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創価学園1 中学校・高等学校[昭和59年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校 第十七期生入学記念懇談会〈昭和59年4月8日〉
 勉学第一に未来の人材に
 わが学園にあっては、絶対に暴力があってはならない。暴力は野蛮であり、動物的行為です。知性、人格の人の行うことではない。いかなる理由があり、いかなる場合であっても、暴力をふるうようなことがあってはいけません。
 学園は、二十一世紀のリーダーを育成しゆく学舎です。そのために「勉学第一」が、学園の伝統です。多くの先輩たちも、この伝統のもと、学園魂をもって人生を歩んでいます。皆さんも、将来の輝く人材に大成しゆくために、「勉学第一」で進んでいただきたい。
 学園は男女共学となっています。どこまでも兄、弟、姉、妹という「家族」ともいうべき兄弟愛、姉妹愛をもって、理想の学園を築いてほしい。社会の風潮に流され、自分自身に負けて堕落しあゴ勉学第一に未来の人材にていくようなことがあってはいけません。
 きょう一日が「目的」です。きょうに全力をあげていく。そして、きょうは「目的」であると同時に、あすへの「手段」でもあります。あすへの向上のため、きょう一日に全力を尽くしていく、学びの日々であっていただきたい。
 勉学や生活の面で、さまざまな苦労があるかもしれない。しかし、恵まれた環境でのわがままな生活に成長はありません。労苦のなかで、自分と戦いながらの前進に、より強固な信念と英知が磨かれ、それが勝利の栄冠となっていくのです。中学、高校時代が、一生涯の幸福、社会での勝利を決定する基礎の時代であることを知ってほしい。
 この社会には、公立学校と私立学校とがあります。どちらがよいかと、さまざまに論議がなされてきました。私は、学校教育というものは、本来、私立学校が大事であると考えています。イギリスにおけるケンブリッジ大学やオックスフォード大学をはじめ、世界や日本の著名な学校の多くは、私立学校です。
 私立学校は、学園も含めて、公立学校に比べて、授業料が高い。したがって、お父さんやお母さんに、三年間、または六年間、苦労をかけるかもしれません。しかし、親というものは、子どもの成長がもっとも楽しみであるし、そのためには、どのような苦労でもしていこう、というのが偽らざる心情なのです。
 その意味で、日々の勉学に励み、将来は力をつけ、親の思いに応えていくんだ、との明るい気持ちで進んでいってほしい。また、未来大成のために、明るく、伸び伸びと学園生活を送っていただきたいのであります。
2  関西創価中学・高等学校 第十二回入学式(メッセージ)〈昭和59年4月10日〉
 「何のため」を忘れずに
 桜のつぼみもふくらむきょうの佳き日、晴れやかな関西創価中学・高等学校の入学式、本当におめでとうございます。
 きょうは、創価女子短期大学の起工式のため、残念ながら出席できませんが、三期生の皆さんの新しき門出にあたって、 二言、お祝いを申し上げます。
 中国に「志は学の師なり、才は学の徒なり」という言葉があります。「何のため」に学ぶのか。勉学においては、この志こそが肝要であり、才能は、そのために生かされるべきであるとの意味であります。
 皆さんには、新しき世紀を開きゆく使命がある。また、人類の平和に貢献すべき責任がある。その大志を胸に、勉強やクラブ活動に取り組んでいってください。これからの三年間、六年間には、いやなこと、つらいことがあるかもしれません。しかし、皆さんは王者の子です。どうか、歯をくいしばって頑張りぬいてください。
 わが愛する万葉の薫り豊かな学舎で、生涯の友情の絆を強く、深く、培いながら、清新の息吹満つ学園生活を乱舞されんことを願って、祝福のメッセージとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校 第五回寮生・下宿生懇談会〈昭和59年4月30日〉
