Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価学園1 中学校・高等学校[昭和47年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

前後
1  創価中学・高等学校第五回栄光祭〈昭和47年7月17日〉
 「何のため」を忘れず伸び伸びと
 きょうは、諸君の、ますます健やかに成長した、元気旺盛な姿を拝見して、私は非常にうれしく思います。とくに、今年入学して初めて故郷に帰る人は、きょうまでは大変であったと思いますが、もうすぐ帰省です。本当に胸がいっぱいであると思います。お父さん、お母さんによろしくお伝えください。
 私にとって、きょう七月十七日は、生涯忘れることのできない日です。十五年前になりますが、私が、権力に苦しめられていた大勢の人たちのために、真っ向から正義のために戦った記念すべき日なのです。
 私は、権力というものは、本当に強いものであるし、人間が人間を裁くということがどれほどむずかしいことか、また、そのために多くの無実の人々がどれほど不幸な目にあったか、そして、どんなに多くの家族が泣いたかなどということを、しみじみと骨の髄まで感じてまいりました。どうしても、民衆を大切にする社会を築いていくことが大事である、こう思ったのもそのときです。
 これを通して、私が諸君に申し上げたいことは、本質というものを見ていける人になってもらいたいということです。たとえば、他人から批判された場合に、その人が本当に悪いのかということです。無実の罪のせいで不幸のどん底に落ちた人、または、時勢に反して、もっとも不運な立場になった人に対して、感情的にならず、また、皮相的に現象面だけで判断するのではなくして、愛情というか、正義というか、そういう気持ちをもって本質というものを見てあげることです。私は、諸君にそういう人間になっていただきたいのです。
 話は変わりますけれども、さきほど、学園寮歌(現校歌)を聞きました。
 この歌には、すべてが含まれています。この創価学園の寮歌は本当にいいと私は思います。「何のため」「何のため」と全部答えがでております。
 私がお願いしたいことは、それぞれ個性に応じ、自分自身というものを知りながら、自分自身の道を伸び伸びと着実に歩んでもらいたいということです。ただ一つ、「何のため」ということを忘れないこと。また、この人生で何か一つ、自分で成し遂げたというものをもってもらいたいのです。
 それは、地道であってもいい、平凡であってもいいのです。何か自分として、この仕事だけは残したということが大事なのです。また、それは、社会的評価も得られず、人に認められることもないかもしれません。ある人は考古学で、ある人は政治の分野で活躍し、またある人はノーベル賞を授与されることがあるでしょう。反対に、何もそういった賞もなく、一生を終わる人もいるかもしれません。しかし、そのいずれであっても、自分としてはこれを残した、これだけは力の限りやった、ということのできる人生であってもらいたいのです。これが、私の願いです。
 この点をわかっていただければ、あとは伸び伸びと、そしてまた、体を大切に、決して焦らないで長い人生のマラソンを、着実に自分の道を自分らしく拓いていってください。
 諸君の前途に輝く栄光を、心から祈っております。
 来年になると、もう創価女子中学生局等学校(現関西創価中学上局等学校)も完成しているでしょう。栄光祭のときには、何らかの形で関西からこちらに招いてもいい。また、伝統となるように何か教えてあげたい点もあるかもしれない。代表を呼んで、第六回栄光祭をまた一段と楽しくやりましょう。立派なことをしようなどという必要はありません。楽しく、そして自由奔放に乱舞して思い出をつくれば、そこに栄光祭の一切が含まれていると、私は思うのです。
 そういう意味で、来年もまたご招待いただければ、馳せ参じて皆さん方の元気な姿を拝見したいと思います。
2  創価女子中学・高等学校 落成式(メッセージ)〈昭和48年1月14日〉
