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創価学園1 中学校・高等学校[昭和52年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

前後
1  創価中学・高等学校 第十回入学式〈昭和52年4月8日〉
 苦楽分けあう生涯の盟友たれ
 桜花爛漫の本日、めでたく創価学園の間をくぐられた若き俊英の皆さんに、心よりお祝いを申し上げ、また、きょうからいっそう英知を磨きゆかれるよう、皆さんの努力を期待するものであります。とともに、今日まで見事に、幾多の人生の辛酸をなめながらも、皆さん方を養育してくださったご父母の方々に、心より御礼を申し上げます。
 また、学園の先生方には、今日までのご父母の辛労に報いるためにも、その期待にこたえて、次の時代を担いゆく使命をもった若き英知を、さらに見事に磨きあげていただきたいことを、私は心からお願い申し上げるものであります。
 さて、きょうの佳き日にあたりまして、私は、懇談的にいくつかのことを、お話ししたいと思います。
2  強靭なる精神の鍛錬
 まず第一には「強靭なる精神」を鍛えていただきたいということであります。平易な言葉でいえば「強い根性」をもってほしいということです。
 今日の時代というものは、物質面からみればあらゆる面で恵まれている。ある意味では恵まれすぎている、といっても過言ではないでしょう。したがって、一つのことを成し遂げ、一つのものを獲得するために、みずからを励まし、鍛え、努力するということが、少なくなっているように思えるのであります。
 最近のニュース報道を見ていますと、目標を達成できずに挫折して、青春のコースをみずからゆがめたり、場合によってはみずからの命を絶つという青少年の話が、しばしば報じられております。私はそのような話を聞くと、まことに残念でならない。そこまで育てられた両親、家族の心中を思うと、胸の痛む思いをどうすることもできないのであります。
 しかしながら、そうした青少年の挫折の原因をたずねてみると、なぜこれぐらいのことで、と思われることがしばしばなのであります。成績が下がった、入学試験に落ちた、就職に失敗した等々、長い人生から考えるならば、こうしたことはいくらでもやり直しができ、挽回することができることであります。いや、むしろ長い目でみれば、そういうことは成長の機会となり、人生の大樹に育つ年輪を刻みうるチャンスとさえいえる場合が多いのであります。
 私は、こうした話を聞くにつけ、学園の諸君は、何ものにも負けない強靭な精神を鍛えられんことを、切願するのであります。これらの青少年の話が出ると決まって、今日の社会がかかえている問題にその原因をもっていく人があります。もちろん社会、時代が悪いという側面もありますが、しかし、社会が悪いからといつて、挫折を当然としてはならないと思う。社会悪をいくら指摘しても、それによって挫折が避けられるわけではありませんし、人生の真の充実が得られるわけでもありません。
 ともかく「惰弱は青春の最大の敵」であります。皆さん方は、勇んで社会悪に挑戦していける自己の形成に、渾身の努力を続けて、この学園生活のうちにつくりあげていっていただきたいのであります。
3  豊かな感情の養成
 第二に「豊かな感情」を養っていただきたいということであります。現代は、あまりにも殺伐としております。多くの識者が指摘している現代の「精神の砂漠化」は、今後ますます進んでいくにちがいない。
 諸君は、こうした時代の流れに決して巻き込まれてはならない。それは不幸なことに、人生に灰色の精神をもたらしてしまうからであります。むしろこういう時代、社会に対して、豊かな潤いを与えていくことが、諸君の将来の使命の一つであります。ゆえに、あらゆるものを吸収できる若々しい頭脳をもった青春時代に、豊沃な精神の大地を耕してもらいたいのであります。
 では、精神の大地を耕して、豊かな感情を培うにはどうすればいいか。人それぞれ、いろいろな方法があると思いますが、私はその重要な一つとして、読書ということを提案しておきたい。多くの書を読み、そこから思索を深めていただきたいのです。
 読書と思索は、青年にとって不可欠の精神の養分であり、偉大な自己を確立するための重要な柱であります。青年時代に読書しない人は、壮年になってからの敗北に通ずるといっても過言ではない。私も青年時代の繁多のなかで、何とか一日に一冊ずつ読もうと決意して、懸命に読んだことも、今では懐かしい青春の最大の思い出となっております。
 しかし、なかには時間がないという人がいるかもしれない。だが、時間というものはつくれば出てくるものです。私も青年時代は大変に多忙であった。しかしそのなかで、一冊また一冊と読み続けてきました。今も読み続けていくよう努力しております。
 皆さんが、仮に一週間に一冊の本を読むとします。そうすれば、一年間に約五十冊読むことができます。こういう習慣の積み重ねを青春時代にしておけば、生涯の偉大な精神の財宝になっていくにちがいありません。