 幸の人生は心の強い人に
 どんな苦難があっても、それを乗り越えていける強い人は、心深き、無限の幸せをつかんでいける人です。表面的な苦しみに負けるような人は、永遠の幸せはつかめません。ゆえに、どんな苦難でも乗り越えられる自分自身を築く以外にないのです。
 表面のさざ波に対して、深海のごとき、深く、大きい、広々とした心の世界をもつ人は、何倍、何十倍と幸せを感じとっていけるのです。
 宇宙にも、人間にも、生活、仕事、勉学、スポーツにも、すべてに「リズム」というものがあります。そのリズムに反した場合には、精神的にも、肉体的にも、また社会的にもアンバランスになってしまう。規則正しいリズムをつくりあげた人が、かならず将来は勝利の栄冠を手にするものなのです。
 学校においても、とくに中学一年生は、このリズムに乗りはじめる時期であるといえます。厚い雲を突きぬければ、広野が見えてくるように、一学期が終わり、二学期になると大きく変わってくるものです。
 社会には多くの中学校、高校があるが、とくに寮生、下宿生時代は、友人との友愛や自分との戦いなど、学校では学ぶことのできない、もっとも大切な人生勉強ができるものです。かつての指導者たちの多くは、寮生活の経験者であるといってよい。皆さんも、寮生活のなかで、自分を鍛え大きく成長していっていただきたいと思うのであります。
4  関西創価中学・高等学校 第三回白鳳祭〈昭和59年6月12日〉
 常識豊かに信条貫く生き方を
 今回の訪中で、北京大学と復旦大学を訪れました。十年前、また九年前にも、それぞれの大学を訪問しました。なぜ、両大学を選んだか。それには理由があります。
 新中国建設の揺監期に、その原動力となった新文化運動を含め「五・四運動」と呼ばれる運動がありました。その運動に、最初に立ち上がったのが、北京大学の学生たちであった。彼らには、勇気があり、学問があった。彼らは、民族の誤りなき方向をめざして行動する先駆者たちでありました。
 また復旦大学は上海にあります。上海は長いあいだ、列強諸国の植民地となっていました。中国人民は隷属化され、苦しんでいました。復旦の「旦」とは「太陽」、「復」は「もう一度」という意味です。つまり、この校名には「植民地を解放しよう。自分たちの国に、わが民族に、自分たちの力で、もう一度太陽を昇らせよう」との意義がこめられていたのです。この精神のもとに復旦大学の学生たちは、解放運動に入り、多くの人民に幸せを与えてきたのです。こうした理由から、二つの大学を選んだのです。
 人生にあって、また社会にあって、「常識」が、一番大事です。平和でありたい、安穏に人生を送りたい、これは人類の念願です。すなわち「平和」な世界であることが、「常識」です。「戦争」「争い」は「非常識」です。
 また「勉強」は常識です。勉強をすることは、多くの世界の知識を得ることを意味します。より広い視野の世界を生きることにもなるのです。たとえば、英語が話せれば、外国の人と話ができる。それだけ大きな世界が広がることになる。すべての学問、勉強もまた同じです。つまり、勉強は人生において、大きな、広い世界を生きることを可能にする、という意味で大切なのです。
 さらに諸君の生活でいえば、朝早く起きるのは常識です。夜遅くまでテレビを見て、予習しないのは非常識です。不摂生をせず、健康に気をつけていくのは常識です。親孝行するのは常識です。麻薬や暴走族、非行などに走って、自分をだめにし、人々に迷惑をかけることは非常識です。
 社会的に成功し、財をなすことが、イコール常識とはいえません。偉大で平凡な人生を、常識豊かに生きていくことが、もっとも大切で、信頼を得る正しい生き方であることを知ってほしいのです。次に、今、私が「世間一般の人で、だれを一番尊敬するか」と、聞かれれば「野口英世」と答えたい。
