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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和51年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校 第九回入学式〈昭和51年4月8日〉
 つねに「善なるもの」を求め通す人に
 桜が咲き、ケヤキが小さな黄緑の葉を伸ばし始めました。それに符節を合わせて、皆さんにも、人生の春がやってまいりました。面倒な入学試験の難関を見事に突破されて、将来性豊かな本校ヘ籍をおくことになったのであります。
 本日の入学式、本当におめでとう。私は心からお祝いを申し上げてやみません。お父さん、お母さん方にも、心からお喜び申し上げます。また、先生方にもこれまでにも増して、どうか新入生の指導、訓育を、くれぐれもよろしくお願いいたします。
 教育の成果が上がるか上がらないか、その分かれ目は、いつにかかって、師弟が一体になれるかなれないか、という点にあります。先日のある新聞に、こういう記事が載っておりました。
 それは、神奈川県、千葉県、埼玉県では、東京のベッドタウン化で人口が急増した。それにともなって高校生もどんどん増えてきている。公立の高校は一学年に十学級から十二学級、多いのは十五学級にまでなってしまっているというのであります。
 生徒数も多ければ先生の数も多い。新聞社で調べたところ、生徒が先生全員の名前や、顔を知らないというのが、平均で三割以上もあるという調査結果が出たそうであります。そして、某校長の談話として「こうなってしまっては、いくらわれわれが努力しても、教育能率は低下する一方で、それをくいとめるのは、とうてい不可能です」という嘆きを報道しておりました。
 それに比べて、きょうの入学生諸君は、一局校へ三百人、中学へ三百人でありますから、数のうえでも多からず少なからず、ちようどよい人数であります。しかも、素質のよい人たちが集まっているのであります。世間一般に比べて、これは大変に恵まれた条件と申さなければなりません。皆さんは、ここのところをしっかり理解して、一日も早く、先生と生徒が一体の関係になれるよう、純真に努力をしてください。よろしくお願いいたします。
 次に、細かい話を一つ申し上げます。それは、うかがったところによりますと、本校の生徒の健康状態は、大都会のなかではよいほうだが、他の地域の学校に比べればやや劣るということであります。私は、どうしてかと、そのわけを考えてみました。勉強で骨身を削るためなのか。いや、どうもそうではないらしい。一つには、次の事情によるものらしいのであります。
 本校の生徒は、自宅通学者は割合に少ない。そして、大半は寮か下宿で生活しております。そのどちらでも、食事内容には、十分気をつけてくださっておりますが、なにしろ皆さんは、伸びざかり、食べざかりでありますから、三度の食事ではとても足りない。それで、腹が減ると、つい面倒のないもの、すなわち手っ取り早いものを食べてしまうらしい。つまり、菓子類、パン、インスタントラーメン、カップめんといったものであります。
 ひと月や半年ぐらいはそれでもよいが、一年、二年、三年とそれを続けていくと、高カロリーの低栄養というひずみが肉体にたまってしまい、今、申し上げたような健康状態となっているのかもしれない。そこが心配であります。
 こればかりは、一人一人が、自分自身で注意していくほかありません。ビタミン、ミネラル、アルカリ性、どうかそうしたものに十分配慮して、たくましいヤングに育っていただきたいのであります。
 皆さんは、ただいまがもっとも感性豊かな年代であります。学術用語では「インプリンテイング」といって、訳せば「刷り込み」といえますが、皆さんがその年代で経験したことがらは、いずれも強烈に記憶のなかに印刷され、それが深層心理の無意識の領域というところにたくわえられ、一生涯、その人の行動の傾向を支配するそうであります。
 でありますから、どうかこれからの三年、六年のあいだ、しっかり、あらゆる悪と戦い、つねに「善なるもの」を求め通してください。そのようにして、立派な信念の人たるべく心がけていっていただきたいのであります。
 申すまでもなく本校には、二年生、三年生という先輩がたくさんおります。この先輩たちは皆、諸君のよき兄たちばかりであります。どうか、心から打ち解けて、忠告には耳をかたむけ、指導を受けていってください。
 そして、希望に輝く立派な学園生になりますよう、心からお祈り申し上げます。
 来賓の方々にも、心から御礼申し上げるしだいです。
2  創価女子中学・高等学校 第四期生入学記念懇談会
 よき先輩に続け
 私は、皆さんの登校のようすを、八時すぎからずっと見ておりました。非常に元気そうで、私はうれしかった。