 伝記は、偉大な先人の見事な生き方を教えてくれる。歴史の書は、人間社会の未来のあるべき姿について、深い示唆を与えてくれると思う。また古今の文学は、青春について、人生について、そしてまた人間の心について、豊かな思索の大海を、諸君の前に開いてくれるにちがいありません。こうした書物を土壌として、才能の芽は豊かに成長していくものであります。
 どのような大木も、硬いやせた大地では空高く伸びていくことはできません。しかし、十分に養分をはらんだ大地であるならば、盤石の根を張り、たくましく、一局々とそびえていくことはまちがいないのであります。どうか、諸君のなかに秘められた才能の芽が、将来、大樹となって、人々に見事な果実と快い安息の場を与えられるよう、この学園時代に、豊かな土壌をつくっていただきたいことを切望するものであります。
4  美しい友情の園たれ
 第三に、この学園を美しい「友情の園」にしていただきたいということであります。
 最近の世相を見るにつけ、私がもっとも憂えていることの一つは、真の友情が失われてきているということです。学友とか級友とか、言葉としてはいろいろありますが、そこから友情というものが失われつつあるのが現代の状況ではないか、と心配しております。
 競争の時代にあって、友人はむしろ対立者となって、冷淡な敵意が流れていることさえ、しばしばあるようです。世間においても、親友としてお互いに許しあった二人が、利害がからむと、とたんに敵対者となって憎みあうという悲しい姿も、しばしば見られるのであります。
 「友」という字は、語源的には「手と手をあい携え、互いに助けあう」ことを意味している。その本義からすれば、「友」という人間関係は喪失しつつあるといえるようです。しかし、この「友」という関係こそ、人間としてもっとも尊い姿だといえるのであります。
 仏法の言葉に「慈悲」という言葉がありますが、この「慈」と訳された言葉の原語は「マイトリー」で、これは「友情」を意味するのであります。そしてこの「マイトリー」という言葉は、「他の人に対して″幸福″と″平和″と″安楽″を念ずる気持ち」を表しているということです。この心を、仏法では、もっとも尊いものとして論じているわけであります。ある経文のなかには「善友をもち、善友とともにいることが、仏道のすべてである」という意味のことを説いた一節もあります。
 また「慈悲」の「悲」という言葉は「呻き声をあげる」ことを意味する「カルナー」から訳されたもので、これは「他人の苦しみを聞いて、自分の心を痛める」という意味であります。すなわち、友の幸福を祈り、友の苦しみをわが苦しみとして、ともに分けあっていくことこそ、仏法の慈悲の精神であり、これを体現していくことこそ、真実の人間精神の極致であるといってもよいのであります。
 皆さん方は、この学園を、このような友情で満たしつつ、人生のきらめく思い出を刻んでいただきたい。そして、この友情を生涯、貫いていただきたい。
 最近はあまり使われないようでありますが、「盟友」という言葉があります。「固い約束を結んだ友人」「同志」という意味であります。
 どうか皆さん方は、皆さんの先輩が心をこめて歌った学園寮歌(現校歌)にもありますように「英知を磨くは 何んのため」「情熱燃やすは 何んのため」「人を愛すは 何んのため」ということをお互いに忘れることなく、一生涯、手を携えて進んでいく盟友であっていただきたいのであります。
 ともかく私の願いは、諸君たちが、次の時代を担って立つ、力ある偉大な庶民のリーダーに成長していただきたいということ、ただそれのみであります。諸君たちが、大きく世界に雄飛する日を、私は一日千秋の思いで待っております。
 諸君たちの青春が、桜花爛漫の青春であることを心から祈ります。学園の先生方には、学園生の諸君が桜花爛漫の青春を謳歌できるように、どうか全魂のお力添えを重ねてお願い申し上げます。
 また父母の方々には、どうかご安心してお子さんを、そして学園を見守っていただきたいことを申し上げ、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
 本日は大変におめでとうございました。
5  創価女子中学・高等学校 第五回希望祭〈昭和52年7月4日〉
 忍耐と努力の人に
 あまりに平凡な、そして皆さん方にはいやな言葉であるかもしれないけれども、「忍耐」――耐え忍ぶ、「努力」――雄々しく進んでいく、この「忍耐」と「努力」ということを、いつも人生はたもっていかなければならない。極言すれば、忍耐と努力が人生であるかもしれない。青春であるかもしれません。
 というのは、第五回の希望祭、園子の集いを拝見し、私は大変、感動し、うれしく思っておりますけれども、やはりたった二、三日のあいだでこれだけの準備をしたということは、これは一つは努力であります。また、試験勉強が終わって少しゆっくりしたい、しかし、みんなも集まるんだから、自分も何とか参加しよう、と一つの自分のわがままを耐え忍んだわけであります。
 また、この学園の雰囲気は非常によい。しかし家に帰ると、お父さん、お母さんの仲が悪い場合もあります。お金がない、勉強ができない、あの人がいやだ、朝起きると、ああ、きょうもまた遠い学園へ行くのかなど、人間ですから、だれしもそういうもっとも身近な世界で、いやな思いをしていくものです。三百六十五日、一生涯、そういう苦痛の人生を味わうことのない人は一人もおりません。
