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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和49年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  創価学園大会〈昭和49年4月19日〉
 正義と責任をもつ勇敢な人生を
 きょうは、せめて諸君に思う存分、食事を召し上がっていただきながら、少しでも思い出を残し、そしてまた新しいおのおのの分野で、楽しく朗らかに前進していただきたいという真心から、皆さんをお招きしました。
 ともかく、私がまず申し上げたいことは、「鳳雛よ、大空に向かって伸び伸びと飛びゆけ」また「学ばずは卑し」ということでぁります。青春時代は勉強するよりも、遊んだほうがむしろおもしろいかもしれないけれども、しかし、今、勉強しておかないと、十年、二十年、三十年、五十年さきに自分が悔いてしまう。その意味において、学園を巣立った諸君は、学ばないということは卑しいことなのだということを、生涯、心に秘めて、たとえスランプになっても、勉強することがいやになっても、決して忘れないでいただきたいと思います。
 さきほど、何人かの卒業生の代表に申し上げたのは、不満と満足という問題です。たしかに皆さんを取りまく環境は、不満の連続であるかもしれない。けれどもそのなかにあって、不満だけいって終わってしまったならば、それこそ卑しい人生で終わってしまう。地獄の人生になってしまう。その不満というものを、自分の境涯を高め、また自分の力を深めて、何とか身近なことからでも満足できるように回転させていき、自分自身の人生の最終にあって、自分としては満足だったといえる人生を送ってほしい。そうでなければ、何のための人生であったのか、ということを私は心配するのであります。不満、批判もいいけれども、しかし自分の胸中において「満足」――満ち足りたというものをつくりながら、自分の人生を回転させていこうということも、どうか忘れないでいただきたいと思うのであります。
 ある本で紹介されている物語のなかの一つに、次のようなものがありました。
 南米のチリの首都サンチアゴで、三千人以上の人を集めた教会の会合があり、そのときにカトリックのローマ法王が派遣した使節が来ました。当時、チリにおいては大変な不況時代であったにもかかわらず、多くの上流階層の貴婦人等々が大変高い入場券を買い、ぎっしりとその教会に入るくらいの盛大さであったそうです。
 その夜、会場は二万のランプと二千のロウソクで輝くばかりでした。そして最後に大きなロウソクをつけました。そのロウソクをつけたときに、一本のロウソクから布のほうに人がまわり、ずっと上のほうまで燃えあがってしまいました。しかし、信者たちはかならずイエスが火を消すであろう、と信じて黙って見ていました。そのうちボーボーと人がまわってしまい、約二千人の人が焼け死んでしまったというのです。
 そのとき、そこを通りかかった当時のアメリカ大使が、それを見てなかに入り、約五十人の人を救ったといわれています。その大使の勇敢な、献身的な姿を見て、数人が飛び込んで救出にあたったともいわれています。それに反して、ローマ法王の使節であり、人類を救うべき立場にある神父は、即座に雲隠れして、どこへ隠れたかわからない。
 なぜこんな話をするのかというと、一つは人間があって、宗教があるということをいいたいからなのです。人間の生命こそ大切である。自分自身のエゴで逃げ隠れしたり、難というものを避けようとして、ずるく卑しく逃げ隠れして長生きしてお金を儲けたとしても、自分の胸中においては恥ずかしく、悲しい人生の終末であると思う。
 したがって、諸君は自分も大事にしなくてはならないけれども、人間を大事にしていただきたい。いざという時には正義の心をもって、そのアメリカの大使のごとく、また、大使の姿を見て奮闘し、人を救っていった勇敢な人々のように、心意気と責任をもっていただきたいということを、はなむけとしてお話をさせていただいたわけです。
 諸君のなかから偉大なノーベル賞受賞者が、また、あらゆる世界的舞台、日本的舞台で活躍する人が、かならずや出ることを私は期待しておりますし、信じております。しかし、これは皆さんの四十代以降で結構なのであります。使命があればしぜんにそうなっていくでしょう。そればかりでなく、無名であっても貧しい人のなかに入って、そして、尊い庶民の仲間として、兄弟として、堂々と、地道に歩んでいく人がたくさんいることを信じたい。