 創価女子学園の開設にあたって
 創価女子中学・高等学校の落成式、まことにおめでとうございます。本日の晴れの席には残念ながら参列できませんが、すばらしい校舎建築に全力を尽くしてくださった関係者の皆さま方に、厚く感謝と御礼を申し上げるものです。
 すでに開校五年、武蔵野の緑にさっそうと立つ東の男子校より陸続と俊逸の若芽が萌えてきていることを思えば、この交野の自然の懐にいだかれる西の女子校も、今から大きな楽しみであります。
 創価女子中学・高等学校の開設にのぞんで、私は「健康・良識・希望」というモットーを示しました。平々凡々たるモットーでありましょうが、それは、価値観の多様化や倫理観の錯綜化にあえいでいる女子教育の混迷を打開する道が、むしろ、もっとも身近な人間性に立脚した人間教育にあると信じたからにほかなりません。
 国家主義的な目的や、良妻賢母のみを理想像とする極枯からのがれえた教育界は、最近、とみにこの人間教育に視点を向けてきております。だが、ヤングの無軌道な実態をみれば、社会がそれに気づいてはいても、現実には与えるべき何物をももたないといえるのではないでしょうか。
 人間主義の教育理念を根幹とする意欲的な教師と、情操豊かな教育環境がそろう、創価女子教育は、まさに真実の人間教育を成し得る、唯一の希望であると信じます。
 四月の開校をめざし、盤石の諸準備が進んでいることと思いますが、どうか教職員の皆さん方は、この自覚に燃えて、次代の女性育成と、豊かな文化創造に邁進されんことを、期待してやみません。
 初代会長牧口先生は、卓抜した偉大な教育者であり、その先駆的学説は、近年にいたり、ようやく世界も注目してきております。また恩師第二代会長戸田先生も、牧口先生の薫陶を受け、私塾ではありましたが、見事な人間教育の範を示されました。教育に熱誠をかたむけた牧口先生、戸田先生がおられたならば、西の女子校の完成を、どんなに喜んでくださったことかと思うのです。
 私は両先生には及ぶべくもありませんが、ただひそやかな決意として、女子校をはじめとする教育事業に、残る半生、全魂をこめ、心血をそそいで応援してまいる考えですので、どうかよろしくお願いいたします。
 最後に、ご多忙のなかご出席いただきましたご来賓の方々に重ねて御礼申し上げ、あいさつとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校第三回卒業式〈昭和48年3月15日〉
 無限の可能性に挑戦
 卒業、まことにおめでとうございます。心からお喜び申し上げます。
 学業を終えたといっても、まだ人生の序の口を終えたばかりであって、諸君にとっては、これからがいよいよ本番に近くなってくるわけであります。皆さんの顔を見ていると、その武者ぶるいの、勇んでいるようすがよくわかります。頼もしい若駒であるといってよい。私は非常にうれしい。
 時代は違うといいながら、私にも十五歳のときがあった。十八歳のときもありました。諸君が今、どのようなことを考え、どのようなことに悩んでいるか、また何を希望し、ときに何に絶望しているかということが、私には痛いほどわかるような気がいたします。これから未知の大道を行く若駒にも似た諸君に、私は、私の青年時代のことを思い起こしながら、次の五つの提言をしたいと思います。
4  意志を強固にもて
 第一に「諸君は今、限りない可能性を秘めている」という事実であります。これを信じていただきたい。皆さんが未来に思いを馳せると、心は無限に広がり、古今東西の偉人たちの姿をまざまざと思い描くことでしょう。また、ときには試験に失敗した場合など、世の中で自分ほどダメな人間はないというように、惨めに考えるときもあるでしょう。この大きな振幅は、青年時代の特性であり、いずれも真実なのであります。諸君は将来、人類の渇仰する偉大な人物にもなりうるし、また、まったくダメな人間にもなる可能性も、もっているわけであります。じつは、このようにどちらにも向かう可能性をもっているのが青春時代である、と申し上げておきたい。
