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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和54年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  創価女子中学上呂等学校第七回入学式(メッセージ)〈昭和54年4月10日〉
 希望に生きる人生を
 万物の躍動する新生の春、桜花爛漫の交野の地に、愛する創価女子学園の門をくぐられた新入生の皆さん、晴れの入学式、本当におめでとうございます。
 女子学園のモットーの一つは「希望」であります。有名な言葉に「希望は永久に人間の胸に湧く」とあるように、どんなことがあってもくじけずに、前途に希望を生み出していける人が、人間としてもっとも尊い人であります。
 ヘレン・ケラー女史は、目が見えず、日もきけず、耳も聞こえない三重苦の身でありながら「希望」の二字を抱きしめて明るく生きぬき、歴史に名をとどめました。彼女は「希望がなければ何事も成就するものではない」といっております。
 皆さん方は、これからの人生の途上にあって、つらいこと、悲しいこと、いやなこと、心配なこと等々、数多くあるかもしれません。しかし、それらのすべてを、希望の方向へと向けていく努力の積み重ねが、偉大な福運となって人生を飾っていくことを、つねに忘れないで進んでいってください。
 本日は都合で、皆さん方の晴れ姿を見ることができず、まことに残念ですが、近いうちにお会いできる日を胸にあたため、楽しみにしつつ、私のメッセージとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校 寮生・下宿生との懇談会〈昭和54年10月31日〉
 社会に光れ
 私は、大切な寮生を預かっている最高責任者であり、また、君たちのお父さん、お母さんからも「私たちは頻繁に行けないので、創立者に見に行ってほしい」という手紙がたくさんきているので、きょう、お邪魔させていただきました。
 皆さんの部屋を見せてもらったが、男としては、まあまあきれいな部屋だ。急に部屋を掃除したことは百も承知ですが、私は諸君のために来たのです。
 今から九百年前に、日本最古の長編小説である『源氏物語』が書かれました。作者は有名な紫式部です。その父親は学者で、周囲には、史書、漢学の書籍が多数、置いてある環境で育った。そして、しぜんとそれらの書籍を読み、父の講義を聞き覚えて、深い学識と人間観をそなえていたのです。
 きょうお話ししたいのは、この物語の主人公・光源氏のことです。
 光源氏の「光」とは、光り輝くように美しく聡明ということで、学園生のようであります。またついでながら源氏とは、皇族がその位を降り、臣下、市民の立場になったことをいいます。源平合戦の源氏とは別の人です。
 光源氏は、帝の第二皇子として生まれ、幼いときから利発で、まことに聡明な男子でした。第一皇子よりすぐれていたので、帝が、源氏を皇太子に立てるのではないかと大変、嫉妬されたのです。
 聡明な人はいじめられやすい場合があります。これは、いつの時代においても同じです。
 光源氏のお母さんは、それが原因で早く死んでしまった。その後、光源氏はおばあさんに預けられたけれども、おばあさんも、光源氏が六歳のころに亡くなってしまった。また、成人してからも、ずいぶん、いじめられています。
 こうして臣下の籍に降りたけれども、光源氏は、おのずから、どこにいてもつねに光る人だった。音楽とか絵をやらせてもぬきんでていた。力があったのです。
 今でいえば「光る」とは、人々を励まし、希望を与え、勇気を与えることであります。その意味で私は、諸君に「光る学園生」になっていただきたいと申し上げたいのです。
4  創価女子中学・高等学校 第四回蛍会総会〈昭和54年11月3日〉
 結婚について
 昨年は恋愛の話をしたから、今年はお約束通り、結婚の話をします。
 簡潔にいわせてもらいますけれども、まずはじめに、結婚をする場合は、お母さん、お父さん、またはよき先輩の意見を聞くことが大切です。なぜならば、未知の世界だから、まちがいを起こすことがあります。好き嫌いで判断して、将来を破滅させることは愚かです。現実生活、社会というものは何らかの法則、規則によって動いています。たった二人だけの人間で、自由奔放に生きられると思ったら大きなまちがいなのです。
 相手に経済力があるかないか、その見通しがあるかないか、これが一点。そのうえに、またはそのもとに愛情が必要です。それがあって理解し合っていける。お互いに尊敬というか、信じ合った理解ができる。こういうことが、現実に成り立たない場合は、私は、夫婦の安定した、長い人生というものは成就できないと思います。
