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創価学園1 中学校・高等学校[昭和53年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校 第十一回入学式(メッセージ)〈昭和53年4月8日〉
 凛々しく忍耐、勇気、努力を
 桜花絢爛の日、武蔵野の大地に響え立つ創価中学・創価高校の間を晴れてくぐった鳳雛諸君の、かぎりない前途を祝福しつつ、心からおめでとうと申し上げます。
 また先生方には、これまでの伝統を築いてくださったご苦労を深く感謝申し上げるとともに、新たに迎えた可能性の宝庫ともいうべき若芽を、さらにすくすくと成長させていただきますよう、衷心よりお願い申し上げます。ご来席の父母の方々も、お子さん方が意義ある中学時代、高校時代を送ることのできるよう、あたたかく見守ってくださいますよう、重ねてお願い申し上げるものであります。
 さて諸君は、中学、高校のそれぞれ三年間を、ここ武蔵野の一角で過ごすわけであります。三年といえば、長いようにみえて意外に短い。ぼんやりしていると、あっという間に過ぎ去ってしまう。ゆえに諸君は、一日一日を何らかの進歩の日として、勉学やクラブ活動、スポーツ等に、存分に打ち込み、「わが青春に悔いなし」と誇ることのできる三年間を送ってください。
 そのためにもっとも必要とされていることは、忍耐強さ、粘り強さであると思う。
 有名な司馬遷の『史記』に「三年飛ばず又鳴かず」との故事が記されております。
 中国の斉の威王(『十八史略』では楚の荘王)の時代のことである。威王が政治を怠って国が乱れに乱れる。みかねた淳于髠じゅんうこん(『十八史略』では伍挙)という人が、謎掛けによって王を諫める。「わが国には大きな鳥がおりまして、大王さまのお庭に降りていますが、三年間飛びもしなければ鳴きもしませぬ。大王さま、この鳥はいったい何か、ご存じでしょうか」「その鳥は飛びたたねば何ごともなかろうが、ひとたび飛びたてば天にのぼろう。鳴きださねば何ごともなかろうが、ひとたび鳴きだせば世を驚かそう」翁史記列伝』小川環樹訳、『世界古典文学全集第20巻』所収、筑摩書房)と答える。そして、たちどころに臣下に賞罰を下し、諸国に威令を行き届かせ、国を興隆せしめたのであります。
 威王は、三年間、文字どおり鳴かず飛ばずのように見えても、決して無為に過ごしていたのではない。コ一年飛ばず又鳴かず」とは、次の雄飛のために力をたくわえる雌伏の期間であったという故事である。そして威王は、事実、大きく雄飛していったのであります。もとより諸君の三年間を、威王と同じ次元で論ずることはできない。しかし、目先のことに一喜一憂せず、次の飛躍のために忍耐強く実力を養っておくという点では共通していると思う。
 私が、なぜこのようなことを申し上げるかといえば、最近の青少年のあいだに、ガラスのようなもろさが、あまりに目立つからであります。中学生や高校生の自殺、他殺の問題が、連日のようにマスコミをにぎわしている現状などは、その表れといえましょう。
 私は、若き命が絶たれたという報に接するたびに、胸が痛んでならない。個々の事情はあるかもしれない。しかし、かけがえのない生命を、なぜもう少し慈しみ、忍耐強く生きてくれないのかと思わざるをえない。人間本然の道理からいって、生命というものは、最極に大切にすべきものであるといえます。生命軽視の暗い影が、青少年をおおい、生きて生きぬく力を奪い去ったならば、日本の将来は闇につつまれてしまうでありましょう。
 ある作家が、ニカ月ほど前、次のように述べておりました。
 「とにかく、人類という大きな生命群が地上に現れて、存続していて、私たちの一人一人はその一員である。そして素直に考えてみれば、私たちの生命は、何ひとつ私たち自身でつくりだしたものではない。髪の毛一本、私たちはつくることができない。この体、腕、顔、すべては私たちの自主性によってつくられたものではなくて、人類という生命群から与えられたものである」と。
 その作家は、そうした人類の一員であるからこそ、勝手に自分や他人の命を奪ってはならないと結論している。私も、生命というものの深さと広さのうえから、十分にうなずける考え方だと思っております。
