し上げます。卒業とは、一つの区切りであって、次なる成長へのスタートでもあります。どうか、いつまでも、わが学園で学んだ金の思い出を大切に進んでいってください。
 きょうの皆さんの凛々しくも、またすがすがしい姿を思い浮かべると、私はフランスの文学者アンドレ・ジッドの言葉を思いおこします。
 「君の力と君の若さを信ぜよ。絶えず言いつづける事を忘れるな、『僕次第でどうにでもなるのだ』と」(『新しき糧』堀口大学訳、新潮文庫)
 青春時代、この言葉が私は大変に好きでありました。皆さんは、ジッドのいうように、知識の吸収はもとより、絶えず、新しい自分の可能性を発見し、創造しゆく、確固たる自分自身を築き上げることを、生涯の課題としていただきたいのです。
 また、その一個の自立した人格は、決して、他人や社会に責任を転嫁しないものであります。それは、みずからの人生はみずからの責任で切り拓いていく以外にはないことを、熟知しているからであります。いよいよ、この学園を旅立つ皆さんは、その自覚に立ち、みずからが選び取った最高の「青春の道」を、「勝利」の二文字で飾りゆくことのできる、悔いなき一日一日であってください。
 私は、これからも、皆さんを一生涯、見守ってまいります。また、守っていく決心であります。「創価の誇りここにあり」と、見事に成長しゆく皆さんの姿を思い描けば、私の心はいつも楽しく、また、何があっても幸せです。
 皆さんの前途に栄光あれと祈りつつ、私のメッセージとさせていただきます。

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