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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和50年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

前後
2  創価女子中学・高等学校 第三回入学式(メッセージ)〈昭和50年4月9日〉
 人間としての軍心」を確立
 本日は、希望にあふれての晴れやかな入学式、まことにおめでとうございます。創価女子中学も高校も、本年でいよいよ開校三年目。初めて、一年生から三年生までの全学年の生徒の皆さんの顔ぶれがそろいました。春の陽光を浴びて萌えだした、この交野の里の木々の若芽のように、皆さん方一人一人の生命のなかには、力強く伸びゆく力と可能性が秘められています。
3  自分をよく知り、みずからを鍛えていこう
 門出の日にあたり、私は、皆さんにいくつかのお願いと約束をしておきたい。
 まず「自分をよく知り、みずからを鍛えていこう」ということであります。エマーソンは「偉大なことで熱意の力なしで成しとげられたものは一つもない」といっている。熱意こそは、明かりをともす発電機のようなものであり、人を動かし、眠っているエネルギー、才能をゆり起こし、偉大なる成長へと導くものであります。
 勉強とは「強いて勉める」と書きます。弱い心や障害と戦いながら、向上に努めなければならない。そのさい「だれでも、時には熱心になるものである。ある人は熱意をもつのがたった三十分であり、ある人は三十日間である。しかし、人生で成功するのは三十年間の熱意を持ち続ける人間である」とのエドワード・B・バトラーの指摘も心しておきたい。何事をなすにも、持続の二字こそ、偉大なる力なのであります。
 精神や知識の面だけでなく、肉体をも大いに鍛えて、健康をわがものとしていただきたい。磨いた人格も、たくわえた力も、健康であって初めて生きてくるからです。
 そのうえで、おのおのの特性を伸ばし、個性的な人になっていただきたい。皆さんもよく口ずさむ「春の小川」という歌に「岸のすみれや れんげの花に……」という歌詞がありますが、春の野の花々がそれぞれに「すがたやさしく 色うつくしく」自分らしく精いっぱいに咲き誇っている――こんな光景を、私は皆さんの未来の姿と二重写しに思い浮かべます。
 そうした自分らしさのなかで、つねに新しいものをつくりだそうとする創造性と、人のため、社会のために貢献しようとする社会性を、たもち続けてほしいのです。平凡な生活のなかにも、新鮮な感動、喜びを発見できる人は、自己を創造的に生きているといえましょう。風にそよぐ一枚の葉にも、脈打つ光の鼓動を聞いてほしい。道端に咲く名も知らぬ野草にも、心を養ってほしい。しかし、それは感傷であってはならない。強靭な生命力でいかなる荒波も乗り越えていく、正義と勇気のうえの心の豊かさであっていただきたい。
4  福徳のある人に
 次に「福徳のある人に」ということを申し上げたい。「幸いは心より出て我を飾る」という格言がありますが、自分を深く耕して、人間としての力、奥行きと広がりを培い、わが身の中に、人から敬愛され、守られ、また一切の環境を切り開いていける「生命の財産」ともいうべき福運を、築いていってほしいのです。
 本年は「国際婦人年」にあたり、この十日からは「婦人週間」も始まります。女性の生き方、地位向上等について盛んな論議が展開されていくでありましょう。が、社会的な差別等のもう一歩奥に、大事な問題があるように思う。
 ここに一人の例をあげてみたい。明治三十年代に浪漫主義の歌人として活躍した与謝野晶子の名は、歌集『みだれ髪』などとともに、皆さんもよくご存じでしょう。彼女は、この学園と同じ大阪府は堺市の、練り菓子の老舗に生まれました。彼女の女性としての生き方には、いろいろな側面があると思いますが、彼女の優れた面を二、三あげてみます。
 日露戦争に出征する弟の身を案じて作った「君死にたまふことなかれ」の詩は、市民の立場からの反戦の叫びとして有名です。当時としては、大変に勇気のいることでした。晶子は国粋主義者たちの激怒を買い、過激な糾弾をうけます。しかし彼女はひるまず、ベンで戦いぬいたのであります。
 私が注目したいのは、こうした彼女の、男にも勝る勇気と才能豊かな活躍が、十一人もの子どもを育て、家計のやりくりに苦労しながらの、庶民の日常生活の地平から発しているということであります。
 しかも彼女は、子どもたちには、手作りの菓子を与え、やんちゃ盛りの子どもの着物を縫い、洗濯し、自作の童話を語って聞かせるというように、母親としても見事な姿を示しています。ごうごうたる世間の非難や圧迫、経済苦にも一歩も退かず、愚痴もいわない強さの反面に、この心やさしき、豊かな情感――その生活は貧しくはあっても、愛情に満ちあふれ、心の綾に美しく彩られていたことでありましょう。彼女は決して環境に甘えてはいなかった。邪悪なものと戦い、自己の内に豊かなものをたくわえ、それをあかあかと燃やし続けて、人間らしく生きようと努めたのだと思います。
