Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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(四)  

小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)

前後
1  旅の大学生の身なりをしたメフィストフェレスに、ファウストは詰問する。
 「いったい、きみは何者だ」
 メフィストフェレスは、したり顔に、謎のような言葉を返す。
 「つねに悪を欲してつねに善をなす力の一部分です」――ゲーテ『ファウスト』
 奸計にたけた悪魔の使徒メフィストフェレスが、珍しく本音をもらすシーンである。「つねに悪を欲してつねに善をなす」――悪事を企む悪魔の小才など、神の眼から見れば、所詮は釈尊の掌から逃れられぬ孫悟空の意気がりに似て、いかに術策をめぐらそうとも、いずれ全き善へと帰一していくよう運命づけられている。あたかも、船が激しい揺れを繰り返しながら、常に正しい位置へと復元していくように。
 “全能なるもの”の眼から見れば、たしかにそうも言えよう。壮大にして鮮血淋漓たる人類の歴史も、彼の目には、栄光燦たるゴールへと至る過程に待ちうける曲折、障害物のようなものなのかもしれない。多くの血と涙の犠牲はともなうが、絶対に避けては通れぬ障害、悪は悪でも必要悪。それあるがゆえに偉大なる人類史が完成しゆくための尊くも血塗られた捨て石。あらゆる悲嘆や歔欷も、見えざる糸に引かれるように、いつかは神へのホサナ(頌歌)へと……。たしかに、それも一つの見方である。
 しかし――。
 人々の営みの背後にあって、猿回しが猿をそうするように人間をあやつる、そうした外在的な「力」や「要因」を想定する史観は、今や、全ての面で蹉跌をきたしてしまっている。神の再臨によって一切が、あますところなく公平に裁きが下されるとする救済史的な見方も、あるいは歴史の決定的な動因を「理性の狡智」に求めるヘーゲル的な史観ももとよりのことだ。人類の歴史を覆い尽くさんばかりに累々として横たわる幾千万の屍は、そのような予定調和的な考え方を、痛烈に告発していると言ってよい。
 「悪」を許容し、必要とさえしながら、なおかつ求めるべき「善」とは何か――。幾千万の人柱の上にそびえ立つ、きらびやかな伽羅に包まれた「善」の殿堂とは、人間にとっていったい何の意味があるのか――。
 むしろ、次のような視点こそ必要かつ緊要であろう。
 「悪を欲して善をなす」――悪魔の力にとりつかれた人間は、神のもくろみを裏切り示すかのように、往々にして、否、必ずといってよいほど「善を欲して悪をなす」邪な、血塗られた道へと迷い踏み込んでしまうものだ。日常的な小犯罪ならいざしらず、一国や人類の運命と斬りむすばんとする思想や哲学に裏打ちされた事象は、犯罪であれ、革命であれ、よほどの狂人でないかぎり、はなから「悪」と手を結ぼうとはしていない。動機はまず「善」をなさんとすることにあるのである。にもかかわらず、現実と格闘しているうちに、次第次第に「悪」に手を染めるようになり、ついには、それと意識せずして、悪魔の薬篭中のものとなり果ててしまう。「善を欲して悪をなす」――ここには、人間心理の謎のような深層と、人類史の業とも言うべき宿命的な病理が横たわっていると言えるだろう。
 ヨーロッパの歴史ひとつ取り上げてみてもそうした病理のまごうかたなきカルテと言ってよい、膏血の凝固したような史実が、不吉な光芒を放っている。
 たとえば、フランス革命に先立つこと三百年、十五世紀の末、自由の都市、フィレンツェに、独自の禁欲主義的な神聖政治をうちたてようとした怪僧ジローラモ・サヴォナローラ、である。都会の堕落と享楽主義的で退廃したフィレンツェ市民を糾弾する彼の叫びは、雷のように、地上的なるものの価値を否定し、神に全てを捧げようとするひたむきな信仰に裏付けられていた。宗教改革への彼の意図は、疑いようもなく「善」であった、主観的には――。