 人間の「人」という字は、二人の人間が互いに支え、助けあうかたちをとっている。人間の「間」とは、文字どおり「あいだ」を意味している。このことからも明らかなように、人間とは「人と人との間」すなわち広く社会のなかで成り立つのであって、自分だけ、一人だけの人間などというものは、本来、ありえないのであります。
 諸君たちにも、親があり、兄弟がある。多くの知人、友人もあるでありましょう。のみならず、社会全般は、何らかのかたちで諸君一人一人と繋がっております。したがって、諸君の人生の挫折は、それらの人々の悲しみであり、逆に見事な成長の姿を示せば、ともに喜んでくれるにちがいない。ゆえに、一人だけの狭い孤独のなかで悩んでいたりすることなく、つねに教師との交流、友との友情を深め、若者らしく勇気と忍耐と努力をもって道を切り拓いていってください。そこに、やがて時代の主役となるであろう、たくましい青春のエネルギーが燃焼していくことはまちがいありません。
 一人だけ、自分だけの人間はないということは、たえず他人の生き方を気にするということではありません。自分に対しては、客観の目をもつことであり、他人に対しては、その人の立場に立ってものを考えることです。それが思いやりとなり、大きい心を養っていくでしょう。いつも自分中心で、他人との比較ばかりを気にするということは、小さい不安定な人間をつくってしまう。ただでさえ青年時代は、感情の起伏が激しく、成績の良し悪しから性格の違いにいたるまで、必要以上に他人の存在が気になる年代であります。そこから、無意味な優越感が生まれたり、劣等感にとらわれて、閉ざされた孤独の世界に落ち込んだりする。
 ルソーの『エミール』に″他人と比較したり、他人に依存してはならぬ、しかし、つねにきのうの自分ときょうの自分とを比較することを忘れるな。他人と比較するだけでは社会の奴隷となるのみだ、きのうの自分との比較を忘れると慣習の奴隷となってしまう″という趣旨の主張があります。青年の生きるべき道を示した、非常な名言であるといってよい。
 他人と自分を比較してばかりいる小さな生き方ではなく、彼には彼の使命がある、われにはわれの使命があるとの広い心に立って、きのうよりはきょう、きょうよりはあすと、一歩一歩、進歩と向上の坂を上っていく力こそ、真実の若さではないだろうか。
 そのためにも、試練を避けてはならないと申し上げておきたい。
 仏教では「つぎの本の弓」の故事が説かれている。あるとき、学問をしない怠け者の子どもを、父親が槻の本の弓で打った。子どもは痛いので、父親を嫌い、弓を憎んだ。しかし、それでも勉強し、修行を積んで、悟りを得ることができた。さて振り返ってみると、自分が悟ることができたのは、いつに父親と弓のおかげである。そこでその子どもは、今は懐かしい槻の本でもって卒塔婆をつくり、厚く父親を供養したというのである。
 私は、スパルタ教育を勧めているのではない。槻の本の弓とは「試練の弓」であります。たしかに、そのときはつらい。だが試練を乗り越えてみると、改めてそのありがたさが感じられるものであります。そうした苦闘のなかで培われてきた力は、諸君が、社会に旅立っていったときに、学んだ学問にもまして強力な発条となっていくことを知ってください。
 最後に、諸君がこの学園生活を通して、見違えるようにたくましく成長されんことを祈りつつ、私のメッセージとさせていただきます。
2  創価女子中学・高等学校第六回入学式(メッセージ)〈昭和53年4月8日〉
 ふくよかな心あたたかい人に
 春うららかな本日、晴れやかに入学式を迎えられた皆さん、まことにおめでとうございます。交野の里を彩る木々の若芽が、陽光を浴びてさわやかに生長しています。皆さんも、新緑のようなみずみずしさをたたえて、さっそうと新たな学園の日々を送ってください。
 「桃李ものいわず、下おのずかこみちを成す」という有名な言葉があります。桃や李は何もいわないが、その花や実に人々が集まり、木の下におのずと小道ができる。つまり、福徳ある人には、しぜんに人が慕ってくるという意味であります。私は、皆さん方がふくよかな、だれからも慕われる心あたたかい人に育ってほしいと思います。
 よき先生、よき友人をもつことは、人生のこのうえない宝です。皆さんの学舎が、さらにどこにも見られない未来性と福運と心の豊かさにつつまれたものとなることをお祈りし、私のメッセージといたします。
3  創価女子中学・高等学校 第六期生入学記念懇談会〈昭和53年4月26日〉
 今は力をつける時