 仏法では、この世界を「娑婆世界」という。「娑婆」というのは堪忍の世界、耐え忍んでいくという意味であります。腹が痛い、頭が痛い、調子が悪い等々、数えあげればきりがないぐらい、私どもは、忍耐と努力を重ねていかなければならない。いろいろな状況のときに、その努力があるかないか、忍耐ができるかできないか。きょうはいやだけれども努力しよう。この瞬間、耐えられないけれども忍耐強く時を待とう。そのように、いやな思いであるけれども忍耐をもって、知性の発露として、立派に現実の社会、現実の人生において、調和がとれる人が幸せな人です。本当に立派な人はどういう人か。努力すべきときに努力する、忍耐をすべきときに忍耐ができる人です。どうかこの二つを、これからの学園生活においても、長い人生においても忘れないでいただきたいと思います。
 とくに中学一年の人、高校一年の大半の方々は、まだお目にかかっておりませんけれども、私は仏法者として、皆さん方の成長と健康を毎日、ご祈念しております。よき先輩が築いてくださった、よき伝統のこの創価学園に学ぶことを、自分自身の胸の中で最高である、最高にしようと思っていただきたいのです。
 なお、校長先生をはじめ、副校長先生、また若き立派な先生方が学園にそろっておられる。「先生方と一緒に」という合言葉、また「友達と一緒に」という合言葉で、三年ないし六年の学園生活が、長い長い人生の最高、最大の思い出となるような学園生活であることをお祈りしまして、私のお話とさせていただきます。
6  創価中学・高等学校 第十回栄光祭〈昭和52年7月16日〉
 汝自身に負けるな
 わが生命の息子である諸君に、懇談的に話をさせていただきます。今までも第一回、第二回と何回となくご招待をいただき、栄光祭に出席をしてまいりました。それぞれ特質と意義がこめられていたことは事実でありますけれども、きょうの第十回栄光祭が、実質的には最高の栄光祭であると感激いたしました。
 演技がうまいとか、歌がうまいとかそういう形式を超克して、人間として、中学生、高校生の最高の姿として、学園の伝統の上に昇華された本日の第十回栄光祭は、歴史に残る偉大な栄光祭であったと思います。諸君のためにも、未来のためにも、日本の将来のためにも、世界のためにも、あらゆる創価教育の学校群のためにも、大勢の人は見ていないが、また、社会に報道もされないが、しかし、この熱情の結晶というものは最高のものである、と私は感銘いたしました。
 創価学園も創立以来、はや十年です。栄光祭もまた十回目です。「十年一昔」といいますけれども、よくここまで短期間に成長し、深い黄金の伝統をつくってくださった。諸君もつくってくださったが、それとともに校長先生、副校長先生をはじめ、多くの先生方、また職員の方々に、この席を借りまして衷心より御礼申し上げます。
 ともかく創立者の期待に応えてくださった。これは、まぎれもない事実であると痛感しております。さらに、今後もまた後輩のためにも、世界の平和のためにも、友のためにも、近くは十五周年を、遠くは二十周年を大きい目標として、陰に陽に、諸君もこの伝統に磨きに磨きをかけていただければ、幸いであります。
 私は、ご存じのように仏法者でありますから、仏法に関連した話になってしまいますけれども、諸君はこれから大学にも行くでしょうし、社会にも出られるでありましょう。あらゆる戦いをせねばならない運命を背負った人となっていかざるをえないでしょう。しかし、どういう分野に進出しても「俺は汝自身に負けない」という一点だけは忘れてはならない。さきほどの応援歌にもあったけれど、勝つということも大切であるかもしれない。しかし、負けないということは、もっと深い忍耐をもち、時を待ち、そして一切に勝ちゆく崇一局な人生の戦いであることを忘れてはなりません。勝つことも大切です。それ以上に「俺は負けない」という信念を、生命の基底部のなかに強い強い芯として入れていってもらいたいのです。「俺は負けない。負けたようであっても、俺は負けないんだ」というこの一点だけを、私は申し上げておきたい。
 とともに私も命の続く限り、臨終のそのときまで、学園生の諸君のために強く祈っていきます。これが私の諸君に対する真実の贈りものであるし、見守っていく、ただ一つの根本の法則と思っております。諸君とは今後、会える人もいるし、会えない人も多いかもしれない。また、今までも言葉をかけることのできなかった人も多かったかもしれない。しかし、おしなべて全員、生命のうえで私の子どもであります。生命の息子です。学園生という意味においては、そういう次元でとらえていただきたいし、生命の息子であること以外にはないのです。これは、きょう改めて申し上げておきたい。
 なお、たとえ私が来なくても、来られなくても、きょうのこの十周年の心意気と伝統を後輩に伝えて、一歩も負けずに頑張るように重ねてお願い申し上げ、諸君のますますのご健康と、そして一家のご繁栄を心からお祈りしまして、私の御礼の言葉とさせていただきます。
7  創価中学・高等学校 創立十周年記念式典(メッセージ)〈昭和52年11月19日〉
 「何のため」の原点忘るな