 だが、神の国を地上に実現せんために、彼のとった手段は、これまた疑いようもなく極端な恐怖政治であった。キリスト教信仰の証は異教の排撃と弾圧にあると広言してはばからぬ彼は、その狭隘な目を、配下の世俗社会にも向けた。“サヴォナローラの少年兵”と呼ばれる少年達は、大挙して街々を練り歩き、サヴォナローラの悪口を言う者は拉し来り、笞刑を加えた。贅沢品や女の装飾品などを見ると、容赦なく奪い去った。サヴォナローラにとって絵画やボッカチオの文学なども、信仰の妨げでしかなかった。こうして集められた品々は、うずたかく積み上げられ“虚飾の焚刑”として、焼かれた。
 フィレンツェ政庁前のシニョリーア広場の空を焦がす炎のまがまがしさ――。神の下での平等を掲げた神聖政治とは、その実、このような恐怖を支えにした独裁政治にほかならなかった。サヴォナローラの君臨が、わずか四年にして終息を迎えたのも、決してゆえなしとしない。
 ルターと肩を並べる宗教改革の旗手ジャン・カルヴァンは、どうか。サヴォナローラほどではないにしても、彼の事跡もまた、カルテに名を連ねるにふさわしいだろう。
 若き神学生のころ、カルヴァンは、ローマの哲人セネカの『寛容について』の翻訳・注釈書を、世に問うている。当時、浸透しつつあった新教への、旧教側からの弾圧が強まりつつあるなかで、こうした書物を出版するということは、非常な勇気を要し、若きカルヴァンのユマニストとしての面目が躍っている。
 当然、旧教会側からの追及を受ける。だが彼は、亡命先のスイスの地で、名高い『キリスト教綱要』を著した際にも、国王が異端糾問によって、罪もない新教徒を迫害することの愚かさを指摘し、一歩も退いていない。
 だが、その彼も、ジュネーブの地に迎えられ、聖権俗権を束ねた神政国家の牛耳をとる立場になると、恐るべき――清貧にして禁欲主義的で、通途の独裁者とは異なるため、心底恐るべき独裁者へと変貌する。“少年兵”こそいなかったものの、神政治下のジュネーブは、全生活面にわたる殺風景なまでに厳格な規律の押しつけといい、異端はもとより離教者さえ許そうとしない教会の支配といい、サヴォナローラ治下のフィレンツェと酷似している。
 カルヴァンとの神学論争の結果、拷問され火刑に処せられた著名な学者セルヴェをはじめ、この時代の死刑者は五十八人、追放者は七十六人にのぼっている。ある斬首刑の際、執行人の不手際から、何度も凄惨な斬首が繰り返されるのを前に、カルヴァンは書いている。「長い責め苦を受けたことは、神の特別なお裁き」と。そうしたむごたらしい行為ですら「神の意志」「神の裁き」として肯ってしまうところに「善を欲して悪をなす」人間心理の恐ろしさが潜んでいると言えよう。近代精神の太い水脈をなすカルヴィニズムの功罪とは、もとより別の問題だが――。
 さらに、オリバー・クロムウェル。この軍事の天才にしてピューリタン革命の立役者をサヴォナローラやカルヴァンと同列に論ずることは、いささか無理があろう。熱烈な信仰者であることは共通しているが、クロムウェルは、信仰の自由という点では、基本的により寛容であった。また、最大の権力を手にしながらも、力の行使にあたっては、よほど抑制をきかせていたようだ。いわく――。
 「諸君にあえて言う。わたしは一度だって権力を欲したことはない!……むしろ森のそばに住んで羊の群れを飼っている方がましだ、こんな政府を動かしているよりは。神の召命でやっているのだ」
 だが、怒涛のような彼の戦跡を振り返ってみる時、「善を欲して悪をなす」権力の魔性から、それほど無縁であると言えるのか、どうか。
 国王チャールズ一世を断頭台に送る時、尻込みする人々を説得する彼の論理は、カルヴァンと同じく、国王の処刑が神の摂理である、というものであった。そのような血なまぐさい摂理を彼の耳に語りかけたのは、神であったのか、それとも悪魔であったのか。
 また、クロムウェルの生涯の汚点とされる、アイルランド制圧の際の、仮借なき武力行使がある。ドロイーダでは、見せしめのために何千人もの兵士が殺され、したたかに抵抗したウェックスフォードでは、何百人もの市民が皆殺しにされた。
 たしかに、クロムウェルは「自由」や「人民の福祉」を追求した。が、神のもと、強力な独裁権力によるその追求がもたらしたものは、いかなる「自由」であり「人民の福祉」であったのか。長期的に見て、イギリス民主主義の発展への彼の貢献は疑いようがないにしても、当時の民衆にとって、それらがどれほどの福音であったろう。
