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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和56年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  創価女子中学・高等学校 第二回蛍友祭〈昭和56年11月15日〉
 さわやかな、教養深き人に
 きょうは、ご来賓の方ならびにご父母の方々、また教職員の方々、そして生徒の皆さんの元気なお姿を、このように一堂に相見ることができまして、心からお祝い申し上げます。おめでとうございました。
 創価学園の卒業生が、大学へ行ったり、社会に出たり、お嫁に行ったり、いろいろなようすを聞いております。
 教育が、国家百年の未来を決定する。幸、不幸の、また平和、文化の基調をなすものであるから、私は、教育に一番、力を注いでいるのです。そこで、女子学園生に、とくにお願いしたいことは、一つはさわやかな女性になってほしいということです。一人の女性が一家にいて、そのさわやかさ、明るさによって、一家というものはどんなに潤いが出るか。ところが、娘さんが、お父さんやお母さんといつも対立をしたり、喧嘩をしたり、内向的になったり、だんだん非行青年みたいになった場合、お父さんやお母さんの嘆き、苦しみ、一家の暗さは大変なものです。幸福というものは、遠くにあるものではありません。一番、身近にあるのです。そういう意味において、一家のさわやかな存在になってもらいたいということです。
 もう一点は、教養ある人になってもらいたいということです。つまり、品格をもってもらいたい。また、それを敷衍するならば、思慮の深い人になってもらいたい。薄っぺらな、浅はかな女子学園生になってもらいたくはない。思慮の深い、教養のある、芯のある女性であっていただきたいことが、私の理想であり願いです。
 今、お父さん、お母さんが仕事や生活でご苦労されているとしても、皆さん方が福運を積んで、そしていい人生を生きていくならば、今までお世話になった何十倍、何百倍、いな何千倍も返せるようになる。これが因果の理法です。正しい天の道です。そう確信して、今は一生懸命、学んでいただきたいのです。
 また、古来、「今生の恥はものの数ならず」といいます。今、いろいろと批判されたり、軽蔑されたり、悪口をいわれたり、議言されたりしても、ものの数ではない。「後生の恥こそ大切なれ」といって、永遠の生命という観点から、人生の総仕上げがどうかということが大切です。人間としてのできあがりが完全か不完全か、立派な人生であったか、または策や妬みの強い狂った人生であったかの差が大事です。永遠の生命観から見なくてはいけない。現象面だけで見てはいけない。
 また、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」ともいいます。世に聖人、賢人といわれる人は、昔からどんなに悪口をいわれても紛動なんかされないで、信念をもって正義の道を歩んでいます。聖人、賢人たりとも、皆、試されているのです。悪口雑言、中傷、批判して、その人間の真価をみるということです。
 その意味において、皆さん方一人一人は、どうか、何かあの人はもっている、何かあの人は光っている、何かあの人の奥には教養がにじみ出るものがある、あらゆることについて思慮深い、本質をつかんでいる、こういう学園生になっていただきたいのです。
 また、来年から男子が入学してきますけれども、万葉の時代は、今と逆で父、母とはいわず、母、父といったのです。お母さんが、女性が一番、力があって、尊貴で大切にすべき人だという、これが日本の本来の伝統です。本当の人間の実態というものをわきまえた先進国、ヨーロッパなどでも、いわゆるナイトの精神ということをいいます。いろいろなことがあっても、かならず女性を大切にしている。女性は、たくさんのものを生んでいく、という意味において、尊く、神聖であり、最大に尊敬されたのです。
 万葉の歌はたくさんあるけれども、多くが庶民の歌です。センチメンタルとか、自殺とか、いわゆる碩廃的な歌はないのです。女子学園みたいに生きていこう、若々しく希望に燃えて人生を生きよう、躍動して青春を生きよう、人生を満喫しよう、という歌ばかりです。
 ここ交野の地は、万葉ゆかりの大切な国土であるし、万葉の教育をしているわけですから、どうか立派な男女共学を進めてください。
 皆さん方一人一人のご多幸を心からお祈りして、あいさつとさせていただきます。
3  創価女子中学・高等学校 第七回卒業式(メッセージ)〈昭和57年3月12日〉
 友情の芽を大切に
 晴れの卒業式、本当におめでとう。
 また、この日までご苦労されながら、卒業生を立派に育んでこられたご父母の皆さま、心よりお喜び申し上げますとともに、この二年間、永村校長先生はじめ、担任の先生方、ならびに教職員の皆さま、本当にありがとうございました。