 本日は、意義ある創立十周年記念の集い、まことにおめでとうございます。
 また、本日まで数多くの鳳雛たちを薫育し、世に送り出してくださった教諭の皆さま、また、それを陰に陽に支えてくださったご父母の皆さまには、創立者として厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 私は、学園寮歌(現校歌)の一節にある「何んのため」という響きが、ことのほか、好きであります。「英知を磨くは 何んのため」「情熱燃やすは 何んのため」「人を愛すは 何んのため」等等、そこには、ともどもに学舎に集いあった、青春の原点があるからであります。社会一般では、教育の危機ということが、大きな社会問題にまで発展してきておりますが、私はその最大の原因は、この「何のため」という原点を問う姿勢が失われたところにあると考えます。
 ゆえに、ここ武蔵野の一角に、このさわやかな歌声のこだましているかぎり、創価学園は健在であり、教育界に希望の松明を掲げゆくことができる、と私は信じております。どうか、建学の精神を忘れることなく、きょうよりは、さらに次の十年をめざして、新たな伝統を築きゆかれんことを、心よりお願い申し上げます。
 その意義をこめて私は、最近、若い人たちに接しながら感じていることの一端を、申し上げてみたいと思う。
8  真実の友情は生涯の財産
 その第一は、友情ということであります。ドイツの詩人シルレルが「友情は喜びを三倍にし、悲しみを半分にする」と述べているように、真実の友情は、人間としてのかけがえのない宝であります。心を打ち明けることのできる友のいない人生ほど、寂しいものはない。とくに青少年時代に培われた友情は、生涯にわたって、人生の支えとなっていくものであります。
 社会に出てからの付き合いというものは、一部の場合を除いて、ともすれば利害や打算がからんできて、真の心と心の通いあいにまで昇華しない場合が多い。それに比べて、諸君の時代の友情は、全生命を賭けての出会いであります。
 諸君がよくご存じのように、親や教師にさえ打ち明けられないような悩みごとも、親友同士ならば、ごく気楽に相談できる場合が多々ありましょう。それほど、少年時代、青年時代にもつ友情の意味は大きいのであります。
 ところが最近では、こうした青春の証ともいうべき友情が、徐々に崩されつつあるように思えてならないのであります。学歴社会のなかで、成績も思うようにならず、さりとて喜びや悲しみを分かちあう友ももたず、孤独のなかにのめり込んでいく。その結果、自暴自棄になったり、あげくは、みずからの生命の若い芽をつみとってしまうような場合も、ままみられるのであります。
 私は、そうしたニュースに接するたびに、彼らに一人でも心から語りあえる友があったならと、胸の痛みを抑えることができないのであります。
 たしかに諸君たちを取り巻く環境は厳しい。受験に偏った現代の教育のあり方に、さまざまな疑問を感ずる場合もあるかもしれない。しかし、そうした矛盾は、多かれ少なかれ、いつの時代にもあったことであります。
 私は、前途ある諸君に「嵐に負けるな」と申し上げておきたい。そのためにも、深く強靭なる友情の絆を固めていっていただきたいのであります。
 漢文等で習ってご存じの諸君も多いでしょうが、中国の『列子』のなかに「管飽の交わり」の故事が出てまいります。
 春秋時代の斉の国に、管仲と飽叔牙という二人の青年がおり、大の仲よしであった。飽叔牙は、管仲が商売で儲けても、彼の貧乏をよく知っていたので、欲張りとはいわなかった。何度馘になっても、人生に運、不運はつきものだから、無能呼ばわりはしなかった。また、戦場から逃げかえっても、老母のあるのを知っていたから、卑怯者とは思わなかった。後に大政治家となった管仲は「私を生んでくれたのは父母だが、私を知っている者は飽君だ」と述べたというのであります。よく、友情の厚いことにたとえられる故事であります。
 私は、ここから学ぶべきことは、友を愛し、友を思いやる心が、いかに大切であるかということであろうと思う。もし、これがなくなったならば、学生生活は闇に等しい。真実の友情というものは、学問の知識にもまして、諸君の生涯の財産となって輝いていくのであります。
 あるいは、なかには、それに値するような友人が見つからないという人が、いるかもしれない。しかし私は、それは大きな考え違いであると申し上げておきたい。なぜならば、人を愛し、人を思いやる心は、相手によって生まれてくるものではなく、まず、自分の心の中に築き上げるものであるからであります。
 まず自分が、そのような豊かな人間性を身につけるならば、友人は、しぜんとできてくるものであります。たとえば、鏡に向かってお辞儀をすれば、鏡の自分もお辞儀をするごとく、自分自身の心が、相手の心を呼び醒ましていくことを知ってください。
 たしかに、他人の成功を嫉み、他人の失敗を喜ぶ醜い心は、だれにでもある。私はちょうど諸君の年代のころ、芥川龍之介の『鼻』を読んだことを記憶しています。
 禅智内供という非常に鼻の長い坊さんがいて、人に笑われるのを、いつも苦にしている。あるとき、よい方法を発見し、荒療治をほどこして、鼻を短くすることに成功するのですが、彼の思惑は見事にはずれてしまう。というのも、人々の笑いはいっこうにおさまらず、かえつて陰にこもったものになってくる。――ここで芥川龍之介は、次のように述べています。