 そして、マクシミリアン・ド・ロベスピエール。“清廉の士”とたたえられ「徳の共和国」をうたい、「自由」「平等」の理念を掲げながら、革命の激流に翻弄されゆくまま、ついには「自由の専制」というテロリズムを宣言するはめにおちいった彼もまた、「善を欲して悪をなす」かの邪悪な力の、痛ましい犠牲者と言っては、言いすぎであろうか。免罪にすぎようか――。
 ロベスピエールのジャコビニスムと真っ向から対立したシェニエの戦いとは、実に、このような歴史の宿痾とも言うべき巨大な難問との格闘であったと言ってよい。
2  (プラトンは、こう言っている。『思うに、最も高度な自由から、最もひどい、最も野蛮な隷属が起るのだ』と……。この革命もまた、同じ道をたどっているのだ)
 シェニエは、もう長い時間、プラトンの『国家』の章句を、繰り返し記憶の中から取り出しては思案していた。
 ビエーブルの村の農夫の独白によって、ふいに「自由の背理」という問題を突きつけられたように感じたシェニエは、ヴェルサイユの隠れ家にかえると、プラトンをもう一度ひもといてみたのであった。そして今、囚われの身となって独房のうちに思いを凝らすほどに、古い哲人の洞察が身にあらたに迫ってくるのであった。
 プラトンは、国制の移りゆきを、善いものから悪いものへと五つの段階に分けて論じている。そのなかでも、最も劣悪な僣主制は、最も自由を尊ぶ民主制から生まれる、と論じているのである。
 (自由への『あくことのない欲求が、民主制を解体させる』とプラトンは言う。『何かをやりすぎるということは、逆に大きな反動をもたらしがちなもの』と……。まさに、その通りだ)
 シェニエは、深い溜め息とともに、「国家」の章句の断片を一つまた一つと想い起こしていった。
 (『ある人間が民衆の指導者となり、何でもかれの言うとおりになる大衆を獲得するや、同じ先祖をもつ市民の血から手をさしひかえるどころか、むしろ、かれらのよくやることだが、他人を不正に告発し、裁判所へひきだして血を流し、こうして人の命をかき消して、神を恐れぬ舌と唇でもって同族の血を味わい、また追放し、殺し……』まるで、今の革命裁判の惨劇を見通しているかのようだ)
 シェニエは、「自由の背理」の泥沼に深く足をとらわれている革命の現実を、暗澹として思いやった。
 (「最高存在」などと、急いで人間によってこしらえられた“神”。国家の力をもって、暴力をもってさえ押しつけようとする神なんて……。それこそ“神をも恐れぬ”所業だ。「自由の専制」――。ロベスピエールは、自ら革命を、そう定義した。なんという皮肉だろう。自由という善と、専制という悪と……)
 (革命に先立って、ルソーらの深い啓蒙思想があった。革命は、そのたまものであり、ロベスピエールもまた啓蒙思想の申し子にほかならない。彼は、人間の「自由」と「平等」とを、ルソーらの哲学に従って、とことんまで追いかけていこうとした。だが、理想を一途に高く標榜するあまりに、自分の足が大地から離れてしまったのだ。そうさせたものは、何か。それは、あるいはロベスピエール個人の才幹や器量といった問題にとどまらないのかもしれない。歴史の法則というような、人間の力ではいかんとも御しがたい巨大な怪物のゆえか……)
 プラトンの言葉の続きが、シェニエの胸をついた。
 (『……こういう人間は、その次には必然的に敵によって殺されるか、それとも僣主となって人間から狼に変身するか、そのどちらかの運命をえらばざるをえないだろう?』と。まさしく今、自由の大義から、一人の専制君主が生まれたのだ。そうなった彼の運命もまた明らかだ……)
 シェニエの苦痛にみちた想念を破るように、遠くから鉄の閂が引き抜かれるような音に続いて、扉が軋る音が、重い空気を伝ってくる。別れのあいさつらしい、切羽詰まった言葉が聴こえる。低い祈り声は、何を祈っているのだろう。時に、発狂したかと思われるような叫び声や、嗚咽ともうめき声ともつかない慟哭が、重い空気をふるわせる。それは、やり場のない恐怖や悲しみに耐えきれない人からのようであった。女のすすり泣きも聴こえた。
