Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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(四)  

小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)

前後
2  「おお……八重ちゃん。よう戻ってこれたのう……」
 近所のおじさんだった。毛布を持って来て、肩にかけてくれた。
 やわらかいぬくもりが、八重子の背中を優しく包んだ。何ともいえない安心感が心に広がっていく。やっと生きている心地がした。けれどもそのとたん、「生」と「死」の極限のはざまをくぐり抜け、それまで張りつめていた心の糸がプツリと切れた。八重子は、思わず全身を震わせた。せきを切ったように、家族への思いがあふれてきた。
 お母さんは、大丈夫だろうか。看護婦をしているお母さんは、きょうは朝から、舟入町の病院へ出かけていた。
 お父さんは医者だった。今は派遣で岡山のほうに行っている。こんなとき、お父さんがそばにいてくれたら……。一日も早く帰ってきてほしい、と八重子は願わずにいられなかった。
 兄の篤志は、学徒出陣で、中国大陸へ渡っていた。大学へ入ったばかりなのに、戦局が悪化し、わずか十八の若さで兵隊にとられたのである。
 弟の広志は、国民学校の三年だった。学童疎開で家にはいなかった。疎開先では、空腹とシラミとノミに悩まされる毎日のようだった。
 家族いっしょに暮らせるのは、いつの日のことだろう。戦争は、平和な家庭をもバラバラにしてしまった。
 日が暮れ、夜になっても市街地の火災は、おさまりそうにない。お母さんが、あそこにいるのだ。生きていて!死んだらだめ!八重子は、祈るような気持ちで、闇夜を赤く染める不気味な炎を見つめた。
 翌七日――。八重子は、防空頭巾を水でぬらしてかぶり、水筒を肩にかけて家をあとにした。お母さんを捜しに行くのである。
 火はだいぶおさまっているとはいうものの、市の中心地へ近づくにつれ、だんだんと炎と煙が強くなってくる。
 八重子は、相生橋へ出た。欄干は、左右に押し広げられるようにして、くずれおちていた。路面はガタガタになっていた。のちの調査によると、上空から押し寄せた爆風は、川面で反射し、橋げたを一㍍以上も持ちあげたという。
 焼け野原の広がる中に、あの丸い屋根の産業奨励館の廃墟が見える。頭上ではB29の爆音が、とどろいていた。しかし八重子には、逃げる気力もなかった。
 川の上手で、三人の男の人が、死体を岸辺に揚げているのが見えた。八重子は、三人のほうへ近づいていった。
 「お姉ちゃん、だれかを捜しに来たのかい。こんなに焼けぶくれになっているんじゃ、だれがだれやら、分からんよ」
 「お母さん……」
 八重子は答えるともなくつぶやいた。
 ひょっとしたら……まさか……ふと心によぎる不安を打ち消しながら、八重子はまた、あてどもなく母を捜し続けるしかなかった。
 そのうち八重子は、この近くに叔母と十歳の女の子が住んでいたことを思い出した。見当をつけて、家のあったあたりへ行ってみると、見覚えのある石の門柱が見つかった。
 門柱だけを残して、あたり一面はすっかり焼け尽くされている。台所のあった付近で、八重子はこげた瓦の間から、二体の骨がのぞいているのを見つけた。
 八重子は、「あっ!」と小さな叫びを上げた。叔母と従妹にちがいない。八重子は震える手を、静かに合わせた。そっと手を伸ばして小さな骨をいくつか拾うと、ハンカチで丁寧に包んだ。
 何回となく遊びにきた家である。叔母さんは、いつも八重子を自分の娘のようにかわいがってくれた。四つ年下の従妹も、八重子が行くと「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」と寄ってきて、そばを離れようとしなかった。
 あの二人は、もういない。叔母さんのこぼれるような笑顔も、従妹のくりくりとしたまなざしも、もはや見ることができない。それを思うと、八重子は心のなかに、ぽっかりと大きな空洞が広がるのを覚えた。
 八重子はよろよろと立ち上がると、また歩き出した。少し行くと、電車の線路がカーブしている所に水槽があった。防火用水である。水を求めて、群がった人々も、もう少しも動かない。水槽のふちに体をひっかけたまま、息絶えた人……。うつぶせになって、水に浮かんでいる人……。
