Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十五年(三月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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2  三月二日(水) 晴
 A商会の専務と、Nで会食。善人、骨のある人材である。長く信心と、社の繁栄とを期待するや大。
 早目に帰宅。風呂に入る。爽快。
 皆が真剣に戦いしとき、早く休むこと、申しわけなし。合掌。
3  三月三日(木) 晴後曇
 桃の節句。
 仏法では、一月一日を妙、三月三日を法、五月五日を蓮、七月七日を華、九月九日を経──の祭りなりと。
 少年のころが思い出されてならない。平和だった。れんげ草、菜の花畑で、跳。ひまわっていた楽しい日々。
 この日は、母の匂いがする。幼い兄弟の匂いがする日だ。無邪気な──。
 午後三時、理事会。本部に於て。
 恩師の三回忌大法要ならびに新支部結成の打ち合わせ。
 夜、杉並公会堂にて一般講義。「上野殿御返事」。実に甚深、甚深の御書である。勉強せねば。
 『三国志』中巻読了。三回目。
 幹部に読ませたいものだ。とくに先輩たちに。
 就寝、二時を過ぐるか
 母のことを思う。
 一度、妙法の使徒として、わが家をあとにしたのだ
 そこには、母もない、妻もない──。
 生涯、戦闘の陣頭に立つ以外ないのだ。
4  三月四日(金) 曇
 夜、F君らと、麻布にて会食。
 「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」を思わせる青年たち。日本の将来、世界の動向、天下の政治の話に花が咲く。
 十年後、二十年後、三十年後の構想と、布石に、夜半となりぬ。
 青年に、二種のタイプ、開いて四種のタイプに大別される感あり。
 英知、努力、信念、感情型──。
 真面目なれど調子に乗る人あり、静かなれど骨のある人あり。雄弁にして骨なき人、無口にて信義深き人等々、多々なり。
 満腹にて家に帰る。静かなる幸福の家、わが家かな。
5  三月六日(日) 晴
 五日──午前中、本部在。
 日達猊下、理事長ら、沖縄・光明寺の落慶入仏法要へ。戸田先生おわせば、ご一緒に出席をせしに。鳴呼、淋し。
 羽田空港に、私の代理として妻を。猊下のお目通りを戴く。
 午後三時上野発の急行にて、高崎へ一般講義に。
 「上野殿御返事」の講義を。皆、真剣である。
 六日──午前中、M宅にて面接指導。午後、勝妙寺にて班長会を。中堅幹部の育成に全力をあげる。ここに楔を打っか、打たぬかで、学会の次の進展は決まるからだ。全大幹部に、この点を、胸奥から自覚してもらいたいものだ。恐ろし、空転。
 帰りに、高崎山に登り、午後四時の列車にて帰京。
 早めに家に帰る。食べ過ぎ。
6  三月七日(月) 晴後曇
 春、駈け足でやって来る。
 春、春、青春こそ、人生の宝である。
 イデオロギーを超越し、役職、境遇、貧富を別として、青春は尊く、躍動してゆけ。
 未知の世界に、戦く青春。経験浅きゆえ、恐れ、驚き、胸はずませゆく青春。大胆に、無謀に闊歩しゆく青春。
 学会も、一日一日、大事な段階に入ってきた。人びとは、何も知らず、幸せそうだ。
 君が、もう一段高い目的観にたち、相談しあうようになってもらいたい。困ったものだ。人間の性格は、注意してもなかなかなおらぬものである。
 妻が、昨年植えた沈丁花の花が開きそうだと、机の上に、その一枝を飾ってくれた。この花々の香り。
7  三月八日(火) 曇後晴
 一日中、本部在。
 夜まで、後輩の指導にあたる。青年部より、一人でも多くの人材が輩出されんことを祈りつつ。人だ、人材だ、若き人材だ。これのみが、学会の未来性を決定するのだ。
 生命を砕いて、指導に全力をあげきることだ。
