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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和58年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  関西創価中学・高等学校 第十一回入学式(メッセージ)〈昭和58年4月11日〉
 すべてによい習慣を
 開校十周年のこの佳き日、晴れて関西創価中学・高等学校に入学された皆さん、本当におめでとうございます。
 本日は、新たなスタート台に立つ皆さんの晴れ姿を思い描きつつ、これからの学校生活で、深く心に刻んでいっていただきたいことを、一点、申し上げておきます。それは「すべてに、よい習慣を」ということであります。
 読書、勉強、早寝、早起き、礼儀やマナー、友情を育む等、よい習慣というものは、皆さんの人生のすべてに、豊かな彩りをそえていくでありましょう。そして、そうした習慣は、一生を左右する大事な人格形成になるがゆえに、今こそ、しっかりと身につけておかなければならないのであります。
 人間の身体や心は、悪い習慣にはすぐ染まります。逆に、よい習慣というものは、努力なくして決して身につきません。きのうよりはきょう、きょうよりはあすと、向上をめざす一日一日の粘り強い努力の蓄積が必要です。どうか、「努力が習慣となり、習慣が性格をつくる」を合言葉に、創価の道をまっすぐに進み、悔いなき学園生活を送ってください。
 若鮎のごとく、はつらつとした皆さんとお会いする日を楽しみに、皆さんの前途に栄光あれ、と祈りつつ、私のメッセージとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校 第十六回栄光祭
 人間勝利の山を登りゆけ
 きょうは、雨で開催はむりかと心配しておりましたけれども、とうとう外で見事にやりきることができて、学園の将来の歴史に残る栄光祭となりました。おめでとうございます。
 日本といわず、全世界で、諸君のように中学生らしい、また高校生らしい、本当の意味での未来に向かう青年の姿、少年としての姿は、どこの学舎にもありません。いろいろな指導者と会って語りましたが、皆そのことで嘆いております。大変な時代に入っているのです。
 その意味で、きょうの諸君の清らかで真摯な、涙の光る情熱の姿、二十一世紀へ向かって生きゆかんとする熱情の美しさ、これは私の脳裏に焼きついて一畳藩〉消えないでありましょう。
 ともかく諸君がこれからの学園生活において、あるときは勉強がうまくいかなかったり、スランプになって苦しんだり、ある場合には経済的に苦しい思いをしたり、また、行きたい大学にも行けなくなったり、いろいろなことがあると思います。しかし、どんなことがあろうと、大切なのは自分を磨いていくための勉強です。あくまで創立の精神のもとに集まった、世界でただ一つの、世界平和のリーダーを養成する、英知と実力主義の学校です。目的は建学の精神です。そこに一切のものが含まれているのです。
 本当は諸君に何でもしてあげたいけれども、甘やかしてはいけない。わざと私は厳しくつきはなした格好で見ております。獅子の子は、千尋の谷に落とされて、はいあがってくる。それが本当の獅子の子です。男の中の男であるし、リーダーの最大の資質は、そこで磨かれるのです。どうか、これからも、いろいろないやなこと、つらいこと、苦しいこと、悲しいことがあるだろうけれども、きょう、諸君一人一人が訴えた叫び、これを天に訴えながら、また、自分の生命の中の天に響かせながら、人間勝利の山に自分らしく登りきっていただきたい。これが私の願いです。どうか、先生方も、今後ともよろしくお願い申し上げます。
 今年の卒業生に望みたいことは、全員がどんなに苦しくとも、夜学でも何でもいいから大学ヘ行っていただきたいということ、それからもう一つは、この学園生活でどんなにいやなことがあっても、そフンプがあっても、耐えに耐えて、よき同志と一緒に、立派に卒業していただきたいということです。落第なんかしてはいけない。また、お父さん、お母さん、とくにお母さんには心配をかけないように、たまには手紙を書くとか、いろいろな工夫をして安心させてあげてください。お母さんと喧嘩するような男は、偉くはなれない、と私は申し上げたい。