 校長先生はじめ、諸先生方の絶大なご努力によって、また皆さん方の先輩の一期生、また全員の力によって、見事にわが創価女子学園は、日本一、世界一の伝統への立派な土台を築くことができました。そして、第一期生のある人は大学で、またある人は職場で、後輩のために、地域のために一生懸命、頑張っている姿を拝見しております。
 皆さん方も、先輩の築いたこの黄金の伝統を受け継いで、三年間ないし六年間、思う存分に青春を謳歌し、学問を身につけて、そして学園っ子らしい卒業生となって、この人生を立派に飾る基礎を固めてもらいたい。真実の学園生であるならば、不幸ということはありえない。全員に使命があるし、全員が幸せになれると信じております。
 とくにきょうは、第四期生の方々と初めてお目にかかります。心から「おめでとう」と、歓迎をいたします。よき先輩に続いて、立派な伝統を築いていただきたい。伝統を築くということは、自分自身を築くということに通じます。ご存じのように、先日は皆さん方の弟、妹である創価幼稚園ができあがりました。この幼稚園も、日本一の幼稚園であります。とても可愛く、また優秀なようであります。もう二、三年で、やはり弟であり、妹である創価小学校もできあがります。全部皆さん方の兄弟であり、姉妹の学園であります。
 そういう意味から、皆さん方はその姉として、日本一、世界一の使命を確信して、幸福者として悔いのない人生を生きられるとの誇りをもって、一日一日を勝っていってもらいたい。自分に勝っていってもらいたい。このようにお願いするものです。
 この席を借りて、校長先生はじめ、諸先生方に衷心より御礼、感謝申し上げます。また、皆さん方が健康で、この二年間、六年間が、人生のうちでもっとも光り輝く黄金の日々の連続であるように、どうか仲良く、朗らかに、そして英知を磨いていってください。
3  創価中学・高等学校 第九回栄光祭〈昭和51年7月14日〉
 社会に有為な人材に
 学園の草創期を思わせるような、大変に見事な栄光祭でした。心から感動いたしました。すべての来賓を代表しまして、衷心よりご苦労さまと申し上げ、かつ御礼申し上げます。ありがとうございました。
 きょうは栄光寮の、ある寮生の一室に入って、四、五人の寮生とかりんとうを食べ、お茶をごちそうになりながら、座布団のかわりに新聞紙を敷き、横になって話をするような気持ちで、雑談をいたします。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、それから大学とありますが、そのようなたくさんの人材をつくりゆく原点は、創価学園、なかんずく男子学園であることは、論をまちません。学園が最初に創立されたという経緯からいってもそうであります。
 先日、ある先生からうかがつた話ですが、卒業生の一人が母校を訪れてきた。その卒業生は、パイロットをめざして猛勉強をしている。その先生は、自分の教えた生徒があまりにも立派になっていたので、もう涙が出てしようがなかった。ふだんは涙なんか流さない先生なのに、うれしくてうれしくて仕方がなかったというのです。
 その生徒は、「自分のことを宣伝めいていうべきではないが、はやく一級のパイロットになって、世界の平和のために働きたい。大勢の友達を飛行機に乗せたい。なかんずく、一番最初に創立者を乗せたい、これが自分の願いです」といっていたということを聞きまして、私も本当に驚き、また、うれしく思いました。
 このように諸君の先輩も苦難の道を切り拓き、この学園の伝統を社会に昇華させるために、懸命になって活躍していることを、知っていただきたいと思います。私も十分、それを理解しております。
 また校長先生からお聞きしたことですが、ある卒業生(当時は目立たない生徒であったようでありますが)が職場で働いて、安い月給だけれども給料をもらつた。そして、校長先生を訪ねてきて、そのお金の中から「学園のために、あるいは寮生のために使ってください」といって、若千のお金を差し出したというのです。百万言の立派なことはいえても、事実の姿としての尊い行為はむずかしいものであります。
 名もない、日立たない一生徒です。しぜんの振る舞いのように、寒いときにも、暑いときにも、毎月お金を届けてくる。校長先生がその尊い行為を、非常に感銘深く話されておりました。その生徒は「一歩学園を出たときに、学園生活が本当に楽しかった。本当に自分の道をつくってくれた。自分を鍛えてくれた。外に行ってみてよくわかった」といってくれているようであります。この気持ちが尊いし、私も深く胸を打たれたわけであります。
 ともかく、自分の決めた道をなんとか一つ一つやりぬいていこうとする努力、これが大切です。調子のいいときは、しつかり成長し勉強しようと思う。反対に、調子が悪いときはすぐ苦しみ、おうのうたいだ嗅悩して、確信がなくなってしまったり、いやになってしまったり、怠惰に流されてしまったりする。そうなりがちな心との戦いです。中学生、高校生、大学の一、二年ぐらいまでは、おおむねそうであります。そのなかにあっても、諸君の世代はもっともその振幅がはげしい。あまりにもはげしい時代であります。季節でいえば梅雨時みたいなものであります。
