Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価学園1 中学校・高等学校[昭和46年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

前後
2  学園建設の中核に
 校長先生をはじめ先生方を尊敬し、友と深い友情を築いてください。そして自分たちが入った学園だから、学校に何かしてもらうのではなく、自分の責任において努力し、建設していきなさい。自分が学園の中核になり、寮の伝統を守るんだと決めていく人間でなければ、つとまりません。私は基盤であり、石垣です。支えはもうできたのです。君たちは、その上に立って二十一世紀に向けて、羽ばたいてほしい。私は心の大きな人間、太平洋のような大きな心をもった人間を育てたいのです。高次元の考えに立って、どのように人々を包容し、楽しく有意義に物事を進められるかを考えることが、将軍学というものです。
 将来、偉大な人間になるんだということを胸に秘めておきなさい。偉大な人間とは、人間的に偉い人、社会に貢献できる人のことをいうのです。私は絶対に諸君を信頼しております。皆さんは、三十年後の二十一世紀めざして、自分の道をまっすぐ進んでいってください。
3  創価中学・高等学校 栄光第三寮完成記念学寮祭〈昭和46年12月11日〉
 学園こそ最高の青春の場
 試験がよくできた人も、できなかった人も、過ぎたことは忘れて、未来に向かって、大きく希望に燃えて進んでいっていただきたいと思います。
 寮生活は、長い人生と未来にわたっての最高の思い出となっていくものです。寮生として、この寮を守り、愛し、またこの寮で青春を謳歌しながら暮らしていただきたいのです。
 (詩集『草の葉』についての質問に答えて)
 微分、積分などでも、今わからなくても、大学へ行ってわかる場合があります。哲学にしても、今はわからなくても、大学へ行ってからわかる人がたくさんいます。同じように、たとえ今、ホイットマンの詩がわからなくても、別に頭が悪いのでもなんでもない。中学三年生で理解するのは、少し無理だと思います。この詩は、大学の三年、四年から、インテリ級の詩が好きな人、あるいはもっと年配の思想家たちが、非常に愛好してきたのです。だから中学生でわからないからといって、決して落胆しないでください。
4  (寮生活のなかでの先輩、後輩の関係についての質問に答えて)
 寮生活については、みんなで話し合っていきなさい。子どもではないのだから、一個の立派な人格なのだからみんなで話し合いなさい。
 堅苦しい言い方になりますが、どうか、自由奔放のなかにも、日に見えない一つの法則を尊重しながら、人間主義、人間共和という原点を忘れないで、創価学園の寮生活が一番模範的であり、見事だ、と結果的にいわれるようになってもらいたいのです。
 なぜならば、今の世間の寮生活は乱れているといわれているからです。そうではなくて、すべてが自由奔放に見えるなかにも、二十一世紀の社会につながる本当の寮生活のあり方を、残していってください。
 寮生活自体が最高の指導であるし、最高の教育であり、人間教育でもあります。団体生活というものは、また社会というものは、一〇〇パーセントの理想的な結論がでるということはありえません。七五パーセント成功すれば、一〇〇パーセントの成功と思ってよいのです。
 百人いて百人全員が、心を一つにして、和気あいあいと三年間一緒に、何事もなく過ごすということはありえません。何人かの人は全体にそぐわないかもしれないし、何人かは批判的であるかもしれない。七五パーセントまとまれば、一つの核ができあがるのです。そうすれば、それは成功だと思ってまちがいありません。
5  (社会のなかにおける調和の必要性についての質問に答えて)
 社会にあっては調和を考えていくことが大切です。調和をとるといっても、その調和の主体者である人間や、人間の頭脳には、哲学の裏づけが必要です。それを土台にして人間性を磨き、社会を形成していかなければなりません。
 政治でどんな手を打とうが、科学がどんなに発達しようが、根底的には哲学に帰着する以外に方法がないと思うのです。言い換えると、人間を革命する以外に道はありません。
 世の中には、科学と芸術、男性と女性などにおいて相違や対立があり、いずれか一方に統一することはできないでしょう。だから立場の違いというものを認めながら、そのまま全部を生かしきり、しかも犠牲を出さず、アンバランスがないように調和させていけるような哲学が必要なのです。