 諸君と同年代の当時、病弱な私もそうであった。熱のない気分のよい日には、未来はまことにバラ色に輝き、なんでも手に入れることができるように思い、また発熱して苦しい日には、それこそ、絶望の淵に沈みました。しかし、私という一個の人間には、なんの変わりもなかったのであります。
 諸君の人生行路は、かならずしも平坦ではない。そのたびに、一言一憂するでありましょうが、どうか、自分のよき可能性を信じて、それに挑戦していっていただきたいのであります。そのためには「意志を強固にもて」と、私は申し上げたいのであります。強固な意志で挑戦していくとき、諸君は、この世になぜ生まれてきたのか、何をしなければならないのか、つまり、自分の使命を自覚するにいたるでありましょう。そして、一喜一憂して紛動されることなく、それぞれの使命に生き、自分らしい見事な栄光の人生を、堂々と歩んでいってください。
5  友情の絆を尊ぼう
 第二には「友情の絆を尊べ」ということであります。真の友は、求めたからといって得られるものでは決してありません。諸君がこの学園に学んで得た一番の大きな財産は、この学園でしぜんに結んでできた友情でありましょう。人類三十数億のなかで、もっとも正しく意思が通じ、なにもくどくどいわなくても理解しあえる友の存在は、めったにあるものではない。諸君の親友は、なんの利害にも左右されることなく、また、なんの構える必要もなく、終生変わることなく、ありのままの素朴さで、互いに一切を理解してあやまたない人であります。このような友は、少年時代、青年時代の純粋な友情の絆によって結ばれているからであります。これほど、人生において尊いものはありません。
 諸君はやがて、それぞれの目標に向かって、さまざまな分野にわかれていくでありましょう。そして、そこでも多くの友を得るかもしれない。しかし、この学園で結んだ友情ほど、純粋無垢なものはないと知るときが、かならずやってくるでありましょう。現代の人間疎外の風潮がもたらす人間の孤独地獄は、このような友情をもたない人々に顕著に表れている。孤独の恐ろしさは、人間を偏屈で、独りよがりな不幸な性格にしてしまうものであります。
 今、諸君は、この学園で結ばれた友情が、そんなにも尊いものとは気づかないかもしれない。かし、十年、二十年、三十年とたったとき、今の私の言明することの意味を、しみじみと悟り、情を守ったことに心から感謝するにちがいない。
 どうか、この友情を終生変わることなく尊び、また育てていくことを、私は心からお願いするものであります。
6  生涯、求道者であれ
 第三には「生涯にわたって、求道者であれ」ということでぁります。現在の諸君は、好奇心の強さから、また、向学心の強さから、道を求める精神はきわめて旺盛であります。それが、諸君の人間形成を急速にしているといってよい。今は心配ない。しかし、大学を出て、三十代に入るころから、人は求道心を失ってしまう。十代の神童がまったくの凡人になってしまうのも、求道心の喪失によるものであります。現代の行き詰まった社会というものも、大人になった人々が、青年時代の求道心を、いつしか失ってしまったことにある、と私はみております。
 精神の荒廃も、社会の腐敗も、人類の堕落と破滅も、今、諸君がもっているような求道心をすべて捨て去ったところに、原因があると思われてなりません。
 人類の未来は、まことに諸君の手の中に握られているといってよい。それほど大きな責任が諸君の双肩にかかっているといっても過言ではない。諸君が生涯、求道心を燃やし続けていくならば、かならず自分自身の大きい使命としての一事を成就することができるでありましょう。その一事こそ、人類の破滅を救うにたる貢献となるはずであります。男子の本懐とは、この一事にあるといってよい。
 また、求道心を失った人は、例外なく傲慢になります。傲慢こそ、人々を傷つけ、みずからをも滅ぼすものであります。ここに現代の不幸と悲惨が、瀰漫びまんしているといってよい。
 人生が深いのと同じように、学問の道も、技術の道も、きわめて深いものであることを、謙虚に考えなければなりません。それぞれの道を求めに求めぬいて、生涯、求道者の姿勢を崩すことなく、それぞれの人間としての頂上を極めていっていただきたいことを、私は心よりお願いするものであります。