 先日、八十一歳になる一人の老婦人をお見舞いする機会がありました。そして、その年老いた母親の言葉を、私は感銘深く聞きました。というのは、大勢の子どもさんのあるなか、貧困の連続で、親類からも、近所からも一時は韓麓される状態でありました。しかし、まさに配織どいうそのときの言葉は「私は勝った。私は勝った。今までばかのようになっていたけれども、私は勝った」であったというのです。臨終間近でありますから、そのときはお子さん方が何人も来ていた。なぜ勝ったかというと、「ただのサラリーマンとしてお見舞いに来てくれるだけでは、本当はうれしくないんだ。どんな中傷、批判を受けてもいい、男性として社会に貢献するような、そういう息子がほしかった。そして、自分の息子のなかにはそういう人間が出た。だから私はうれしいんだ。お見舞いもうれしいけれど来られなくてもいい。社会のためにどれだけ活躍したか、挑戦したか、それを見たかったんだ」というのです。その母親の姿を見、かつ聞きまして、私は真実の母親の姿というものは、女性というものは、そういうものかと仰ぎ見る思いでした。
 したがって、諸君のなかにも家が貧しくて、やっと学費を送ってもらっている人もいるかもしれません。しかし「じっとこらえて今に見ろ」という決心で、やがて二十年さき、三十年さき、五十年さき、ご恩になった方には、かならずそのご恩は返します、その人のことは生涯胸に小んで私は忘れません、という決意をもって、この二年間、あるいは六年間の学校生活を送りぬいていただきたいのであります。負けてはいけません。
 私自身は、たとえどのような悪口、雑言、中傷、批判をされてもなんとも思っていません。なぜか。私には学園生がいる、創大生がいる、人材がいます。次に続く何千何万という優秀な若き人材が、雲の湧くごとくいるんです。だから、私は日本一、世界一幸福者であると自負しています。
 私は、世界平和のために戦ってくれる後世の人たちの犠牲になっていくのが、本望なのです。私個人のことなんか、なんとも思っていません。これが、私のいつわらざる心境であります。諸君を大切にします。一生懸命、健康を祈っております。これが、創価学園の創立者の境涯であるということを、諸君は、今一度、わかってください。
 多忙でなかなか学園にも来られませんが、「獅子は伴侶を求めず」です。一つの伝統はできあがっています。あとは先生方を大切にし、また、先生方とともどもに、友情深く連携をたもちながら歩んでいってください。
4  創価女子中学・高等学校 全校集会〈昭和51年9月25日〉
 自分自身にも負けず
 ひとこと、懇談的にお話をさせていただきます。
 徳川時代というものは、ご存じのように三百年もの長いあいだ続きました。その徳川時代が崩壊していったときに「これからは学問である」と喝破して、慶応義塾を創立したのは福沢諭吉であります。
 その福沢諭吉が慶応義塾を創ったときは、まったく少人数であった。まだ、上野を中心として幕軍と官軍とが戦っている、砲声も聞こえる、鉄砲の音も聞こえる。しかし、福沢諭吉は「そんな戦いなんかには見向きもしないで、ひたすら勉強しよう。これが次の時代を建設する根本源泉だ」と、縁に紛動されないで勉強させていったのです。それが、今日のあの多くの人材を生み出した慶応義塾であります。
 私は学問というものは、あくまでも今の時代にしなければ後悔すると申し上げたい。得手、不得手もあるかもしれません。しかし、今、基礎となる学問を真剣に勉強しなければ、社会に出て後悔しかねません。そのような敗北の人生であってはならない。わが創価学園からそういう人が出てはならない。したがって挑戦であります。宮沢賢治が「雨にも負けず、風にも負けず」とうたったが、学園の園子たちは、「自分自身にも負けず」というひとことを加えていただきたいのであります。「雨にも負けず、風にも負けず、自分自身にも負けず」という決心で、日々の勉学に、学問に、挑戦していただきたいのであります。
 もし、もつとも大切なこの三年間、ないし六年間を、悪い縁に紛動されてしまったならば、自分自身の成長への道を踏みはずしてしまうかもしれません。厳然たる幸福の黄金の道をつくれるか、または泥沼の道をつくってしまうか、それは皆さん方の一念です。挑戦です。このことを忘れないでいただきたい。
 二十一世紀の立派な指導者となるには、中学生時代、高校生時代に基礎を築いておかなければならない。したがって、なんとかなるだろう、というような惰弱な、甘い考えは捨てなければならない。自分の実力で悠々とどこの大学でもいける、どこの会社でも入ってみせる、学問の基礎を規璧にして、社会に出てもあとは自分の勉強でいくらでも発展させてみせる、成長してみせる、という自分自身の実力をつけていただきたい。これが真の学問の世界です。