 ともかく学園兄弟として、何らかの二十一世紀の偉大な脈動だけは、学園の卒業生にはある、そして、あったといわれる皆さんであっていただきたい。
 最後に「学園の卒業生万歳!」と叫び、学園の卒業生はいつまでもいつまでも学園を愛し、そして、また、学園で育ったことを誇りとして生きぬいていただきたいことを心より祈って、私のあいさつとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校 第七回栄光祭〈昭和49年7月17日〉
 大鷲のごとく世界へ羽ばたけ
 第七回の栄光祭、本当におめでとう。学校としてのお祭りに、東南アジアの方々が来て交流をするような学校がどこにあるでしょうか。その意味においても、諸君の福運というか、世界に羽ばたく使命が明瞭である、と私は訴えておきたいと思うのですが、諸君、どうでしょう。
 私はもう四十六歳で、多少、鷲の羽もすり減っているけれども、諸君はこれから大鷲となって、社会のリーダーとして、たくましく伸び伸びと、天空に舞っていただきたい。それが私のただ一つのお願いであります。その意義をこめて、きょうの第七回の七月十七日を記念して、この「鷲」の置き物を諸君に贈呈させていただきたいと思います。
 これから上映する映画は、私が今年、中国を訪問したときのものです。その中国のおみやげとして、諸君の将来のために何らかの参考になればと思って、きょう封切りのこの映画を用意しました。
4  中国では、数多くの人に会ってきましたが、中国の教育は徹底しています。それだけに、三十年、五十年後に大きく発展しているでしょう。小学校のときから徹底した教育がなされています。「三つ子の魂百まで」といいますが、そういう点で中国の未来は楽しみであります。英語、日本語、スペイン語の三カ国語を、中学から力を入れてしっかりとやっているようです。
 今は中国とは大学同士の交流ですが、いずれ皆さんも中国へ行けるときがきます。
 また、運動についても徹底しています。バレーボールの選手などは背が高くてすばらしかったし、また、中国の人が私の卓球好きを知っていて、中学校の女の子と卓球をさせてくれたのですが、かないませんでした。また、中国では「体育」に大変、力を入れていると同時に、「知育」と「徳育」のバランスを考え、その両方を平等に扱っています。私が「しかし、どうしても差や得手不得手がでてくるでしょう」と質問したら、「あくまで三つの調和、バランスをとっていく」と主張していました。さらに「それでもやっぱり差がついてしまうでしょう」とたずねますと、「それでもバランスをとるようにやります」というのです。体力についても、躍動美が存在しているように思われました。
 学校の先生も、だいたい三十代から四十代ぐらいの人がほとんどで、革命委員会から派遣された中堅どころの人たちで、本当に立派な方々でした。やがて学園の先生方が行くのも、そんなに遠くはないでしょう。待っていてください。教育というのは、結局は先生なのです。
5  (映写が終わって)
 ほんの一部の上映で申しわけありません。しかし、諸君の将来のために何らかの参考としていただければ幸いです。
 なお、さきほど画面にあった上海の少年官の方から、創価学園の諸君に、創立者としてぜひとも贈ってくださいということで、子どもたちの書道の作品が送られてきました。きょう、記念としてその書をお届けいたしました。
6  創価中学・高等学校 第五回卒業式(メッセージ)〈昭和50年3月15日〉
 能動的に自己を鍛えよ
 近き未来のジェントルマン諸君に、ひとことごあいさつ申し上げます。私は、本日、この晴れの祝典に時間が間にあわず、午後からの出席となり、講演ができません。なにとぞご了承いただきたいと存じます。代わりに日ごろ感じておりますことを、このメッセージとしてお送り申し上げることをお許しください。
 この武蔵野の天地にも、さぞ沈丁花や梅の花が香り、春の気配がみなぎってきたことでありましょう。この二月十六日は学園にとっては開校記念の佳き日であり、きょうは諸君にとってはめでたい卒業式であります。心からお祝い申し上げてやみません。先生方も諸先輩も、そして在校中の全後輩も、そしてもちろん私も、みんなそろって諸君とご両親方に対して、きょうの卒業と将来の栄光とをお喜び申し上げているものであります。