 彼は二歳のとき、いろりに落ちて左手をやけどし、指が癒着してしまい、そのため「てんぼう」とあざけられ、屈辱の少年時代を送ります。そして十五歳のとき、親や周りの人々の援助で、手術をし、手が使えるようになるのです。そこで彼は、自分の手を治してもらったことから、医師になって、不幸な人々に尽くしたいと考え、猛勉強をし、医師の資格を得ました。やがて彼は、アメリカに行って勉強したいと思い、渡米する。アメリカでは、血清の研究で成果をあげ、細菌の研究に入ります。そこでは「野口はいつ寝るのか。体は大丈夫か」とアメリカ人からいわれるくらい、寸暇を惜しんで懸命に研究し、やがて彼は、研究に成功します。天才とは努力です。何事も、努力の積み重ねなくして偉大なる業績はあげられないものです。
 しかし、彼は、アメリカで研究中、大きな悩みにぶつかります。お金や名声を得た人が、人生の成功者といえるのか。学問を究めた人が、成功者なのか。自分は成功した人間が立派な人間だと思っていたが、それは大きな誤りであったことに気がついたのです。学問も技術も、人間を離れては何の価値もありません。人間に奉仕することが、一番、正しいのです。彼は自分の学問も研究も、一生涯、人のために尽くすことを目的とすべきであると、決意していったのです。
 世界的な研究の成果をおさめたのち、彼は十五年ぶりに日本に帰り、親をはじめお世話になった人たちにお礼をし、恩返しをします。これもまた、人間としての「常識」を貫いた、尊い姿だといえます。
 そして、彼はアメリカヘふたたび渡り、今度は、人々を苦しめていた黄熱病の研究のため、南米のエクアドルヘ向かったのです。南米のエクアドルで、彼は、黄熱病の病原菌を発見したと発表しました。さらに彼は、自分の研究のために人の止めるのもふりきって、アフリカに行きます。「野口はバカだ。そんなにまでしなくても、うまく生きればいいのに」との声もあった。しかし「お金や学歴がつくった社会的成功は虚像である。自分の医学は、苦しむ人を救うためのものである」との心情はいささかも動かなかったのです。今でもアフリカには黄熱病はあるが、当時はもっと大変でした。そのため、野口英世は、研究中にみずからが黄熱病にかかり、五十二歳で生涯を終えたのです。
 私は、野口博士の信条、生き方はまことに立派であると思うがゆえに、尊敬する人は、と問われれば、彼の名前をあげたいと思うのです。
 諸君の両親は、諸君が立派に勉強し成長していくために、苦労を惜しまず努力しています。その労に報いるためにも、今はしっかり勉強し、将来偉くなって、両親の苦労を解放していける自分であっていただきたいのです。
5  創価中学・高等学校 第六回寮生・下宿生懇談会〈昭和59年6月25日〉
 勉学こそ青春の価値
 青春時代というのは、「好奇心」と「悩み」と「希望」と「我慢」との葛藤の時代です。異性に対しても、大人の社会に対しても、見るものすべてが、非常に″まばゆく″思えるものです。しかし、大事なことは、人間として、人間の証として、自分を見つめながら、正しい人生を生きていかなければならない。そのためにも、勉学はもっとも重要な要件です。
 残念なことではありますが、社会の中には、人間としての生きるべき道を歩めない人がいます。しかも、そのような人の多くは、自分自身をコントロールできず、我慢ができない場合が多い。
 青春時代には「好奇心」があるのが当たり前ですが、自身に負けずに我慢をしながら、みずからを成長させていかなければならない。十歳のときには十歳の人生があり、二十歳には二十歳の人間としての成長がある。そして三十代、四十代、五十代とそれぞれの節目があり、人間としてのあり方がある。ちょうど一段、一段と降りるべき石段を、一度に飛び降りたら怪我をしてしまうように、今なすべきことを、着実に成し遂げていかなければならないのです。
 勉学に励み、英知を磨くということは、人間として成長していくための、もっとも大切な栄養分です。これがなければ、同じ樹木でも生長できずに腐ったり、花が咲かなかったり、実がならない木と同じになってしまう。我慢強い自分をつくり、正しい生き方をするためにも、今は勉強が一番、大切です。それこそ、自身をコントロールし、成長させていく源泉です。我慢できずに好奇心に流され、勉学から遠ざかってしまえば、取り返しのつかないことになってしまうものです。その意味において、我慢強く勉学に励み、三年間、六年間に何とか人生の盤石な基礎をつくってもらいたい。
