Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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(四)  

小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)

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3   鳴きたてる羊に向かって
  薄暗い屠場が死の洞窟の扉を開くとき
  牧者も、犬も羊も、羊小屋の全体が
  その羊の運命をもはや問うこともない
  野を跳ねまわる子どもらや
  色美しい服を着た乙女らは
  大勢で羊に接吻し白い羊毛に
  リボンと花を結んであげたのに
  羊のことなどもはや考えもせず
  そのやわらかな肉を食べるのだ
  この葬り去らされた奈落の底で
  僕も同じ運命にある
  そう覚悟を決めねばならぬ
  忘却に慣れようではないか
  僕と同じ千人の羊達も
  この恐ろしい洞窟で僕と同じく忘れ去られ
  人民の屠所の血染めの鉤につり下げられて
  王たる人民に供されるのだ
  僕の友らに何が出来たか
  そう 彼らのいとしい手で
  この鉄格子ごしに送ってくれる言葉が
  褪せた僕の魂に香油をそそいでくれた
  おそらくは僕の死刑執行人に金を握らせ……
  でももはや全ては崖っぷち
  彼らには生きる権利があったのだ
  生きよ 友ら 生きよ 幸せに
  ……………………
 ペンを置いたシェニエの耳に、遠くから錆びた鉄が軋るような鈍い音が聴こえた。また誰かが法廷に呼ばれたのであろうか。深く沈黙しきった夜の牢獄の壁は、不気味に重く心にのしかかってくる。いつか、自分の番がめぐってくるのだ。思い乱れる心の中で、この目前の運命を乗り越えるには、近い死よりももっと遠くを、もっと高くを見つめる必要があった。彼は、勝利を信じた。たとえ、自分が薨れても、民衆の煽動者の側も滅びるまでには、長い時間の猶予はなかろうと見ていた。最後には正義が勝利することを、そして、この殉教が、自分自身の永遠の再生と、愛するフランスや全人類の再生とにつながるであろうことを、信じてやまなかった。
 (ここから、処刑台までは、もうただ一歩の所にいるのも同じことだ。でも、自分にやれるだけのことは、やった。全力を尽くしたのだ)
 彼は、自分の心に強く言いきかせた。
 (この、自分の信念に恥じずに生きたという歓喜を、一人の詩人が自分ながらに立派に生き抜いたという、込み上げる微笑を、生涯を終わる日のために大切にとっておこう。それまでがどんなに短くとも、僕の命である詩をうたうことを、やめまい)
 さまざまな党派が生死をかけて入り乱れて戦い合ったこの短い年月に、もし自分に忠実に生きようとすれば、殉教者にならざるをえなかった。これを、悲運ととるか、特権ととるかは、シェニエの心一つだった。信ずる未来に向かって、己を賭した生き方をすること。それは、信仰にも似た、信念の光だ。
 シェニエは、再びペンをとった。ペン――。最後まで放棄しなかった、彼の小さくて偉大な武器――。
 (僕のインクと、鵞ペンと……。もう少しは使えそうだ。このペン一つだって、まだサーベル一本と同じくらい、敵を刺すことができる……)
 心を落ち着けると、家族への手紙をしたためたほかに、もう一つ、思い立って、ビエーブルのルネ少年に宛てても書いた。それには、自分が無実ながら反革命容疑者として、サン・ラザール牢獄に捕らわれていること、そしてルネが立派な画家に成長するように、とだけ短く記した。それは、シェニエの家族の手によって、ルネのもとに届けられるであろう。
 シェニエは、手紙をいつものように下着類の包みに隠し込んだ。買収されていた牢番は、手紙には見て見ぬふりをして、家族に、囚人の下着を下げ渡すのであった。
 ある日、いつもの監視つきの散歩の折に、意外にも、友人トゥルデンヌの姿を見かけた。彼もまた囚われの身となって同じ獄に投ぜられてきたのである。ド・パンジュ兄弟もまた逮捕されて、別の獄中にあるとの報せが、トゥルデンヌの口からもたらされた。
 シェニエは、友の手を握ったまま、獄舎の庭に呆然と立ち尽くしていた。その肩に手をおいて、トゥルデンヌは励ますように言った。