 「――人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこつちで何となく物足りないやうな心もちがする。少し誇張して云へば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいやうな気にさへなる。さうして何時の間にか、消極的ではあるが、或敵意をその人に対して抱くやうな事になる。」(『芥川龍之介全集1』所収、筑摩書房)
 ここに描かれているのは、だれでももっている人間のエゴイズムであります。若い人たちといえども、それと無縁ではない。それどころか、若いだけに、それが鋭く露出されてくる場合も多いわけであります。
 私は、若さの特権というものは、そうした人間の醜い感情を敏感に感じとれる点にあると思う。
 それが、社会の垢に染まっていない若者の純粋さということであります。
 どうか諸君は、変に大人びたり、シラケたりすることなく、自分との厳しい戦いを忘れないでいただきたい。その自己との対決のなかにこそ、友の喜びをわが喜びとし、友の悲しみをわが悲しみとする真実の友情の花が爛漫と咲き誇っていくことを、私は確信しております。
9  忍耐は人生の力なり
 次に私が申し上げたいことは、忍耐ということであります。フランスのある作家の言葉に「忍耐とは仕事を支えるところの、一種の資本である」とありますが、含蓄の深い至言であると思う。
 忍耐は力であり、人生の勝利の凱歌につながっていく。挫折は人生の敗北であり、精神の敗退である。否、たとえ挫折したとしても、忍耐が貫かれ、不死鳥のごとく立ち上がっていくならば、人間のつねとしての挫折も、たとえそれが何度あったとしても、人生の最後の勝利を勝ちえていくものであります。
 諸君は、これからの長い人生をひかえた青春時代であるがゆえに、心の振幅も大きく、挫折もまた、決定的とさえ映ずる場合もあることでしょう。しかしそれは、じつは、より大きい自分自身の形成のための試練であり、跳躍台なのであります。その苦難を克服するたびに、忍耐の力は増していくことでありましょう。
 私はここで、一人の先人の歩みを紹介してみたい。じつはそれは、私のよく知る、日本創作舞踊
 の功労者である一婦人の、祖父にあたる方の話であります。
 今は亡きその祖父は、和井内貞行という人で、あの有名な十和田湖の、ヒメマス養殖を成功させた方であります。
 今でこそ十和田湖は、ヒメマスの養殖場であるとともに、美しい国立公園として全国にその名を知られておりますが、明治初期、和井内氏がヒメマスの養殖を成功させるまでは、ほとんど魚も生息しない、ただ大きいというだけで、だれからもかえりみられない湖であった。
 湖畔の村々は貧しく、とくに魚介類となると、遠くの青森の八戸や秋田の能代あたりまで行かなくては手に入らない状態であった。この村の窮状を見て、和井内氏は「もしこの巨大な湖に魚が育ったら、村人はどんなに助かり、そして地域が発展するだろう」と考えたのであります。
 思索を重ね、氏がはじめて湖に鯉を放ったのは、明治十七年、二十六歳のときでありました。何とか貧しい村の活路を開きたいと願っての、この最初の試みは、見事に失敗してしまった。
 しかも、湖に魚も住まないことを土俗宗教に結びつけ、神話化していた村人は「それみたことか」とばかり、和井内氏の行動を冷笑し、あからさまに批判しはじめたのであります。
 しかし、一度の失敗は、かえって和井内氏の闘志をかきたてた。研究に研究を重ね、私財をはたいて三度目の放流を試みる。ところが、これも失敗に終わった。
 因習深い村人の非難、中傷はますますひどいものとなり、湖畔にたたずむ和井内氏を狂人呼ばわりするようになったのであります。しかし、罵倒されながらも、和井内氏は一言のいいのがれも、いいわけもしなかったというのです。「水がある以上、かならず魚を養殖することができるはずだ。もしそれが成功すれば貧しい村はよみがえる。そのとき人々はきっとわかってくれるだろう」――この思いを胸にあたためつつ、不死鳥のように己が信ずる道を歩み続けたわけであります。
 じようじゆいな目的成就までの途上に、一度や二度の失敗はかならずあるものです。否、ときには絶望的な厚い壁に直面することもあります。加えて世評というものは厳しい。心ない非難の矢が無数に射られてくる。しかし、本当に大事を成そうとする人は、そうした世間の風評に、一つ一つ自己を正当化するような弁を弄しないのがつねではないかと思う。
 事実、和井内氏もそうであった。非難、中傷に一喜一憂せず、黙々と己が信条を貫いていったわけであります。もちろん、数々の悪口雑言は、和井内氏の心を傷つけたでありましょう。忍耐の忍という字は心に刃と書くように、想像を絶する苦しみである場合が多い。ともかく、非難、中傷のなかでの和井内氏の忍耐強い戦いは、二十一年間の長きにわたって続けられたのであります。