 夜更けの、森閑として死んだような静けさが、それらの物音に乱される。
 シェニエの身柄は、サン・ラザール牢獄に移されていた。
 格子が三本並んだ明かり取り窓のほかは、光が射し入らない、かび臭い独房。そこで、何事もなく、もう一カ月が過ぎようとしていた。取り調べは、パシー地区委員会で、数日にわたり念入りに行われた。その後、リュクサンブール牢獄へ移送されたが、そこは囚人がいっぱいで収容できず、サン・ラザールにまわされたのであった。
 一〇九五番。それが、シェニエの囚人番号であった。
 眠りにくい幾夜を過ごした。ふと、夜中に起き上がって、鎖につながれた獅子のように、牢の中を歩きまわることがあった。沈滞した気分におちいりそうなこともある。冷えびえとした牢壁を伝ってくる苦痛の声を聴くときなど、とくにそうであった。
 それでも、はじめのうちは、牢内の行動には、かなりの自由が許されていた。武装した牢番の厳重な監視のもとではあったが、一定の時間を、獄舎の庭に出歩くことができた。天井の高い、薄暗い広間で、他の囚人達と言葉を交わすこともできた。
 その中には、スパイが放たれてあった。囚人達にある程度自由に会話をさせたのは、その言動から告発する材料を固めるための罠でもあった。
 囚人達は、一様に力のない足どりで歩いていた。熱病やみのような、真っ赤な目や、疲れ、乾いた目付きが目立った。少しも表情のない、うつろな目もあった。すれ違うと、何とはなしに侮蔑の色を表して顔をそむける者や、座り込み、思い屈して頭を抱え込んでいる人影もあった。
 牢内の囚人は、いずれも、いわゆる王制主義の容疑者で、約七百人が拘留されており、一割ほどが女性であることなどが、シェニエにもおいおい判ってきた。
 囚人達の群れが広間に集まると、圧伏された恐怖と、激発しそうな殺気とで、一種異様な空気がみなぎる。その光景は、暗い屠場で恐れまどう羊の群れを、シェニエに連想させた。
 それらの囚人のうちで、シェニエが注意を惹かれるようになっていた若い女性があった。シェニエよりいくらか遅れて投獄されてきたようであった。年齢は、二十より少し前と見えた。彼女が時折、涙をたたえながら、だが微笑みながら人と話している姿を見かけることがあったが、周囲の人々と比べると、目にはいつもおだやかな色をたたえ、物言いも落ち着いていて、清楚な身なりに包んだ聡明そうな美しさには、心を打たれるものがあった。
 ある日、庭へと通ずる牢舎の石の耳門をシェニエが出ると、壁に沿って立つ一本のうっそうとした橡の太い幹に身をもたせている彼女を見かけた。
 シェニエは近づいて、言葉をかけた。
 「あなたも、きっと誰かに密告されたのですね」
 彼女は、驚いたように、黒目がちの凛と張った瞳をしばらくシェニエの面に向けていたが、やがて哀しげな笑顔を見せた。
 「ええ、密告されたのですわ。とても罪になるなんて思えないことを、そのまま密告されたのですわ」
 彼女は、名をカトリーヌ、とだけ言った。住んでいたのはノルマンディー地方の静かな古都カーンで、自分の家の隣に病みがちな母親と娘一人の貧しい一家があった。その隣家の娘は、カトリーヌの幼友だちであったが、貧しさからくる憂さを酒にまぎらすことがあった。いつの夜であったか酔っ払って路上で何を叫んだか分からないまま、その発言が反革命的だととがめられ、逮捕された。その時、彼女の家に出入りしていたカトリーヌにも嫌疑がかけられたというのである。
 カトリーヌは、何の党派にもかかわりのない、全くの一庶民であった。たまたま両親は出かけており、留守を守っていた一人娘の彼女が逮捕された。ただそれだけのことで投獄されたのだが、何者かの虚偽と誇張の密告によるものに違いなかった。
 ただ、カーンは、ジャコバン派の要人マラーを殺害した女性シャルロットの出身地で、もともと王党派色の濃い土地柄でもあったから、当局が神経をとがらせていたことも災いしたであろう。
 カトリーヌは、監獄を取り巻く高い石塀に狭く限られた晴れた空を見上げて、肩で大きく息をして言った。
 「本当に、このパリの空の下――信じられないほど明るい青い空のもとに、疑心暗鬼や、憎しみ合いや、恐怖の、深い淵があるなんて。空を眺めていると、気が遠くなりそうです」
