Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十五年(四月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  四月一日(金) 雨後晴
 小雨。寒い日である。
 午前九時三十分、品川駅より乗車。ご遺族も共なり。
 K、H、M氏も共に。
 富士駅より、車にて本山へ。到着一時少々前──ただちに、大化城の落慶法要に参列。
 寒きゆえか、悲しきゆえか、本山の桜も見えず。桃の花も、梅の花も、心に感ぜず。れんぎょうのみ、侘しく、あまりにも黄色濃く、胸を打つ。
 午後四時、大講堂にて日達上人猊下の御導師を戴き、三回忌お逮夜。
 七時より、お題目講、続いて追憶談。
 直弟子として、先師の大法要を、盛大に営みえたことに満足す。
 七回忌を目指し、決意を新たにす。
 九時より、新支部長ならびに婦人部長らの決定審議会。──理境坊において。
 静かなる夜半に、ひとり思うこと多し。
2  四月二日(土) 晴
 昨日と、百八十度転回した爽やかな一日。
 先生のご遺徳を偲ぶ。宇宙の不思議なる現象を限りなく念う昨今。
 午前十時より、客殿において、再び日達上人猊下の御導師にて、読経法要。
 十一時、墓参に出発──猊下を先頭に御僧侶多数、全学会の大幹部。
 五重塔脇の、『大宣院法護日城大居士』の墓前にて、「五丈原の歌」に、涙あふるる。
 帰り、戸田家のお墓と、牧口家のお墓に唱題、焼香。
 午後一時、下山の途に。
 秀麗の富士、朱き三門、幾百年を天空に聾えゆく大杉。わが胸に、一幅の絵のごとし。
 新しい時は来る感じ。仏法の責任ほど、厳しきものはなし。
3  四月三日(日) 雨
 静岡へ出張。寒い。昨日とうって変わった天候なり。変化の凄まじさに驚く。
 箱根に雪の降りしを聞く。
 まさしく二月の季節なり。
 夜、品川駅に下車。東京も雨──寒さ、身にしみる。
 久しぶりに『ホトトギス』を読む。
 体重、昨年四月より、二貫目減となった。
4  四月四日(月) 雨
 午前中、戸田宅に、妻と共に訪問。
 喬久君の結婚式──九日に決定の由。めでたし。
 先生がおられたら──奥様もお疲れの様子。
 夜、女子部幹部会に出席。台東体育館。立錐の余地なき、活気に溢れた青春の集い。そこには、葛藤も、役職も、権威も、怨嫉も、木端微塵にされてゆく。愚かな指導者は、まばゆいであろう。
5  四月五日(火) 曇時々雨
 午後より、小平方面に土地買収の下検分に行く。
 土の香、くぬぎ林、菜の花、木蓮、泰山木、桃、杏、水仙、柳、楠、鮮かな大自然の動き尽きぬ大絵図──心の洗われる田園と、平和な風景──。武蔵野は憧れの地だ。
 約一万坪余、購入を決意。将来、創価大学か、創価高校、中学校の用地のためにと。
 四時半より、若手、青年部幹部と学会歌作成の指導を。
 夜、男子部幹部会台東体育館。逗しき、未来を目指し、未来を開拓しゆく、竹馬の友の青春の乱舞。
 ここに力あり。日本の開幕の。誰人ぞ知らん。誰人ぞ待望せるや。
 信力と、行力と、法力の、広布への三大原則を確認。
 五月三日の総会も、日一日と近づく。皆の期待を念うと胸苦し。余りにも苦し。
 久遠の闘争──若き広布の将軍は、矢面に立たざるをえぬ運命なのか。
6  四月六日(水) 快晴
 午前、宗門の総監、重役はじめ多数の役員僧侶来訪。
 会議室にて、約三時間にわたり、墓地問題その他の、諸問題の審議を──。
 議題の解決に、真剣な僧侶あり、増上慢のごとく、ただ見おろしている僧侶あり。僧俗一致の深き連係と、水魚の思いの戦いの、一日も早きことを欲し、悔む。
 終わって、理事会。流会に近し。先輩理事を厳しく叱る。
 大人の世界での奮闘に、少々疲れた。五月には、広々とした、北海道の大地に立ってみたい。
 博正、小学校一年生に入学。早いものだ。