 家庭の中に、お父さんもお母さんもいて、幸せな人もいるでしょう。また、お父さんがいなかったり、事業がうまくいかなくて、なんとなく苦しい一家もあるでしょう。そういうことは、どこの世界でも同じです。学園生であるから、特別であるということはありません。また世の中を見ても、あの女性は有名でいいな、幸せそうだな、と見える場合、反対に隣近所や親戚を見て、なんと不遇でかわいそうな人だろう、と見える場合、さまざまな姿があると思います。
 しかし、皆さん方は、そのような上っ面の現象だけを見て、物事を判断するような人になってほしくないのです。人生は、一生で幸、不幸を決めていくものである。決して今だけでは決まらないのです。
 今、なすべきことは、一生懸命、学園生として勉強することです。力をつけることです。皆さん方一人一人が、この人生を、力をもち、福運をもって生き生きと生きていくならば、かならず両親も一族も幸せにしていけるし、人々を、時代を変えていくことができるのです。
 したがって、この二年間、六年間は、家が大変な人も、心の奥で、今に見ろという決意で、勉強に励んでいってほしい。コツコツと学校に通って、先生方にぶつかって、そして成長してもらいたいのです。
 人間というものは、だれ人たりともスランプというものはある。行き詰まりというものはある。もう自分はなかなかついていけない、どうしても点数が悪くていやになってしまうという場合があるかもしれないけれども、そうなったときには、ほかの友達もそういうことがあるということを知ってほしい。自分だけではない。全部、同じ人間です。乙女です。学園生です。大きい差があるわけがない。他人はよく見えるものです。自分だけが苦しいように思う。しかし、自分が大変なときは皆も大変なんだ、それなりに頑張っているんだ、自分も負けてはいけない、こう見るのが、まことの人間のあるべき道です。
 スランプというもの、いやになるということは、だれにでもあります。私だってあります。人間共通の問題です。大事なことは、そこで自分がどうするかなのです。堕落したり、避けたりするか、またはそこで頑張るか、友人のなかに入るか、先生にぶつかるか、というわずかの差で、将来の人生が決まってしまうのです。
 どうか、新入生の皆さんも先輩によくついて、一人も落後者がでることなく、見事に全員がこの学園から巣立っていただきたい。この学園で育っていった場合には、四十代になったときに、優れた、心豊かな、福運に満ちた勝利の人生が待っているということだけは、私は絶対の確信があります。一番大事な人生の総仕上げのときに勝てる基盤を、今つくっているのです。
 その意味において、学園を愛し、挑戦して、そしてこの三年間、六年間を見事に送ってください。
4  創価中学・高等学校 第十一回栄光祭〈昭和53年7月14日〉
 「負けじ魂」ここにあり
 大変に簡潔ななかに立派な演技でありました。また感動しました。ご苦労さまでした。
 「負けじ魂ここにあり」――何とすばらしいテーマか。今、社会で、世界で、もっとも忘れられた根本の人生の象徴を、栄光祭・滝山祭でテーマにしたこと、それ自体に感動した一人であります。立派なテーマです。すばらしいことです。ありがたいことです。
 私は、これからもありとあらゆる嵐の中をまっしぐらに進んで、諸君たちの二十一世紀への舞台を堂々と拓いてまいります。
 諸君たち兄弟は、負けかかった後輩、先輩に対しては「おい、しっかりしろよ。あの時、あのように誓ったじゃないか。頑張ろうじゃないか」――と励まし合って進んでほしい。人間だもの、いやになるとき、スランプに陥ることも、私はよく知っております。しかし、これだけの兄弟が励まし合っていくならば、私は、雄々しい、美しい兄弟愛の精華があると確信したい。私たちの勝負は二十一世紀だ。
 かつて私の恩師が、大変なときに、私が十九歳か二十歳のとき「君は男じゃないか」こういわれた。「そうだ。男が一度決めた信条、信念、なんで生涯忘れてたまるものか。俺はやる」――こう決めたことを、今、思い出しました。それが「負けじ魂」であります。
 私も諸君を見守りながら、また、諸君の存在を最高の誉れとしながら、懸命に諸君の道を、さらなる道を切り拓いてまいりますから、一切の後の総仕上げはよろしくお願いします。
5  (後夜祭で)
 ともかく、学園生、創大生はあらゆる社会で、リーダーになってもらいたい。一人も残らずリーダーに、何らかのリーダーに、これを合言葉として進んでいっていただきたい。