 批判する者はせよ。嫉妬する者はせよ。笑うものよ、あざけるものよ、十年後を見よ。孤独なる、学会を背負う青年。
 学会幹部は、多方面にわたり、更に、更に勉強する要あり。社会に深く、進出する要あり。
 帰り、友らと、Tで会食。食事がおいしく、嬉しきことなり。
 ひとり静かに、散歩しながら帰る。
8  三月九日(水) 晴
 午前中、来客あり。
 学会は若い。建設の息吹がある。向上がある。太陽の昇りゆくに似たり。
 聖教新聞社社屋の建設、正式に決定。予算約一憶とのこと。言論の城──。
 『日興上人伝』を読み始む。
 遅くまで、本部にいる。大幹部らと、種々語る。皆、善人である。生活が一段の向上する必要を感ずる。
 『道 程』
  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  ‥‥‥‥
 ──高村光太郎の詩である。
9  三月十日(木) 晴
 一日中、非常に身体疲れる。
 何故こんなに疲れるのか。罪障か。恐ろし。
 今世で、解決できえぬ問題の多きことよ。生命の不可思議、病弱、健康の矛盾等々。この本質的な解決が、信心という実践か。
 夜、教授会。真剣勝負の姿なり。学会は強い。学会は伸びる。
 終わって、十時まで、青年部首脳会議に出席。
 社会が次第に悪くなってゆく。新聞の報道に侘しき思いあり。
 家の近所に、強盗ありと聞く。
 題目三唱にて、休むことにする。
 疲れた、実に疲れた。
10  三月十一日(金) 雨
 雨しきり。寂寥──。
 正午、T社長とNにて会食。
 一日も早く、大客殿資材の研究に、アメリカ、インド、台湾に行かねば、と思い馳せるなり。
 次の時代、次の舞台に生き、戦う青年たちよ、健在であれ、祝福あれ。
11  三月十二日(土) 曇後晴
 職員旅行。伊豆の熱川へ。
 嬉しくもあり、つらくもあり。身体の調子芳しからず。
 第二京浜国道より、母、妻、子らに送られて途中乗車。皆に申しわけなし。
 車中、皆と同化して、歌い楽しむ。
 民衆と共に。庶民と共に。同志と共に。青年と共に。常に、常に。
 本部職員の存在が、全てにわたって、学会、広布の推進力とならねばならぬことを強調する。あとは、思う存分、一夜楽しく遊ぶようにと。
 帰り、一碧湖、伊東をぬけて、五反田に降りる。
 身体の使い過ぎ。疲労困憊。
12  三月十四日(月) 晴
 五座三座の勤行を、きちっとした日は、一日中、爽快である。不思議というほかない。
 多忙にまぎれて、できえぬ昨今。自己嫌悪あり。他人に美麗の言辞をはいても、自己の内証は隠すことはできぬ。因果の理法。
 われ三十代──悔いなく、有意義に送りたいものだ。
 自己の自覚、使命の自覚、建設の自覚、向上の自覚は。
 八正道を思索──正命、正業、正語、正見、正思惟等。
 帰り、渋谷にて、妻と待ち合わせて会う。花屋より、一歳桃ならびに林生梅を買って、タクシーにて帰宅。
 『三国志』読み進む。
 関羽殺され、張飛死す。今、玄徳六十余歳にして倒れゆく。丞相の忠誠を信じて、静寂のなかに黄泉の旅にゆくか。三十年の桃園の義──美たり、劇たり。
 わが学会の同志も、かくありたし。かくあらねばならず。胸に響くものあり、胸に誓いし人ありや。恩師の慈愛、厳愛の遺言の数々を忘れじ。同志よ、友よ、夢寐にも忘れ給う勿れ。
 遺弟よ、剛毅に起て、進め。実践と達成のために、われと進め。勇敢に、今こそ勇敢に。
13  三月十六日(水) 快晴
 二年前の今日、化儀の広宣流布の″記念式典″を、総本山大石寺にて行う。
 恩師の言なり。意義深し。
 この日を、永久の広布実現の日の、開幕とすべきなりと、青年部幹部に残す。
 陽春のこの日より、大儀式を行うことに思い深し。化儀の広布の大式典は、終了するものではない。半年間の大切な日を簡び、展開させてゆくべきである。
 夜、目黒会館において、女子部の指導会。
 本部において、男子部の指導会を行う。