 シェニエは、このやさしい女囚人の不幸に、胸を痛めた。
 「そうだったのか。反革命だなんて、むしろ、革命派と称している彼らこそが、善良な市民の敵になりさがってしまった」
 「それにしても、自分が正しければ、相手は生きているのを許せないほど偽りだとする、根こそぎの憎しみ合いというのが、私にはわかりませんわ」
 カトリーヌは、さまざまな疑問や苦悩を、ぽつりぽつりと語りだしたが、そうしつつも、ほとんど自分の運命に対する逡巡が感じられないのであった。
 「でも、たしかに私は、反革命的な考えの持ち主なのかもしれないのですわ。だって、“自由だ、自由だ”と世間が言うけれど、私は、少しおかしいなって思ったのです。自由のためと言いながら、こんなに人殺しの弾圧をするのですもの。これでは、せっかく自由がやってきたのに、結局は、新しい不自由があるばかりではありませんか。そこで、私、考えたのです。あの革命のために、皆が立ち上がったとき、きっと、あのとき、あの姿にこそ自由があったのだと。不自由なものに立ち向かっていく気持ち――権利というのかしら、精神というのかしら――そういうのが、本当の自由じゃないのかな、って。つまり、抵抗の精神じゃないか、って。……これは、私のつかまった友達が、そう言ってたの。私も、本当にその通りだと思ったのだわ」
 そう言って、カトリーヌは、沈んだ面差しにとけかかった鬢の栗色の毛を片手で掻き上げた。
 「そう、結局はね、『自由』というのは、決して、上から、制度から、つまり外から与えられれば事足りるものではないのだよ。本当の自由というのは、人間の熱い血肉の中に、深く根差したものでなければならない。まさに、ジャン=ジャック・ルソーが言うように『自由はどんな統治形態のうちにもない。それは自由な人間の心のなかにある』と。僕も、つくづくそう思うようになった」
 カトリーヌは、そう言うシェニエの眼を真っすぐ見つめている。
 「自由とは、自分の理性が正しい良心のままに行動しているときをいう。すなわち、正しい自発の意思だ。だから、邪悪な権力、酷烈な運命に屈服して、『自分はもっと戦えたのに』という悔いを残すことは、最も不幸なことだ。なぜなら、そこには、自由がないから。……そして、煽動されて人をおとしいれたり、人に多大な迷惑を及ぼすのも、また、自由のようで、そうではない。だって、自由というのは、何をしてもよいということばかりでなく、反対に、何をしてはならないかということにも、自分の意思が働かねばならないはずなのだから。自由とは、自分を支配できることでもあるのだからね」
 「いったい、他の人間にいやな思いをさせたり、けだもののような心をむき出しにして叫ぶ自由というのは、何なのでしょう」
 カトリーヌは、そう応じて、言葉を続けた。
 「私は、ただ隣の貧しい一家を、精いっぱい面倒みてあげたかっただけだわ。私は、政治にもお金にも縁がない、貧しい家の娘。それに、女ですもの、大きなことは判りません。ただ、この狭い場所を満足なものにすることが、愛でいっぱいにすることが、私にとって一番大事なことなのだわ。だって、友達って、一番身近にいる人のことなのですもの。『市民』だなんて、そんな気取った名前で私達をひっくるめなくても、お互いに『友達』でいいのだわ。第一、いくら『友愛』だなんて言ったって、お互いにきらい合って憎しみ合っていたら、なんの意味もありませんわ。まして、殺し合うなんて」
 カトリーヌは、なおも言葉を続けた。
 「そうでなくとも、生きるということは、悩んだり、病んだり、傷ついたり、苦しいことが少なくないのですもの。世の中、一人じゃ生きられないのだわ。だから、私は、自分の持っているものを、少しでも分けてあげて、お互いに困っているときには助け合いたいと思っただけなのよ。自分以外の人を本当にいとしいと感ずれば、自分と同じ幸せを分けてあげたいと思わずにはいられませんもの。……そして、世の中の女の人が、いいえ全ての人がそういう気持ちになれたら、どんなにか美しい世の中になるだろうかって……」
 シェニエは、カトリーヌを語るがままにさせておいた。
 「だから、私、思うの。『平等』と言ったって、お互いに仲良くできなければ、なりたちはしない、って。だって、憎しみ合っていたら、何もしてあげられない、何も分かち合えないでしょう?」