 現実というもの、社会というものは、厳しいものです。競争であり、闘争であります。今、この学園のような、麗しい環境のところはありません。これは、皆さん方の先輩が卒業して、よく私に話してくれることであります。社会は厳しい。他の学校も、学園のようなあたたかい最高の環境ではない。戦いです。
 したがって皆さん方は忍耐強く、どこへ行っても負けない自分をつくらなくてはならない。を巣立って社会に出た場合には、一切が競争です。このぐらいの決心で、甘ったれではなく、自身を強固に人間革命していただきたいのであります。
 きのうも校長先生といろいろとお話をしました。それは――先生が生徒に教えることも、重要な勉強です。しかし、お友達同士で啓発することは、もっとも偉大な勉強かもしれません。その意味においては、創価学園は、もっとも理想的な学園であります。この学園で学び、この学園で育った人は、大学へ行く人、就職をする人、または、自分自身の家庭で励む人等々、多種多様であるかもしれないけれども、学園出身ということはまぎれもない事実です。人生において最高に大切なときに、この学園で育った学園生が、不幸になるわけがない――こう確信していただきたいのであります。
 皆さん全員とお会いできないことが、大変に残念でなりませんけれども、これから秋も深まり、寒い季節に入りますから、体に十分気をつけてください。そして、学問だけは、どんなことがあっても身につけていくとの決心を一段と深め、自分自身に挑戦して、頑張っていただきたいことをお願いして失礼いたします。
5  創価女子中学・高等学校 生徒代表との懇親会〈昭和51年9月26日〉
 今いる所を大切に
 人というものは、どうしても他人がよく見えるものです。他の環境がよく見える。あこがれてしまう。それは錯覚です。夢というものは、どこまでいっても夢である。現実というものは、どこまでいっても現実である。この点に、とくに若い人たちは、大きい狂いを生じてしまう場合がある。したがって、あの学園、あの学校、あの家庭はいいなあ、などと思うことよりも、自分の人生が、自分の今いる所が一番大切なんだ、そこしか真実の幸福の花を開いていく所はないんだと、心を決めることが大切です。自分の今いる所以外に、幸福は求められない。自分が今いる所で挑戦する以外に、偉大な黄金の人生はないのです。
 幸福というものは、決して遠い所にあるものではありません。どこかに行けば、きっともつといい所があるだろうと思うところに、人間の大いなる錯覚がある。人生の大きな過ちがある。派手やかに生きた人、これは朝顔のようなものであって、時が来ればかならずしぼんでしまいます。イギリスの諺に「有名と鏡は息を吹けばすぐ曇ってしまう」という言葉があるけれども、真実の幸福は無名の地道のなかにあるというのが、私の人生の結論です。決して焦らないで、気高い女性として一生涯を生きてもらいたいのです。
 自分というもの、自分の家庭というもの、自分がいる場所というものを、みずからの足でしっかり踏みしめて、自分らしく生きていく。桜は桜、桃は桃、松は松であるように、自分は自分としての人生を生きるんだから、何にも紛動されないで、幸福の道を、自分らしい人間革命の道をつくっておくんだ、これでいいんだと決めて、生きぬいていただきたいのです。たとえ、家庭で少しぐらい何かがあったとしても、時が解決します。したがって、今は学園っ子としてひたすらに自分自身を磨き、学問の道に励んでいっていただきたいのです。
 現実というものは、非常に大変なものだ。しかし、皆さん方が人間革命していけば、最後はすべて変革されることを確信して、悠々と学園生活を送ってください。
6  創価中学・高等学校 第四回鳳友祭記念式典〈昭和51年11月3日〉
 勉強は義務でなく自身の権利
 盛大な第四回鳳友祭の開催、心からおめでとうと申し上げたい。諸君の真剣にして情熱あふれる学園っ子らしい姿を拝見し、一段と頼もしく感じ、うれしく思っているしだいです。
 よくお話しすることですが「後慇露るTし」という有名な言葉があります。先に生まれた人を「先生」、これに対して後から生まれた人を「後生」という。後生――すなわち後輩は、年若く気力も強く、学を積むにしたがって、無限の力量をあらわしていくゆえに「畏る可し」となるわけです。
 しかし、今の世の中を見ますと、残念なことですが、後輩の成長に心から期待するという風潮ではない。むしろ自分より上に後輩をいかせたくない。なんとか抑えつけておきたいとするエゴがあり、自分自身の優位だけは、なんとしても勝ち取っておきたいとする保身の心が、充満していることです。