 結局は、女性であるとともに、一人の人間としての「芯」を確立していくことこそが大切になってくるということであります。
 皆さん方は、万葉の昔からの歴史の息吹と豊かな自然環境を呼吸し、よき友、よき先生たちと交わり、豊かな人間陶冶の三年間を過ごされますよう、そして、皆さんの生命の小窓ともいうべき純粋なひとみの輝きを、いつまでも失ってほしくない、透明な精神の鏡を、世の汚濁の荒波やゆがんだ才智にくもらせてほしくないと祈りながら、私の本日のお祝いのあいさつといたします。
5  創価女子中学・高等学校 第三期生入学記念撮影会〈昭和50年4月13日〉
 三指針を挑戦の発条ね
 本日は、とくに健康のことからお話を申し上げます。健康は幸せの基礎であるからであります。どんなに財宝があっても、いかに名誉があっても、いかに有名であっても、健康でないということは、不幸であるということであります。
 健康は、あらゆる社会で活動していくうえの、また、自分自身がこの人生を生涯にわたって生きていくうえの、もっとも基礎となるものです。したがって皆さん方は「生ききっていく人生の選手であれ!」、このように申し上げたいのです。挫折をしてはいけない。そして、自分と戦って、自分をなんとか健康にして、この人生を、また青春を謳歌してもらいたい。それが私の願いであります。
 こういう立派な環境であることは、幸せと思ってもらいたいのです。よき環境で皆さん方が過ごしていかれるということは、大きい健康の本源であり、そのことを誇りと思っていただきたい。
 次に良識ということについて。非常識は社会悪です。聡明で良識ある人は、社会にあっても、とまどわない。すなわち、社会人としても、自分自身が聡明に生きていくということ自体が、リズムになっていきます。どんなに大変なことがあっても、ゆうゆうとそれを乗り切っていけるし、社会に対して何らかのよい影響を与え、貢献していけます。だから非常識であってはなりません。
 良識は、即、聡明であり、人間として人間らしく生きる、もっとも基本の姿であります。
 次に希望について。ドイツのゲーテという有名な詩人が、若いときに「自分の生活を通してみると、三百六十五日、ある時は悲しい、ある時は苦しい、ある時はつらい、ある時は嬉しい、また喜びを瞬間瞬間、繰り返している。また、一生涯そうであろう。その自分の生命の、どうしようもない心の働き、心の作用というものを、自分は解決しなければならない。それを厳しく見なければならない。どうしたらいいか」といって悩んだ言葉を、私は今でも覚えております。
 仏法ではこれを、十界互具、または一念三千と説きます。けれども、喜びというものが三百六十五日、同じように続くことは絶対にない。また二年、三年、あるいは一生続くことも絶対にありえません。瞬間瞬間、苦しんだり、悲しんだり、悔しがったり、楽しんだり、というように、気流みたいに生命のなかで動いていくものです。それを私は「生命流(生命の流れごといったことがありますけれども、これが人生の実相です。
 したがって、寒い冬であっても、その冬を耐え忍んでいける強い自分であるならば、かならず春がやってきます。雪があり、台風があったとしても、強い自分であれば、また聡明であるならば、じっとこらえて未来を静かに待ち、太陽の出るのを待つことができる。また、そういう太陽の輝く日が、かならず来る。
 反対に、愚かな人、哲学のない人、聡明でない人は、挫折してしまいます。つらいことがあり、悲しいことがあると、自分自身に負けて世界が真っ暗になってしまいます。
 このように大きく女性の人生の路線を考えた場合に、一つは、どんなことがあっても希望をもって前に進んでいける、希望と幸せの路線。もう一つは何かあると挫折し、いつもいつも悲しみ、悲哀に自分自身が負けた、希望のない路線と、この二つしかありません。
 したがって、どういうことがあったとしても、かならず希望をもって立ち上がる、希望をいだいて前に進んでいく、自分自身に据鞣けていくことが大切なのであります。
 以上が三つのモットーの概略であります。
 とにかくみんな仲良く、思う存分、青春を謳歌して、自分自身に「こんなに有意義で楽しい人生はなかった」という歴史を築いてもらいたい。
 三年ないし六年の、この強野の万葉の丘の肇年で学んだことが、やがて、「あの時は本当に楽しかった」とお母さんにも語り、友人にも語り、子どもにも語っていけるし、つらいことがあっても、自分自身のこの世界が、いつまでたっても大きい誇りと生きがいと、そしてまた、挑戦していく発条になると、私は確信しているものです。
6  創価中学・高等学校 寮生・下宿生との懇談会〈昭和50年6月21日〉
 使命ある人生を
 (使命と使命感について、との質問に答えて)
 草木にも使命があります。宇宙の非情、有情すべてのものに使命があります。宇宙それ自体にも使命があります。人間は有情の最高のものです。なぜなら人間は、言葉を話し、いろいろなものを創造し、学問もすることができるからです。