 カトリーヌは、そう言うと、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。そして、自分の手指をシェニエの目の前にかざして見せた。その指の一つに、小さな透き通った宝石をのせた指輪があった。
 「これ、どういうわけか、没収もされずにこうして身につけているのよ。大して値打ちもない、ちっぽけなものだからでしょうけれど」
 細い指の白さを引き立てている多面体の宝石が、小さな光を放っていた。
 「この宝石だって、少しずつの切り面からできていて、お互いの光を助け合っているでしょう。きっと、『自由』も『平等』も『友愛』も、別々のものではなくて、この宝石と同じなのね。一つずつが一緒になって、宝石がこんなにきれいに光るように」
 カトリーヌは、指輪のある手を、もう一方の手で、胸の上に包んだ。シェニエは、思わず、その手を自分の手に握りしめて言った。
 「そう、その宝石こそ、フランス革命なのだよ、いや、人間それ自身かもしれないのだよ、カトリーヌさん。永遠に輝きを失わない、宝石。……僕は、この大混乱の中から、まるで燃え崩れた廃墟のような灰燼の中から、フランス革命の理想は、不死鳥のように蘇って、未来にはばたいていくものと信じている。だって、『自由』とか『平等』とか『友愛』とかは、もともと人間の心の奥深くから求められていたものだ。人間本来の欲求に合致して、人間の心の中に一度燃え上がった理想は、どんな曲折をたどるにしても、決して消え去ることはない。それが、このフランス革命の最大の意義なのだから。結局、今は言葉の理想だけなんだ。泥まみれ、血まみれになった標語なんだ。この、素晴らしい理想が、本当に人間の行動の規範になって、人間の倫理として光り輝くには、もっと時間が要るんだ。何十年、いや何百年かもしれない。僕は、この新しい歴史の始まりに生まれあわせて、幸せだった。やがて、必ず、人間が最も人間らしくなる世の中が、つまり人間性の勝利の世紀がくることを、僕は、信ずる」
 その夜、シェニエは、自分の独房にあって、同じ牢獄の一翼にいるカトリーヌの運命を思った。無辜の少女さえ、密告によって罪せられる世の中を憎んだ。だが、少女ながら、あの娘は、最後まで自分を清く高く持していくだろう、と思った。
 シェニエは、わら敷きの木のベッドの上に身を横たえると、燃えるような熱いまぶたを閉じた。その脳裡にふと、いつかビエーブルの谷間で仰いだ、美しい青空が浮かんだ。すると、光を帯びた新しい風が心の中に吹き込んで、重霧がみるみる晴れていくように、気持ちがなごんでいくのを覚えた。そして、あのルネ少年の父親と、少女カトリーヌと、その二つの運命の苛烈さにおいて差こそあれ、どこか似かよったものがあるような気がした。それは、それぞれの運命に従いつつ、運命の主人として生きようとする人間の、人間らしい姿であった。
 (自分を取り巻く外界が、どんなに狂瀾怒涛の渦にあろうと、自分の精神は、それだからこそ輝きを放つような――臆せず、弁解せず、自分自身を信じ、友を信じ、そうして厳しい運命に従容として従うように見えて、ついにはこれに打ち克つような――そういう強靭な意志の力、人間の深さ、自分への厳しさ――それこそが『自由』だ。運命と戦う、精神の『自由』だ。僕も、こうして身は捕らわれてはいても、何ものも僕の心まで拘束することはできない……)
 シェニエは、底濁りのした獄内の暗鬱さの中に、ほのぼのとした光を見る思いがした。そして、身を起こすと、彼に許されて置かれてある小さな机に向かった。
 高い明かり取りの小窓から、ほの白い月明かりが射し込んでいた。そのかすかな光のもとに、ペンと紙を置いた。それは、父親のルイらが牢番の買収に成功して、差し入れてきたもので、僅かながら家族や友人達の通信も、牢番の目こぼしにあずかっていたのである。
 やがてシェニエは、ペンをとって、募る激情を詩句に刻みつけていった。
3   鳴きたてる羊に向かって
  薄暗い屠場が死の洞窟の扉を開くとき
  牧者も、犬も羊も、羊小屋の全体が
  その羊の運命をもはや問うこともない