 リーダーは、立派に人生に勝った象徴です。リーダーになったこと自体、だれが何といおうともこれは事実の姿です。この意味において、全員が一人も残らず、社会のために、世界平和のために、人間の行進のために、何らかのリーダーになっていただきたいということを心からお祈りし、きょうのあいさつといたします。ご健闘を祈ります。
6  創価女子中学・高等学校 第六回希望祭〈昭和53年7月18日〉
 人生の出会いを大切に
 (合唱祭で)
 短時間でありましたけれども、さわやかな感銘の深い、今までの希望祭に勝るとも劣らない立派な歴史をつくった希望祭であると思います。おめでとうございます。また、ありがとうございました。
 私は今、コ心れ得ぬ出会い」という題で、ある新聞社に一年前から頼まれていた原稿を書いております。こちらへまいります直前に、小学校六年の担任の先生のことを書きました。檜山先生という、わずか二年間しか教わっていない先生です。また、商業学校の、ある英語の先生のことも書こうと思っております。それから、大世学院(現・富士短期大学)に行きましたが、そこの校長先生のことも書こうと思っています。そういう、今までご恩になった方々を絶対に忘れずに、何かの機会に恩返しとして宣揚したいのです。その他、新聞配達をしていたときに激励してくれたご夫婦、戦後、買い出しに行ったときに、特別に私を可愛がってくれたおばさんのこと、それから品川駅のある駅員さんのことなど、四十年前のことを書いております。
 忘れ得ぬ少年時代、青春時代の出会いというものは、一生の最高の重要な宝です。普通はそれを忘れ去ってしまう。それではいけないという意味で、皆さん方も将来、何かの機会に、または何かの場面で、この学園で教わった先生方のことを、立派に宣揚していける人になっていただきたいというのが、きょうのお願いであります。
 これまで卒業した皆さん方の先輩も、あらゆる分野で、雄々しく後輩のために努力に努力を重ね、道を立派に切り拓いていることを、私はこの眼でしっかり受けとめております。また、感謝しております。
 このよき学園、よき先輩、よき先生、よき環境のもとで、残された学園生活を自分に負けないで頑張りぬいてください。希望祭だから、あくまでも希望をもって、また自分で希望を生んでいってほしい。そうすれば自分に勝てる。いやなことは全部消えてしまいます。希望を生んでいく、その節の希望祭です。これを忘れないで進んでいってください。
 お父さん、お母さんによろしくお伝えください。
7  (園遊会で)
 何度も何度も申し上げましたが、学園生が、社会に出て、やがて結婚し、一畳泌〉この大事な尊い人生で、不幸になるわけは絶対にありません。ですから、多少成績が落ちても落胆しないで、また先生方に叱られても落胆しないで、三年間、六年間、また、卒業する人はあと半年ですが、頑張ってください。
 頑張るということは、簡単なようですけれども、大変なことです。どうなってもいいんだという心にとらわれきった人は、敗北です。もうだめなようであるけれども「頑張れよ」「よし頑張ろう」――このような人生の人は勝てる。「もう自分は放棄した。なじめない。希望祭? 私はいいのよ、失望祭でいきますよ」――そういう人は、どんなに立派なことをいっても、心は晴ればれしません。歓喜がないというのは、不幸です。
 つらくても、いやでも、社会というものは、人間の集団、学園もまた、人間の集団です。そこで調和をとり、みんなで何とか一つのものを成功させようという気持ちが拡大した場合に、社会で幸福に生きていけるし、社会人として立派に生きぬいていけるのです。
 さきほど、ある先生がみえて「学園で育った人は幸せだ。こんないい場所はどこにもない」と述懐しておられましたが、あとになればなるほど、学園で学んだことが、自分自身の最高の思い出と福運になっていくことだけは、信じていただきたいのです。
 それでは、また、秋にお会いしましょう。
  
 一貫教育完成祝賀会〈昭和53年l0月11日〉
 見事なる伝統の継承を
 教育機関で一番大事なのは、どれだけ大勢の立派な人材を社会に出すか、世界に出すかです。これが何よりも重大な教育であると、私は信じております。
 このあいだも創価大学で話したのですが、中国においては、以前は労働さえすればいいんだという思想だったのが、今では勉学第一です。学問ができない人は、やはり世の指導者になれないという。だから、とくに女子学生が一生懸命、勉強しています。