 そのとき、またB29の爆音が聞こえた。八重子は、水槽の陰に身を寄せた。そこには、若い母親が赤ん坊をしっかり抱きしめて死んでいた。赤ん坊は、乳をくわえたままの姿だった。
 見るにしのびない母子のなきがらを目にしたとたん、それまで耐えに耐えてきた心の張りが、ふいに崩れるのを感じた。八重子は大声をあげて泣いた。怒りと悲しみで、胸がはち切れそうだった。涙は、あとからあとから、とめどなくわいてきた。
 焼け野原に、八重子の泣き声だけが、いつまでも流れていた……。
 翌日も、そのまた翌日も、八重子は焼け跡をさまよった。ろくに食べる物もない。空腹と疲労で、今にも倒れそうになる体を必死で支えながら、それでも八重子は、母を求めて歩き続けた。
 八月十日のことであった。肩を落として帰ってきた八重子に、近所のおじさんが声をかけた。
 「八重ちゃん、あしたは、いっしょに捜しに行ってあげるから……。元気を出しんさい」
 おじさんはそう言うと、八重子の手の中に、乾パンの入った紙袋を押しこんだ。
 十一日早朝、八重子はおじさんと連れだって、舟入町へとおもむいた。お母さんの勤めていた病院があった所である。この辺は、もう何回も歩いた。
 後かたづけをしている人の姿が、ちらほら見えた。このあたりにいた人は江波のほうへ逃げたという。江波の国民学校が被災者の収容所になっているらしい。
 江波の学校には、収容者の名簿があった。八重子とおじさんは、たんねんに指でたどりながらページをめくったが、その中にお母さんの名前はなかった。二人は、全部の教室をのぞいて回った。それでも、お母さんの姿は、見あたらなかった。
 「おーい、おケイさんや! 八重ちゃんが捜しに来たぞー。おケイさんはおらんか! おったら返事をしてくれぇ!!」
 おじさんは、大きな声で呼びながら、教室をもう一度回り始めた。
 いくつめの教室だったろう。おじさんの呼びかけに、すぐそばに横たわっていた人が、苦しそうに上半身を起こした。
 「八重ちゃん……」
 虫の鳴くような、弱々しい声だった。八重子が、はっとして振り向くと、そこには、なつかしいお母さんの面影があった。
 「お母ちゃん! お母ちゃん!」
 八重子は必死になって抱きついた。
 あの日からつらくて悲しいことばかりだった……。そのなかで、八重子ははじめて、心からの安心感を味わったのである。
 だが、それも、つかのまだった。お母さんのあまりにひどいようすに、八重子は言葉を失った。顔中包帯だらけで、右半身は大火傷を負っている。いたるところに、血がカチカチに固まっていた。
 「おケイさん、良かった! 良かった! 生きとって良かった! あんたに食べさせようと思うて、わしはトマトを持ってきたんじゃ」
 お母さんは、この数日間、食べものらしいものは何も食べずに横たわっていたのである。医者も少なく、薬もなかった。ましてや、放射能による障害を知るよしもなく、治療としては火傷の跡にチンク油を塗るほかなかった。そのチンク油でさえ足りなくなり、食用油を使う始末だった。それでも、治療を受けられる人は、まだましなほうであった。半死半生の人々は、なすすべもなく放置されたままであった。
 翌日、八重子はおじさんの手を借りて、大八車を引きながら、お母さんを我が家へと連れ帰った。包帯を取ってみて、八重子は息をのんだ。
 鼻のところがはじけて、上と下から白い骨がのぞいている。右の目は、熱線と爆風を浴びて、無残にもつぶれていた。
 近くの国民学校の講堂に治療所が開かれている、と聞いた八重子は、お母さんをそこへ運んだ。校庭いっぱいに、負傷者の長い列ができていた。三人の医者が、休むまもなく、治療にあたっている。一時間、二時間と待つうち、負傷者のなかにはピクリと体を震わせて、そのままこと切れてしまう人もあった。
 三時間近くたって、ようやく八重子たちの順番が回ってきた。医者は、お母さんを一目見るなり、
 「ああー、これは! この傷で……よう生きとったねぇ……」
 と、声をしぼり出すように言った。医者にも、手のほどこしようがなかった。傷口を消毒して、薬を塗ることしかできなかった。
 傷ついたお母さんを支えて、治療所を出た八重子に、夏の強い日差しが容赦なく降り注いだ。そのとたん、八重子は軽いめまいを覚えた。
