Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十五年(二月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  二月一日(月) 曇
 午前中、在宅。訪う人数名。
 政界多難たり。新聞報道しきりなり。
 刻一刻と、日本の運命は狭小になりゆく感あり。新たなる光明の力が必然たり。
 午後、本部にて理事会あり。種々打ち合わせをすれど、抜本的に柱のなき感じ。淋し。先生に申しわけない思い多々。
 夜、蒲田支部幹部会。池上の大田区民会館に出席。最後に指導よりも挨拶を。懐かしい顔が多し。
 身体、実につらい。宿命打開の闘争。
 断じて負けてはならぬ。鳴呼。
  命を知れる者は天を恨まず。
  おのれを知れる者は人を恨まず。
 『方丈記』にいわく、
 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。
2  二月三日(水) 晴
 今日はいくらか元気とり戻す。
 人生、一人ひとりが、自身が正しいと思っているらしい。
 夜、八時過ぎまで、理事長と二人して語る。
 終わって、M宅にご子息の怪我の見舞いに行く。遅くまでお邪魔する。良い人たちだ。しかし、一家本位で全てを決めず、人びとの真情も知ってもらいたいと念ずる。
 頭休まず。就寝、三時を過ぐるか。
3  二月四日(木) 曇
 国会低調。
 社会党、党首交代の動きありと聞く。
 自民党の次期総裁の動きも盛ん。
 夜、両国公会堂にて「松野殿御返事」の講義。真面目な人びとに、求道者に、こちらこそ胸を打たれる。勉強不足を痛感。いつまでも増長してはならぬ。決意、再び。
 帰り寒し。自宅までタクシー。
 S氏来宅。元気なれど、老いは隠せぬ。
 『魯迅評論集』を開く。
 路とは何か。それは路のなかったところへ踏み作られたものだ。荊棘ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、路はあった。将来も、永久にあるだろう。(竹内好訳)
 妻、美し。子らの縫い物か、その姿は。
4  二月五日(金) 晴
 静岡着、午後四時二十分前後であったか。
 旅館にて、種々報告をうく。多数の人が出入りし、旅館に迷惑をかけた感じ。要注意。
 六時三十分、全力をあげ、幹部会を。
 幹部自身が″我不愛身命″の信仰であれば、わが学会は、永遠に上昇する。幹部自体の言語動作が、義務化、立身化されたら、学会は行き詰まるのみ。
 左肺、一日中痛む。気持ち悪し。
 かつて、戸田先生が、仏法を学する者が自らの生命を解決できずして知何、と泌々とわれに申されしことあり。極言、至言、宝言なり。自己のたゆまざる修練の必要あるのみ。
5  二月六日(土) 晴
 京都駅、午後四時着か。
 車中、友人らと種々打ち合わせ。
 人の顔、人の洋服、着物、人の心、性格、みな違うものか。不思議でもあり、人間ほどむずかしき動物はないとも思う。
 六時三十分、講義。
 「松野殿御返事」後半。厳しい御書に、わが身を反省す。
 学会の骨髄の精神としての御文と、拝すべきであろう。
 思索、思惟する時間がほしくなった。
 折伏をしている人を心より大切にせねば。ここにのみ広布の原点があるからだ。
6  二月七日(日) 快晴
 夜行列車にて、京都出発。
 途中、敦賀駅等で、会員多数が迎えてくれる。H氏に、他の乗客に迷惑をかけぬよう、厳重に注意してもらう。
 社会の常識が、指導であり、折伏であり、信心であることを──。
7  二月八日(月) 晴
 朝、六時少々前、金沢着。
 午前中、旅館在。肩、頸の痛み多し。
 午後より教学部昇格試験。助師から講師の。
 午後、兼六公園を漫歩。裏山をまわり、白山の雄大、秀麗澄明なる鵬めに、詩作の念いあり。
 前田侯の実力のほどを、強く実感する。
 地区部長宅にて、班長会。疲れてならず。
 早目にいったん旅館に帰る。
 夜、六時から、金沢大会。
 一段の飛躍を知る。
 場所、金沢農業会館四階。参加者数、二千名。
 「如説修行抄」の講義。
 末法の法華経の行者、否、否、末法の御本仏、日蓮大聖人様の御生命、脈々たり。
 恐ろしくもあり、嬉しくもあり。弟子なれば。