 戸田先生がおられたら、いかほど喜んでくださるととか──。淋し。
 わが家の父であり、主人であり、師匠であられた。
 妻、庭のラッパ水仙を一本、机の瓶にさしてくれる。
 読書することを、再び決意──。
7  四月七日(木) 晴後曇
 豊島公会堂にて、一般講義。
 「阿仏房御書」──全部なれど、難解なり。
 わが身これ、地水火風空にして、宝塔なりと。ゆえに、阿仏房即ち宝塔にして、宝塔即ち阿仏房なり、云云と。
 生命の本質──事の一念三千の当体──真の個人の主体性。
 一日一日、重大なる使命を痛感せざるをえなくなってきた。惰性のうえに立った指導者なら楽だ。しかし、開拓と建設に遁進する運命に立つ指導者には、勇気がいる。要領など徴塵も考えられぬことだ。困った。
 少々、風邪気味か、微熱続く。強力な身体がほしい。
 わが部屋に、一輪の花あり。その名わからず、この妻の心わかるなり。
 大御本尊、永久にわが家に福運の光をあたえ給え。
8  四月八日(金) 快晴
 八時、家を出る。あわただしい朝。
 国電より、春の木々がちらほら見える。八重桜、木蓮、青める柳──あとは混雑さえなければ。
 諸幹部に、それぞれ自覚をうながす。われも、種々反省するあり。全幹部を心から可愛がり、護っていける大海のごとき人にならねば。慈悲の行為、人間性の行動が、学会の根本義である。
 午後、常泉寺へ。T尊師に挨拶。老僧の健康を心配する。
 遅くまで、青年部幹部と種々対話。厳しく叱咤せねばならぬ人もあり。やむをえぬことだ。
 風邪よくならず。身体、とみに疲れる。十年後、二十年後の学会の将来を、自分が思索しゆく以外に道なし。
9  四月九日(土) 快晴
 身体の調子悪し。三十八度近くあるとのこと。
 午後五時より、帝国ホテルにて、喬久君の結婚式。約百五十人集まる。嬉しきことなり。ご一家のご多幸を祈る。帰り、妻と共に日比谷公園の花屋にて、君子蘭を一鉢買ってタクシーで帰る。
 本部にて、遅くまで臨時理事会を開催。第三代会長の推戴を決定の由、連絡を受く。丁重にお断りする。
 胸奥に、嵐のごとく宿命が吹きゆく。全生命に、使命の怒濤が押し寄せては、返していく。宿習の太き綱が、余りにも強く、厳しく、締まりゆく。
 妙法蓮華経──戸田城聖先生──七回忌まで、余裕ある人生と闘争とを──三十二歳──若い。
 七回忌──満三十六歳──数え三十七歳──日興上人様の御相伝を受けられた年であられる。
 誰か──疲れ果てたわれに代わり、指揮する者ぞなきか。鳴呼──。
 語る人なし。わが煩悩を、静かに見守る妻。
10  四月十日(日) 曇
 重苦しき朝であった。いかにしても。
 力強き勤行をいたさんとすれど、胸に鉄板をはめであるごとし。境智冥合の‥‥。
 午後より、ご遺族の慰安のため、武蔵野方面にドライブ。K女史、H君、M君と共に。
 蘭春──風塵──東村山まで往く。
 桜あり、しばし心麗か。
 山吹、石楠花、雪柳、梨の花、李の花、枝垂柳しだれやなぎ小手毬こでまりの花、からたちの花、楠の芽、縦の芽、胡桃の芽、雑木の芽、くぬぎの芽──。
 愛する東京の桃源郷、日本の平野。
 私の憧れの大地なり。
 帰り、K女史の宅にて、食事をご馳走になる。
 帰宅、八時を過ぎる。
 夜半、二時まで休めず。強風のため、屋根のトタンうるさくて。質素な家も、困ったものだ。しかし、この家こそ、名誉と誇りの、わが巣立ちゆく、栄光の歴史の城である。喜悦、計りがたし。
11  四月十一日(月) 晴
 午後三時三十分より、本部会議室にて、緊急理事会。第三代会長決定の重大会議。所詮、断りきれず、自分が大任を果たす運命となるか。幾度か断れど、いかにしてもやむをえず、決意せざるをえぬか。
 御仏意とはいえ、実に苦しむ。言語に絶する緊張を念う。
 大御本尊様は宇宙大であり、永遠無量であられる。ただ、おすがり申し上げ、指揮をとる以外の何ものもなし。