 勉学の年限も、中学からの場合は六年間、高校からの場合には三年間、この二年間か六年間で基礎教育をうけてしっかり努力すれば、あとは社会に出ても何も心配ない。この二年間、六年間を堕落して送ってしまった場合には、一生後悔する。その意味において、この学園生のなかからは、一人も落後者が出ないように願っています。
 立派な伝統もできた。伝統というものは、教育の一つです。昨日の健康祭についても、多くの方々から、またさまざまな角度から、その成功の話を聞きました。成功させたという事実が、一つの偉大なる教育の昇華です。
 ともかく世間の人たちは、学園の生徒に対しては、善意的にも見るし、厳しくも見ています。ほかの学校だったら、まあ、あの学校は、というふうに簡単に考えても、学園の場合はかなり注目され、厳しく見られているのも事実です。これは裏を返せば、最大に期待をかけられているということにもなります。
 その意味において、どうかまた、校長先生を中心に、皆さんも一歩挑戦して、自分に負けないで、いい成績をおさめるようにお願いします。
8  創価中学・高等学校 第五回鳳友祭〈昭和53年11月2日〉
 学問に王道なし
 きょうは、元気はつらつとした英知あふれる諸君の姿を拝見し、本当にうれしく思います。学園生がこんなにも成長してきたのか、こんなにもたくましくなったのかということを、きょうは目の当たりに見ました。うれしいかぎりであります。
 「学問に王道なし」――これは有名な言葉であります。
 先月、私は訪中団の一人として中国へまいりました。世界的大革命を成功させた中国です。また世界一の人口をかかえている国です。北京大学、復旦大学などへも行きました。以前は、革命さえすればよい、労働さえしていれば、学問は二の次であるという思想がありました。しかし、今度の訪中で、これらの大学を訪問したときは、百八十度、変わっておりました。「学問をすべきだ、英知を磨くのだ」、これがモットーでありました。数年前は、大学の試験で、答案を書かずに白紙で出したことが、非常に賛嘆されたりしました。しかし、もはやそのようなことはありません。学問をしていかない人は、軽んじられるようになってきております。
 学問というものは、世界の真理であり、人類の英知であります。人間だけが学問できる。動物にはできません。その意味において、いかなる王さまといえども、人間であるかぎりは、特別な方法の学問というものはない。すべて普遍的な真理は真理として、それを追求していく以外にはありません。それが「学問に王道なし」ということです。
 学問は、おもしろくない場合もあるかもしれません。つまらない場合もあるかもしれない。また、スランプの場合もあるかもしれません。しかし、とくに中学、高校においては、何とか三年間、六年間、石にかじりついても、稜深きこの学舎で成長しぬいていっていただきたい、と私は思うのであります。
 そうすれば、基礎ができあがります。諸君の進むべき道は、それぞれ自由である。しかし、学問の基礎がなければ、大きなことは成し遂げることができません。今はその基礎をつくるときなのです。それを今から、自分は天才であると思ったり、自分は学問をしなくても大丈夫だ、とたかをくくっていくような考え方は、無理があります。というよりも、それは邪道です。苦しくてもこつこつ挑戦し、日々着実に積み重ねていくことが肝要であり、道理であります。
 どうか、本日の、このすばらしい伝統を築いてくれた学園生は、一人も残らずしっかりと卒業していっていただきたいのです。
 「いつか登らん 王者の山を」と学園の歌にもあるように、諸君たちに登らせるために、登ってもらうために、私は、道なき道を、傷だらけになりながら、奮闘していく決心であります。自分の名誉のためではありません。諸君たちのためなのです。これが私の偽らざる心情であり、信念であります。だから、私にはこわいものはないし、何ものをも恐れないし、嘆かないのです。
 学校には、とくに中学、高校においてはまた、大人の社会とは違ったさまざまな規制があります。その法というか、規約というか、それを峻厳に守っていかなければならない。それを踏みにじることはいけないことです。しかし、規則に違反した生徒が、少し出たと聞きました。それは、いけないことですが、深く反省しているようで安心しました。