 また、本校の先生方と職員の皆さん、多年心をこめて訓育し、たくましき卒業の日を実現してくださったご恩に、不肖私も、創立者といたしまして、ご父母の皆さまとともどもに、厚く感謝申し上げるものであります。本当にありがとうございました。そのご誠意に対しましては、本校がますます充実し、健全に発展していくことを祈って、御礼とするしだいであります。
 さて、今年の卒業生は、一人残らず進学希望であるとうかがいました。いずれの学校へ進むにせよ、はたまた、さらにそのさきはいかなる社会へ進んでいくにせよ、この学舎で同じ歳月を共有した諸君は、みな生涯の友として、不変の友情と信頼をたもちあい、長い人生と広い社会のあいだにあって、すばらしい「人格の連帯」を実現していってほしいと思う。きょうは、まず何事にも優先して、これを忘れないでほしいというのが、私の最大の願いであります。
 諸君は、己の進路を、進学にとったのですから、今年、来年のうちには、大学生になって、もう一歩高い学問の世界へ踏みこんでいく身であります。大学生活四年、その前半を過ぎるときには成人式を迎えて一人前の人間として、自分の両足でこの大地を踏みじめて、独立していかなければなりません。いわんや、何らかの革命児の自覚をもてば、なおさらのことであります。そして実際、大学を出る年ごろともなれば、めったなことでは親といえども小言はいえなくなるものであります。自分で自分の責任を取るべき年代に達するからであります。そういう四年間に立ち向かっていく諸君に対して、私は一つ二つ、もっとも基本的なことを話して、はなむけとしたいと思います。
7  独立人格をつくる大学生活
 大学とはいったい何か。大学生活とはいったい何事であるか。当たり前の話ではありますけれども、それは「人間をつくる所」であり、「現代にふさわしき独立人格をつくる四年間」だというベきでありましょう。
 高い専門知識の獲得、真理の探究とはいっても、徳性の開発を欠いた探究は、ただ破壊につながるだけであります。精神的な、「乳離れ」もできぬまま、社会へさまよい出るのであれば、こんなわびしい話はありません。過去の戦争や昨今のいろいろな社会事情が、その証拠を示してくれております。
 大学にもいろいろありますが、一般論としていう場合、平均した、諸大学の現状はどうであるか。残念ながら、マスプロ教育化のために、知識を養う機能は高くても、人間をつくる機能が相当に弱まっていて、この点についてだけは、過度の期待はできない実情になっております。ゆえに、この点を覚悟して大学へいくべきだ、と申し上げておきましょう。
 では、どう覚悟していけばいいかといえば、徳性や倫理性や不屈の精神というような、独立人格面の諸問題は、「大学で足らざる分は、自分の努力で補っていく」と決心することであります。
 一例ですが、幕末の傑物として名を馳せた勝海舟の場合、蘭学を志したのが十八歳ごろで、実際に学びだしたのは、二十歳ごろ。一応完成したのが二十四、五歳といいます。この間、師匠について学んだのは、初歩の手ほどき程度のレベルで、あとは独学ともいえるようすであったらしい。しかし、二十八歳の年には塾を開いて、大勢の人に教えるだけの域に達していた。
 人に教える立場と力は、蘭学の知識だけでできあがるものではありません。それには、徳性をはじめとする総合的人格能力を必要とする。蘭学の知識だけならば、先覚者とはいわれても、傑物とは認められなかったはずであります。彼の場合、人格面は主に自分の努力で開拓していたのであります。
 現代の大学が、残念ながら機構的な面で総合人格面に対する「鍛え」の機能が弱まっているとしても、諸君は、これ幸いと自分を甘やかすことなく、どうか現代の風潮を突き抜けていくだけの力を発揮してみせてください。
 所詮、学問というものは、文科系にせよ、理科系にせよ、すべてその専門の道を通じて、人類数千年間の精神遺産、文化遺産を受け継ぎつつ、結局は「人間学」という一点に帰着して、それで自分の身も立て、かつは歴史的存在たる現実社会へ貢献していくべきものであります。どうか、この一点をよく心得て、今後に当たっていただきたいものであります。
8  常識への挑戦に学問の発展
 物理学の最高峰を極めたアインシュタインはこういつております。「常識とは十八歳以前に心に沈澱してつもりつもった偏見以上の何物でもない。それからのちに出会うどんな新しい考えも、この″常識″という自明な概念と戦わなければならない」と。すなわち彼は、既成の知識と戦っていくところに、本当の前向きの「自分自身の学問」があると、確信にあふれて教えているわけです。実際、過去の学問の歴史は、そのようにして発展してきたのであり、将来もまた、つねにそうでありましょう。たとえばコペルニクスも、まったく同じ態度でありました。彼が樹立した地動説というものは、天動説という、それまでの「自明なる常識」にあえて挑戦したところから生まれたものであり、この史実は西洋史を通じて、諸君にはそれこそ常識となっている話でありましょう。