 十数年前に、イギリスのオックスフォード大学を訪問したことがあります。そこで、学生の寮生活のようすを見学にいきました。何人かの学生の部屋を見せてもらったが、そのときの学生たちは、とても明るく、何ともいえない人なつっこさがあり、しかも、聡明な顔立ちをしているのが印象的でした。
 世に一流といわれる大学はたくさんあるが、人間的にも優れ、学力もすばらしい、という両面を兼ね備えた人材を育てていくことが理想であると思う。私は創価学園の出身者は、この両面をそなえた方向に近づいていると思う。十七年という伝統のなかに、そのような人材が育まれてきた、と私は判断している。後輩である諸君も「人柄もよく、頭も強い」という両面をそなえた一流の人間に育っていってほしいのです。
 中学生、高校生時代は、たとえお金がなくとも、希望に燃えて、勉強に励んでほしい。かつては、「かわいい子には旅をさせろ」という意味から、あえて自分に挑戦させるために寮生活をさせることもあった。そのなかから多くの人材が輩出された。たとえ厳しい寮生活であっても、お金がなくても、勉学を追究した人が、青春時代の最高の価値をつくった人なのです。
 期末試験も近づいているが、全員が一点でも二点でもいい、前のテストより前進するように頑張ってほしい。私も諸君の成績が向上することを、心から楽しみにしています。
6  創価中学・高等学校 第十七回栄光祭〈昭和59年7月17日〉
 未来大成のため学問を深く
 五十六歳の今日までの人生を回顧するとき、反省と後悔の思いは多々あるが、きょうは二点だけ申し上げたい。その一つは、青春時代にもっと本を読んでおけばよかったということです。もう一つは体を鍛えておけばよかったということです。
 慶応義塾の創立者である福沢諭吉について、諸君がそのなかから何かを感じとってくれればと思ってお話をしたい。
 福沢諭吉は、二男三女の五人兄弟の末っ子として誕生し、一歳のとき父と死別しています。また、夏目漱石も十五歳のとき母と死別しており、民衆に貢献した偉人たちは、逆境を未来への成長の発条として立ち上がっているといえます。
 向学心に燃える諭吉は、九州から大阪の緒方洪庵の適塾(緒方塾)に学び、「これ以上、勉強することはできないというほど勉強に励んだ」と後に述懐するほどでした。
 あるとき彼は、病気になり、枕を使いたいと思って、探したが見つからない。そのとき、これまで枕をして布団の上で寝たことがないことに気がついた。というのは、彼は朝から読書に励み、夜になって読書に疲れ眠くなってくれば、机の上にうつ伏して寝るか、あるいは、床の間の床縁を枕にして寝るかであったからだ。こうして勉強をしぬき、啓蒙思想家、教育者、そして慶応義塾の創立者として歴史に名を残すことになったのです。
 『福翁自伝』にみられるように、適塾では、じっくりと腰をすえて学問それ自体に取り組むという気風がありました。その書生たちの心の底をたたいてみれば、「西洋日進の書を読むことは日本国中の人にできないことだ、自分たちの仲間に限ってこんなことができる、(中略)一見みるかげもない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは、王侯貴人も眼下に見下す」(潮文庫)という誇りをもっていました。
 また、彼の学問に対する考え方は「どうしたらば金が手に入るだろうか、立派な家に住むことができるだろうか、どうすればうまい物をくい、いい着物を着られるだろうかというようなことばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは、決して真の勉強はできないだろう」(同前)とのことでした。ここで彼は、学歴主義、立身出世のための勉学は、真実の勉学ではないと喝破しています。