 われわれの使命は、世界平和の実現です。ある有名な画家は、少年のころ、何のとりえもないが絵だけは好きであったといいます。それで彼は、世の中に絵で貢献しようと考え、そこに使命を感じて、結局は一流になりました。
 使命感は実践をともないます。たんなる″理″ではありません。秀才でも、金持ちでも、使命感のない人は毀誉褒貶に流されてしまいます。使命感のある人は流されても、元に戻ります。使命感のある人は、もっとも幸福です。これ以上の幸せはありません。学園に入学したこと自体が使命です。青春時代は悩む時なのです。悩んで、もがいて、それで成長していくのです。
7  創価女子中学・高等学校 第一回健康祭前夜祭〈昭和50年10月6日〉
 同窓の友は蛍会
 本来十月十日の体育祭の日に、皆さんの元気な姿を見たいと思っておりましたが、校長先生方とも相談させていただいて、きょう、前夜祭という意義を含めて開催させていただいたことをお許し願います。
 そのためによけいに忙しかったかもしれない。しかし、それはそれとして、学園っ子は自分自身に負けてはなりません。未来の指導者をつくる学園だからであります。十日の日もお父さん、お母さんが来るでしょう。来賓の方もたくさん来るでしょう。きょうと同じように団結第一で「輝け、健康と躍動の美」の姿を示し、世界、また日本のどこにもない、この学園の麗しい姿を、後世に残していただきたいことを、お願いしたい。
 ともかく、お父さん、お母さんにも晴れがましく、よろしくお伝え願いたいし、この次にお会いするまで、一段と自分自身と戦って成長していただきたい。
 おとといの晩から来ておりまして、皆さん方のようすをそっと先生方から聞いたり、陰から見ておりました。私はこんなすばらしい学園、そして生徒はどこにもないという誇りをもっております。皆さん方も誇りをもって、この青春を生きぬいてください。
 来春卒業する第一期生のある人が「こんなすばらしいお友達、こんなすばらしい先生、こんなすばらしい学園と別れるのが寂しい」と、入学して間もないころいっていたけれども、現実としてその時が来てしまいました。
 同窓会は、先生方ともお話しして「蛍会」という名前にします。「蛍の光、窓の雪」という求道の意味も含めて、毎年毎年、私も卒業生と「蛍会」でお会いして、この尊い人生を、世界最高に充実させながら生きていきたいことを念願しております。どうか、一期生ももうしばらくのあいだですけれども、後輩のために、自分の進学のために、また自分が社会へ出て行くために、伝統をもう一段深めて、お別れをしていただきたいと思います。
 皆さん方は、これから社会に出たり、大学へ行った場合にも、大きい期待と注目があると思います。私は二十一世紀に一切の勝利をかけております。その二十一世紀に向かって頑張ってほしい。どんなつらいことがあっても、生涯、嵐が続くということはありません。どんなにいやなことがあっても、毎日が苦難の続く暗い日とはかぎりません。かならず雨のあとは天気です。それを繰り返していくものです。
 したがって、自分自身に挫折があってはならない。学園っ子に絶望という二字があってはなりません。福運につつまれた人生の女王であることはまちがいないのですから、それを確信していただきたいのであります。
8  創価中学・高等学校 第四回体育祭(メッセージ)〈昭和50年10月25日〉
 頑健な身体と強靭な精神を
 武蔵野の木々の紅葉を吹き染める金風は、皆さんのほおを心地よくなでているでしょう。秋晴れのもとで、若い心身を躍動させ、青春の賛歌をうたいあげる体育祭も、今年で四回目。皆さんの晴れやかな祭典に心から祝福のあいさつをおくります。
 「ワーテルローの戦いは、イートンの運動場で勝った」――これは、ナポレオンの軍をワーテルローにおいて破った、イギリスのウェリントン将軍の言葉として有名です。
 イギリス軍の大勝の陰には、将兵たちの勇敢な行動がありました。これらの将兵は、パブリックスクールとして有名なイートン校の出身者が多かったといわれています。同校ではフットボールが盛んで、生徒たちはそのスポーツを通して、頑健な身体と強靭な精神を培っていました。ここでスポーツマンシップを身につけた人たちの団結と奮戦によって、勝利がもたらされたわけです。
 もとより、私たちは戦争をめざすものではありません。否、この地上からそうした愚かしくも悲惨な災禍をなくし、平和の世界を築くための使命を担う人こそ、諸君であります。しかし、いかに崇高な使命をもち、英知や才能にあふれていたとしても、健康な身体をもたなければ、それらを十分に発揮できないでありましょう。
 心身ともに若々しく、未来への成長の可能性を秘めた皆さんの時代に、思い切リスポーツを楽しみ、体を鍛え、健康の人となってください。そして、やがて洋々たる人生の舞台で、学んだ知識、養った力を輝かせていっていただきたい。どうか、思う存分、跳び、走り、友情をはぐくみつつ、楽しく有意義な学園生活を過ごされんことを!