 しかし、真実の人間社会は、決してそうであってはならない。「先生」というものは、「後生」がどんどん成長して偉くなっていくことを心から祈り、また、そのための努力をしていかなくてはならない。この真剣な労作業があってこそ「後生」は英知、情熱、学問、身体などあらゆる面で「先生」をしのぐ成長を遂げていく――。この先生―後生の師弟関係こそ大切なのであります。ここに、人類進歩のカギがあるといえましょう。
 どうか諸君は、人生のもっとも大切な基礎を学び蓄積する中学・高校時代にあって、すべてに挑戦しきる、進歩しきっていくという姿勢だけは貫いていただきたい。たとえ成績が、良くても悪くても、一つ一つの学問に真剣に取り組み、一歩も退かないでみんなと一緒に進歩していく、自身を鍛えぬいていく――そのこと自体が、じつは尊い学問であり、生きた人間教育であるということを、忘れることのないようにしてほしい。
 その人の未来を決定づけるものは、所詮、その人の力である。その力をたくわえ、基本的な訓練を受ける大事な時期にある諸君は、求めて訓練を受け、力もつけてもらいたい。そして、この世で何らかの意義ある仕事をやり遂げ、残していくために、その土壌を今つくっているのだということを忘れずに「我は我が道を行く」の決意で頑張っていただきたい。
 また、諸君のなかには、今はお金がない、家が貧しいという人もいるかもしれません。だが私は、それは大変、結構なことであると申し上げたい。恵まれた家庭で、何の苦労も知らずに育つ人もいる。また有名な一家の子弟ということで、他人から大事にされていく人もあるだろう。しかし、人間として人生の土台を築くもっとも重要なときに、何の苦労もしない人が、どうして偉大な人物になれるでしょうか。この点、諸君らは決して錯覚をしてはなりません。
 私もたくさんの人に接する機会がありますが、苦労しないで進んだ人は、やはり、ある世代にいたったときにかならず挫折しており、反対に、社会で確固たる人生を築いている人たちは、それなりに青春時代に血のにじむような努力と苦労をしているものです。
 先日も、ある著名な実業家が「まことに苦労というものは買ってでもしなくてはいけませんね」としみじみと語っていたのが、大変、印象的でした。
 また、ある有識者は「苦労こそ人生の最高の財産です。海外に留学する人は多くいるが、屋根裏のような所でバンをかじりながら勉強した人が、みんな大成している。順調な留学生活を送った人は、一時はいいように見えても、いざという″嵐の時″には、まことに弱いものです」との含蓄の深い話をしておりました。
 お金がなくてもいい。その分、苦労して勉強していただきたい。勉強は義務でなくして、自分自身の権利と思って取り組んでください。その積み重ねが、やがて自分自身の人生、社会に還元されていくのであります。そういう一貫した考え方、姿勢を忘れず、学園っ子として、二十一世紀を担う力ある人材に成長していくよう、心から念願して、私のあいさつといたします。
7  第六回創大祭での三校交歓会〈昭和51年11月5日〉
 生涯信念を貫く人たれ
 イギリスは、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の出身者によって、世界に名をとどろかせました。アメリカも、ハーバード大学出身者によって、世界一の国家をつくりあげました。有名な大学もたくさんありますが、建物や環境だけでなく、その出身者によって決まるのです。日本でも江戸末期の松下村塾で育った人物が、明治維新で活躍をしました。そして、創価大学、創価学園は、世界平和を真にめざす人材をつくる学舎であります。
 皆さんは、私のもっとも期待している人であり、楽しみな人材であります。この学園のなかから大学の教授をはじめとする教育者も、外交官も輩出しなければならない。だから、私は全力を尽くすのです。
 一般に大学に入ってから堕落する人が多いが、皆さんは学園時代に培ったことを忘れないで、一生涯、信念を貫く人になっていただきたい。
 幕軍と官軍が上野の山で戦ったとき、慶応大学の創始者である福沢諭吉は、学舎で、「時代の様相が移り変わっても、われわれはわれわれの道を生きぬくんだ。われわれは次の世代のために勉強するんだ」と、塾生を励ましました。環境がどう変化しようと、わが信念の道を進んでほしいということが、私の願いであります。あとは、諸君の自覚にまかせます。
 松下村塾の門下生が、松陰の死後、大いに活躍し、明治維新に功績を残しました。師は原理を示し、弟子はそれを具現化して総仕上げするものです。諸君も慢心することなく、先生方を尊敬していってください。さらなる訓練を受けることが大切です。
 最後に申し上げますが、私は諸君に大いに期待しているがゆえに、折にふれ、何度も私の考えを述べてまいりました。人生にあって、人のために本気で叱ってくれたり、意見を述べてくれる人がいるということは、最高に幸せなことです。この一点だけは忘れないでください。
8  創価中学・高等学校 創立九周年記念懇談会〈昭和51年11月27日〉
 労苦こそ偉大な人生を築く基礎
 開校、開寮九周年、まことにおめでとうございます。
