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創価学園1 創価学園の開校にあたつて

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価学園の開校にあたつて〈昭和43年4月4日〉
 未来社会の奔流に
 待望久しかった創価学園も、すでに三月十六日に開校式を終え、四月八日には入学式を迎える運びとなった。こんなうれしい、希望に満ちたことはない。初代牧口会長、二代戸田会長もどれほどかお喜びのことであろう。これまで準備のために全力をそそいでくださった関係者の方々に厚く感謝の意を表するとともに、若き、意欲に燃えた教師の方々、そして未来に胸をはずませる生徒の皆さん方の、晴れの門出を、幾十万、幾百万の人々とともに、心から喜び、祝福申し上げたい。
 武蔵野の緑につつまれた近代的な学舎から、どれほど数多くの優秀な人材が育っていくか、思うだに楽しみである。私は、かならずや創価学園が、未来世界の新しき生命の奔流となっていくことを固く信じている。
 文明といい、政治、経済、科学、産業、芸術といっても、すべてそれらを支配し、活用し、創造する主体は人間である。しかして教育は人間自身を対象として行い、次代の世界を決定づけるもっとも重要な事業である。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「国家の運命は、かかって青年の教育にあり」といっている。
 今日では、教育の重要性は、もはや国家だけの問題ではない。世界、人類の運命、文明の未来は、まさしく青年の教育にかかっている、と私は叫びたい。
 未来に残すべき建造物や美術品、生産手段や運搬手段等、数々の財宝をつくることも大切であろう。だが、時代のいかんを問わず、つねに価値を創造していく主体は人間の英知であり、これこそ、もっとも尊き財宝である。人間英知の開発を忘却した文明は、やがて時代の推移とともに、朽ち勝れ、麗び去っていくことは膠赳である。
 しかも、教育は一人一人、皆、異なった性格をもつ人間が対象であり、その一人一人の生命は、一瞬一瞬、微妙な活動をしているものである。ゆえに、教育ほど至難な事業はなく、これに従事し、献身する人ほど尊いものはないと思う。
 わが創価学会初代会長牧口常三郎先生は、教育者としての長年にわたる、情熱こめた実践のなかから、卓抜なる教育理念に裏づけられた「創価教育学体系」を確立されたのである。その崇高な理念と科学的な学説は、欧米先進国の教育学に比しても、まさに飛躍的に優れた内容をもつものであった。
 しかし当時の日本は、軍国主義の圧迫のもとに、教育の尊厳は無残に踏みにじられていた。牧口先生の独創的な主張も、その功績も、認められるところとならなかった。それどころか、かえって牧口先生は不当にも左遷され、厳しい弾圧をうけられたのである。だが、牧口先生の教育の理想は、愛弟子であった第二代会長戸田城聖先生の私塾において実践に移されたのであった。
 偉大な人格と指導理念というものは、やがて時を得たならば、かならず時代の潮流をも動かしていくのである。
 「教育は人格価値の創造なり」とは、牧口先生がつねに主張されていた大信念であられた。牧口先生の没後、学会再建にあたられた戸田先生が、もっとも重視し、全魂をかたむけられたのも、ひとえに人材の育成であり、人格価値の創造であった。
 戸田先生の、青年を心より愛し、慈しみ、玉を磨くごとく大事にされたその姿は、校舎こそなくとも、真実の大教育者の実践の鏡であったといっても過言ではない。
 今、ここに、かくもすばらしい近代的設備を整えて、創価学園の開設をみたことは、牧口先生以来の理想を、いよいよ、教育それ自体の舞台のうえで、本格的に具現すべき時が到来したのである。
 いうまでもなく、創価学園は、創価学会のために設立したのではない。われらの願いは、妙法の大地を根底に、崩れざる人類の繁栄と豊かな人間主義の文化の花を咲かせることである。したがって、教育はあくまで教育の分野で、見事な花を咲かせていくのは当然である。
 事実、創価学園においては、宗教教育は行わないし、生徒のなかには、学会員以外の子弟も含まれている。創価学園は、あくまでも日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とするものであり、それ以外の何ものもないことを断言しておきたい。
 創価学園の開校にあたって、私は、その創立者として、次の五項目を、学園のモットーに掲げておきたい。
 一、真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ
 二、決して人に迷惑をかけず、自分の行動は自分で責任をとる
 三、人には親切に、礼儀正しく、暴力を否定し、信頼と協調を重んずる
 四、自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する
 五、進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て
 ひるがえって、現今の教育界の実態をみるに、憂うべき事象はあまりにも多く、改善を待望する声は、巷に満ち満ちている。この悲しむべき現実の底流をなすものは、教育理念の喪失であり、若人の人格を軽視する風潮であり、また、指導者の次代に対する責任感の欠如である。
 こうした混乱と迷妄のなかにあって、理想的な教育の確立をめざして、わが創価学園は誕生したのである。むろん、教育の効果は、一朝一夕に実るものではない。教師も、生徒も、また生徒の父母も、深い理解を寄せられ、一体となって、この理想の実現のために地道な努力を続けていくならば、やがて混迷せる教育界の道標となっていくことは必然であろう。
 最後に、この学窓より、凛々しい幾多の新世紀建設の英才が輩出して、日本、世界の繁栄と平和のために寄与することができるならば、これにすぎる喜びはない。

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