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日蓮大聖人・池田大作

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解説 アレクサンドロス大王の生涯と足跡

小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)

前後
2  東征を開始
 十六歳の時、遠征中の父に代わり、摂政としてマケドニアを統治。ギリシャ諸国との雌雄を決したカイロネイアの会戦では、左翼騎兵部隊を率いてマケドニアを勝利に導きました。この時、アレクサンドロスは十八歳。この会戦の勝利を機に、父フィリッポス二世は「コリントス同盟」を結成、盟主におさまり、ギリシャ諸都市を統一しました。
 更にフィリッポス二世は、ペルシャを破り東方へ進出する計画を立てましたが、暗殺されてしまい、アレクサンドロスが二十歳という若さで国王に即位しました。
 紀元前三三五年、コリントス同盟会議で東征進発を決定。翌三三四年、アンフィポリスに東征軍が集結。
 この時、アレクサンドロスは二十二歳。出発に際し、部下達がどれだけの資産があれば後顧の憂いなく出陣できるかを調査し、ある者には美田を、ある者には村や港市の収入を、といったように、すべての財産を分け与えました。
 ある武将が、王自身のために何を残すのかと尋ねたところ、アレクサンドロスは「今後の希望」と答えたそうです。東征に賭ける壮烈な決意が伝わってくるエピソードといえます。
 ギリシャと小アジアの間のヘレスポントス海峡を渡り、進軍を開始。小アジアの諸都市を解放し、三三三年にはキリキア門を越えてタルソスに入りました。ここで原因不明の病にかかり、この短編小説『アレクサンドロスの決断』の舞台と連なっていきます。
3  版図の完成
 イッソスの会戦でペルシャ軍を破り、三三二年にはエジプトへ進攻。ナイル川のほとりに自らの名を冠したアレクサンドリア市を建設しました。
 翌三三一年、ユーフラテス川、チグリス川を越え、ガウガメラでぺルシャ軍と再戦し、四倍以上の大軍を七千騎で打ち破り、三三〇年にはペルシャ全域を征服しました。
 更にヒンドゥークシュ山脈を越え、バクトリア(今のアフガニスタン)に進攻。インダス川を南下してアラビア海方面に出てからスサ、バビロンに戻り、ここに東西文化の交流の源となるアレクサンドロス大王の版図が成りました。
 三二三年、バビロンで再征の出発を目前にして病にかかり、三十三歳で疾風怒涛のような生涯の幕を閉じました。
 アレクサンドロスは、征服地の諸市にアレクサンドリアと名付けた都市を、七十も建設したといわれており、これらはギリシャ文化東漸の拠点となり、ヘレニズム文化の形成に大きな役割を果たしました。

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