 限りない諸君の健康と成長を、またご一家の繁栄をお祈りし、私の話を終わります。ありがとうございました。
4  関西創価中学・高等学校 第二回自鳳祭(メッセージ)〈昭和58年7月19日〉
 はつらつと青春の思い出を
 天も喜び、地も躍らんとする第二回白鳳祭、まことにおめでとうございます。私は行きたい思いでいっぱいですが、たくさんの用事があってうかがえず、残念でなりません。
 ですから、私は天眼の望遠鏡をもって、すべての演技を見守ってまいります。どうか、はつらつと、またはつらつと偉大なる青春の思い出を刻んでください。
 ご父母の皆さま、ご来賓の先生方、いつもいつもありがとうございます。すべての参加者の皆さまのご多幸を祈りつつ、はるか東京よリメッセージを送ります。
5  創価中学・高等学校 野球部員との懇談会〈昭和58年8月26日〉
 勝っても負けてもチャレンジを
 甲子園への出場、大変にご苦労さまでした。今回の出場に関して、多くの方からさまざまな話を聞きました。「応援のようすがすごい」と、また「勉強中心の学校から、よく甲子園に出場できたものだ」などといっていました。ともかくまた、次のチャンスに、チヤレンジしてもらいたい。このチャレンジの精神が、大切なのです。勝っても負けても、チャレンジしていただきたい。
 個人の人生においても、また社会においても、「勝ち」「負け」をどのように価値判断していくかが大切なことです。物事をどのように価値判断していくか、また、どのような価値基準をもつかが大切です。学問では知識は与えられるが、大事なのは知恵です。知識は、知恵を出す手段ともいえます。このように一つの事象をどうとらえるか、どう価値判断していくかで、人間としての真価が問われるのです。
 今回の甲子園出場は、すばらしいことです。試合に負けたことは、惜しいといえば惜しい。しかし、皆が残念がってくれ、また惜しがってくれる、ということが大事なことです。
 戦いは、時の運です。ちょっとしたことから、どのように展開するかわからないものです。しかし、命をかけた戦いをしていくなかに、運は開けていくものです。あるときは、負けることを知らなければならない。負けることを知らない団体は、偉大な業績は残せないものです。負けたときに「よし、次のときをめざして頑張ろう」と思うことが大事なのです。負けを希望に変えていくことが大切です。
 今回のことで「点」はできあがりました。これはすごいことです。クモは、糸を垂らしてゆらゆらと揺れていても、一度どこかに取りつくと、たちまち網を張りめぐらして巣を作っていくものです。これからは、この点をどのように伸ばしていくかが課題です。
6  関西創価中学・高等学校 交野秋のタベ
 勉学に弛みなき努力を
 本校も満十周年を迎えました。この十年間の伝統、成長、活躍は、他に例をみないものです。この十年間で、多くの先輩が、ある人は著名な大学へ進み、また、ある人は社会へ進みました。すでに幸せな結婚をした人もおります。
 そして、多くの人が、学園時代がもっとも懐かしい、思い出が深い、悔いがない、といっております。それは、すばらしい環境と、栄光の指導者をどのように育てていこうかという建学の精神に賛同して馳せ参じた、先生方、ならびに職員の方の献身的な努力のおかげであると思います。
 校内暴力の現象が日本全国に蔓延しつつあるが、暴力は自分自身の破壊です。それは、畜生のような根性の弱い、わびしい心の人が、自分を強く見せようとする欺肺の姿です。みずからを破壊するごとき、人間性とは正反対の暴力行為だけは、決してあってはなりません。
 心の濁った、卑しい人は、どこの世界にあっても嫌われ、敗北し、悲しい運命の道を歩むことになります。それに対し、清らかでさわやかな人、広くあたたかな心をもった人は、皆から好かれ、喜びも増し、幸せの人生を招き寄せることができる。そうした心根のよい生徒が多く集った学園ほど、すばらしいものはありません。