 青年だ、男子だ。堂々と前進してゆこう。怒濤と嵐と、山と砂漠を乗り越えて──。
 身体疲れてならぬ。全学会員のために、大切にせねば──。
  一、五月より、教学に力を入れること
  二、五月より、座談会を第一義とすること
  三、五月より、勤行を根本としゆくこと
12  四月十二日(火) 曇
 身体の調子、よからず。
 午後、H理事、Z理事とNにて会う。第三代会長就任への、皆の強い願望の伝言あり。私は、お断りをする。
 胸奥には、戸田会長の紹継は決意すれども、形式的には、どうしても返事をできえず。矛盾あり。わが心──。
 会長は、七回忌まで延期の由を伝う。再三、再四、理事会を催している様子。皆の困惑の姿、よくわかる。すまぬ思い、多々。
 夜、子供に入学祝いでもと思い、新宿にまわるも、何も買わず家路に。侘し。
13  四月十四日(木) 雨後晴
 朝、雨降れども、次第に晴れる。予報では、一日中雨であったが。
 午前八時三十分、家を出る。足重し。
 再び、第一応接室にて、第三代会長の願望をば、理事長はじめ、三理事よりうける。時、十時十分なり。断ることができえず、しぜんに承認の格好となれり。運命いかに。
 皆の歓喜の波──皆の小躍りしゆく姿──。
 理事長ら、ご遺族も、皆、待っているとのこと。
 万事休す。この日──わが人生の大転換の日となれり。
 やむをえず。やむをえざるなり。戸田先生のことを、ひとり偲ぶ。ひとり決意す。
14  四月十五日(金) 曇
 次期決戦への、陣列の態勢を考える。
 恩師の七回忌を目指して、本門の出発だ。
 勝利の連続の四年間でありたい。
 昭和三十九年。この年の四月二日と、そして、その年の五月三日の大総会に勝って臨みたい。
 戸田会長に、直弟子として育てられたわれだ。訓練に訓練をされてきたわれだ。なんで戦いが恐ろしかろう──ご恩を返す時が来たのだ。
 日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いなのだ。人生にあって、男子にとりて、これにすぐる名誉はなかろう。
 戸田城聖先生 弟子 池田大作
 五月三日、第三代会長就任式決定。
 本部内、次第に多忙になる。
 大宮の講義中止。自宅に早目に帰る。
 一漁師の子、池田大作、遂に広布の陣頭に起つ。一大事の宿命を知覚するのみ。諸天も、三世十方の仏、菩薩も、護れよかし。
 仏の所作ということを、今回ほど深刻に考えたることなし。重大なる今世の修行を、胸奥から、恐懼す。
 所詮、大御本尊様を、持ちきることだ。信じ行じきることだ。強盛な信心が一切である。この仏法の力によりて、全てが決定されていくのだ。
15  四月二十五日(月) 曇
 二十三日と二十四日にかけ、恩師のご遺族を慰安のため、赤城山麓に旅す。
 大滝あり、山に遊ぶ。自然の渓流に山魚を食す。かつては、若き兵士の訓練地と聞く。
 本部、静中に動あり。
 『日蓮宗門集』──半ばまで読み進む。真剣に教学に励まねばならぬ。大哲学をもたぬ指導者やある。教学なき思想実践家やある。
 薫風に吹かれつつ、蒲田駅より自宅へ。
 静かにして、明るい、幸せいっぱいのわが家かな。
16  四月二十六日(火) 曇
 身体の疲れ、重なる。
 本部、静寂のなかに、緊張あり。一日一日、幹部も、真剣になっている。
 これからの四年間を、全力を尽くし、勝負を決せねば──。断じて、指揮をとる。
 四月度本部幹部──台東体育館。午後六時、開始
 新会長の挨拶となる。諸兄諸姉、皆、心から喜んでくれる。私は、人間らしく、青年らしく、今までと少しも変わらず指揮をとる旨、無作の境地で話す。
 帰り、T夫妻と新橋にて会食。
 心身を鍛えねばならぬことを、痛切に感ずる。
 五月より、わが本門の活動か。

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