 明治元年、上野の彰義隊の戦いのときは、江戸市中のすべての店が休んだ。しかし、彼は、次の立派な人材をつくるために、決して講義をやめなかった。当時は、徳川の学校はつぶれ、明治新政府は学校どころではなかった。講義を続けていたのは、慶応義塾のみでした。
 新しい時を生む騒乱の時代。そのなかにあって、″これからの時代は、勉強だ。腰をすえて、世の騒ぎに惑わされず、静かに勉強し、自分の信念の道を進んでいけばよい。そこに、未来を担う多くの青年たちがついてくるのだ″との諭吉の姿勢。私はそこに、時代を超えて、共感を覚えるのです。
 私は、かならず青年たちが後に続くことを信じて、自身の信念と使命の道を進んできました。偉大なる人は、困難なときにあって騒いだりしない。皮相的な世の中の動きに動揺したりしないものです。鋭く時代を見通しながら、静かに腰をすえて現実と取り組み、道を開いていく。諸君も、未来の大成のために、今の時代を、しっかりと勉学に励んでいただきたい。勉強をしなければ、どんなに高く希望をもっていても、また、いかに使命をもっていたとしても、それを実現し、現実の社会で勝利していくことはできません。「頭脳を鍛え、学問を深めゆく」ことこそ、学園の本義であり、それを忘れては魂を失ってしまうことになります。
 中国の斉の名宰相とうたわれ、農民を富ませ、国を強め、対外的にも諸侯の信頼を得た大政治家である管仲の言葉に「一年の計は、穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は、木を樹うるに如くは莫く、終身の計は、人を樹うるに如くは莫し」とあります。
 私は、創価学園、創価大学から、偉大な人材を輩出したとの実証を示すことを、みずからの人生の勝利としたいと思っています。
7  創価中学・高等学校 第七回寮生・下宿生懇談会〈昭和59年9月15日〉
 人生の甲子園に勝とう
 最近、著名な財界人と会う機会があり、いろいろ懇談しましたが、その方々の会社に勤めている諸君の先輩である一期、二期、三期生の評判が大変よく、非常にうれしく思っています。創大の出身者、とくに学園を経て創大に進み、社会に出た人の評価は抜群です。大企業のなかにあって、ほとんどの人が、いい意味で注目されているのが現状です。一歩、二歩と社会に実証を示していることはうれしいことです。
 人々のなかには、学問を自分のエゴのために用い、人をいじめ、不幸の方向に使う人もいるでしょう。反対に同じ学問でも、自分の幸せ、人の幸せ、人類の幸せにつなげていく人もいるでしょう。すべてが、それをもつ人によって、両極端になっていくものです。これは、学問だけでなく、お金や、資格の問題にも通ずることでありましょう。
 まだ夏休みの延長のような気持ちで、休み疲れの人もいるかもしれませんが、きょうから、しっかり勉強に取り組んでほしいのです。勉強という言葉を、聞きあきたかもしれない。しかし、勉強は学生の目的です。
 厳しい社会で勝つためには、今から力をたくわえておかなければ、結局、自分が損をすることになるのです。その意味で、二学期も頑張ってほしい。遊んでいる人や、勉強を避ける人は社会に出たときに、後悔をすることになってしまうでしょう。頑張ることは自分のためなのです。
 今年は、甲子園に行けなかったけれども「人生の甲子園に勝とう」を合言葉に頑張っている野球部を称賛したい。また、各クラブも称賛してあげたい。どうか、しっかり勉学と両立させながら、健康に注意し、二学期を頑張っていただきたいと思います。
8  創価中学・高等学校 第十五期生卒業記念撮影会〈昭和60年1月31日〉
 学びの時代に英知の花を
 イギリスのケンブリッジ大学では、その年の新入生に対して、担当の教授が次のような趣旨の話をすることが、一つの慣習になっていたという。それは「諸君の時代は、勉学の花を咲かす絶好の時である。この時を逸して英知の花を咲かすことはできないものだ。学生時代に、思いきり身体を鍛えながら、だれが首席で卒業するか。それを競いたまえ」ということでした。