 今、家に帰りたい人もいるだろうけれども、甘ったれた人は頼りになりません。だから、寮生活を頑張りぬきなさい。
 いろいろつらいことがあるかもしれないが、三年間、六年間ぐらい、寮生活ができないような人間では、偉大な事業はできません。寮生活をすることは、偉大な財産となります。
 寮生活は、大変であるし、不自由であるかもしれませんが、創価学園に入学し、寮生活をしているという事実に対しては、一歩もひいてはいけません。寮生活をしていると、親元から通学しているほうがいいように見えるが、男が偉くなるためには、親に甘ったれた生活では何もできません。
 うんと苦しみ、不便を感じ、挑戦して、三カ年、六カ年間、寮生活をやり通していくならば、三十代、四十代、五十代になったとき、かならずよかつたと思うでしょう。
 人間としてもっとも重要な、成長への骨格を形成していく年代である諸君は、労苦こそ、かけがえのない偉大な人生修行の基礎と銘記すべきであり、人間教育の最大の価値も、そうした厳しい人格陶冶のなかに結実するものであります。また、二十一世紀の社会に、創立の精神を昇華すべき正にな義の使命を担った学園生は、みずからが苦悩を求め、そして、自分で困難を超克しゆく丈夫の道を歩んでいただきたい。
9  学園生としての自覚を
 先輩が後輩を本当によく面倒みてくれているという麗しい伝統が、創価学園にもできあがりました。ただし、暴力があってはいけません。言論はよいが、暴力を否定するというのが、創価学園の最大の伝統です。
 伝統だけはしっかり受け継いでもらいたい。学園をよくするのも、悪くするのも、君たちの気持ちひとつで決まるのです。学園がつまらないといって青春をムダに過ごすことは愚かである。自分はこうするのだ、と頑張ることです。
 自分で悩み、苦しみ、自分で解決し、一歩一歩乗り越えていくのが、本物の男です。
 親子のあいだには、愛情はあってもよい。しかし、大人になってからも、「パパ」「ママ」といって甘えているようでは本物の人間とはいえない。この学園で生活していくなかで、苦悩を乗り越えていけるような人生になっているのです。だから、私は、諸君を尊敬もし、期待もするのです。「親の七光」に頼ってしまってはだめなのです。政治家や社長であっても、自分で悩み、苦しみ、解決していった人が指導者となっているのです。
 よき先輩が、後輩のために伸び伸びと、悠々と暮らせるようにしてくれたように、今度は、君たちが伝統を後生に伝え、また譲っていくべき責任をもっているのです。
 学園の先生方は、立派な先生方です。諸君は、学園っ子らしく、どんなことでも聞き、ぶつかり、叱られていきなさい。そして焦らず、身体を鍛え、自分を大切に進んでもらいたいのです。
 ある学者が、大石良雄の仇討ち事件のとき、その日は雪となっているが、調べてみると満月であったといっています。諸君は、風評を追うだけでなく、事態を科学的に分析し、洞察力をもって本質を見ぬいていける人間になってください。社会一般に皆がよいといっているものでも、悪い場合があり、悪いといってもよい場合があります。本当に真実なものは、民衆を守っていくものを基調として物事を考えることであり、皆さんは、そのような人間になってください。
 縁深き学園生には、全員使命があります。使命のある人には、生きがいがあり、生きがいのある人のなかからは惰弱で、卑怯な人は出ないものです。
 学園生は、民衆、社会の宝です。君たちは王子なのです。今、勉強が苦手でも、地道に頑張れば十年たったときには、大きな自信となります。君たちには、何でもしてやりたいが、何もしてやらないのも教育の一つです。会うことも会わないことも、教育なのです。
 今は、私は何もほしくない。ただ、ほしいものは、人材だけです。後継者だけです。期待というものではなく、信じております。どんなことがあっても、学園だけは守っていってください。
 批判され、中傷されながら、汗水流してきたお父さん、お母さんが、最高に讃えられるべきなのです。世の中は、本末転倒している。悪世なのです。民衆のために戦うのです。苦労してきた人ほど大切にしてあげたいのです。
 学園生が、すべての分野で活躍していってもらいたいし、また、あらゆる面で頑張っているようになってもらいたい。そして友人だけはもって、大切にしていきなさい。
10  創価中学・高等学校 寮生・下宿生との懇談会〈昭和51年12月11日〉
 母校を大切に
 私は、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学に、創価大学、創価学園の創立者として公式訪問しました。ともに大変、立派な大学であり、伝統もあり、教授も立派な方が多かったようです。非常に印象深く、いまだに忘れ得ない学校です。しかし、伝統が古いだけに、また、時代が激しく揺れ動いているゆえに、伝統それ自体が、良いか悪いかという分析が必要な時代に入っているのです。今でも、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学を出た人は、世界で活躍しています。近年は、アメリカのハーバード大学においても、そのようなことがいえます。