 不況の波によって、経済的に苦しい家庭があるかもしれない。当然、その影響を受けて、諸君のなかにも苦しく、つらい思いをする人もいるでしょう。だが、諸君にとって、家庭の経済がどうであろうとも、現在は勉学が本義です。ゆえに学園にあっては、家庭のことは心配しないで、勉学に打ち込んでほしいのです。そして、級友とともに卒業するまで頑張ろう、との強い一念で、押し通していっていただきたい。どうか、この三年間、あるいは六年間の学園生活は、最高にして清らかな未来の財産を刻んでいるのだと確信して、悔いなき学びの日々を送ってください。
 私はこれからの人生を、教育に全力をあげたいと念願しております。波瀾万丈の私の人生にあって、今なお忘れられないのは、小学校や高校時代の恩師の姿です。教育は人生の基本です。勉学のない人は、結局は人生に勝利していけないものです。勉学というものは、付け焼き刃では決して身につきません。水の流れるがごとく、勉学に弛みなき努力を重ねていただきたいのです。そうしたなかに、儒贋な、部分的な人間形成ではなく、樹木が日々生長していくような、全人間的な成長があるのです。
 勉強はつらく、おもしろくないと思う場合も多いでしょう。しかし、おもしろさだけに流されるのは、幼稚であり、動物的です。中学生、高校生の諸君は、もはや大人であり、「英知」を働かせ、物事の道理を知り、価値判断をしなくてはならないのです。残念なことに、社会には、おもしろさのみを売り物にする、商業主義に毒された興味本位のマスメディアも多くあります。しかし、それらにとらわれて、正しい人生観を見失い、生涯に悔いを残してはなりません。
7  関西創価中学・高等学校 第二回健康祭(メッセージ)〈昭和58年l0月24日〉
 健康こそ人生の条件
 第二回健康祭の開催、まことにおめでとうございます。
 私は残念ながら大事な用事があり、どうしても出席できませんが、東京の地より、皆さんの元気な姿を見守っております。
 「健康祭」の「健康」とは、人生のもっとも大切な条件です。病弱と闘いながらの青春時代を送った私にとって、皆さんに健康であっていただきたいというのが、最大の念願であります。どうか、きょう一日は、勉強のことは忘れて、伸び伸びと思う存分、身体を動かし、青春のよき思い出をつくってください。
8  創価中学・高等学校 第九回鳳友祭記念の集い〈昭和58年11月10日〉
 自分に負けず学びの道を
 昨日、非行少年たちが、少年院や更生施設で、大変な苦労をしながら、立ち上がっていくという内容のテレビ番組を見ました。その番組の中に出てくる人々を見ると、罪を犯した人の哀しみ、むなしさ、後悔が痛切に感じられ、また家族の嘆きもひとしおでした。数々の非行や犯罪は、大切な青春時代を暗いものにし、また将来にわたって自分を傷つけ、親をも悲しませることになります。
 人間形成にあっては、肉体的にも精神的にも、中学、高校時代がもっとも重要な時期であるといえます。勉強すべきときに勉強せず、社会の中で悪いことをして、自分の可能性を消しさってはならない。人生の基礎を築く重要な時期である中学、高校時代を、自分に負けることなく、勉学を貫き通していっていただきたい。
 きょうも多くの先輩がきてくれていますが、学園を巣立った多くの先輩が、社会の各分野で立派に活躍している姿を見ることができ、大変にうれしく思っています。また、深き縁で結ばれ、尊い使命をもって、人類社会に貢献していこうとの、信念強き皆さんが集まったこの学園の存在は、今後とも、ますます重要になっていくことを確信しています。
 多くの識者が学園を「模範の学校」と見ています。それは、学園には「建学の精神」が脈々と息づいているからです。建学の精神を忘れてはならない。諸君の先輩は、伝統を立派につくってくれました。今度は諸君が後輩のために、見事な道を切り拓いていただきたい。
 諸君は、未来に生きる人たちです。勉強の面でスランプに陥るときもあるでしょう。友人関係で悩み、また先生方に反抗したくなるときもあるでしょう。また、他の家庭をうらやましく思うことがあるかもしれません。不満や悩みは多いでしょうが、しかし、何があっても、この、みずからの母校である学園だけは卒業してみせるとの「負けじ魂」で、勉学に励んでほしいのです。そのことが、諸君にとって、未来大成の力となっていくことだけは、断じてまちがいのないことです。
9  創価中学・高等学校 第四回寮生・下宿生懇談会〈昭和59年1月9日〉