9  創価女子中学・高等学校 第一期生卒業記念懇談会〈昭和51年1月13日〉
 よき伝統こそ金の道
 第一期の卒業生の皆さん方は、私も名残惜しい方々ばかりです。大半の人の顔も知っています。また担任の先生方から、いろいろと報告も受けております。皆さんはよき伝統をつくってくださいました。
 「よき伝統というものは法律にまさる」というイギリスの諺があります。よき伝統ほど強いものはない。よき伝統というものは、日に見えない金の道です。反対に悪い伝統というものは、悪魔の道です。そのよき伝統を、第一期の皆さん方は完全につくってくださった。この栄光と功績は、私としても後世に残していきたい。心から御礼申し上げます。
 なお、卒業式には、勇んで皆さんをお送り申し上げます。悲しいけれども、お送り申し上げる儀式に、万障繰り合わせて参列しますから、待っていてください。
 それから、後輩の皆さん方も、第一期の先輩のつくった伝統をさらに磨いてください。今までも、何度も何度も申し上げてきたことですが、有名な言葉に「学は光、無学は闇」とあります。ともかく理想的で、日本一、否、世界一といわれるこの学園で、心身ともに磨いていることは、あとになればなるほど「よかった」と思うことは、まちがいないと信じます。
 つらいときもあるだろう。怠けたいときもあるかもしれない。また、挫折しそうなときもあるかもしれない。しかし、この二年間、六年間は、一生の幸福の基礎を築くときです。頑張ってください。負けてはいけない。北風に強い人になってください。学園っ子は負けてはいけない。最後に、一期生、万歳と申し上げて、本日のあいさつといたします。
10  創価中学・高等学校 第六期生卒業記念集会〈昭和51年1月24日〉
 人間教育の伝統をさらに
 私は、創価学園が開校されて以来、第一期の学園生とともに励まし合いながら、全力をあげて学園の草創期の建設に努力してまいりました。校長先生、副校長先生をはじめ諸先生方は、大変な苦労をして学園の基盤と伝統の建設をしてこられました。きょうはまず、学園のために心を砕いておられる諸君の先生方に、深く敬意を表するものであります。
 私は、二十一世紀の指導者を育てるために、これからも奔走して、各学校を建設していくわけでありますが、その原点はこの男子学園であります。一期生も二期生も本当に苦労しながら、立派な伝統をつくってくださった。私は一期生、二期生の在学中、何度も学園を訪問し、学園生とともに語り合った思い出は、生涯忘れることができません。また、それが金のように尊く私の胸に刻みこまれています。諸君の先輩たちは、立派な伝統を築こうと真剣に努力してくれました。
 諸君は、その人たちの後輩であります。もし何の目的もなく、ただ学校を卒業し、就職して、お金を貯めて、安楽に暮らそうというだけであるならば、学園に入学する必要もなければ、また学ぶ必要もありません。先輩たちは、何のためにこの学園で学び、何のためにこの学園が存在しているかということを忘れずに、研鑽し合いました。諸君は、この先輩たちのよき精神、伝統を忘れないでいただきたいのです。自由に振る舞うこともいいでしょう。しかし、先輩たちが「何のため」という目的観をもち、築きあげたこの大切な伝統だけは忘れないで、生涯、貫き通していただきたいと思います。
 諸君のなかから、たくさんの教育者が出ていただきたいのです。とくに教育の分野には、大勢の人が進み出て、二十一世紀の人材をつくる教育者になっていただきたいし、またみずからも二十一世紀の人材であっていただきたいと思っております。
11  学は光、無学は闇
 私がしばしば話していることは、「学は光、無学は闇なり」「学光にして無学闇なり」という言葉であります。
 今、諸君は、石にかじりついても学園で学びきって卒業しなければならない。今、勉強しておかなかったら、社会に出て、さらには四十代、五十代になったときに、後悔することは目に見えています。やはり中学・高校時代にそれなりに努力し、勉強した人が、あらゆる階層のリーダーになっていることも事実です。学ぶべきときに学ばなかった人は、リーダーにはなれません。道理のうえからみても当然です。
 今、わがまま放題にして勉強をおろそかにし、先生方や友人を蔑如して、自由勝手なことをしたとしても、後になれば、厳然とした因果の理法に基づいて人生の敗北者となるでしょう。
 材木というものは、乾かさなくては使い物になりません。たとえ湿った本で家を建てたとしても、あちこちがゆがんでしまい、住むこともできません。また、木というものは、根をしっかり張らなければ、大きく枝を伸ばして葉を茂らせ、大樹になって実を実らせることもできません。鉄は焼き、溶かさなければ、いろいろな形に仕上がらない。その乾かす期間、根を張る期間、鉄を焼き溶かしてどういう鋳型にするかという期間にあたるのが、人生でいえば中学・高校時代です。
 その道理を無視して、社会に出て人間的に立派な仕事ができるか、また、社会に貢献できる指導者になれるか、といえば「絶対に」といっていいほどなれません。これは社会の道理です。大学の場合は、個性確立の意味において、中学・高校とはまた違うのです。
 当学園の方針は「英才教育」です。人間性あふれる実力者を養成する主義で進めておりますから、厳しく人間を鍛錬していくことは当然であります。とにかく、石にかじりついても学園生として卒業してみせると決意していただきたい。そのようにして努力して身につけたことは、大きな財産となり、力となっていくのです。それは後になればなるほどわかります。
 その意味において、どうか諸君は、先輩の築いた伝統、本質をしっかりと受け継いで、人間として芯をもった人材である、といわれるような自己を築く学園生活を送っていただきたいのです。