 この哲学を原点とした政治、科学、社会学、倫理学等であれば、根底が調和ですから、必然的に調和するようになっていくのです。政策を施すだけでは、まだ一時的な手段です。もっと勉強してこのことがわかるようになってください。
6  (生徒会の組織について、最高の組織、またそのあり方についての質問に答えて)
 組織のあり方については、どこの国家でも、どこの社会でも、団体でも模索しているのです。組織は状況によって異なる場合がありますが、結局、一個の人間から出発しています。そして、有終の美を飾るのも人間です。
 組織は、日に見えないのですから、人間を基準とし、人間を原点としなければなりません。権威的になってはいけないし、人間が縛られるようなことがあってもいけません。
 私も試行錯誤を繰り返しながら、一生懸命考えて組織をつくりあげてきました。自分たちの手でやっていくことが生きた学問だし、血の通った本物の組織です。自分たちで体験し、自分たちで工夫してください。それが、最高に理想的な組織のあり方だと思います。
 しかし、現実には、すべて理想的にうまく運営されていくということは、まずないと思います。実際に苦しんで運営するのと、理屈のうえで考えるのとでは、天地雲泥の差があるのです。今の君たちの場合には、自分でやってみることが必要なのです。真実は身近にあるものです。組織は結果としてできるものですから、はじめから立派な組織をつくろうと思わなくてよいのです。組織をつくったからよくなるということではなくて、必然的に組織が必要となってきたから、一つの法則が必要になってきたから、効果的な組織をつくるのであると考えてください。
 今は苦しみなさい。それが勉強です。その体験が将来、会社の係長になり、課長、部長になり、そして社長になったときに、また世界平和の大指導者、大政治家になったときに、全部生きてきます。
 立派な先生方がみんな、諸君を見守っておりますし、どんなことでも相談していただきたい。先後輩は先輩を兄のように慕って、世界中で創価学園の生活ほど麗輩は後輩を弟のように可愛がり、しく、人間性に富んだ青春の最高の舞台はないといわれるような伝統を、後生のためにつくっていただきたいことをお願いします。
7  創価高等学校 第二回卒業記念謝恩会〈昭和47年3月18日〉
 伝統守り、本質見ぬく正義の人に
 きょう現在、すでに大学に入学が決まった人もいるでしょうし、決まっていない人もいるでしょう。決まっていない人は、非常に心配かもしれない。しかし、いずれにしても、たとえ一年間や二年間遅れたとしても、初志を貫徹して、自分自身との戦いをしてもらいたいと、まず申し上げたいのです。
 入学が決まった人は悠々たるものかもしれないけれども、そうでない人のほうが私は心配であり、また激励をしてあげたい。苦しいであろうけれども、さらに大きい土台ができあがるという意味において、むしろ祝福をしてあげたいと思います。
 きょうは、校長先生、副校長先生をはじめ諸先生方、そして諸君の力によって、第二回の栄えある卒業式を行うことができました。私は諸君の成長した姿を見て、また未来を考えて、本当に喜んでいます。皆さん方の成長をうれしく、また頼もしく思い、私は日本一の幸せ者であると思っております。
 昔の有名な格言に「古きものかならずしも尊からず」という言葉があります。何十年もの伝統を継いできた高校もあるでしょうし、また中学もあるでしょう。あるいは、百年以上の伝統をつくってきた有名校もあります。しかし、私は価値観の転換期にあたる現代にあっては、個人においても、家庭においても、会社においても、国家においても、古きものがかならずしも尊いということはありえないといいたいのです。
 まだ二期生までしか出していない創価学園は、たしかに新しい。世間には封建的な古い体質がまだ残っています。国では革新を唱えながらも、そうした観念と体質が残っていることも多い。そのような世襲だとか、貴族などという古いものが、権威のように見なされている。これほど矛盾きわまりない不合理なあり方、制度というものはないと痛感しているのです。
 新しい伝統をつくっていくところに尊さがあります。それは、現在と未来が一番尊く、偉大であるということなのです。私は、これが真実であると思うのです。
 次に、一言申し上げたいことは、正義の人になっていただきたいということです。