 そしてついに、明治三十八年、十和田湖でのヒメマス養殖に成功した。氏は四十七歳でありながら、頭髪には老人に見えるほどの白いものがあった。そして、一切の私財を使い果たしたその姿は、それこそ赤貧そのものであった。しかし、村人のだれ一人として、和井内氏の姿を笑うことはできなかったというのであります。
 世評にこびず、中傷にも耐え、想像を絶する戦いの果てに村人を救った和井内氏の姿は、忍耐という文字に磨きぬかれた、おかしがたい人間としての風格と輝きをつくりあげていたのではないかと思う。目的成就の途上「狂人」と呼ばれたその名は、今、十和田湖救済の人として語り継がれているわけであります。
 私が、なぜこのようなことを訴えるかというと、最近の中学生、高校校生のあいだに、この忍耐という気風が、薄れつつあるようにみえるからであります。
 新聞紙上をにぎわすティーンエージャーの自殺などをみても、宿題ができない、成績が思うようにならない、教師に叱られた、受験に失敗した等々、あまりに単純な理由が多すぎる。入学試験など、受験生にとっての大問題を単純というと叱られるかもしれない。しかし、それにしても、死を選ぶほどの挫折ではないと思うのであります。
 その背景には、よく指摘されるような○×式教育のL響も、当然あるでありましょう。人生には○と×しかない――すなわちオール・オア・ナッシングの考え方であります。まことに単純な生き方という以外になく、学園の諸君はそうしたものに染まってはならないと思う。
 一つの目標達成に失敗したからといって、それで人生のすべてが無に帰するようなものでは決してありません。ほかにいくらでも選択の幅はあるものであります。その「人間いたるところ青山あり」との広い視野を支えるものこそ「忍耐」の二字なのであります。
 私は少年時代、アレキサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』を愛読いたしました。その最後の一句は、いまだに記憶に焼きついております。それは「待て、そして希望をもて!」というものであります。
 もとよりこの小説は、自分を陥れたものに対する復讐をテーマにしたものですが、その最後の一句は、仇討ちという暗い印象を超えた、ほのぼのとしたヒューマニズムをたたえており、幼心に忍耐ということの重要性を学んだものであります。
 どうか諸君も、これからの長い人生において、つねに希望を失わず、雑草のようにたくましく、そして忍耐強く生きぬき、最後に人生勝利の栄冠を勝ち取っていくよう、心から祈るものであります。
10  偉大な使命感に立つ行動を
 ともあれ、青春時代は、感情の揺れがことさら激しい時代であります。ときには劣等感にとらわれて、前途を悲観するようなこともあるかもしれない。しかし、諸君たちの内部には、自分でも考えられないような、偉大な力が秘められていることを忘れてはならない。
 江戸時代の中期、信州松代藩の家老に恩田木工という人がいました。彼の事績、人となりについては『日暮硯』(西尾実・林博校註、岩波文庫)という書物に詳しく書かれておりますが、藩の財政的窮迫にさいし、弱冠十六歳の藩主・真田幸弘から「勘略奉行」(これは財政整理の奉行という意味ですが)の命をうけ、艱難辛苦のすえに見事、藩財政を立て直した人物で、あるいはご存じの方もいるかと思う。
 彼が活躍したのは、八代将軍・徳川吉宗の時代にみられた綱紀もゆるみ、かの田沼意次が台頭しはじめようとした九代将軍・家重の時代でした。
 松代藩でも、先代真田公が人材の登用を誤り、悪臣がばっこし、藩政を私物化していた。加えて地震、洪水等の天災が続き、財政は困窮、当時としてはまれな足軽の同盟罷業(もちろん、今様にいえばストライキですが)があったり、百姓一揆なども起こって、藩政は乱れきっていたようであります。
 その昔、真田家というのは、富裕な藩であった。「貯蔵の黄金の重みで城の櫓下の石垣が傾いた」という言い伝えがあるほどであります。それが役人の乱脈、天災等によって財政が窮迫し「半知御借」といって、本来、藩士に支給すべき扶持米を半分に減らしたり、農民には先へ先へと年貢を繰り上げて徴収する「先納、先々納」を強いるまでに落ちぶれてしまった。
 こうした窮状を立て直すべく、恩田木工が手がけた第一の改革は、自分自身と家族の生活から改めることでした。一族郎党を集めた席で、彼はまず親類に対し「縁をきらせてもらう」といい、妻に対しては「親元へ帰るように」、子どもには「勘当するから、今後は好きにせよ」、そして家来に対しては「暇をやるから、どこなりと奉公先を見つけるように」と、それぞれいいわたしたのであります。
 なぜ、彼がこのような冷徹とも思える行為に出たかといえば、人心一新のためには、それまで役人のあいだに横行していた「嚇訓」や「変配」を一っ儒しなければならない。自分にそれはできても、親戚、家族にまで強要することはできない。となれば、いくら自分一人が「ウソはいうまい」と誓っても「身内の者があのとおりなら木工も同じ」と人々が疑うにちがいない。そうなっては、このたびの大任を果たすことができない――ゆえに、さきのような厳しい注文を親戚、家族につきつけたのであります。
 事のしだいを聞いた身内一同は、一人として彼の元を離れようとはせず「ウソをいわない」ばかりか「飯と汁より外は食べない」「木綿より外の衣服は着用しない」ことまで誓うようになるのであります。