 少しぐらいハメをはずしたとしても、反省して前進すればよいのです。長い人生です。一度くらいの失敗はあります。したいこともあるでしょう。たとえ親を苦しめ、大勢の人たちに迷惑をかけ、先生方にも迷惑をかけたとしても、それはそれとして、私は一生涯、見守っていきます。皆さん方のなかには、名前や顔を知っている人がいます。また、あまり口をきいたことのない人もいます。しかし、私は一生涯、皆さんを守るために祈ってまいります。だから皆さんは、伸び伸びと負けじ魂で進んでいただきたいのです。
 勝つことだけが人生でない。勝とうと背伸びして道理にはずれてしまっては、何にもなりません。負けないという人生は、永久に勝ちです。勝つことよりも負けないことのほうが、じつは偉大な勝利なのです。それも、全人類の真理であり、哲学なのであります。
 きょう私は、諸君のたくましく成長した姿を、直接、見ることができ、本当にうれしかった。人生は長い。振り返ってみれば、何でもないことが多いのですが、何かがあったとしても、それを本当に大きなバネとしていけばよいのです。そして、学園の立派で堅固な伝統ができあがればいいのです。
 三百六十五日間、ずっと風も吹かず、晴天ばかりという年はないように、人生にあってもいろいろなことがあるでしょう。しかし、それだからこそ懸命になれるし、またそこに人生の意義、楽しみもあるのです。未来のためにも、先生方のためにも、それを忘れないでください。
 どうか先生方も、男子校の息子たちを、骨身を惜しまず、一人も欠けることなく指導し、立派な卒業生を送り出していただきたいことをお願いいたします。また、授業では、最善のご努力をお願いします。わが身をなげうって、この子どもたちを建学の精神で育んでもらいたいことを、重ねて心からお願い申し上げます。
9  創価女子中学・高等学校 第三回蛍会総会〈昭和53年H月3日〉
 恋愛について
 今日は恋愛について話をします。
 女性は恋愛をすると、お父さんやお母さんを忘れてしまう。しかし、男性はそういうこともしっかり考えているものです。それに対して女性は盲目的になる。だから危ないのです。
 結婚の前に恋愛とか、見合いがあります。そのとき、男性のほうから近寄ってくる場合と、女性のほうから近寄っていく場合がある。失敗だけはしてほしくないのです。男性のほうからお付き合いしたいといってくる場合が多い。そのとき、あっさりと承諾してしまうのは考えものです。女性の本能である警戒心がなくなってしまってはいけない。
 ボーイフレンドと恋人とは違います。ボーイフレンドをつくってもかまわない。恋人と恋愛してそのまま結婚するのが望ましいが、そううまくいくとはかぎりません。恋愛してもいいけれど、恋愛至上主義にならないでほしい。そして捨てられてはいけない、ということをいいたいのです。相手を好きになってしまう。そうすると女性は離れられなくなる。どうしても自分はこの人と結婚するんだ、というように走りがちです。しかし、現実をしっかりと見て、家はどうであるか、家族はどうかなど、よく考えたうえで行動をとらなければいけない。お付き合いをするときは、両親に、こういう人とお付き合いしたいと思いますが、何かあったときには応援してください、といっておくのです。そうすれば、いざというとき守られるものです。
 その人を愛してしまって捨てられたら、不幸です。だからその人が本当にいい人であるかどうか、第三者に見てもらうのが賢明です。それから「結婚してください」といわれた場合、すぐ「はい、しましょう」なんて答えないようにしなさい。そういわれたときには「考えてみます」とか「相談してみます」と答えるものです。そして先生方や両親に相談して、「こうこういわれましたが、それでもよろしければ」というように相手に話すとよい。
 皆さんは絶対に幸せにならなくてはいけない。二十代で結婚して、主人を亡くしてしまう人もいるし、三十代で結婚して福運あふれる人生を歩む人もいます。
 戸田先生がいわれていたが、男性の力は女性によって決まるといわれています。男性の力が七であっても、女性によって十以上に発揮される場合があります。または、反対に男性に十の力があっても女性によって五以下になってしまう場合もあります。どうか、みんなから祝福される結婚をしてください。そして、みんなで祝ってあげたいのです。
 この蛍会を、世界一の伝統ある福運に満ちたものとして、二十一世紀に残したい。この次は、結婚観を話します。
 もう自分はだめだと思う人がいて、蛍会に出ない人が出るかもしれないが、それは臆病です。卑怯者です。とにかくこの連帯を、二十一世紀の奇跡としてつくりあげたい。家庭の中が大変な人が、いるかもしれません。しかし、それは皆さんが、家庭の中で一人福運をつければ、一家、一族、親類までも皆、救われるのです。皆さんが一人、福運をつければよいのです。幸せの盤石な土台を、この青春時代につくってください。