 正義とは何か――これはまた、価値観の問題で非常にむずかしい。私は諸君に、正義という意味において、悩める人、苦しんでいる人、不幸な人、すなわち庶民の側につき、たとえ自分がどんなに偉くなったとしても、その姿勢だけは崩さずに生きていってもらいたいのです。
 たとえば、このあいだも連合赤軍のリンチ殺人事件がありました。まことに残酷な事件でした。人を殺すということは、絶対にしてはならない。結局、殺された人が一番かわいそうです。また殺した人もかわいそうです。私は、どのような理由があっても絶対に、生命だけは損傷させてはならない、このことを根本としてきました。これは、戸田先生の遺言でもあり、仏法の指導者として、いつも骨髄に刻みつけております。
 マスコミは無責任にも、この連合赤軍のリンチ事件に関連して、家族や身内の人たちまで責めていました。私は、これには反感をおぼえます。お父さんに何の罪があるのか、お母さんに何の罪があるのか、また、兄弟や姉妹に何の罪があるのかと思います。社会はその人たちを守らなくてはいけない。しかし、社会というものは冷酷である。自分さえよければいいというエゴイズムがあるのです。皆さん方は、最後まで庶民の味方であっていただきたいのです。
8  次に申し上げたいことは、いかなる時代でも先駆者のように、より一歩進んだ革命をしようという場合には、弾圧を受け、誹謗され、批判され、苦しめられていることが多いということです。それに対して、事無かれ主義で、うまく世の中を動いていれば、別に食べるに困らないし、批判もされない。人生の生き方からすれば一番、利口かもしれません。ただ「千里の道も一歩より」というように、一歩でも進まなければ前進しません。座っていただけでは、千里の道の一歩にもならないのです。
 やはり、自分自身との戦いです。社会のため、自分自身のために、自分自身を少しでも向上させていく、この前進だけは忘れてはなりません。少しでもいい、一秒ずつ動いていけば、やがて一時間に達するのです。動かなければ、何時間たっても進みません。これは根本的道理であり、簡単でありながらもむずかしい原理です。それを、われわれが観念的に思いがちなために、空転してしまう場合があるのです。
 どんな人生を生きるのも自由ですが、ただ自分の生きがいとして、社会のために何らかの貢献をしようという、人間としての進歩だけは忘れてはならない。人によっては順調に華々しくいく人もあるだろうし、地道に大器晩成でいく人もいるでしょう。自分はあくまでもこの道でよい、自分はこの人生観で生きていくというものがあれば、何ら恥じることはありません。有名人よりも、何千倍、何万倍、偉い人はたくさんおります。否、有名人や金持ちのなかにも卑劣な人はいるということを、私はいっておきます。
 そういう意味で、私のお願いしたいことは、不幸な人、悩める人など、庶民の味方になっていただきたいということです。このことを忘れないでほしいのです。これは、絶対に正しい生き方です。批判され、誹謗されている現象の面だけを見るのではなくして、本質を見て、正義の思考と指針をもった指導者になっていただきたい。
 車が動けば埃がたち、風が吹けば波が起きる。飛行機が飛べば音がでるし、船が動けば波が起きます。これと同じように、何らかの社会の変革、または制度の改革を行おうとする場合や、大きい思想や信念をもって行動しようとすれば、そこにはかならず批判が起こるのは、当然の原理です。一般のマスコミは、現象だけしか見ていないものです。すぐにこれは悪いとか、グメだなどと即断即決されて、歴史というものはつくられがちです。そういうものに流されず、本質を見ぬいていける人間になっていただきたい。
 そのためには基準が問題です。何が基準かといえば、やはり人間が原点です。人間革命から出発して、人間革命に終わる以外に、真実の社会観、世界観、政治観、人生観というものは、透徹して見られない。人間革命は自分との戦いですから、自分に負けないでいただきたい。また、たとえ負けかかっても、自分自身への光鞣をということを忘れないで、みずからを燃焼させていただきたいのです。
 最後に、どんなに知性があっても、優秀な頭脳の持ち主でも、そのなかに福運がなければ、人のため、社会のために貢献できない場合があります。空転したり、ニヒリズムに陥ったりしてしまうことがあるのです。
 そこで、人間としてどのように大成していくか、これを生涯の課題として、お互いに励まし合い、仲良く頑張っていただきたいことを心から念じて、私のあいさつといたします。

1
2