 十四歳の八重子にとって、母の重みは肩にこたえた。しかも、日中の炎天下である。家の近くに開かれた治療所とはいえ、往復の道のりが八重子には耐えがたく感じられた。
 八重子は、はっと気を取り直すと、母の背中へまわした腕に力をこめた。国民学校の校庭には、まだ負傷者の長い列が続いている。傷ついた人々の流れは、とぎれる気配がない。
 多くの人がひどい傷を負い、たくさんの人が命を失った。どうして、人間は、戦争なんかをするのだろう……。互いに傷つけあったりするのだろう……。八重子はそのことを、痛切に思わずにはいられなかった。
 家へ戻る途中、八重子の耳もとで、お母さんがポツリともらした。
 「あのお医者さんの声……何だか……お父さんに似とったねぇ……」
 八重子は、あっと思った。言われてみると、たしかにお父さんのような声だった。ひょっとしたら、あのお医者さんは!……。
 「お母さん!ちょっとここで、待っていて……」
 八重子は、お母さんを道ばたの石垣の陰へそっともたせかけ、今来た道を戻り始めた。どうして気づかなかったんだろう。なぜお医者さんの顔をよく見なかったんだろう。本当にお父さんだったんだろうか。でも、お父さんなら、私たちのことが分かったはずだ……。胸のなかにわきあがる期待と疑問で、八重子は自分がくたくたに疲れきっていることも忘れて、治療所へと走った。
 「すみません! さっきのお医者さんに、もう一度、会わせてください!」
 八重子は、入り口の所で負傷者の列を整理している看護婦に声をかけた。息をはずませ、ひたいに玉の汗を浮かべている八重子を振り返ると、看護婦はとまどいの表情をみせた。
 「さっきのお医者さん?」
 「はい! 向こうのいちばんはしで、患者さんを診ていたお医者さんです!」
 「だけど……みんな順番で……こうやって並んでるんだし……」
 「いえ、ちがうんです! あのお医者さん、あたしのお父さんかもしれないんです!」
 看護婦にも、やっと事情がのみこめたようだった。大きくひとつうなずくと、「そうなの!? さ、いっしょについていらっしゃい」と言って、看護婦は足早に歩きだした。
 治療所の中の向こうのはしにいるお医者さん! 負傷者の列をかき分けながら進む八重子の目に、医者の姿がだんだんと近づいてくる。
 八重子は、そばに近寄って、医者の顔をまじまじと見つめた。医者は治療の手を休めて、八重子のほうに視線を向けた。
 ちがう! お父さんじゃない!
 八重子は、両足から力が抜けていくのを覚えた。自分の勘違いだった。ここにお父さんのいるわけがない。だって岡山のほうへ派遣で行っているのだから……。
 八重子の落胆のようすを察してか、医者が優しく声をかけた。
 「どうしたの?」
 「…………」
 「この子がね、先生をお父さんじゃないかと思ったんですって……」
 医者は首をかしげながら、八重子に今度はこうたずねた。
 「お父さんの名前は?」
 八重子の返答に、医者は驚いたように眉を上げた。
 「ああ、そうか! お父さんとは、ついさっき、交代したばかりなんだよ。たしかに今までここにいたんだ」
 派遣先の岡山から、負傷者の治療のため、お父さんはこの広島へ戻っていたのである。しかし、お父さんには、みずからの家族の安否をたしかめる余裕すらなかった。次から次へと訪れる負傷者の応対に手いっぱいで、眠る時間もとれないほどであった。そして、さきほど勤務をかわり、大きな病院へ負傷者を転送するトラックに同乗して、隣の町へ向かったというのである。
 一足ちがいだった……。どうして、あのとき……。そう思うと、八重子は残念でならなかった。
 信じがたい話であるが、八重子にしても、医者であるお父さんにしても、家族すら見分けられないほど、疲労の極に達していたのである。
 八重子は、ここ数日、食事も満足にしていない。お母さんを治療所に連れてくるのがやっとで、目の前はかすみ、体はふらふらであった。だから、お母さんを診ている医者が、自分のお父さんであることさえ、分からなかったのである。
 お父さんも、同様だった。岡山からただちに呼び戻されて、不眠不休で働き続けていた。しかも、お母さんは、二目と見られないほどの深い傷を負っていた。八重子も、髪は乱れ、見る影もなかった。医者が自分の妻子に気づかなかったのも、無理はなかったのである。