 彼らは、非常に母校を大切にし、愛しています。日本の数多くの指導者も、自分たちの母校を大切にしてきました。どこどこの大学を出た、どこどこの高校の出身だ、ということが、その人の人生の、決定的な基盤になっていたのも事実であります。自分が青春時代を歩んだところや、友達や同志とともに乱舞した世界を大切にし、愛することほど、尊いものはありません。諸君にとって自分の世界とは、一つは学園、一つは創大であると思います。どうなってもかまわないという人は、投げやり的で、健全な人々からは愛されないし、健全な軌道にはのっていきません。
11  庶民のリーダーたれ
 諸君のまわりにも、本当に平凡に、堅実に生きてこられた人がいます。これほど強いものはありません。日本の九〇パーセント以上の人は、庶民なんだから、庶民らしい人が庶民の指導者になっていくのは当然です。それを根本として、何人かは、外交官、法律家、政治家になってほしいのです。そうした庶民の指導者として、あらゆる所や立場で、庶民を守る柱となっていく使命を担うのが、君たちなのであります。
 また今、諸君に申し上げたいことは、学園を守り合っていく友愛、友情をつくっていってほしいということです。先輩が頑張って後輩を育てていく、これだけでも立派な人間教育をしていることになるし、人間としても立派な建設になります。よき先輩をもった後輩は幸せです。
 とかく組織や団体というのは、順調になってくると、利害によって分裂やいがみあい、足の引っばりあいが生まれやすいものです。しかし学園は、絶対にそうであってはならない。どこまでも友愛、伝統を築いていっていただきたい。
 われわれは、堅実に仲良くやっていきましょう。どんな時代になろうとも、どういうことが流行しようとも、嵐が吹こうと、だれが何といおうとも、われわれは、平凡に、堅実に歩んでいきましょう。そして、将来、先輩、後輩と連携をとりながら、庶民を守ってください。
12  創価高等学校 第七回卒業式〈昭和52年3月16日〉
 未来に輝く才能の大建造物を
 春風さわやかなきょう、第七回の卒業式を迎え、皆さん方が、人生の新たな道への第一歩をしるすことができますことを、心より喜び、またお祝い申し上げます。
 最初に、三年間にわたって諸君の授業と人格形成のために尽力し、また奔走してくださった小山内校長先生をはじめ、諸先生方に対し、私は諸君を代表しまして、衷心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
 人間にとって大切なことの一つは、帰るべき大地、原点をもっているかどうかであります。人生には悩みもあり、行き詰まりもある。もとより、それがあるゆえに、人生の醍醐味もあるのですが、ともあれ、自分を見失いそうになったときに、自分自身を位置づけていく座標軸ともいうべきものがあるということが大切です。諸君は、創価学園のキャンパスで人生の揺監期を過ごした。ここを原点、大地として、行き詰まったら、このキャンパスに思いを馳せて、また勇気を出して進んでいただきたい。
 その共通の精神に立ったとき、諸君と諸君たちを育んでくださった先生方、および一応、創立者ということで、私を結ぶ目に見えない糸が年々太くなり、やがて壮大な友情と人間勝利の布を織りなすことになると、私は確信もし、期待もいたします。
13  自身の甘えを排せ
 よく、現実からの逃避といいますが、もう一歩深く考えるならば、それは自分自身からの逃避であり、自分を見つめることを避けているといえます。おもしろくない、つらい、苦しい等々、いろいろな理由はありましょうが、だから勉強がいやだ、だから仕事をしたくないというのは、じつは自分に対する甘えであり、自己を見つめることを避けた敗北者のつぶやきであり、自己の成長のためには、何の創造的効果ももたらさないものです。「逃げ」の姿勢から生まれてくるのは、ただ不平、不満、批判だけであり、結局、それは敗北者の人生なのであります。
 皆さん方の世代、十代後半から二十代にかけての生活のなかには、とくにこの「逃げ」の姿勢があってはなりません。なぜならば、本格的な人生の出発点であり、もっとも重要な基礎の部分の完成期であるからです。
 大脳生理学の研究によりますと、脳の発達は七、八歳ごろに一つのピークがあり、二十歳ごろに完成するといわれています。この時期の、基礎固めによって、やがて後に大きな力が開花してくるわけです。したがってこの時期にこそ、自己を励まして厳しい現実に挑戦し、将来、見事な才能の大建造物の構築を支えることのできる、強固な基盤をつくっていただきたいと思います。この意味において、どうか諸君は、そのもっとも大切な大学時代、社会への雄飛に向けて勇んで挑戦していってください。