 学園生は獅子の子です。弱くてはいけません。自分に勝たなくてはいけません。したがって私は、今は学園生だけは甘やかしたり、かばったりはしません。しかし、お父さん、お母さんのご苦労を甘んじて受けて、思う存分、学園生活をさせていただきなさい。そのご恩は、諸君たちが大学を卒業し、社会に出てから何千倍、何万倍にして返せばよいのです。また返せるようになります。
 お父さん、お母さんも心の奥では理解しておられるはずです。涙を、苦しみを、貧しさを転じて最大の力を養う、最大の恩返しのできる自分をつくっていくんだという学園生であってもらいたいと思います。
12  ″何のため″を忘れずに
 学園には寮歌(現校歌)があります。学園の一切の精神が寮歌のなかに含まれています。学園の寮歌が歌われなくなったら、もう伝統はなくなってしまうと私は思います。
 昔は第一高等学校、第二、第二、第四高等学校という学校が、日本を担う人材を輩出してきました。そ2局等学校を卒業した生徒が、今までの日本を繁栄させてきたのです。あらゆる階層の指導者を輩出してきたのです。これらの学校は優秀な人材を生み、日本の教育の根本としての役割を果たしてきた学校であり、大きな期待をかけられていたことも、歴史的事実であります。
 しかしこれからは、二十一世紀を志向した新しい人間主義の教育であり、真の英才であり、真に人間愛に徹した、民衆の味方としての人間を育てる高校をつくらなければなりません。そうしなければ、日本の国の未来は泥沼の状態になるでしょう。
 日本の国の前途には多くの困難が横たわっています。それを解決していくには教育しかありません。政治も経済も行き詰まり、人心も行き詰まり、未来を切り拓く思想も見当たりません。混迷しています。それをなんとかもう一度、真実の人間主義の路線にもっていくというところに、諸君の偉大な使命があります。
 それができるかできないかは、壮絶な戦いです。その意味においても、学園の寮歌を聞き、聞かせ、そして歌いながら進むべきだと思うのです。あの一高、三高、三高の寮歌は日本全土に広まった。しかし、そこで歌われた「日本を救おう、日本を担おう」という気概に満ちた精神は、今はもうなくなってしまいました。
 歌は、いわば情熱の発露です。目的への推進力ともいえます。その情熱がなくなってしまったならば、わびしいものです。「何のため」という精神がなくなってしまいます。このことを忘れずに、今後も頑張っていただきたいことをお願いします。
13  創価中学・高等学校 第六期生卒業記念懇親会〈昭和51年2月28日〉
 社会の烈風に耐える人間王者に
 きょうは、お父さんとして諸君をお招きしました。急に君たちの顔が見たくなってお呼びしました。
 世の中には、いわゆるお金持ちの人はたくさんいます。けれども昔、西郷隆盛は子孫に、「美田は残すべからず」といいました。父親が美田を残すと、子どもはそれに頼ってしまって堕落をする。だから息子が不幸にならないように、「美田を残さず」なんです。今でも世の中にお金持ちはいるけれど、財産があるからといって幸せとはいえないのです。イギリスの諺にも「金のある人は、金の奴隷にすぎない」とあります。ただし、社会のために使うのは別です。
 諸君のお父さんも、実家も、あるいはお金持ちではないかもしれません。私もそうでした。しかし、お金があるというのは、人生の根本的価値、意義、生きがいからみれば、煙みたいなものです。四十代になってわかります。大人になり、私ぐらいの年齢になればわかります。私も若いときは、お金のある人をうらやましく思ったこともありました。いわゆる二世というのは、親の光であって、自分の力ではないのです。財界人とか、有名人などのなかにも、自分の力でなく、親の力に頼っていることも多いのです。
 昔から、二世には利口者は少ないといわれています。江戸時代、徳川幕府も十五代続いたけれども、その将軍は、お城の中にばかりいて、民衆のことを考えず、自己を鍛えもしないで、命令を出すだけの人が多かった。それほど惰弱な人が多かったのです。そのような人は、人間的偉さもありません。自分の力ではなくて、二世として君臨することはもっとも反民衆的です。
 諸君の先輩によくいってきたことですが、今、諸君たちを中学・高校に送り出してくださっているご両親は大変だと思います。親からの仕送りは、尊いお金です。今、諸君たちの家は、あまりお金持ちではないかもしれません。父や母や一族の人たちにお金を払っていただいて学園に来てますが、それを君たちが将来、社会に出て全部返していくという気持ちになればよいのです。センチメンタルになる必要はありません。堂々と受けていくのです。そういう学園生であってほしいのです。そうでなければ、人間的にも、努力の面からも、また価値的に考えても有意義なものとはいえません。自分の力で勉強し、自分の力で生きぬいて人間革命をしていく。そこに偉大な希望と自信をもって進むことができるのです。諸君の先輩も大変な時代ではあるが、光った存在になっていることは事実です。次々と報告が入ってきています。
 矢田挿雲という小説家がいました。太閤秀吉のことを書いた人です。その小説(『挿雲 太閤記』)のなかで、太閤秀吉の主君である織田信長のことを書いたところがあります。信長は国は小国で、外交戦でも大変であった。その国のまわりには、武田信玄もいるし、その他いろいろな勢力があり、いっぺんに押しつぶされそうな小さな国であった。