 情熱の瞳あり、英知の瞳あり、信念の口もとあり、純粋なる肌あり。
 希望と現実に戦く、若き会合。尊き会合。
 遅くまで、読書。少々、眼が痛し。
14  三月十七日(木) 快晴
 午後三時より、結婚式に出席。歓喜寮。
 後輩の幸福への船出。君たちに幸あれ。
 青年幹部と当寺院にて『六巻抄』を読む。皆、教学の鋭く進んでいることに驚く。後生畏るべし。
 「文底秘沈抄」にいわく、
 夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざれば、智行も亦随って正しからず。妙楽大師謂える有り。「仮使発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し。若し正境に非ずんば縦い偽妄無きも亦種と成らず」等云云。
 六時、本部に帰る。
 青年幹部が、日夜、敢闘している。自分も休んでなぞいられぬ。この身を捨て、今こそ本陣を護らねば。
 H氏より、秋田方面の報告をうく。早く指導に行ってあげたい。
 東京湾より、太平洋の荒浪に進む日も近い。
 人問、何かの大きな運命の波で、生きてゆかねばならぬものか。
15  三月十八日(金) 晴
 白蓮院にて、結婚式に出席。
 青年の幸福への実相は、国家の幸福への進展に似たり。
 先輩たちが、もっと勉強せんことを念う。
 恩師の理念と遺言を、実践せぬ者は、弟子に非ず。
 本部にて、ひとり御書を拝読。
 「当体義抄」──。
 所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、云云。
 甚深、甚深。
 仏法の極理、信心の究極、生命の革命、生活の原理なるか。
 先輩よ、真の勇気ある人になれ。われも、平凡のなかに勇気ある人になりたし。これ後輩に対する責任なり。
16  三月十九日(土) 晴
 和歌山に一般講義。
 「第一こだま」に、横浜駅より乗る。
 車窓より、春の花美し。桃の花、緋桃の花、白桃の花‥‥木蓮、白木蓮、辛夷こぶしあり。広々とともる黄色の三月菜、またきれいなり
 会場に七千名集ったとのこと。
 その情熱は、想像を絶するものあり。新たなる学会の繋明を、感ずる思い多々。
 夜、和歌山の旅室──富士の聞にて、数人の同志と、深夜まで語る。可愛い友だ。
 あくる日、和歌山の城跡に立つ。なんとなく、和歌山県は、静かな親しみのある国である。大好きだ。
17  三月二十日(日) 曇
 和歌山の帰り、午後、阪大の教授と面談。
 Y君の博士論文ならびに進学についての、相談で行く。二時間近く語る。なかなか頑固な教授である。その世界(医学・学者)にて、親分・子分のような封建性が、深くきずなになっていることを知る。
 宗教に関しては、無知──ただ、どこかの新興宗教をやっているという。
 一人の人物を、大成させるには、多数の人びとの援助と、年月と、忍耐を要することを知る。
 Y宅に一泊。父親と将来のことについて語る。
 東西の青年部の活動、盛んなり。
 新時代を創りゆくのは、青年の熱と力か。
18  三月二十一日(月) 雨後曇
 大阪午後四時発の「第二こだま」にて帰京。
 車中、読書と熟睡。
 一日一日と、五月三日が近づく。人びとは平凡にそれを待つ。しかし私は、いまだ自ら口に出すわけにはいかぬ。余りにも大事な、厳粛なることであるがゆえに。
 四月二日は、恩師の三回忌。この二年──何をしたか。直弟子として。何を報告すべきであるか。勇気なきわれに、叱られしことのみ多きか。
 もうじき、外苑の桜が咲くであろう。青山墓地の桜も──本部に近く、本部の庭のごとし。
19  三月二十二日(火) 晴
 墓地問題盛んなり。死せし遺骨を埋葬せぬという、無慈悲な宗教やありや。末世なり。宗教本来の使命に叛逆した、敗北の実体──総本山大石寺においては、いかなる宗派たりとも、墓地ある人は、埋葬は自由なりと聞く。
 夜、弁護士ならびに大幹部らを慰労す。