 「もう少しのがまんだ。あまりの弾圧のすさまじさに幻滅した民衆や良識派の心が、離れてしまった。民衆の広い支持なくしては、いかなる革命運動もなりたたないし、力をもつことはできないのだからね。この暴虐は、必ず自分の身に返ってくるだろう。現体制が倒されたら、即刻、われわれは自由の身になるに違いない。その明らかな兆しを、僕は、この目で見てきた。だから、もう少しの辛抱だ。それまで、生きながらえれば……」
 シェニエは、静かに首を振った。
 「いや、おそらくは間にあうまい。僕は、もうすっかり覚悟ができている。十分に戦ったのだから、少しも悔いはない。暗い地下牢の影。ギロチンの刃の閃き。そんなものを恐れていたら、何一つできやしない。断頭台の上でこそ、僕は、最高の詩を口ずさむつもりだ」
 トゥルデンヌは、言葉を失って目をふせた。
 時あたかも、一七九四年六月十日、革命裁判所の再編に関する法律が成立していた。これは、恐怖政治をおそろしく単純化しようとしたもので、反革命容疑者が「有罪」のとき、法廷が下しうる刑罰は死刑のほかにないこと、陪審員は、明確な証拠がなくとも、心証のみで決定を下してよいこと、などを規定した、極端な弾圧法であった。
 すでに、ロベスピエールは、その年の三月二十四日、すなわちシェニエがパシーで逮捕されてから約半月後に、同じ山岳党内でも最も急進的なエベールとその一派の“陰謀家”十八人を処刑し、次いで四月六日には、党内寛容派のダントンとその一派十四人を処刑して、独裁的な地位を揺るがぬものにしていた。五月十日には、タンプル塔に幽閉中の王家の生き残りの一人、エリザベート公女も処刑された。マリー・アントワネット処刑から七カ月後のことである。
 この頃には、すべての政治裁判をパリに集中することとしたので、七、八千人の囚人が、パリで裁判を待つ身であった。これら大量の囚人の処理を、より“効果的”に進めることが、六月十日の法律の狙いだったといってよい。
 処刑者の数は、四月からの三カ月間で千百余。そのうち六月だけで六百八十九人にのぼった。七月に入ると、なおうなぎ登りに増えつつあった。
 こうした恐怖政治の展開を、トゥルデンヌはこもごも語った。
 「アンドレ、僕らは、なんだか悪い夢を見ているようだ。革命裁判所だなんて、なにが裁判なものか。ただ反対派の粛清のために、見せかけの法の仮装をほどこしただけの話だ。ああ、なんたる茶番劇!人間の恥辱だ。彼らの革命は、人間性の廃墟のうえに人間性をうちたてようとしているのだよ。……ねえ、革命には、やはり暴力は避けられないものなのか。それなくしてはデモクラシーは妄想となるのか。それは、必要悪なのか。フランスが一つの人民、一つの意志、一つの信仰となる状態への過渡期における、秩序を強制的に維持するための……」
 「いや、そんなはずはない」
 シェニエは、きっぱりと言った。
 「僕は、いつか、どこかに、もっと美しい、もっと根源的な革命の方途があるような気がしてならない。制度や、社会を急激に変化させる政治革命だけが、改革の万能薬ではないはずだ。いや、かえって破壊的で、有害でさえありうるということを、誰しもが、いやというほど身に染みたはずだ。僕は、要するに人間自身の進歩が必要なのだと、つくづく思うようになった。人間がよくならぬかぎり、愚かな行為は繰り返されるに違いない」
 「…………」
 「革命を、変革を、暴力ざたに至らさずに成し遂げる道――。人間の狭い了見や、太古と比べたら短い歴史や、少ない経験や、そういったものを超えて、妄想におちいることを免れさせ、僕達を正しく導いてくれる判断の根拠、法則――それが、必ずやあるに違いない。その法則の前にこそ、善悪の尺度は明らかになり、幸不幸の規準ともなり、そしてさまざまな人間が、身分や階層を取り払って争わず憎み合わず、真の人間共和の賛同の輪の中に腕を組めるような……。それに触れれば、本来の人間、本当の自分にたちかえれるような――。そんな契機となり、土台となるような絶対の法則を、僕は考えてしまう」
 「…………」
 「どこかにある。いや、なければ人間の救済は、いつも不完全なままだろう。もはや、それを追求する時間が、僕には残されていないのが心残りだが……」
 シェニエの言葉は、少しも沈んだところがなく、落ち着きはらっていた。その本来の詩心――新しい時代の到来を夢見つつ、もはや現実よりも、遙か遠く未来を見つめる詩人の心が、熱情となってほとばしるばかりであった。
 トゥルデンヌと別れて独房に戻ると、やがて、シェニエのもとに裁判への召喚が通達された。それによれば、出廷は、数日のうちとされていた。
 空中の重い斧が、手綱を離れようとしていた。

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