 北陸に広布の息吹脈々たり。戸田先生の偉さを心から知る。暗い北陸であった。これが、妙法の力により、あれだけの人たちが、事実、人間革命の実証を示しつつあるのだ。
 確信、いよいよ深く。
 ″妙法ニ勝ル兵法ナシ″
 最近、私を利用する者、多い感じ。困ったものだ。。自分も反省せねば。
 利用価値ありといえども、実に恐ろしきことである。浅はかなる人の多きことよ。
 毅然として進め。責任者らしく進め。
 名将らしく、公平に進め。
 仏法というものを、大基準として進め。
 あとを振り向かずに。
8  二月九日(火) 晴
 金沢より帰途につく。
 車中、友と語り、眠り、本を読む。
 幾度も、諸葛孔明の玄徳に仕えし、美しき情景が目に浮かぶ。ひとり涙する。
 本年も本を読まねばならぬ。最低五、六十冊は読むこと。
 妻、駅にひとり迎えに来ている。優しい顔。心の疲れがほどける。革命児も。
 帰り途、共に天ぷらを食す。高い。その理由を妻、説明す。女性の頭の良さに驚いた。
 一時三十分を過ぎる‥‥休むことにする。
 身体を大事にせねば。本年は断じて体を鍛えよう。
9  二月十日(水) 曇
 夜、O代議士およびM代議士らと談合。
 学会工作の邪なる姿に、厳しく怒る。
 彼らの陰険な言語、態度に憤怒已みがたし。
 先輩たちの、王道への奮闘を祈らざるをえない。王仏冥合に戦う先輩たちよ、生涯にわたって覇道の連中と妥協せぬことを祈る。妙法の健児であってもらいたいと祈る。戸田先生の、あの偉大な潔癖なる指導を、身にうけぬ先輩たちに、怒りさえもって帰る。
 新しい時代を創ろう。二十年、歯を食いしばって、新しい人材と組織を、必ず創ろう。二十年、営々と。
 「御義口伝」を拝読。
 昼夜常精進 為求仏道故
 此の文は一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所調南無妙法蓮華経は精進行なり。
 唱題の数の大事。
10  二月十一日(木) 晴
 戸田先生のお誕生日である。ご生存なれば六十歳。還暦であられる。妻と共に、そのことを語り合う。先生の子供のごとく、娘のごとく。
 先生逝って、はや二年が近づく。早いともいえるし、全く長かったとも思える。ただ、なんとなく恐ろしき心が、頭に重い。責任、先輩、実績‥‥。
 午後、妙光寺へ、M家の結婚式に出席。
 帰り、先生のご親戚宅による。
 途中、寒風しきり。
 帰宅、九時をまわる。妻、先生の誕生のお祝いとして、おはぎをつくる。二人して、おいしくいただく。わが家の祝いを、最大に先生は、お喜びであろうと語る。
 幸せなる二人なり。美しき心なり、二人は。
11  二月十二日(金) 快晴
 昨日の寒風をよそに、今日はやや温。
 朝刊、十一日、太陽二つ出づるを報ず。
 内閣の改造に悲劇を感ずる。
 派閥の葛藤に不幸あり。
 鳴呼、日本民族のための政治に非ずして、営利、派閥の政治に堕落せしか。
 大衆は不幸だ。怒れ。そして新しい政治と、社会の大運動を起こすことだ。自身の幸福をかちとるために。
 足立支部の幹部会に出席。浅草公会堂。
 人びとは、純にして、歓喜あり。われは憂い多し。
12  二月十三日(土) 快晴
 総本山の未来を考える。
  一、僧侶が折伏に泥まみれになっている人びとを、心より護られたし。
  一、登山会の最高責任者となる。
  一、各坊の建設担当責住者となる。栄誉。
 Mさんの問題のため、本日、登山の予定を、残念ながら明日とする。
 大きな、大きな心で、私一人が、ご遺族を護らねば。
 夜、新宿Tにて、妻、子らと食事す。
 子ら、久しぶりにて、はしゃいでいた。
 タクシーで帰宅。寒し。
13  二月十四日(日) 晴
 午後一時三十分東京発「西海」にて、登山。
 Mさん、先生のご遺族と共なり。先生も、必ずやお喜びくださると信ずる。
 夜、質問会。
 理論も大事、技術も大切。しかし、生命の力ある感応のみが、真に人びとの胸を打ってゆくものか。結局、信心ということになるか。
 楽しい、充実した、霊山の一夜であった。
 丑寅の勤行に出ず。若いくせに申しわけなし。早く金剛のごとき健康体の命とならねば。
14  二月十五日(月) 晴
 本年第二十四回の御開扉。
 一閻浮提総与の大御本尊様を拝する幸せ。
 一閻浮提総与の大御本尊様を広める幸せ。