 先生が亡くなり、自分の地位と権威を利用して、いばる人あり。その女房もまた同じ姿あり。愚かや、愚かや。皆も困っている。自分がしっかりせねばならぬを、深く心配す。二重、三重の労あり。
 風邪のためか、三十八度近く熱あり。早めに休むことにする。気分、悪し。
 長男博正、幼稚園卒業とのこと。
20  三月二十五日(金) 晴
 二十三日──。
 一日中、身体の具合悪し。
 午後には、三十八度四分前後になる。夕方より、更に高熱。帰宅。何も面白くなし。
 木曜、金曜と休む。久しぶりに種々思索。
 三月下旬か、四月二十八日ごろに、彗星出づとの新聞記事が目につく。
 二、三、心配して電話ありとのこと。申しわけなし。
21  三月二十六日(土) 雨
 午後より、本部へ行く。徴熱あり。
 久しぶりで電車に。車窓より、桜の花のちらほら咲きゆく感じあり。
 皆、身体のことを心配してくれる。すまぬ気持ちであった。真実に思ってくれる人のありがたさ。
 夜遅くまで、種々指導をする。
 帰り、M君とH君と三人にて、新宿のD店にて食事。熱、再び出る。困った。
22  三月二十七日(日) 快晴
 午前中休む。身体だるくて仕方なし。
 女房の父、心配して来てくれる。年をとった。大事にしてもらいたいものだ。
 九州三池炭労の騒動の報道あり。不幸なる暗い日本。いつ薫風の国に落ち着くやら。
 なぜ、日本人同士が殺し合わねばならぬのか。イデオロギーの不幸──人間本来の不幸。愚かや、愚かや。
 東京発午後一時三十分の列車にて、一泊の登山。H君の身体を心配する。君こそ無理をせぬようにと。
 日達上人猊下に、ひとり、御目通り。
 総本山大石寺は静かなり。静かなり。
23  三月二十八日(月) 快晴
 午前九時、御開扉。
 一閻浮提総与・本門戒壇の大御本尊に唱題すると、なぜ生命力が湧現するのか。不思議なり、事実在り、厳然たり。
 恩師の墓に詣でる。三回忌を、立派に使命を果たして、迎えんことを誓う。
 終わって、大客殿において、二十二人の得度式に出席。未来の宗門を背負う、日達法主の若き弟子に祝福あれ。
 清らかなる法灯、清らかなる若き僧侶。
 午後、皆と一緒に下山。
 夜半まで、作戦会議。
 次の学会の発展の推進者は、青年部のみか。それでよいのだ。時代だ。改変、流転、潮流──。
 H君、真剣に奮闘。一人の立つ人あれば、万人、続くあり。
 皆、疲れたであろう。お茶もなく、すまぬ思いあり。
24  三月二十九日(火) 晴
 三月度本部幹部会。台東体育館にて。楽しい、真剣な幹部会の終了に、心、安堵。
 帰り、T夫妻と新宿にて会食。
 生涯、大衆と共に進むこと
 庶民のために庶民と語り、庶民と生きゆくこと。
 三回忌近づく。宗門の内外に、戸田先生の偉大さが次第に浸透してゆくことだろう。その原動力は、遺弟の責務である。それを忘却せしものは、真の弟子に非ず。真の弟子、幾人ぞありや。
 先生を利用して、自己の保身に汲々たる者はなきや。厳しき師なきゆえに、要領と権戚に流されゆくものなきや。
25  三月三十日(水) 晴
 本部第一応接室にて、理事長より、全幹部の意向なりと、また機熟したので、第三代会長就任を望む話あり。
 初代会長牧口先生と、二代会長戸田先生の、厳しく親しみに溢れた写真の下である。
 我儘なれど、きっぱり断る。疲れている。
 学会の要となって、指揮を執りゆく責任は果たす。しかれども会長就任は、七回忌にでも共に考えてゆこう、と。
 一日一日、津波に押し寄せられゆく感深し。学会をただ一人、厳護してゆかねばならぬ責任のわれ。苦し。
26  三月三十一日(木) 曇
 夜、杉並公会堂にて、質問会。
 明日は、いよいよ三回忌。九時三十分発にて登山することに決まる。
 夜遅く、豪雨あり。思うこと、多々。寝返り、再三。
 身体さえ頑健であれば。

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