 その信長の家来には、柴田勝家など多くの武将がいました。彼らは武勇もあり、戦略にも優れ、百戦錬磨ではあったけれども、時代遅れであったのです。鉄砲が日本に伝来した時代に、昔のパターンで戦っている武将をそのまま重んじていては天下はとれないと、信長は時代性を重視したのです。時代性というものは、何よりも大切なものです。呉子、孫子の兵法に「百千万の戦略も一時にしかず」とあります。時代性ほど大切なものはありません。
 当時の秀吉は木下藤吉郎といい、庶民出身の名もなき足軽でした。武将の足をふいたり、馬のたずなを引いたり、いろいろなことをやっていました。智将であり、つねに時を見ていた信長から見れば、この藤吉郎は知恵をもち、ユーモアもあり、誠実な人柄で、どうしても憎めない人柄でした。信長は、藤吉郎が時代を先取る者だと認めて登用したのです。
 このように、矢田挿雲は信長側から見た秀吉観を述べています。
 同じようなことが、世界平和についてもいえます。根本は別としても、社会も、日本も、世界も刻々と変わっています。これから二十一世紀を見れば、どうしても君たちのような若い木下藤吉郎が必要なのです。君たちは時代を切り拓いていく人になっていただきたいし、そうでなければならないのです。
 もう一つ、この機会にいっておきたいことがあります。かつて武士の時代には、主君の前で馬に乗って競走する行事がありました。そこでは、勝利を得るために、相手の馬に石を投げたり、ひづめを故障させたりなどの、大変な策略をめぐらすこともありました。
 今でも同様に、社会においては、いろいろな生存競争のなかに策略があるのです。正しい者ほど妬まれるものです。正しい者ほど悩みが多いものです。そこで大切なことは、たとえ策略があったとしても、負けたものは負けです。策略があることはよくないのは当然であり、そのような悪い風潮は変えていかなければならないけれども、自分は策略によって負けたのだと腐ったり、人を恨んだり、相手を批判することによって自分を正当化したり、責任を転嫁したりするような、弱くめめしい態度であってはいけません。自分の敗北を美化してもなりません。一流の指導者になるには、そういった逃げは禁物です。あらゆる批判をうけても厳然と乗り越え、生きぬいていくというような人間王者になるために、自己を鍛えてほしいのです。
 社会には利害、策略が渦まいています。これを胸のかたすみに留めておいてください。一歩、社会に出れば、だれも守ってはくれません。卑劣な烈風が吹き荒れ、皆で足を引っぱりあっています。そのときに動じないような一生の基盤をつくるのは、中学・高校時代です。人格的に基盤をつくれるか、つくれないかが決まるのは、中学・高校時代にかかっているのです。これは人生の先輩としていえることです。
 学園は勉強も大切にしているし、厳しいこともあるかもしれませんが、しっかり頑張ってほしいと思います。卒業するころには大変な基盤ができます。体を鍛えて頑張ってください。
 一期、二期は立派でした。一緒に学園を築きました。創価大学を築くときもそうであったけれども、できあがった世界に安住するよりは、築いていこうという気持ちで頑張ってきました。少しぐらい成績の悪い人でも、人間的には偉くなっています。
 あとは、学園生活を有意義にするのも、無意味にするのも、自分の決意しだいです。成長するか、怠惰な生活を送るかは、すべて自分の姿勢で決まってしまいます。学校によって決まるものでも、先生方のせいでもありません。すべて自分の決意と姿勢で決まります。その点だけは忘れないでほしいのです。
 私は、十九歳のときから、世界平和のために三十年間、生命をかけて戦ってきた一人です。これからも戦っていきます。二十一世紀に勝負を決したいのです。その勝負をつけるのは、君たちしかいません。創価学園出身者が、また、創価大学出身者が本命です。世界平和の源泉地です。ありとあらゆるところに、君たちのために舞台をつくってきました。これからもつくっていきます。他の人々はどうであれ、自分は自分らしく、皆とともに学園家族として生きていってほしい。昔の一高も家族のような雰囲気がありました。その一高が、かつての日本を良くも悪くもしました。
 学園のよさは、全体の連帯が強いことなのです。連帯するところに教育の源泉があります。その連帯がなくなってしまえば、人間教育はなくなってしまう。ここから何かをくみとってください。私は全力をあげて戦ってきました。三十年間、休んだこともないくらいでした。その平和への戦いを受け継ぐのは君たちです。相当の決意がなければなりません。「革命は死」ですから、そのくらいの決心がなければ、本当の歴史に残る戦いにはならないのです。
 そして、それを永久にたもたせるのは「人」です。人さえいれば、心配ありません。その「人」は頭のいい、時代を先取りする、根性のある人であります。結局は人間なのです。二十代に決意したのでは遅すぎます。十代でなければなりません。私も十九歳のときから、戦いを始めてきたのです。
 創価大学、女子校、小学校、幼稚園ができ、これからも各地に学校ができるでしょう。しかし、創価教育と世界平和の原点は、小平の男子校(=東京の創価中学生呂等学校)です。男子として、これからは「じっとこらえて今にみろ」と心に決めて「心配しないでください」といえるように成長してください。
14  創価女子高等学校 第一回卒業式〈昭和51年3月13日〉
 生涯の友として美しき信義を
 本校第一回の栄えある卒業式、まことにおめでとうございます。私も本校に関係が深い一人として、本当に喜びにたえません。心からお祝い申し上げるしだいであります。また、ご父母の皆さま方、その愛するところの娘さんが本日、見事に成長して、この学舎から巣立っていかれます。本当におめでとうございます。