 中国では、男女が世の中を半分ずつ背負っているという思想があるけれども、日本ではまだ男性の優位性があります。自分の主人は絶対であり、主人についていけば安心だという考え方が強い。しかし、どんな男性でも万巻の書に通じているわけではないし、ありとあらゆるものに精通しているわけでもありません。
 結婚して不幸になっている人はたくさんいます。七割、八割、それ以上の夫婦が不幸であるとさえいわれています。簡単であってむずかしいのが、夫婦の歩みというものです。
 そこで一つ大事なことは、二人とも未完成なのだから、つねに進歩、向上がなくてはなりません。進歩がなければ、動物です。向上、進歩といっても、夫婦喧嘩したり、朝から晩まで一緒にいると飽きるし、お互いに欠点が見えてくるものです。これが現実なのです。どうしようもない人間の性であり、業というものです。ですから、私は、偉大な目的をめざして、一緒に同志として向かっていくところに人生の価値があり、夫婦の真の麗しき道があると思います。大きな思想の食い違いのあるところには、本当の愛情もないといってよいと思います。
 ともあれ、焦ってはいけません。大学を卒業したからといって幸せとはかぎらないし、高校出だからといつて不幸とはかぎらない。女性の幸、不幸は女性自身で決めるものです。しかし、そうはいうものの、男性によって決まる部分もたしかに大きいのです。したがって結婚においては、お父さん、お母さん、よき先輩と相談して、みんなから祝福してもらえる結婚をしなさい。それで仮に、このなかで二、三、結婚に失敗したり、離婚したりすることがあったとしても、おじけてはいけません。負けてはいけない。そのときには、先輩の先生でもいい、私でもいいから手紙を書きなさい。最大に激励し、守ります。
 どんな試練の波に出合っても、臆病になることはありません。ヘレン・ケラーはどんな不幸のどん底にあっても、立ち上がって生きぬいてきた。いわんや皆さんは、学園の教育をうけて土台がしっかりしている。仮に何かがあったときでも、一人で泣いたり、人生をあきらめたりして、弱々しき日陰者になったりせずに、太陽に向かっていってください。
 恋愛する場合にも、失敗しないでください。もしか失敗したら、いつてきてください。愚か者ではいけない。だまされてはいけない。女性はちょっと恋愛すると、その人にボーッとなってしまい、世界中が見えなくなって知性が働かなくなる。そこに落とし穴があるのです。不幸になってはいけません。そのためにも友達、先輩の意見が必要なのです。
 みんなが幸せになることを祈っています。
 それでは来年また、お会いしましょう。
5  創価女子中学・高等学校 第五回卒業式(メッセージ)〈昭和55年3月11日〉
 「青春の思い出」は自身の宝
 交野桜がふくいくと新芽をあたため、花開く準備を始めると、また今年も大切な、そしてかわいい皆さん方を見送るときがやってきました。この二年間、本当によく学び、よく頑張ってくださいました。心からお祝い申し上げます。
 また、皆さん方を心から愛し、きょうまであたたかく見守ってくださった諸先生方、そして何よりもご両親のご苦労に対し、衷心より御礼ならびにお祝いを申し上げます。
 残念ながら、私は本日は出席できませんが、皆さんとともに織りなした楽しくも美しい交野の日々を、今、鮮やかに思い出しております。生駒山にいだかれ、交野路を友と歩きながら刻んだ青春の思い出を、どうか、自身の心の宝として生涯あたためていただきたいと思うのです。
 皆さん方は、本日より、いわば「第二の青春」のスタートラインに立ちました。これから歩む道は、よく整備された運動場から一歩表に出て、さまざまな人々の行き交う街路となることでしょう。湾壌な道ばかりではないかもしれない。思いもかけぬ障害に出合うかもしれません。また、疲れて前に進むことがいやになる場合もあるでしょう。そうした自分に負けそうになったとき、私は「わが愛する学園生よ、くじけるな、あの懐かしい交野桜を思い出せ」といいたいのです。厳しい冬の寒さに耐えに耐え、春来りなば爛漫と咲き誇り、学園生活に彩りをそえてくれた交野桜のごとくに、輝くばかりの笑顔で、かけがえのない人生を乗り越えていってほしいのです。
 皆さん方が、いつまでも母校を愛し、誇りとして、福運の花あふれる未来に進まれることを祈りつつ、はなむけの言葉とさせていただきます。
6  創価高等学校 第十回卒業式〈昭和55年3月16日〉
 あせらず自分らしい道を
 第十回の晴れやかな卒業式を迎えまして、牧野校長先生はじめ、諸先生方、ならびにご両親の皆さま、そして、卒業する若き栄冠の諸君に対し、心からお祝い申し上げます。おめでとうございました。こういう緊張した場では長い話はいけない。皆さんは、三年間もむずかしいことを勉強してきたのだから。そこで、簡潔にわかりやすく、はなむけの言葉を述べさせていただきます。
7  現実を離れて人生はない