14  ルソー、デカルトの青春時代
 過去にすぐれた業績を残した人物をみてみますと、やはり若いときに大変な苦労のなかで、真剣に学んでいます。皆さんもよくご存じのフランスのジャン・ジヤック・ルソーは、近代を開いたもっとも偉大な思想家の一人として、今日もその作品は世界的に広く読まれていますが、彼の父は時計師で、当時の下層市民であり、生まれてすぐ母親を失っています。また少年期に父親が失踪して、普通の家庭生活を味わうことなく成長しています。
 ルソーは皆さんの年齢であったころは、時計彫刻師の弟子となって、酷使と虐待のなかで生活しています。彼はこの生活のなかで、社会というものを意識し、不正というものへの激しい怒りを育てていったといわれています。彼は後に、有名な『エミール』『社会契約論』等を著し、人間の尊厳を訴えていますが、その遠因をたどれば、十代後半の数年間の生活のなかに、その種子を見いだせるのであります。
 また、近世哲学の祖といわれているデカルトの場合も、生まれて間もなく母を失っています。彼は十歳のときに、当時、ヨーロッパ一の有名校であったラ・フレーシュ学院に入学し、そこで八年間勉強し、十八歳のとき卒業しています。この期間に、彼は、ギリシャ、ローマの古典文学やスコラ哲学など、当時のありとあらゆる学問を学びますが、彼はその結果、そうした学問が何の役にも立たないことを知って、深く失望しています。しかしながら、この時期に、後年における学問追究の基本的姿勢が芽生えたことを見落としてはならないのであります。
 そして彼は、失望のままに終わるのではなく「世間という書物」から学ぶのだと、ヨーロッパ各地を回り、行動と実践のなかで真理を求め続けています。「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉で有名な、そしてその後のヨーロッパの思想の転換点ともなった『方法序説』が生まれたのも、この時期において、豊かな基盤がつくりあげられていたからであります。
 ルソーも一時期には世をすねた時期があり、デカルトには深い失望の時期が、皆さんと同じ年齢のころにあったようですが、しかし、そのような悩みが多く振幅の大きい時期は、また同時に自分自身というものが形成され、浮かび上がってくる大切な時期でもあります。したがって、そうした振幅のなかに巻き込まれて、自分自身を見失うことなく、また落胆することなく、そこに浮かび上がってくる自己の姿というものを見失わずに、現実に挑戦していっていただきたい。
15  現実の壁に挑戦
 皆さん方は、今後かならず社会という次元において、あるいは自己の宿命という次元において、さまざまに立ちふさがる壁というものを感じることがあると思います。そしてその壁は、どうしようもなく厚い、また高い壁に感じられる場合があります。しかし、それに負けないでいただきたい。その壁というものは、後になってみれば、なんでもない場合がほとんどです。
 こういう話があります。それは少年時代に故郷を出て、十年後、二十年後に大人になって帰ってみると、あれほど広かった川が三メートルほどの小さな川であり、広場同様に遊び回った大通りが、やっと車がすれ違う狭い道にすぎず、町全体が、いかにも小さくなってしまっているというのです。これは何も川や道や町がちぢんだわけでもなんでもない。少年時代と大人になってからとでは、判断の基準が大きく変わってしまっている結果にすぎません。
 同じように、青春時代の悩み、壁というものも、やがては小さなものにすぎなかったことが、わかるときがくるものです。もちろん、そういう壁をいいかげんに考えていいということではありません。どのような壁であっても、はい上がってもらいたい。たとえ落ちても、もう一度立ち上がって、はい上がっていくならば、かならず乗り越えられるものです。手に負えない壁のように見えているにすぎない、ということを申し上げたいのです。
 どうか、これからの長い人生にあって、いろいろなことはあるでしょうが、いじけたり、逃げの人生になったりすることなく、勇敢に、たくましく自分自身に挑戦してもらいたい。そして、一人ももれなく、学園桜の大樹となり、お父さんやお母さん、そして妹や弟たちをはじめ、お世話になった方々を、大きくその桜でつつんでいただきたいことを、お願い申し上げたい。
 ともかく、地によって倒れた者は、地によって立ち上がるしかありません。自分らしく、いかなる人生を生きるのも結構ですが、最後に人生の卑怯者、敗北者とだけはいわれることのないように、学園魂だけは忘れず、また、その学園の誇りを担った諸君たちであるよう、心よりお祈り申し上げ、万感をこめて、諸君の新たな門出への祝辞とさせていただきます。

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