 また、牧野校長先生をはじめとする教職員の皆さま方には、多年心をこめて証散にあたつてくださった労に対し、心から尊敬申し上げ、かつ感謝を申し上げるしだいであります。本当にありがとうございました。また、ご繁多のなか、ご来校くださったご来賓の先生方、そして本校のために土地を提供してくださった地元の関係者の方々に、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 今回は、本校といたしましては、第一回の卒業式であります。何事もそうでありましょうが、「最初」というものは、その世界にとっては格別の意義をもつものであり、大変に記念となるものであります。本校の教育機能は、本日のこの卒業式を経験することをもって、初めて首尾一貫したわけであります。これによって、創価女子学園の歴史、あるいは伝統というものの第一の基盤ができあがったといえるのであります。願わくは、この基盤をふまえて、これからますます力強き伝統、光り輝く校風を建設され「わが国の教育界に本校あり」と、万人から認められるほど発展、繁栄されていかれますことを、心から祈ってやみません。
 以上申し上げた点につきましては、卒業していく皆さん方も、心に刻んで忘れることなく、どうか生涯がけて本校を愛し、陰に陽にこの母校を応援してください。お願い申し上げます。
 また、皆さんは、成長期の貴重な三年間を、この学園で努力してこられました。しかしながら、その努力は、決して自分一人だけでしたのではありません。つらいときには励ましあい、楽しいときには手を取って喜びあい、大勢のクラスメートが、そうした友愛の連帯のなかで努力を成功に結びつけつつ、成長してきたのでありましょう。すなわち、得がたい友達であったわけであります。人生においては、人間性、人格、そうしたものが何よりも大事だということ、それを観念ではなく、互いのふれあい、体験を通して身をもって会得できたことは、これは本当にすばらしいことであると思うのであります。そういう尊き学友同士であります。
 ひとつ、理屈ぬきで、生涯の友としての美しき信義を貫き通していただきたいと思うのであります。信ずるということ、信頼するということ――これこそが人間にとっての大いなる力である。私は、これを卒業のはなむけとして、皆さんにお贈りするものであります。
 これからは、進学する人もあれば、就職する人もいる。進学したからといっても、四年さきには就職しなければならない。就職したからといっても、自分自身の学問をやめる筋合いのものでもない。すなわち、就職する人も、あくまで社会にあっても勉強すべきであるし、また、進学した人も、かならず就職しなければならない。結局、人生の大綱においては、違っていないということを知らなくてはなりません。
 あるいは仮定の話として、一年や二年、大学進学への挑戦を余儀なくされる人があったとしても、それでどうということはありません。「災いを転じて福となす」ということもあるのです。結局は、男性は男性なりに、女性は女性なりに、その大筋を踏み違えることなく努力していきさえすれば、いつの日か福運もつき、幸せになっていくことはまちがいないわけであります。ひとつ、皆さんはそういうつもりで、新しい人生へ明るく、そして焦らず、勇気をもって前進していってください。
 卒業生の皆さんは、「蛍会」を結成されました。また第一回の卒業生のご父母の皆さま方の真心で、本校の中心の地に「蛍乃池」をご寄贈賜りました。ここに厚く御礼申し上げますとともに、「蛍会」の卒業生の皆さんは、毎年一回はかならずこの「蛍乃池」に集って、さまざまなことを語り合っていただければ、これ以上の喜びはないと存ずるものであります。
 ともあれ、学生生活だけに限っていいますと、世間の通念の一つにこういうことがあります。それは優等生は優れたものであり、その他はたいしたことはない、という考え方であります。私はこういう考え方は、あまりにも短絡的で、大きな過ちをはらんでいると思えてならないのであります。どんな高校であれ、大学であれ、いわゆる優等生といわれる人は、ほんの数人、一握りの数でしよう。また、そのようにされているようである。それはそれで、立派なものであるということは否定はできませんが、だからといって、その他はたいしたことはないという考え方は、私はまちがいであると思う。
 わが国全体を見てみましょう。いろいろな欠点や事件はあったにせよ、敗戦からわずか三十年で、とにかくこれだけの国、これだけの社会になりました。ということは、いわゆる優等生だけの力で、ここまできたのでは決してないのであります。みんながそれぞれ優れていたからこそ、こういうふうになったのではないでしょうか。
 人は、それぞれもって生まれた得手、不得手があります。要は、苦手な部分に負けることなく、得意な部分を存分に伸ばしていくこと――それが大切なことであると思うのです。そういう人こそ真に優れた人である、いわゆる、実社会の立派な優等生であると思うのであります。学校ばかりではありません。今、申し上げた原則というものは、実社会のなかでも、すべて同様であると、私は考えております。どうか皆さんは、そういうつもりで、決して卑屈にならず、今後のみずからの道を自分らしく雄々しく開拓していってください。
 これからの長い人生においては、健康が大事であります。どうか、自分の体力の程度を見合わせて、それぞれにしっかり健康をたもちながら、決して悲観的にならず、明るく生活していってください。「身体も健康に、そして心も健康に」と、私は心からそのように願うものであります。そして、全魂こめた拍手をもって、第一回の卒業生の皆さんを、この会場から送り出したいと思うものであります。
 どうか、在校生の皆さん方も、きょう旅立っていくこのよき先輩方を、絶大なる拍手をもってお送りしてください。以上をもって私の所感とさせていただきます。