 一人でも二人でも、否、全人類が拝す日を、一日も早くと念ずる。
 Mさんの墓所を決めにいってあげる。S氏の墓の前とは、不思議。
 理境坊に帰ると、猊下より電話あり。
 前会長は、たびたびお会いに来てくださった。
 戸田会長の遺志を継ぐ貴男が、大奥に来ないとは──不服である云々と。
 即座にお目通り。種々懇談。
 わが子のごとく、新来と、お歓びの様子。
 ありがたき哉。
 帰り、雄大なる富士美し。
 真白き富士、赤き富士、厳粛在る富士、雲に渦巻かれゆく富士。
 東京駅より、本部に寄り、帰宅。十時過ぎる。疲れる。
 寝ながら読書をしよう。
15  二月十六日(火) 晴
 日蓮大聖人の御誕生の日。
 「産湯相承事」を拝読する。
 日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く
 「今此三界皆是我有[主君の義なり]其中衆生悉是吾子[父母の義なり]而今此処多諸患難[国土草木]唯我一人能為救護[師匠の義なり]」と云えり、三世常恒に日蓮は今此三界の主なり、云云。
 午前中、本部にあり。
 H理事、I理事らと談合。終わって理事長と談合。
 午後、常在寺へ、後輩の結婚式に出席。幸福に結ばれゆく夫婦に、祝福の辞を。
 後輩よ、一人も、もれなく幸せに。
 宴会にうつり、私は「威風堂々の歌」を独唱す。
 新たなる、学会の前進近し。誰人が知り、誰人が喜び、誰人が待っているか。
16  二月十七日(水) 晴
 天気が続く。
 岸政権がまだ居座る様子。
 学会内にも、新旧の考え方に、断層が見えてきた。幹部の進歩、保守、信心の向上性の者、怠惰の者らが、私には見える。余りにも。
 午後、白蓮院へ、後輩の結婚式に。
 帰り、Yで、弁護士と打ち合わせのために会う。
 人の弁護よりも、金の弁護の多きことよ。
 夕刻、少々雨あり。爽快さをおぼえる
 夜、本部。
 二月度幹部会の打ち合わせ。ともに人事の検討あり
17  二月十八日(木) 晴
 一つ一つ未来の繁栄のため、苦しくとも皆の陰で、構想実現への布石と実践をしてゆかねばならぬ。エンジン、スクリューを人びとは見ない。そのような人を、将来、私は最も大切にしてあげねば──。
 夜、友らと新宿で会食、打ち合わせ。
18  二月十九日(金) 快晴
 朝九時二十六分、横浜駅より特急に乗る。関西の講義である。ひとり静かに旅をする‥‥。私にとって最高の思索場だ。
 途中、N氏と会う。食堂車に誘う。貴君と会うと、勇気が出るといっていた。
 講義後、Gホテルにひとり休む。ここにも、多数の学会員がいると聞いて、非常に心強い。
 種々、思索する。遅くまで眠れぬ。身体を大切にせねば。
 善人と共に生きゆことだ。
19  二月二十日(土) 晴
 大阪発午前八時十五分で、中国の防府へ向かう。三回目である。
 山口地方闘争の思い出の地なり。生涯、この国土世聞に、わが生命が映っているようだ。
 この防府を、五月三日の本部総会で、支部に昇格させることを決意する。
 午後六時三十分より、質問会。
 いずこに征くも、青年が熱心。この純真なる若人に応えねば。共に、この青年たちの夢を、叶えさせてあげたい。
 青年──これほど尊く、強く、逗しく、未来をはらんだ言葉が、どこにあろうか。
20  二月二十一日(日) 快晴
 快晴が続く。春のごとし。春近し。
 岡山に午後六時ごろ着く。
 総支部本部の敷地をみる。
 体育館にて、講義と質問会を。
 非常に熱心であり、感じよし。この地の中心者の人柄の反映か。中心者、責任者というものは、幾百、幾千万の人びとを、いかようにでもさせてゆくものだ。恐ろしきものだ。
 総支部長宅に一泊。、お世話になる。
21  二月二十二日(月) 快晴
 午後一時少々過ぎ、岡山を出発。鳥取指導へ向かう。
 初めての山陰指導となる。日本列島の胴腹の横断である。
 春の小川、初春の山々、大地に、詩の中を走る思いあり。
 雲一点もなし。車中、『三国志』を心ゆくまで読む。
 人材がほしい。先輩たちにも読ませたい。皆、勉強がたらぬ。大いに、将来のために勉強をすべきだ。
 夕刻、山陰の中心地・鳥取に着く。七時、体育館にて質問会、ならびに講義を。
 なんとなくざわめいていた。東京からみると、三年以上遅れた信心、訓練か。