 もう少しのところだったのに……。けれども、お父さんは、もうこの広島の街へ戻ってきているのだ。もうすぐ家に帰ってくるにちがいない。それまで、あたしがしっかりとお母さんの面倒をみよう。そう心に決めると、八重子はお母さんの待っているところへ急いだ。
 お父さんは、なかなか戻ってこなかった。お父さんにとっては、家族のことが気がかりでならなかったけれども、目の前の傷ついた人々を見捨てさることはできなかったのである。それが、医師の使命であるからだ。
3  八月十五日――。お昼に天皇陛下の玉音放送があるという知らせを聞き、八重子はラジオが聞ける集会所まで近所の人たちと行ってみることにした。
 正午になって、ラジオから放送が流れ始めた。みんな緊張して耳を傾けている。言葉がむずかしく、雑音も多かったので、八重子にはよく意味が分からなかった。
 放送が終わっても、しばらくの間、だれも口を開こうともしない。やがて一人の男の人が、背中を震わせ、こらえきれずに激しく泣き崩れた。それにつられて、おばさんたちもはらはらと涙を落とした。
 「日本は……どうやら……戦争に負けたようじゃ……」
 八重子のとなりにいた中年の男の人はそう言うと、その場にしゃがみこんだ。
 「これまでの苦労も水の泡じゃ」
 「アメリカ兵が上陸してきたら、どうなるんじゃろう」
 「でもこれで、空襲はなくなるのう」
 みんなのそんな声をよそに、八重子は戸外へ出た。どこまでも広がる青い空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
 やっと戦争が終わった。でも、それで、お母さんの傷が治るわけではない。広島の街がもと通りになるわけでもない。失ったものは、あまりにも大きい……。
 お父さんが帰ってきたのは、それから二日後のことであった。ほおはげっそりとこけ、見るからに疲れきっているようすだった。やっと時間を見つけて、我が家へ戻ったのである。
 しかし、そんなお父さんを待っていたのは、骨組みだけになった家と、傷だらけになった妻子だった。お父さんはすぐに、床に横たわったままのお母さんのところへいき、ていねいに診察した。
 「お父さん! ねえ、お父さん! お母さんは大丈夫? もと通り、元気になるんでしょ!」
 八重子は必死にたずねた。しかし、お父さんは、黙ったまま容体を診ている。
 しばらくしてから、お父さんはゆっくりと体を起こした。そして、かたわらの八重子の目をまっすぐに見つめた。
 「……お母さんが一日も早く良くなるよう、お父さんも頑張る。だから八重子も、くじけちゃいけないよ」
 「お母さん、助かる!?」
 「うん、でも、この広島の街へ落ちたのは、新型の爆弾だからね」
 「新型の爆弾?」
 「……たった一発で、何万人もの人たちが殺され、傷ついたんだ」
 そのときのお父さんには、原子爆弾の威力が常識をはるかに超えたものだ、ということは分かっていた。しかし、かろうじて生き残った人々の体をも、目に見えない放射能がだんだんとむしばんでいくとは、考えも及ばなかった。
 戦争が終わったとはいうものの、生活が楽になる気配はいっこうにない。学童疎開から弟の広志が帰ってきてからは、毎日の食べ物を手に入れるのに、ますます苦労しなければならなくなった。
 米や野菜は、あいかわらず配給で、一家四人の空腹を満たすにはいたらなかった。
 「お姉ちゃん、おなかがすいたよー」
 広志のそんな声を耳にするたび、八重子はつらい思いを味わうのだった。
 配給の大豆を水につけてふやかす。近所の畑から、さつまいもの茎をとってきて、それを刻む。米は、ほんのひとつかみしかない。それらをいっしょにして、水っぽいおかゆを作る。八重子たちは、それを“ざぶざぶ雑炊”と呼んだ。
 こうした食事を分けあって、一家は日々を食いつないだ。
4  その年の暮れ、消息の分からなかった篤志兄さんの戦死公報が届いた。港の桟橋で手渡された白木の箱の中に遺骨は一片もなく、そのあまりの軽さに八重子の胸は悲しさでいっぱいになった。
 出征の前日、篤志兄さんは、八重子と弟の広志を宮島の浜辺へ連れていってくれた。今にして思えば、二人を安心させようという気持ちだったのであろうか、いつになく快活に振る舞う兄であった。
 そろそろ帰ろうかというとき、兄は静かに立ち止まって、八重子と広志をじっと見つめた。それまでの柔らかいほほえみが、兄の表情からは消えていた。兄の真剣なまなざしに、八重子は思わず息をのんだ。