15  創価高等学校 第六回卒業式(メッセージ)〈昭和51年3月16日〉
 「境智行位」で栄光の座を
 私は今、岡山県におります。この岡山の地より、はるか諸君の卒業式を見つめながら、万感こめてあいさつをさせていただきます。
 陽春三月のこの日、親愛なるわが学園の卒業生諸君、多年の研鑽の功なって晴れのご卒業、まことにおめでとう。私は、諸君にもっとも深くかかわりあいをもった一人として、まことに喜びにたえません。心からお祝い申し上げるしだいです。
 また、父母の皆さま方、私は、ただいまの皆さま方の親心、うれしさのなかにも深く複雑な感慨を、そのまま一緒に共感させていただいております。本当におめでとうございました。さらに、校長先生をはじめ教員、職員の皆さま方、そして下宿生の面倒をみて、裏方の推進役を引き受けてくださった皆さま、卒業生諸君をよくもここまで、ご訓育くださいました。改めて厚く御礼申し上げるしだいです。本当にありがとうございました。
 それが天職とは申せ、連々たえざるご努力は、じつに容易ならざるものではなかったかと思うのでありますが、これからも、なおなお、よろしくお願い申し上げるしだいでございます。今後、先生方も関係者諸氏も全生徒も、それに不肖私も、みな打って一丸となって全校あげて、さらにこの学園の健全なる発展に努めてまいりたいと思いますけれども、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 巣立ちゆく卒業生諸君に申し上げます。世に「故郷忘じがたし」という言葉があります。世の荒波にもまれて、年とともに故郷懐かしの思いがつのるという、当然なる人間心理をいいあてた言葉であります。この学舎は諸君にとって、まさに「精神の故郷」の思いがするところではないかと思う。将来、いろいろと青春を発散したこの学園を、懐かしむようになることはまちがいないと思うのであります。
 そこで私は諸君に対して、もう一歩深く立ち入った人間愛の自覚を提唱したいのであります。それは「魂魂をこの土にとどめて」というように、永久に自分の魂を学園にとどめるという点であります。ただ、懐かしむだけなら、自分と対象とのあいだに、まだ距離がある関係でありましょう。それに引き換えて、魂をとどめてある関係ならば、距離はまったくなくなって、それは自己と対象とが、いつでも一体に同化している状態であります。万事、断絶だらけの現代において、見事に断絶を乗り越えた境涯であります。そういう信念の持ち主であれば、若輩ながら大人にも勝る立派な人物ではないかと思うのであります。それならば、まったく同じ労によって、ともに机を並べて苦楽を分かち合った学友同士も、生涯にわたって、ますます連帯の絆が強まっていくと思うのでありますが、諸君、いかがでありましょうか。
 諸君、思い出多いこの武蔵野の自然は、まことに平和であります。昨今の世相などウソみたいであります。だが、実社会の現状というものは、なんともとげとげしいありさまで、諸君も十分にご承知のとおりであります。
 不況のあおりが学生の世界まで押し寄せて、今年の大学卒業生は、三割強が就職できないという悲哀を余儀なくされているそうであります。それを敏感に感じ取った大学受験生たちは、有力な大学の、頼りになりそうな学部へ、一斉に押しかけていった。そのため、そうした大学の学部の競争率は、軒並み昨年の倍から倍以上にハネ上がったとも伝えられております。まったく大変な話であり、世相であり、時代であります。
 それに引き換えて、皆さん方は全員が進学志望で、その多くは創価大学へ推薦入学ということになっております。全国の受験生が精根をすり減らし、青春をすり減らしているのに比べれば、生命力に余裕をもち、バイタリティー、千不ルギーをより多くたもっていけるということは、大変な未来への財産であると思うのであります。そこで私は、その有利さを大学へ行ってから、有効に利用してほしいと思うのでありますけれども、どうでしようか。
 文化、つまリカルチャーという語の原義は、耕すという意味であります。諸君は、諸君が今もっているこの有利さを生かして、大学四年のあいだに、存分に自分自身を耕して、きたるべき社会進出のときにそなえてくだされば、私は本当にうれしく思います。
 ともあれ、諸君は、福運をもっているのであります。ひとつ、肝っ玉を大きくして、ここから巣立っていってください。
 東洋古来の哲理の一つに「境智行位」という経験則があります。この本来の意味、解説というものは、ここでは申し上げませんが、今後の諸君にあてはめて、ひとこと、門出のはなむけといたしたいと思います。はじめの「境」とは、諸君が取り組むべき大学生活の全体であり、せんじつめれば、まさに自分自身のことであります。「智」については、邪智を排して英知を光らせていく。「行」については、純真な情熱を燃やして体当たりし、もって「位」においては、どっしりとした栄光の座を勝ち取らんことを、心から祈るものであります。
 さて、在校生の諸君、諸君のよき兄だったたくましい先輩たちが、ただいまこの場から未来へと旅立ってまいります。今までの友誼と好意の指導に万感の謝意を表明しつつ、大いなる拍手をもってお送りしてあげてください。
 終わりに臨んで、卒業生はもちろんのこと、全学園の皆さま方のご健康、ご多幸を心からお祈り申し上げるしだいであります。ご来賓の皆さま方におかれましては、ご多忙のなかわざわざおいでいただき、厚く厚くこの地より御礼申し上げます。では卒業生諸君、いつまでもお元気で。

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