 私は、どうしても、東京のほうで大切な用事があり、出席できませんが、皆さん方の誉れの門出を、だれよりもうれしく、万感の思いをこめて祝福申し上げます。
 緑豊かな交野の地で、皆さんは、たくさんの金の思い出と、かけがえのない友情とを胸中深く郷まれたことでありましょう。私もまた、皆さんとの出会いを決して忘れることができません。
 フランスの作家ロマン・ロランは「私には二つの宝がある。それは、私の友と私の魂である」という意味のことをいっております。
 人生にとって、友達ほどすばらしい宝はないでありましょう。また、よきたくさんの友人をもつ人こそ、幸せな人ではないでしょうか。園子の友情、園子の絆は、かならずや年輪とともに光り輝くことと思います。そのよき友情の芽を、これからも大切に伸ばしてください。
 女子学園もこれで七期の卒業生を送ることになり、一つの節を迎えました。幾多の先輩は、まさに道なき道のなかで、けなげに活躍しております。職場や大学、地域の人々から「さすがは」と大変、評判がよい。また兄弟校の男子学園出身者も、法曹、外交、学問をはじめ、各界で実力を発揮し、「創価」の名をいやまして高めております。
 私は創立者として、これほどうれしいことはありません。皆さんも、後輩のために頑張ってほしい。
 しかし、私がもっともうれしいことは、皆さん方がいつ会っても元気であるということです。これ以上うれしいことはありません。
 これからは、つらいときも、苦しいことも、思わぬ試練の山が前途にそびえ立つこともあることでしょう。また、社会の荒波も激しい。皆さんは、その風雨のなかで勇気をもって歩み、平凡であっても、いつも笑顔を忘れない強い芯をもった人であってください。
 私も毎日、皆さんのご健康と成長を祈っております。お父さん、お母さんをいついつまでも大切にと申し上げ、まことに簡単ですが、私のメッセージとさせていただきます。
4  創価中学・高等学校 第十二回卒業式〈昭和57年3月16日〉
 感謝忘れぬ心豊かな人に
 卒業生の諸君、おめでとうございました。また、ご父母の皆さま、まことにおめでとうございました。校長先生はじめ、担任の先生方、本当にご苦労さまでございました。
 アメリカでは、卒業式のことをコメンスメントといいます。このコメンスメントには「始まり」という意味があるそうであります。したがって、卒業とは、一つの終わりをいうのではなく、新しい始まりを意味するのであります。どうか本日、この学園より卒業していかれる諸君は、また、新しい勉学と人生の確固たるスタートを切っていただきたいと、私は心より念願するものであります。
 きょうは、時間の都合上、三つの点について簡単に述べさせていただきます。
 その一つは、オーストラリアの作家エッシェンバッハのいった言葉に「苦しみは人間の偉大な教師である。苦しみの息吹きのもとで魂は発育する」というのがあります。これからの諸君の長い前途にも、自分にしかわからない苦しみを味わっていかねばならないことが、多々あると思う。しかし、負けてはならない。学園のあの負けじ魂を、絶対に失ってはならない。みずから前へ進みゆく努力を忘れてはならない。そして、深い苦しみを乗り越えるなかで、人の苦しみを知っていけるリーダーになっていっていただきたいのであります。そして、また、苦しみの彼方には、想像もつかぬ歓喜の太陽の輝きがあることを、体験していっていただきたいのであります。
 次に、人間というものは「動く物」すなわち「動き」の連続であるといえるかもしれません。古来「水動かざれば腐り、鉄磨かざれば錆びる」という言葉もあるように、前に進みゆく決心、忍耐、努力を失った人は、もはや堕落であり、敗北につながってしまうのであります。どうか諸君は、たとえ一時的なスランプにあっても、またそのなかでもがきながら、あるときは、学園の先生に相談し、あるときは、友人と語り励まし合い、あるときは、自分自身の努力で、つねに満ち足りた自分をつくりゆくためへの行動を忘れないでいただきたい、と申し上げたいのであります。
 次に、不平不満ばかりの人であってはならない。そこには生き生きとした、価値ある実りがなくなってしまうからであります。自分を育んでくださった父や母、また先生方にも感謝する心を忘れない諸君であっていただきたい。また、大につけ小につけ、自分に対して真心の激励をしてくださった方に感謝の心をもちゆくことは、自分自身を大きく育てる要件となっていくのであります。
 ともあれ、感謝のある人は、心に余裕と豊かさをもつ人であります。
 また、感謝を忘れぬ人には、物事の善悪を見ぬいていく鋭さが、そなわってくるものであります。
 最後に、君たち一人一人が、きょうから二十年さき、社会の中にあっていかなる存在となっているか、また人間として、どれほど成長しているかをめざし、みずからがひとたび決めた道をかぎりなく歩みゆかれんことを願望し、また、人生の最後の月桂冠をかぶりゆく君たちであっていただきたいことを念願して、私のはなむけのあいさつといたします。
 諸君! いつまでもお元気で。

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