10  創価高等学校 第九回卒業式〈昭和54年3月16日〉
 すべてのものから学ベ
 第九回の卒業式、本当におめでとうございます。一言、祝辞を述べさせていただきます。
 まず、将来、大きな期待をかけている諸君のために申し上げたいことは「すべてのものから学べ」ということであります。自分を取り巻く一切の事象、あらゆる人々から学ぶという意味であります。
 人生の風波というものは、その人の基本の決心の姿勢ひとつで、挫折の原因ともなるし、逆に見事な成長の糧ともなる。これから、大なり小なりいろいろな風波があるでしょう。そのときに、それを転じて大きい発展ができるか、反対に挫折してしまうか、全部、自分にあることを忘れてはならない。
 その意味からも諸君は、たとえ、自分が好きになれない人からでも、大きい教訓を得られることがある。自分の周囲が好きな人ばかり、というわけにはいかない場合もある。反対意見の人もいる。しかし、そこにも自分を教えてくれるものが多々あるかもしれない。そういう雅量、大きな心をもっていただきたいのであります。
 牧口常三郎先生は戦時中、牢獄に入られた。そのなかで齢七十の身でありながら、なんの気負いもなく「心一つで地獄にも楽しみがあります」と書簡にしたためられ、毎日、カントの哲学をはじめ、多くの書物を読んでおられた。牢に入ったがゆえに、自分の好きな書物が読めたと受けとめていく雅量であります。
 したがって、どういう境遇であっても、どこにあっても、一切を人生の学舎に変えていくというのが、強い人生のあり方である。すべて自分の学舎としながら、吸収していこうという旺盛なる生命力というか、精神力を鍛えもっている人が、人間として立派であると申し上げたいのであります。
11  触発、向上の友情を大切に
 次に申し上げたいことは、友情ということに関する一つのエピソードであります。ドイツ観念哲学の巨峰ヘーゲルの、青春時代のことですが、彼も一人であの大哲学者になったのではない。二人の友人がいた。そこから出発しているのです。彼は十九歳のときに、世界の歴史を動かしたフランス大革命に遭遇しております。そのとき、彼は、同じチュービングン大学の学生であった詩人ヘルダーリンや、五歳年下のシェリングとともに「自由の樹」を植えて、その樹の下で革命歌を高らかに歌ったり、踊ったりしたといいます。
 以後、ヘーゲルは、ヘルダーリンからは古代ギリシャの愛を学び、シェリングからは哲学を研鑽する楽しみを学びとったといわれています。こうして、互いに切磋琢磨しあいながら、当時の時代精神を代表する三巨人に成長したのであります。すなわち、ヘーグルにしても、みずからを啓発し、成長させてくれる友人により大哲学者となったというのであります。
 私は、この三人、わけても″ヘルダーリンが哲学者であったら、ヘーゲルという名前であったろうし、ヘーゲルが叙情詩人であったとすれば、ヘルダーリンと呼ばれたであろう″とまでいわれた、ヘーゲルとヘルダーリンの友情の尊い強い絆に感銘を深くするとともに、だれ人といえども、互いに触発しあって向上していくためには、友情が非常に大事であると感じている一人であります。
 ヘーグルたちは「自由の樹」を植えましたが、創価学園の諸君の先輩たちは、昭和四十三年に「英知・栄光・情熱の樹」を植えたのであります。この「樹」がやがて大きく生長し、新しい時代を切り拓く大樹になっていくという証明は、諸君の成長にあるのです。
12  信念もって正義の道を進もう
 この三年間、諸君はさまざまな思いをこめて「何のため」と歌い続けてきました。
 「何のために」自分はあり、生きているのか。「何のために」社会で活躍するのか――つねにこの原点を忘れないでいただきたい。これから、さまざまな人生の風雪に直面することでしょう。どうかそのときは「英知・栄光・情熱の樹」の前で「何のため」と反省もし、勇気を奮い起こして前進をした三年間のことを、思い起こしてほしいのであります。
 先日、私はインドを訪問しました。その折「インド独立の父」マハトマ・ガンジーの記念館へも行きました。記念館の壁には、次のようなガンジーの言葉が、英語で刻み込まれています。「力に対する正義の戦いにおける世界の共感を、私は求める」と。また「私が欲し、抱きたいと願う唯一の称賛は、わが人生を賭けた活動の推進に対してである」と。