  野を跳ねまわる子どもらや
  色美しい服を着た乙女らは
  大勢で羊に接吻し白い羊毛に
  リボンと花を結んであげたのに
  羊のことなどもはや考えもせず
  そのやわらかな肉を食べるのだ
  この葬り去らされた奈落の底で
  僕も同じ運命にある
  そう覚悟を決めねばならぬ
  忘却に慣れようではないか
  僕と同じ千人の羊達も
  この恐ろしい洞窟で僕と同じく忘れ去られ
  人民の屠所の血染めの鉤につり下げられて
  王たる人民に供されるのだ
  僕の友らに何が出来たか
  そう 彼らのいとしい手で
  この鉄格子ごしに送ってくれる言葉が
  褪せた僕の魂に香油をそそいでくれた
  おそらくは僕の死刑執行人に金を握らせ……
  でももはや全ては崖っぷち
  彼らには生きる権利があったのだ
  生きよ 友ら 生きよ 幸せに
  ……………………
 ペンを置いたシェニエの耳に、遠くから錆びた鉄が軋るような鈍い音が聴こえた。また誰かが法廷に呼ばれたのであろうか。深く沈黙しきった夜の牢獄の壁は、不気味に重く心にのしかかってくる。いつか、自分の番がめぐってくるのだ。思い乱れる心の中で、この目前の運命を乗り越えるには、近い死よりももっと遠くを、もっと高くを見つめる必要があった。彼は、勝利を信じた。たとえ、自分が薨れても、民衆の煽動者の側も滅びるまでには、長い時間の猶予はなかろうと見ていた。最後には正義が勝利することを、そして、この殉教が、自分自身の永遠の再生と、愛するフランスや全人類の再生とにつながるであろうことを、信じてやまなかった。
 (ここから、処刑台までは、もうただ一歩の所にいるのも同じことだ。でも、自分にやれるだけのことは、やった。全力を尽くしたのだ)
 彼は、自分の心に強く言いきかせた。
 (この、自分の信念に恥じずに生きたという歓喜を、一人の詩人が自分ながらに立派に生き抜いたという、込み上げる微笑を、生涯を終わる日のために大切にとっておこう。それまでがどんなに短くとも、僕の命である詩をうたうことを、やめまい)
 さまざまな党派が生死をかけて入り乱れて戦い合ったこの短い年月に、もし自分に忠実に生きようとすれば、殉教者にならざるをえなかった。これを、悲運ととるか、特権ととるかは、シェニエの心一つだった。信ずる未来に向かって、己を賭した生き方をすること。それは、信仰にも似た、信念の光だ。
 シェニエは、再びペンをとった。ペン――。最後まで放棄しなかった、彼の小さくて偉大な武器――。
 (僕のインクと、鵞ペンと……。もう少しは使えそうだ。このペン一つだって、まだサーベル一本と同じくらい、敵を刺すことができる……)
 心を落ち着けると、家族への手紙をしたためたほかに、もう一つ、思い立って、ビエーブルのルネ少年に宛てても書いた。それには、自分が無実ながら反革命容疑者として、サン・ラザール牢獄に捕らわれていること、そしてルネが立派な画家に成長するように、とだけ短く記した。それは、シェニエの家族の手によって、ルネのもとに届けられるであろう。
 シェニエは、手紙をいつものように下着類の包みに隠し込んだ。買収されていた牢番は、手紙には見て見ぬふりをして、家族に、囚人の下着を下げ渡すのであった。
 ある日、いつもの監視つきの散歩の折に、意外にも、友人トゥルデンヌの姿を見かけた。彼もまた囚われの身となって同じ獄に投ぜられてきたのである。ド・パンジュ兄弟もまた逮捕されて、別の獄中にあるとの報せが、トゥルデンヌの口からもたらされた。
 シェニエは、友の手を握ったまま、獄舎の庭に呆然と立ち尽くしていた。その肩に手をおいて、トゥルデンヌは励ますように言った。
 「もう少しのがまんだ。あまりの弾圧のすさまじさに幻滅した民衆や良識派の心が、離れてしまった。民衆の広い支持なくしては、いかなる革命運動もなりたたないし、力をもつことはできないのだからね。この暴虐は、必ず自分の身に返ってくるだろう。現体制が倒されたら、即刻、われわれは自由の身になるに違いない。その明らかな兆しを、僕は、この目で見てきた。だから、もう少しの辛抱だ。それまで、生きながらえれば……」
 シェニエは、静かに首を振った。