 努力の中にこそ栄冠
 新春恒例の箱根大学駅伝で、早稲田大学が三十年ぶりに完全優勝を果たした。その折、早稲田大学の中村清監督がいっていた言葉に、大変に感銘した。それは「何事にせよ、努力にまさるものはない」との言葉であった。勉強にあっても、心身の鍛えにあっても、努力を忘れてはならない。社会においても、一流といわれる人、人生の勝利者となった人、また何らかの栄冠を勝ち取った人には、すべて、人一倍の努力の積み重ねがあるものです。栄光の裏に秘められた、深い努力の姿を知らずして、表面の華やかな姿のみを追うことは、じつにむなしいことです。
 「努力」――これ以外に人生の栄冠も、進歩も、向上もないといってよい。努力の人こそ「進歩」「向上」「栄冠」の人です。努力の人は、苦難や不幸から逃げることなく、それらを進歩、向上へと結晶させていこうという勇者の歩みをしている、真金の人です。
 努力を放棄した人が、いくら口達者で、利口げにいいつくろっても、それは、敗北の姿を自己正当化しているにすぎないといってよい。批判、文句だけで努力を忘れた人は、空虚な人といえるでしよう。
 フランスのある著名な人から、数年後に迎える「フランス革命二百年」に関して、手紙が寄せられました。それは、
 「革命には政治革命、産業革命、科学革命、宗教革命など、さまざまなものがあった。それらは、それなりの新しい世界を開いた。
 しかし、科学革命が原水爆を生んだごとく、革命が新たな矛盾、新たな不幸を生み出していることも、歴史が証明してきた事実である。それぞれの革命により、進歩、発展を願った人類が新しい苦難の道に入っている。
 そのなかで、これまで残されており、今、もっとも希求されているもの、それは『人間革命』である。言葉をかえれば、『精神革命』である。それを仏法に期待したい。仏法を基調とした人間革命。それが、世界の希望である」との内容でありました。
 私もこれまで、世界中に「人間革命」の道を切り拓いてきました。これからは、この学園で学ぶ諸君があとを継いで、この真実の大道を歩み育っていっていただきたいのであります。
10  創価中学・高等学校 第十四期生卒業記念撮影会〈昭和59年1月30日〉
 負けじ魂で栄光の人生を
 三年間、また六年間、本当にご苦労さまでした。私は、このなかから二十一世紀の社会の大人材がたくさん出ることを確信しています。私は、諸君の栄光の人生を心から祈りたい。諸君の栄光の人生こそ、私の人生の勝利でもあります。社会へ出れば、それぞれ進む道は違うかもしれませんが、青春の原点であった学園の「負けじ魂」だけは忘れずに進んでいただきたい。
 きょう、記念撮影した諸君は、今までの学園の歴史においても、名実ともにトップクラスの集まりともいえる不思議な卒業生であり、「栄光の人」であると、私は信じています。
 大きな嵐の中で、普通ならば他の学校に入学していたかもしれないのに、勇んで、みずから求めてこの学園に来てくださった。諸君こそ、真の「勇者」であると確信しております。
 社会的にも正義を貫く人は、つねに苦しめられながら、また、虐げられながらも、それに耐えぬいていくものです。それゆえに、偉大であるといえるのです。歴史的にも、さまざまに中傷、誹謗されながらも、それに耐えた人が、本当の意味での「賢人」であるといわれているのです。
 正しい人ほど、先見性をもつがゆえに、その時代の人々からは理解されがたいものです。しかし、その人の歩みが、人々のためであり、人類にとっても正しい歩みであったということは、かならずや何百年か後に、証明されることでしょう。またこれは、歴史の必然でもあります。
 ここで諸君にお願いしたいことは、学園生となりゆく後輩を、小学校、または中学校のころから見つけだし、その人を学園に入学させていただきたいということです。小学校から中学校へ、また中学校から高校へと大きな流れをつくっていただきたい。この人こそ自分の誇るべき後輩である、という人を、学園に送っていただきたい。
 本当は、卒業生の一人一人と握手をしたいけれども、諸君の胸の奥と固く握手をしていることを知っていただきたい。

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