 「八重子……広志……」
 二人は、夕日に輝く兄の顔をあおいだ。
 「仲良く……元気でな。お父さん、お母さんの言うことを、よくきくんだぞ」
 あのときの兄さんの姿は、今でも八重子のまぶたにはっきりと残っている。
 篤志兄さんが、こんな姿になってしまった……。白木の箱を胸に抱く八重子は、あまりの切なさに声を出すこともできなかった。
 兄さんが死んでしまったなんて、とても信じられない……。しかも、遺骨ひとつ戻ってこないとは……。
 激戦地で散った兵隊の多くは、弔われることすらなかった。遠い異境の地で草むすままにさらされ、あるいは、暗い海の底へ消えたしかばねの、なんと多かったことか。家族のもとへ戻ってくるのは何も納められていない白木の箱ただひとつ……そんなことも、めずらしくはなかったのである。
 病床にふせたお母さんは、篤志兄さんの戦死を知ると、身を震わせて泣いた。空の箱を胸に強く抱きしめて、はらはらと涙をこぼした。
 その日から、お母さんは、みるみるうちに弱っていった。がっくりと気落ちしたように、話しかけても言葉少なにこたえるだけになった。
 それだけではない。夜になると、うなされるようにもなった。轟音と爆風を思い出してか、風の音にもこわがるのである。
 兄の名を呼びながら、家の外へ手さぐりでさまよい出てしまう夜もあった。そんなお母さんを、八重子とお父さんは追いかけて、なだめながら我が家へ連れ戻すのである。このようなことが、何度も続いた。
 終戦から三年目の夏、お父さんが急性白血病で死んだ。原爆の放射能によって血液が侵されたためだった。
 傷ついた人々を助けるために、一生懸命だったお父さん……。それなのに……どうしてお父さんがこんなに早く死ななければならないんだろう……。
 一家のショックは、はかりしれなかった。いちばん頼りにしていたお父さんが、いなくなってしまったのだ。家の中は、火が消えたようになった……。
 一カ月後、お父さんのあとを追うように、今度はお母さんが息を引きとった。もはや精も根も尽きはてたかのような死であった。
 一家を支えてきたお父さんが死んだ。優しかった兄も、もう帰らない。そして、お母さんも……。
 おまけに、そのころは、八重子自身、原爆のひどい後遺症におそわれていた。髪が抜ける。体中に紫色のアザが出る。熱っぽく、全身がだるい……。
 幼い弟の広志をかかえて、これからどうやって生きていけばよいのか。すべての望みは、なくなった。生きる気力も、消え失せた。十七歳の八重子にとって、人生はあまりにも過酷であった。
 八重子の心に、死への誘惑がふときざしたのは、まだ暑さの残る夏の終わりのことであった。広志と連れだって、八重子は我が家をあとにした。
 二人は太田川の河原へ出て、流れにそって歩いた。どれくらい来ただろう。向こうに相生橋の影が見えた。
 橋の欄干に身をもたせかけて、八重子はきらめく川面をじっと見つめた。日が落ちるまでここにいよう、と八重子は思った。
 この相生橋には、いろいろな思い出がある。めずらしいT字型の橋を、行ったり来たりして遊んだおさないころ……。家族そろって、この橋を渡り、中島町のお店でカキを食べた冬の日……。無惨な姿に変わりはてた橋をあとに、お母さんを捜してさまよった三年前の夏……。
 「お姉ちゃん、ねえ、どうしたの? もう帰ろうよ」
 うながす広志の肩をおさえて、八重子はそっとつぶやいた。
 「広志……。お母ちゃんの所へ行こう……。父ちゃんや兄ちゃんも、みんないるよ……」
 広志は、いぶかし気な視線を姉へ向けた。次の瞬間、八重子の言葉の意味するところが分かったのだろう、広志はいつになく大きな声で叫んだ。
 「ぼくは、いやだ! 母ちゃんは死んじゃって、もういないじゃないか!」
 「…………」
 その勢いに圧倒されて、八重子は思わず口をつぐんだ。
 そのとき八重子は、橋を渡ってくる人影に気づいた。だんだんと、こちらへ近づいてくる。
 「八重子!八重子じゃないか!」
 驚いて振り返ると、そこには国民学校のときに教わった先生が立っていた。何かと面倒をみてくれたクラスの担任である。
 習字のとき「うん! 元気で、いい字だ」とほめてくれた先生。日本の昔話ばかりでなく、世界の国々の物語を、面白く語ってきかせてくれた先生。かぜがなかなか治らなかったとき、心配して家まで見舞いにきてくれた先生。だけど、叱るときは、とてもこわかった……。