 「いや、おそらくは間にあうまい。僕は、もうすっかり覚悟ができている。十分に戦ったのだから、少しも悔いはない。暗い地下牢の影。ギロチンの刃の閃き。そんなものを恐れていたら、何一つできやしない。断頭台の上でこそ、僕は、最高の詩を口ずさむつもりだ」
 トゥルデンヌは、言葉を失って目をふせた。
 時あたかも、一七九四年六月十日、革命裁判所の再編に関する法律が成立していた。これは、恐怖政治をおそろしく単純化しようとしたもので、反革命容疑者が「有罪」のとき、法廷が下しうる刑罰は死刑のほかにないこと、陪審員は、明確な証拠がなくとも、心証のみで決定を下してよいこと、などを規定した、極端な弾圧法であった。
 すでに、ロベスピエールは、その年の三月二十四日、すなわちシェニエがパシーで逮捕されてから約半月後に、同じ山岳党内でも最も急進的なエベールとその一派の“陰謀家”十八人を処刑し、次いで四月六日には、党内寛容派のダントンとその一派十四人を処刑して、独裁的な地位を揺るがぬものにしていた。五月十日には、タンプル塔に幽閉中の王家の生き残りの一人、エリザベート公女も処刑された。マリー・アントワネット処刑から七カ月後のことである。
 この頃には、すべての政治裁判をパリに集中することとしたので、七、八千人の囚人が、パリで裁判を待つ身であった。これら大量の囚人の処理を、より“効果的”に進めることが、六月十日の法律の狙いだったといってよい。
 処刑者の数は、四月からの三カ月間で千百余。そのうち六月だけで六百八十九人にのぼった。七月に入ると、なおうなぎ登りに増えつつあった。
 こうした恐怖政治の展開を、トゥルデンヌはこもごも語った。
 「アンドレ、僕らは、なんだか悪い夢を見ているようだ。革命裁判所だなんて、なにが裁判なものか。ただ反対派の粛清のために、見せかけの法の仮装をほどこしただけの話だ。ああ、なんたる茶番劇!人間の恥辱だ。彼らの革命は、人間性の廃墟のうえに人間性をうちたてようとしているのだよ。……ねえ、革命には、やはり暴力は避けられないものなのか。それなくしてはデモクラシーは妄想となるのか。それは、必要悪なのか。フランスが一つの人民、一つの意志、一つの信仰となる状態への過渡期における、秩序を強制的に維持するための……」
 「いや、そんなはずはない」
 シェニエは、きっぱりと言った。
 「僕は、いつか、どこかに、もっと美しい、もっと根源的な革命の方途があるような気がしてならない。制度や、社会を急激に変化させる政治革命だけが、改革の万能薬ではないはずだ。いや、かえって破壊的で、有害でさえありうるということを、誰しもが、いやというほど身に染みたはずだ。僕は、要するに人間自身の進歩が必要なのだと、つくづく思うようになった。人間がよくならぬかぎり、愚かな行為は繰り返されるに違いない」
 「…………」
 「革命を、変革を、暴力ざたに至らさずに成し遂げる道――。人間の狭い了見や、太古と比べたら短い歴史や、少ない経験や、そういったものを超えて、妄想におちいることを免れさせ、僕達を正しく導いてくれる判断の根拠、法則――それが、必ずやあるに違いない。その法則の前にこそ、善悪の尺度は明らかになり、幸不幸の規準ともなり、そしてさまざまな人間が、身分や階層を取り払って争わず憎み合わず、真の人間共和の賛同の輪の中に腕を組めるような……。それに触れれば、本来の人間、本当の自分にたちかえれるような――。そんな契機となり、土台となるような絶対の法則を、僕は考えてしまう」
 「…………」
 「どこかにある。いや、なければ人間の救済は、いつも不完全なままだろう。もはや、それを追求する時間が、僕には残されていないのが心残りだが……」
 シェニエの言葉は、少しも沈んだところがなく、落ち着きはらっていた。その本来の詩心――新しい時代の到来を夢見つつ、もはや現実よりも、遙か遠く未来を見つめる詩人の心が、熱情となってほとばしるばかりであった。
 トゥルデンヌと別れて独房に戻ると、やがて、シェニエのもとに裁判への召喚が通達された。それによれば、出廷は、数日のうちとされていた。
 空中の重い斧が、手綱を離れようとしていた。

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