 この地も、支部結成を決意する。
 大いに、応援してあげたい。応援せねばならない。
22  二月二十三日(月) 快晴
 午前中、幹部と共に、大砂丘に立つ。国定公園の由。
 皆で日本海を見おろし、和歌をつくる。そして、一人ひとり読み上げる。思い出なり。
 午後二時ごろ発の「出雲」で、鳥取から京都へ。
 四時十五分、皇孫、親王の誕生を聞く。皇室の慶事。
 関西に一泊。
 自宅より電話あり。
 三男尊弘が、庭の井戸の固いで造った池に落ちたとのこと。呵々。熱でも出ねばと心配す。面白き哉。
 さあ、明日も希望を抱いて、戦いだ。
 へレン・ケラーのことば──。
  希望は人を成功に導く信仰である。
  希望がなければ何事も成就しない。
23  二月二十四日(水) 快晴
 特急「乙だま」にて帰京。午後十時二十分。
 一人の旅は、はなはだ淋し。友がほしかった。凡愚の頭、疲れてならぬ。
 仏法の明断さ、戸田先生の頭脳の鋭さには足元にも及ばぬ。鳴呼。
 私は善人と交わり、善人と語り、善人と生き、善人と進むことができ、嬉しい。幸運児だ。
 六日間の旅に、心身共に疲れる。
 横浜駅に、矢口の父と母、そして妻が、迎えに来ていた。
 私は、最高の幸福者である。全てに。
24  二月二十五日(木) 快晴
 一日中、本部在。
 会議やら、指導やら、原稿書きやら──。
 戸田先生の指導を忘れゆくことを怖る。思い出せば、雑記帳に誌す。
 夜、S宅、I宅の人びとと、銀座Oにて会食。
 父も善人、長寿を祈る。
 母も善人、長生を祈る。
 妻も善人、幸福を祈る。
 子らも善し、健康を祈る。
 本部に帰り、夜半まで、H氏、M氏と学会の将来のことについて語る。H氏の真剣さを、嬉しく念う。
 先輩たちも、彼の真剣さを見習う必要があろう。
 先輩は、先輩としての力と使命と責任を。先輩といわれゆく所以なりや。
25  二月二十六日(金) 晴
 岸首相、不条理と無理押しの報道しきり。権力主義者の恥知らずの倣慢と、権威主義のあらわれなるか。唾棄。
 国会の頭脳狂乱せば、日本の国土、そして国民の悩乱にまで及ぶか。恐ろし。悲し。
 過日、東京に風速二十一メートルの赤風、黒風あり、と。昨日また、鳥取に、同じき現象ありとか、報道あり。凶瑞か。前途は。
 われ思う。日本の前途に、不幸の災禍なからんことを。
 変毒為薬──妙法──。
 夜、二月度本部幹部会。台東体育館。
 会員諸氏の懸命在る活躍に、頭が下がる。自分よりはるかに力ある人びとよ。組織の首脳としての自己を、決して過大評価してはならぬ。
 また、されたりせぬことだ。
 H理事の指導や良し。
 帰り、妻と共に、なべ料理を食す。
26  二月二十七日(土) 雨後曇
 午後一時より、横浜会館および妙寿寺落慶入仏法要に出席。寒さ厳し。
 日達上人猊下のお元気なお姿を拝す。嬉し。
 夜、杉並支部の幹部会に出席。全力をあげて指導をする。それぞれの使命をおびた支部の個性、特徴があるものだ。これでよし。
 清貧の家へ──静かなる、仏界のわが家こそ、最高の憩いの場なり。われ幸福なり。幸福たり。
 三男尊弘、次第に成長。共に寝る。
27  二月二十八日(日) 曇
 午後、全体会議。皆で語り、食し、聞き、次の戦いの準備をなす。
 帰り、床屋に一人まわる。語る人物少なきとき、わが心淋しきものあり。
 春近づく。私は春が大好きだ。今年は、狭い庭中を、あらゆる花で埋めてみたい。
 新宿御苑の百花爛漫──わが家の、夜店で買いし木花の百花爛漫──いずれが、わが心の芸術なりや。大自然との対話なりや。
 本有常住、常寂光土
 三月より読書を始めよう。何冊読むか。
28  二月二十九日(月) 曇
 二月も終わる。寒い冬とお別れ。明日より春だ。生命の躍動をおぼゆ。
 青年の季節。青春の譜。生きいきと生きてゆきたい。青年らしく。本当の青年らしく。
 H君の奥さんの、計報を夜半に聞く。激励する。わが友よ、同志よ、強く。
 吉川英治の言葉だったか──。
 「民ガ峻厳ヲ求メルトキ、為政者ガ、甘言ヲナス程、愚ナル政治ハナイ」と。これが仁政、善政といえようか。大事な問題と考える。真の人材育成のためには、何かにあてはまる思いあり。

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