 コベルニクスはこういっております。「太陽の方からながめて見た時、地球は初めてその正体を見せる」と。天動説に疑問をいだいた彼は、平凡な観測や計算に頼って、この偉大な発見をしたのではなかったわけです。彼の構想はこうでした。「世間の天文学者は皆、自分が住んでいる地球から太陽をながめて、その限りの立場から、天の方が動いている、と思っている。それならば、逆に、太陽の方から地球をながめたらどうなるか」というのであります。天動説だった古代ギリシャの神話では「この宇宙の中でアトラスという巨人が大地(つまり地球)をしっかりささえているから大地は動かず天の方が動くのだ」と説いておりますが、思考実験とはいえ、不敵にも天空高く舞い上がって、太陽にどっかと腰をすえて地球をながめるコペルニクスの力に出合っては、巨人アトラスといえども、地球をおろしてすごすご立ち去らざるをえなかったというわけでありましょう。
 こうして天動説と地動説が出そろえば、あとは両説の「対等性」の発見が待たれるところまできたわけです。つまり、天動説も地動説も同じ条件で主張されているという「観測条件の対等性」がわかれば、あとは内容的には、アインシュタインの相対運動説も紙一重のところにあるということになりましょう。
 以上のような学問の態度は、人文科学の分野にせよ、自然科学の分野にせよ、先駆者たちには共通したものでありました。この態度こそ、大学で諸君がしっかりと身につけるべき重大要素の一つです。それは、学者になる、ならないにかかわりなく、体得すべき大事な習慣であります。既成の知識と戦っていくところに本当の前向きの「自分自身の学問」があり、この戦いをやめれば知的成長も止まってしまう。実際、この態度に立たないかぎり、大学四年間は知恵を開発せずに、たんに先人の知識を集めるのみで終わってしまうことにならないでしょうか。
 皆さんは、一世代前までの学生にくらべると、ずいぶん恵まれていると思います。というのは、日本の思想界、哲学界というものは、明治以来の成り行き上、ドイツ哲学一辺倒といえるほど、十九世紀以前のドイツ哲学におおわれてきたのでありまして、ついには「日本はドイツ哲学の世界最大の植民地」とさえいわれるほどだったのであります。
 戦前に作家の芥川龍之介という人が「人智はギリシャ以来少しも進歩していない」と嘆いたことがありますが、それというのも、十九世紀末までのドイツ諸哲学なるものは、その全部が、ギリシャ形而上学存在論の変形にすぎなかったからでありました。形而上学を廃して、批判哲学を説いたカントの学説でも、結局はそうだったのであります。この十九世紀的な日本思想界の体質は、大学も含めてじつに昭和三十五年ごろまで、一向に改まらなかったのでありまして、そのころまでの大学生は皆、古い仕方で古い内容の学問を教えこまれてしまった、といっても過言ではないのであります。以来、思想界の体質改善が進みだしてから十五年、今では諸君の方さえその気になれば、自由に二十世紀のあらゆる学問を吸収できるのであります。
 今世紀に入って三十年ぐらいのあいだに、諸学は一斉に一大革命を経験し、それにつれて人類の世界観も一変してくるのですが、せっかくのこの大事なことも、三度にわたった世界大戦、その他がさまたげになり、思想界への普及が四十年ほども遅れてしまいました。だが現在は、そうした普及の遅れも取り戻されて、今やわが国の思想界の環境は明るいものになって、諸君を待ちうけています。どうか若い新鮮な頭で吸収し、ぐんぐん消化していってください。
 ともあれ、卒業生諸君、本校でのよき思い出を生涯、持続してください。そして諸君に続いて、心身ともにたくましい後輩が年ごとに巣立ちゆくことを確信し、かつは楽しみとしていただきたいと思います。
 これから二十五年の後、二十一世紀の初頭には、一人も欠けずに立派な社会人の姿で、学園構内を見学に来てほしいとも思います。
 わが愛するヤングの諸君! 諸君に対しまして、私は、心から人生勝利の人であれ、諸君の前途に幸多かれと祈って、お祝いといたします。

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