 第二に彼は、役人や領民に対して、みずからが嘘言を吐いたり、変改したりしないことを誓い、そのうえで藩の窮状をありのまま訴え「自分だけでできる仕事ではないのだから、なんでも気安く相談してほしい」と、領民が心を一つにして財政の立て直しに協力するよう、呼びかけた。
 そして、彼の人柄が象徴的に表れるのは、悪事のかぎりを尽くしてきた役人に対する処置であります。横暴な役人に対する領民の不満を書面に書き出させた木工は、死刑にしてもよいほどの役人たちであるにもかかわらず、あえて藩主に処罰の撤回を申し出て、自分の「相役」すなわち、仕事上の相談をする相手の人として遇するのであります。これに感激した彼ら役人は、本工を支えて藩の立て直しに身を粉にして働くようになる――人心の機微をとらえた木工の的確にして懸命な戦いによって、当初の目標である五カ年を待たずに、藩の財政が見事に立ち直ったというのであります。
 なにぶん、封建時代の話であり、そのまま現在にあてはめるわけにはいかない面もありますが、彼が一人、身を挺して藩の改革に立ち上がり、領民すべての力を結集させて、大事業を見事に成し遂げたという事実は、私どもにも、なにがしかの示唆を与えてくれます。それは、一念を定めた人間の必死の行動が、いかに大きな結実をもたらすか、ということであり、一個の人間の偉大さであります。
 その偉大な力を生み出したのが、恩田木工の使命感でありました。彼が死んだときは、人々はこぞってその徳をたたえ、漏れる者は一人もなかったとさえ伝えられております。藩財政の立て直しという仕事を、本工はみずからの使命としたのでありますが、その結果は、それ以上の成果を生み出したのであります。
 諸君たち一人一人も、これからの人生において、現実社会のなかで、木工に勝るとも決して劣ることのない使命を、もっているはずであります。その使命への強い責任感に立つとき、才能の芽は急速に伸び、偉大な力が発揮されてくるものであります。どうかそのことを深く自覚し、悔いなき青春桜の道を乱舞していってください。
 以上をもって、私の諸君への贈言とさせていただきます。
11  創価女子中学・高等学校 創立五周年記念式典(メッセージ)〈昭和52年H月26日〉
 太陽のような明朗さで福運を
 創価女子学園の五周年の佳節を心からお祝い申し上げます。まず永村新校長のご就任を祝し、諸先生方のこれまでのご尽力に感謝し、また学園のますますのご繁栄を心よりお祈りいたします。
 学園の皆さん方に私が申し上げたいことは、男子学園生に贈った「『何のため』の原点忘るな」のなかに詳細に述べさせていただいておりますので、どうか私の気持ちをそこからくみとっていただきたいと思います。
 ただ、もう一点加えさせていただくなら、福運ということであります。福運というのは字義のごとく「福を運ぶ」とも理解できます。生命の運河に、何を運ぶかが大切です。
 人によっては、地獄の苦悩を運ぶ人もいるでありましょう。また、小さな舟に重き宿命の荷物を背負って、やがて沈没してしまう人もあるかもしれません。願わくは、私は皆さん方には、偉大なる生命の船舶に福運を積んで、人生の航行をしていっていただきたいのであります。そのためには、何が必要でありましょうか。それは、明るく太陽のような満々たる生命力と、明朗な笑いと、ふくいくたるわが青春の財産を育んでいくしかありません。
 皆さん方のこれからの前途には、風波もあり、また豊かな田園が眼前に開けることもあります。大切なことは、何ものも恐れない勇気を心に秘めながら、一つ一つの課題に真剣に取り組んでいくことであります。
 皆さん方の十年後の成長を楽しみにしています。そのとき、皆さん方は二十代であります。成人してなお、青春の息吹を満々とたたえ、社会に、地域に乱舞していることでありましょう。私はその日が待ちどおしくてなりません。わが学園生の未来の天空に舞いゆく姿を、瞼に描いております。
 最後に、次の十周年をめざし、学園を卒業の後も、皆さんの学舎を愛し、育んでいってくださるようお願いいたします。またお父さま、お母さまに、くれぐれもよろしく、と申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
12  創価女子中学・高等学校 寮生との懇談会〈昭和53年1月23日〉
 人に迷惑をかけない人生を
 きょう一つだけ申し上げておきたいことは、「人に迷惑をかけない」ということであります。皆さんにとっては、お父さん、お母さんに心配をかけないことが、迷惑をかけないことになります。
 仏法では、親の恩、師の恩を忘れてはいけないと説いています。親をばかにしたり、反抗したり、蔑んだりしてはいけない。それは畜生にも劣るのです。皆さんは、親に迷惑をかけてはいけない。先生に迷惑をかけるのもあまりよくありません。それでは一生、幸せになれない。
 皆さんは、立派に育っていかなくてはなりません。体が弱くても親に心配をかける。昔、私が体の弱かったとき、体が弱いのは周りの人々に迷惑をかけることになるから一人前ではない、とある人にいわれました。それならば、私は、周りの人に迷惑をかけないためにも、丈夫になろうと決意したものです。