 どうか、卒業生の諸君も、この「勉学に励み、一番になろう」との決意をもって、大学や職場において励んでほしい。その決意が成長のバネとなり、将来の栄光への飛躍台となっていくものであります。これからの学びの時代にあって、ただ卒業すればよいとの安易な姿勢では、貴重な青春時代を、浅いもので終わらせてしまいます。
 世に名を成した大学は、それぞれ創立の精神、理念があります。そして、人材の育成や教育の成果は、その創立の精神や、教員の信念等に基づいた結実をもたらすものです。その意味で、私は、「創価学園からは、かならずや、情熱と英知をあわせもった、社会と世界に貢献しゆく人間王者の人材が陸続と輩出するにちがいない」と、確信をもって、多くの人々に断言してきました。諸君も、この建学の精神にのっとって勉学に励み、その結実として、社会に貢献する人材に成長していってほしい。
 この建学の精神のもとに集ってこられた諸君を信じ、全面的に期待しています。諸君も、このすばらしき「学びの園」である創価学園を母校とする誇りを忘れず、勇んで前進してほしいのです。
9  関西創価中学・高等学校 第十回卒業式〈昭和60年3月15日〉
 柔軟にして探究心のある人に
 卒業式、本当におめでとうございます。とくに、本日の卒業式は、わが学園にとって、男女共学第一期生の、歴史に残るであろう卒業式でもあり、重ねて心からおめでとうと申し上げます。ご父母の皆さま方、本当にありがとうございました。また、校長先生をはじめ、教職員の皆さま方、本当にご苦労さまでした。
 私はここで、諸君の晴れの栄光の前途を祝し、昨今考えていることを三点申し上げ、はなむけの言葉とさせていただきたい。
 その第一点は「柔軟にして探究心のある人に」ということであります。
 諸君も知っていると思いますが、現代のイギリスの著名な学者にジェームス・E・ラブロックという博士がおります。彼は地球全体が、微生物から人間にいたるまで、生きとし生けるものはもちろんのこと、大気や海や、全大陸も含めて、一つの大きな生命体であるという「ガイア仮説」の提唱者として有名です。
 このような卓越した学説を打ち立てた博士は、特別待遇で悠々と研究をすることのできる、イギリスの国立医学研究所の椅子を捨ててしまった。そして彼は、イギリス南部の田園地方で、自分自身の独立の精神で研究を続けようとしていったのであります。
 この彼が、次のようなことを述べている。「大切なのは、博士号を取得することではなく、子どものような好奇心を持ち続けて、自分の頭で考え、自らの手を使って、それを検証していくことである」と。名声をかなぐり捨て、生き生きとして自分らしく、独立独歩の探究精神を貫いていくということは、私は、大変すばらしいことであると思っております。
 この生き方の原理は、科学や学問の世界だけではない。これからの諸君の人生万般にわたって、一貫して通ずるものが含まれていると、申し上げておきたいのであります。諸君はこれから、生きゆく過程で、現実の課題に直面したときに、社会の中であれ、自然の中であれ、人生そのものの生き方のなかであれ、つねに勇気と信念とをもって、思いきり探究心の翼を広げぬいて、自分という人間の中に、宇宙よりも広大で豊かなものを見いだしていっていただきたい。そして、すべての真実というものを、明確に、鋭く見極めていける人間になっていただきたいのであります。
 第二点は「小さなことを大切にしていける人に」ということであります。
 新しい時代をつくる、新しい人生を歩みゆくといっても、その第一歩は、すべて身近な、小さな積み重ねを粘り強く続けていくところにのみ、確固たる成果が築かれていくことを、銘記していただきたいのであります。
 有名な『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリの作品に『夜間飛行』という小説があります。これは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスとヨーロッパを結ぶ、夜間郵便飛行機の総責任者の一夜を描いた物語です。多くの人々の大切な手紙を積んだ飛行機が、無事に、その目的地に到着するまでは、一晩中、まんじりともせず、細心の配慮をもって臨んでいったというものであります。そして彼は、こう独り言をいいます。「なげやりな態度をとって、せっかく軌道に乗った出来事を成り行きにまかせておくと、不思議なことに事故が生まれる。まるで、わたしの意志だけが、機体を飛行中の故障から救い、輸送中の郵便物を嵐による遅延から救っているとでもいうようだ」(山崎庸一郎訳、『サン=テグジュペリ著作集2』所収、みすず書房)と。