 そのなつかしい先生が、優しいまなざしを八重子に注いでいたのである。
 思いがけない出会いだった。八重子は、心のなかに何ともいえない安らぎが広がるのを感じた。何年ぶりになるだろう。先生は八重子のことを、まだ覚えていてくれたのだ。
 先生は、すぐに家族のことを聞いた。八重子はポツリポツリと話し始めた。やがて、言葉はあとからあとから、堰を切ったように流れ出した。心にたまっていたつらく悲しい出来事……それに耳傾けてくれる人を得て、八重子は思いのたけをせいいっぱい語り続けた。
 先生は「うん……うん……」と小さくうなずきながら、真剣に八重子の話を聞いている。八重子の話が一段落すると、先生は、一つ大きく息をついた。先生は、しばらく何も言わなかった。そのうち先生は、八重子の大きな瞳をいたわるように見つめて、そっと口を開いた。
 「八重子……死ぬことは……簡単だよ」
 八重子は、ドキッとした。心のなかを見抜かれたような気がしたからである。八重子は目を丸くして、先生の顔をうかがった。
 「……あの原爆でね、ぼくも妻を失った。二人の子も奪われた。ぼくは、一人取り残されてしまった。どうして、こんな悲しい目にあわなければならないんだろう……。こんな残酷なことが、あっていいのか……。どうしようもない絶望感に、ぼくはとらわれた……」
 先生は、遠くの空へまなざしを向けた。川面をわたる風が、八重子のほおをそっとなでた。
 「……だけど、そのうち、ぼくはいちばん大切なことに気づいたんだ。生き残ったぼくまでが、人生をすてたら、たった一発の原爆に、人間はとことん負けてしまったことになる。今こそ、人間の力を示さなければならない。あの原爆の恐るべき破壊力にも、けっして壊されない、けっしてくじけない人間の力を、見せつけてやるんだ。妻や子どもたちの分まで、ぼくは、生きて生きて生き抜かなければならない! そう心に決めたんだ……」
 「…………」
 八重子は、じっと先生の顔にまなざしを注いだ。
 「八重子、君の気持ちは、ぼくにも痛いほど分かる。けれど、どんな目にあっても、人間の力はそれよりもすごいんだ。人間の心はもっともっと強いんだ――そのことを、多くの犠牲になった人々のためにも、ぼくたちは証明していかなくちゃならない。そう思わないかい、八重子」
 そう言うと、先生は、ポケットから手帳を取り出した。そして、空白のページを開くと、そこに万年筆で一字一字ゆっくりと何かを書き始めた。
 やがて、先生は、そのページを切り離すと、八重子に渡した。八重子は、紙片に目を落とした。そこには、こんな言葉が記されていた。
 運命は私たちに幸福も不幸も与えない。ただその材料を提供するだけだ。その材料を好きなように用いたり、変えたりするのは、私たち自身の心である。どんなことにも負けない強い心が、あるかないかで、人は自分を幸福にも、不幸にもできるのだ。
5  八重子の心の底で、何かが光った。それは、みるみるうちに輝きを増し、やがて夜明けのまぶしい太陽のように、心のすみずみを照らしだした。そのとたん、今まで味わったことのないさわやかな力と喜びの渦が、八重子の全身にみなぎった。
 そうだ! 絶対に、負けてはいけないんだ!
 ここでくじけてしまったら、お父さんやお母さんを、もっと悲しませることになる。みんなのためにも、生き抜くんだ!
 そのことに気づいたとき、八重子の目から、涙がどっとあふれた。
 ――どんなことにも負けない強い心。
 この言葉が、八重子の胸のなかに、何度も何度もこだました。
 人生には、つらいこともある。苦しいこともある。挫折することもあれば、絶望感に襲われるときもある。しかし、それらはすべて、自分の人生をつくりあげる材料なのだ。それを不幸と感じて人生の敗北者になるか、幸福へのバネとして生き抜くか――それは、ひとえに「どんなことにも負けない強い心」にかかっている!
 三年前、爆風と業火を浴びた路上の木々の梢には、はや緑の葉がゆたかに生い茂っている。西の空には、美しい夕焼けがいっぱいに広がっていた。燃えあがるような夕日の輝きが、先生と八重子と弟の広志を包んだ。

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