 牧口先生と戸田先生の関係は、地球上でもっとも荘厳な関係であった。戸田先生は、牧口先生に絶対に迷惑や心配をかけなかった。迷惑とか心配をかけるというのは、とんでもない弟子だ、それが戸田先生の心情であった。私も、戸田先生に絶対に迷惑、心配をかけないで、何とか先生に喜んでいただこうと決めました。それが私の人生観でもあります。
 どうか皆さんは、お父さん、お母さんに迷惑をかけないで、自分のことは自分でやり、自分らしく責任をもっていってください。その人が、人間として偉い人であります。甘ったれて、迷惑をかけて、よりかかった人生では、そのつっかい棒がなくなったら無残です。自分らしく、強く信念をもっていく、そう決心してほしい。この信念を、一生涯、もち続けていただきたい。
 皆さんにとっては、はるか遠い老後のことになるけれども、はじめから子どもや孫に面倒をみてもらうのは、やはり弱いといえる。頼らないで、自分一人でやっていこうと決めて、しぜんに子どもや孫が面倒をみてくれる。それは福運です。それはそれでいいのです。しかし、変なよりかかりをしてはいけない。自分の力で、また自分の責任で自分らしくやりなさい。
 迷惑をかける人は立派な人間にはなれない。きょうはこのことをいっておきたかったのです。
 学園生はしっかりと訓練を受けているんだから、自信をもっていただきたい。社会にあっても職場にあっても、立派にやっていかなくてはならない。大きな使命を背負っているんだから、どんなに苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、負けるような人であってはなりません。小さいことでくよくよしたりせずにいきなさい。
 きょうは皆さん方の健康と、ご一家の福運をしっかりご祈念しましたので、安心して勉学に励んでください。
13  創価女子中学・高等学校 創立五周年記念懇談会〈昭和53年1月24日〉
 学問、人格、福運は生涯の基盤
 縁あって私の創立した学園に来てくださった方々が、今後、いろいろな人生を歩んでいくでしょう。華やかなときばかりではない。また平穏無事な人生もない。一歩社会に出れば、苦しい厳しい生活との闘争です。このときに大切なのは、学問の基本、人格の基本、福運の基本です。これが一生涯の基盤です。
 今、勉強せずして、社会に出て後悔するようなことがあってはいけない。さすがだといわれる人生でなければいけない。長い長い人生のために、自分のために、一生の幸福のために、少しの期間でも努力して、勉強してください。
 人はそれぞれどんな宿命、運命を背負っているかわかりません。女性は、ある面では、受け身の人生を歩むかもしれない。しかし私は、学園生はどこへ行っても、どこでどのような生き方をしても、どういう結果になったとしても、全部心の中に通じるように抱きかかえてあげたい。どのようになっても、私は学園生だけはかばってあげたい。ただ一人私だけは、一生涯どのようにいわれても、皆さんの最大の味方です。あの学園生はだめだったとはいいません。全員、心の中に入れて、その人をかばってあげたい。それが、私のいつわらざる心情です。
 そのような創立者であると赤裸々に申し上げて、私の話とさせていただきます。
14  創価高等学校 第八回卒業記念謝恩会〈昭和53年3月16日〉
 自己の責任を忘れぬ人生を
 本当にさわやかで、次の時代を背負うにふさわしいこのような高校生の卒業式が、日本全国、否、世界のどこにあろうかと感じていた一人であります。
 この卒業式の姿は、一畳藩ψ私の脳裏からも離れることはありません。まことに強い感動をうけた卒業式でした。諸先生方に深く敬意を表し、ご父母の方々に心からお祝いを申し上げ、また関係者の方々にも深く感謝申し上げます。
 私は仏法者として、諸君の将来にわたる努力に対して、ただ一生懸命、題目を送っておりますし、これからも送ろうと決心をしております。
 今、ここにいる卒業生の諸君は、生涯、創価学園の八期の卒業生であることを消し去ることはできません。その意味において、諸君がともかく立派に成長してくれれば、学園の存在はいやまして輝き、諸君が堕落してしまえば「何だ、あれが創価学園か」というように見られてしまい、後輩がかわいそうであります。
 人生というものは、そういう何らかの責任をもったとき、偉大な力が出るし、足跡が残せるわけであります。後輩に対する責任、親兄弟に対する責任というものを忘れてはならない。それが深い人ほど、立派な人というわけであります。
 創価学園生である諸君は、「負けてたまるか!」ということを忘れないでいただきたい。これから行き詰まることがいっぱいあります。右を見ても左を見ても、いやな世界です。学園のような美しい世界は、どこにもないかもしれません。現実社会では、策略や謀略で足を引っぱられ、苦しまなければならないかもしれません。現代は、そういう環境であり、時代です。しかし、このようなときに「負けてたまるか」「俺は負けない」というこの一言だけは、どうか胸に刻んで、これからの波瀾万丈の人生を生きぬいていただきたい、と心からお祈り申し上げまして、本日のごあいさつとさせていただきます。

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