 「抵抗するな、服従するな」をスローガンに、現実の力の横暴と、生涯かけて戦い続けたガンジーの生き方を、象徴するような言葉といってよい。
 「正義」といい「わが人生を賭けた戦い」といい、現代の若い人々が、ともすれば忘れがちなものではないかと私は思う。しかし、人生の栄光というものは、みずから決めた正義の道を、信念をもって貫いていくところに、ただ輝くものであります。ガンジーにはガンジーの道があった。諸君も、それぞれに、みずからの生涯をかけた目標に、挑戦していっていただきたいのであります。
 丈夫は、波瀾万丈の人生を生きぬくものであります。その波瀾万丈のなかに、みずからの雄々しい勇気の遺産を、ふたたび次の世代へとバトンタッチしていく人生行路にこそ、本当に人間としての尊さと、偉大さがあることを申し上げ、大切な友人である諸君の成長を生涯かけて見守っていきたいと誓って、私の心からのはなむけの言葉とします。
13  創価女子中学・高等学校 第四回卒業式(メッセージ)〈昭和54年3月20日〉
 「信用」こそ青春の財産
 万葉の薫りも高き創価女子学園の皆さん方の晴れの門出を、心からお祝い申し上げます。
 残念ながら私は、多忙のため出席できませんが、皆さんとともに刻んだ思い出の数々は、生涯、私の脳裏から離れることはないでしょう。
 また、皆さん方の薫育のために、きょうまで最大のご尽力を賜った永村校長先生をはじめ諸先生方、そしてご両親のご苦労に対し、創立者として衷心より御礼申し上げます。
 私は、学園から巣立っていく皆さん方の明るい、輝くようなきょうの笑顔を思い浮かべ、万花の咲き誇る期Ψの春の野を見る思いがしております。新しい旅立ちにあたって、いつまでも、いずこにあっても、どうかその美しい笑顔を忘れることなく、「この人の明るい姿を見ていると、いつも希望の風が吹いてくる」といわれるような人になっていただきたいと念願しております。
 これからの幾山河、春の風ばかりではない。寒風もあり、烈風もあるでしょう。どうか一日一日を大切にし、平凡と着実のなかに真実の幸福があると信じて、心に余裕を失わず進んでいってください。
 信用は、青春の財産であります。そして、信用は、試練の幾山河を越えた努力の積み重ねによってのみ得られるといえましょう。皆さん方は、女子学園のモットーにあるように「良識の人、健康の人、希望の人」として、皆から信頼される思いやりのある人と育っていってください。
 皆さん方の福運に満ち満ちた未来へ、楽しく夢を馳せながら、私のメッセージとさせていただきます。
14  創価中学校 第九回卒業式(メッセージ)〈昭和54年3月23日〉
 忍耐強き人に
 陽春に武蔵野の樹々の彩りも鮮やかな本日、晴れの日を迎えた一九五人の卒業生諸君、本当におめでとうございます。ご両親はもとより、諸君の大成を心から願う者の一人として、喜びにたえません。また、木村校長先生をはじめ、諸君を慈しみ、教え、育んでこられた教職員の方々の労に対し、また陰で支えてくださった関係者の方々に、深く感謝申し上げるしだいであります。
 諸君は今、中学生活を終え、新たな目標に進む「未来の人」であります。ゆえに「過去を顧みるなかれ。現在を頼め。さらに雄々しく未来を迎えよ」と叫んだ先人の言葉を胸に刻んでください。
 諸君が登攀しゆく峰は、遠く二十一世紀の山並みへと連なっております。大事なことは、遥かな山並みを視野にとらえつつ、どこまでも現実の大地を踏みしめていくことであります。足元の一歩一歩を大切にし、失敗を恐れず、何事にも挑戦していく、内には満々たる勇気をもった、しかも忍耐強き人であってほしいのです。丈夫の青春は臆するを知らず、退くを知らず、ただ勇気ある前進のなかにのみ輝くのであります。すべての苦労が、嵐に揺るがぬ不動の自己を築く宝となることを忘れてはなりません。
 諸君はまた、友を信じ、友の信頼に応えられる友情厚き人間であっていただきたい。ローマの哲人キケロは「人生より友情を除かば、世界より太陽を除くに等しい」といっております。
 どうか諸君は、生命力も豊かに、新たな学びの庭で英知を磨き、友と語り、友を愛し、わが青春の忘れ得ぬ思い出を刻んでいってください。皆さん方の大いなる前進に胸を弾ませつつ、私のメッセージとさせていただきます。

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