 このように、すべての物事が、順調にスムーズに運んでいくためには、大なり小なり、こうした陰での言い尽くせない辛労があるものです。
 さらに、この小説の中に「どんな群衆のなかにも、日立たないながら、すばらしい使者となる人間たちが存在する」(同一りという言葉があります。私の長年の体験からしても、まさにこの言葉は真理であります。長い長いこれからの諸君の人生を築きあげていくためにも「小事が大事である」ということを忘れずに、また、陰で働く人たちの苦労が、鏡に映すようにわかる聡明な人であっていただきたいのであります。
 第三点は「故郷をもった人は強い」ということであります。
 善きにつけ、悪しきにつけ、故郷を思い出すのが、人間の心情でしょう。錦を飾って故郷に帰るとか、幼き日の故郷は母のごとしとか、まことに故郷とはありがたいものであります。
 そうぐうこれからの諸君の人生は、決して順調なときばかりではない。さまざまな困難や悲しみに遭遇する場合も多くあるにちがいない。しかし、そのときに諸君は、青春の故郷、学びの故郷がこの学園であることを思い出し、またふたたび、凛々しく勇気を湧きいださせて生きぬいていただきたいのであります。
 マーガレット・ミッチエルの『風と共に去りぬ』の最終章は、すばらしい。主人公であるスカーレットは子どもを失った。夫とも離別した。その悲嘆と絶望のなかで、毅然と顔を上げて、「みんな、明日、タラで考えることにしよう。そうすれば、なんとか耐えられるだろう」(大久保康雄・竹内道之助訳、新潮文庫)といって、凛々しく起ち上がったのであります。タラとは、彼女の故郷であります。諸君も行き詰まったならば、「この交野に来て考えよう」という心のリズムを忘れないでいただきたいのであります。
 ともあれ、私は、諸君がいかなる状況になろうとも、諸君の最大の味方であります。それが、創立者としての私の生涯変わらざる信条であります。どうか諸君が、二十一世紀への賢者として、堂々たる大道を闊歩しゆかれんことを心よりお祈りし、私のあいさつといたします。
10  創価中学・高等学校 第十五回卒業式(メッセージ)〈昭和60年3月16日〉
 勇気と希望と信念の人生たれ
 晴れやかな卒業式、本当におめでとうございます。
 私は大阪におり、残念ながら出席できませんが、諸君の栄光の旅立ちに、ともに肩を組みながら参加しているつもりで、このメッセージを送ります。
 私は、二十一世紀をめざして進む皆さんに、勇気と希望と信念の人生であれ、と念じてやみません。
 それには、一日一日を焦らず、堅実に勝ち取っていく以外にありません。
 ある作家は「人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ、一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を慥かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ」(山本周五郎『ながい坂』新潮社)と述べております。
 どうか皆さんは、順風のときも、スランプや劣等感に悩むときも、大地にしっかりと足を踏まえ、きょうの一日を大切にしていってください。そこから、かならずや「千里の道」に通じゆく力強い「一歩」が刻まれていくにちがいありません。身も心もひとまわり大きく成長し、若鮎のごとくはつらつと躍る皆さんと、またお会いする日を楽しみにしつつ、私のお祝いのメッセージとさせていただきます。

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