 その一つは、歴史上のある著名な人物の話であります。それは、昭和初期の宰相として、日本の重大な責任ある立場にあった人の人生観であります。
 その人はこう述べております。
 「人生は込み合ふ汽車の切符を買ふため、大勢の人々と一緒に、窓口に列を作つて立つてゐるやうなものである。
 中々自分の番が来ない。時間が迫まつて来て気は急せり出す、隣りの方が空いてゐそうに見えるので飛び出して見たくなる。しかし一度自分の列を離れたが最後、あつちこつちと徘徊つてみても、そこにもまた順番がある。しまつたと気が付いて元の列に立ち戻つて来れば、自分の前に居た所は、已に他人に占領されてゐて、遙か後ろに廻らなければならない。結局急いだ為に却つて後れることになる」(北田悌子『父浜口雄幸』日比谷書房)というのであります。
 この話は、大きく時代は違いますが、人生というものの真実の一つの姿を語っていると思う。諸君のこれからの人生も、私は決して焦ってはならないと申し上げたいのであります。
 現実社会は、矛盾が多いかもしれない。矛盾だらけといってもよいかもしれない。しかし、現実というものを離れて、人生はありえない。自分のこれからの尊い一生を全うするために、どうか、不満と焦りとわがままを通そうとして、大切な自分の人生を破壊しないでいただきたい、と念願するものであります。
8  先生方と長く人生の交流を
 第二に、担任の先生とのつながりを生涯もとうとしていただきたいということであります。
 何年に一度でもよい、かならず先生を慕い、先生を囲んで、その懐かしき恩師とともに、すばらしい人生の交流の歴史を歩んでいってほしいのであります。
 かくいう私も、今もって、小学校の恩師を忘れることができない。また、高校時代の恩師とも、いまだに書簡を交わしております。
 そこに、あたたかい人間性が芽生え、また、長い人生のうえで、張りあいをもつものであります。どうか先生方も、迷い多き青春時代を生きぬく卒業生、さらには、在校生に対しましても、何かと支えになっていただきたい、ということをお願い申し上げます。
 過ぎ去ってしまえば、たいしたことでもないと思われる出来事が、渦中にあっては、どうすればよいのかわからず、一人苦悩に沈むのが、青春というものの姿です。そのときの手をとり足をとり親身になっての指導というものは、生涯忘れられない思い出として、その人の心に、いつまでもいつまでも深く、広く残るものであります。
 その点、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
9  何があっても負けない姿勢を貫こう
 第三に、卒業生諸君は、どこまでも自己を磨くということを忘れてはならない。
 大学に、そして社会に、一歩進み、環境が大きく変わると、どうしても心が緩んでしまうものです。そのとき、自分を堕落させて、虚構の美学をつくる人生であってはならない。これでは敗北であります。悩みと苦しみとに挑戦して、人々からも、あの青年はよく成長した、あの学園卒業生はたしかに立派である、成長している、といわれる一人一人になっていただきたいのであります。
 そして、いかなることがあっても、どっしりと構えて、自分は負けないという姿勢を貫いていただきたいのであります。また、ご両親に心配をかけないで、自分らしく、自分の道を自身を磨きながら、進んでいただきたいのであります。このように申し上げて、簡単ではありますが、私のはなむけのあいさつとさせていただきます。お元気で。
10  創価中学校 第十回卒業式(メッセージ)〈昭和55年3月22日〉
 富士の如き不動の人たれ
 晴れやかに卒業の佳き日を迎えられた皆さん、本当におめでとうございます。卒業のときにあたって振り返ると、この二年間の苦しみも悩みも、そして喜びも、すべてがかけがえのない思い出とともに青春の財産として光り輝いていることでしょう。
 私は、本日は残念ながら出席できませんが、皆さん方が凛々しく生い育った姿を心に描きつつ、はなむけの辞をお贈りしたいと思います。
 人生において、最後に勝利をおさめるものは、粘りの人であり、忍耐力をもって、自分自身の坂を上りゆく人であります。青春に悩みや迷いはつきものです。それらに直面したとしても、諸君は決してたじろぐことなく、今こそみずからを鍛えるときと、勇気をもって立ち向かっていっていただきたい。
 吉川英治の小説『宮本武蔵』のなかに、武蔵が遥か富士山を望みながら、少年にこう語る一節があります。「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(講談社)と――。
 富士の如き不動の人たれ――と、一人一人の成長を心より祈りつつ、メッセージとさせていただきます。

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