7  忍耐という勇気をもとう
 第四には「思いまかせぬ境遇に陥ったとき、忍耐という勇気を決して忘れてはならない」ということであります。天候に晴雨があるように、人生にもまた、かならず波があります。ときに災難にあうこともありましょう。苦境に沈むときも、前途暗漕と思われるときもあるにちがいない。人は苦しいとき、それが永遠に続くように思われるものであります。
 しかし、雨の日が一年続いたことは、かつてなかったように、かならず晴天がそのさきに待っているのであります。苦しい境遇に陥ったとき、若年であればあるほど、いたずらに焦慮を感じてあがきますが、これは、ますます深みにはまる拙劣な徒労であります。これほど、諸君の心身をいためつけるものはない。努力しても、その苦しさから脱出することができないときは、それを堂々と耐え忍ぶことを忘れてはなりません。焦慮にかられて短気を起こし、みずからを破滅に導いては決してなりません。時の過ぎるのを悠然と待つことであります。
 まことの忍耐は、勇気を必要とするのであって、古今の勇者は、この人生の知恵の体得者でありました。諸君は、忍耐すべきときには、立派に耐え忍ぶことのできる勇者であっていただきたい。どうしようもなく苦しいとき、それが永遠に続くように思われるのは、恐るべき錯覚であります。それは後から考えれば、ほんのひとときのことにすぎません。私は、将来、大事をなさんとする諸君に、焦ってはならない、忍耐する勇気を忘れるな、と申し上げておきたいのであります。
8  頑健な体をつくろう
 最後に、第五は「人の一生において、もっとも優先すべきものは健康である」ということであります。平常、健康であるときには、体の健康のことなどさっぱり念頭にありません。それが、ひとたび病人となると、自分を取り巻く世界ががらっと灰色に変わって、うつうつとして楽しむことができないのは、だれしも経験するところであります。どのような優れた才能と力をもっていたとしても、また、どのような立派な識見の所有者であったにしても、それでは人生は無に帰してしまうのであります。一個の人間にとって、これほど悲惨なことはない。
 幼少のころから病弱と闘いながら、今日まできた私には、諸君の輝かしい前途を考えるとき、いつもこの健康の問題を恐れるのであります。おまけに、現代ほどわれわれの健康を蝕む要因が数多くそろった時代は、かつてありませんでした。呼吸する空気に毒がある。飲む水に毒がある。肉にも魚にも野菜にも、みんな毒がある。しかし、これらの毒は近ごろ、人間みずからせっせとつくったところのものであります。まことにやりきれない悲しい話でありますが、現代は健康の維持という面において、戦前の昔よりはるかに困難になってきたことを、知らなければならない。
 それだけに、私は諸君の健康について、さらにいっそうの注意を喚起したいのであります。過去のいかなる時代よりも、現代ほど頑健な肉体を必要とする時代はないといってよい。諸君の両親よりも頑健な身体をもたなければ、大事をなすことはできない時代であります。諸君の年齢は今、一生の勤労に十分耐えうるだけの頑健な体をつくる時期にあたっているということを、決して忘れないでいただきたい。遠い将来をつねに頭におき、スポーツによる鍛錬はもちろんのこと、つね日ごろの節制にも十分な注意をはらうことを、どうか、心がけていただきたいと思います。
 現代において健康ということは、ますます社会的問題となるでありましょうが、まず自分みずから、頑健な体をつくるべきであります。この目標は、諸君の生活のなかで、もっとも優先すべきことである、と私は申し上げたいのであります。
 以上、諸君の可能性、友情、求道精神、忍耐、健康の五つの点について、率直な提言をいたしました。現代というやっかいな時代に対処していくにあたって、何らかの参考となり、栄光の人生を迎えるにいたることを信じ、諸君の卒業にさいしての、私の祝辞とさせていただきます。おめでとうございました。

1
1