Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(十二月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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2 十二月十二日(土) 曇
午後零時三十分発にて、仙台へ。講義ならびに指導のためなり。
大支部と思いしに、さにては非ず。指導者は、決して過大評価は禁ずべきである。
S荘に一泊す。
幹部と心ゆくまで語る。皆、善人であり、東北の名将だ。嬉しい。大切にしてあげねば。
仏法の指導は、御書にまかせ、その実践は、師である戸田先生の指導を、根本としてゆくべきは当然至極である。それなのに、一幹部の売名的な指導に、皆、混乱して苦しんでいるとは──。
3 十二月二十日(日) 雨
東京午後一時三十分発で、総本山へ。
寒し。
小生の本年最後の、登山会の担当。
大講堂で質問会。全力投球す。
宿坊に帰り、ぐったりした身体を、横にして種々思索。
一日も早く、僧俗一致の実現を。
本山と学会で、毎月連絡会議を。
戸田先生の亡き本山も、また淋し。
夜半まで、雨しきり。寒さも、またしきりであった。
4 十二月二十一日(月) 晴
一晩中、宗門、学会の将来を考える。眠り少なし。
八時三十分、御開扉。しかし、五分遅れる。鍵が見あたらぬとのこと。猊下のお留守に、なんたる弛緩。
御開扉後、先生のお墓へご挨拶に。
読経・唱題。
晴天。雨のあとは、必ず晴天か。人生の雨のあとも、必ず、かくあってもらいたし。
午後三時過ぎー本部着。
車中、M宅のことを、しきりと心配する。淋し。
夕刻、新宿で青年部幹部会。学会次期の、指導者の訓育を始む。皆、可愛い。黒き瞳、隆々たる筋肉、清流のごとき信心。広布の総仕上げの若人たちに期待するや大。
八時三十分、帰宅。
子供、お手伝い、風邪。たいしたことなしとのこと。
遅くまで、読書。
5 十二月二十二日(火) 快晴
東大O助教授の奥さんと、一昨日会う。入信して、病弱が治り、懸命に折伏をしているとのこと。今日、本を一冊贈呈する。
学会批判のJ会に、戦いを挑む。
子供たちの病気、心配する。家がすき間風のため、寒いようだ。
6 十二月二十四日(木) 快晴
昨夜は、あまりにも寒し。自分も風邪か、三十八度の熱──午前中、休む。妻より、早速、本部に連絡を頼む。横になりながら『犬養木堂伝』を読む。
午後より、本部へ。
帰宅して、書を三枚。
″天真爛漫″
″天真独朗″
″無冠帝王″
7 十二月二十五日(金) 快晴
天気続く。
″デモ規制法″が、国会にでもまれる。次第に、複雑怪奇の社会にと変化、変動の感あり。
一日中、本部にて指揮──戸田会長死後、学会の弱体と、崩壊を笑っての内外の敵、日々に増加。
夜、友人らと、M宅へお歳暮に行く。
帰宅後、狭い風邑にゆっくり入る。種々、自己の将来を思索。思うことあまりにも多し。凡夫なれば、確たる決断もできやす、悩むこともまた多し。
凡人の道、凡人の生活、凡人の人生なれば、これでよしか。人間というものは、所詮、愚かなるものだ。
結句は、強靭なる信仰の道による、人間革命しかなくなってくる。ただ。
8 十二月二十六日(土) 快晴
快晴続く。
心身共に疲れる。
医師に、三十歳までといわれた寿命が、これで一年生きのびたわけだ。見事なる宿命の転換。
人生は、生き抜くことだ。その原動力は題目だ。そして妙法の功徳を、どこまでも重ねゆく日々の持続と実践だ。‥‥「更賜寿命」。
妙法より頂戴した寿命──大切にして、生き、戦おう──。
誉れ高き法王の子のごとく、毅然とした一生を、来る日も、来る日も送らねばならぬ。
夜、若き理事、青年部首脳らと会談。夕食すすまず。
9 十二月二十七日(日) 快晴
本年最後の日曜日。
午前中、久方ぶりに庭の掃除をする。庭の花少なし。しかれども、家中は、幸福の花園のごとし。
大御本尊の功徳を泌々と感ずる昨今。
御書にいわく「法王虚しからず」なり。胸中の宮殿あり、小さなわが家を包む。
二時より、池袋・常在寺に・おいて、入院式。日達狙下ど登座により、後任としてS教学部長の着任。儀式終了後、祝賀会あり。
明日もまた多忙か。
10 十二月二十八日(月) 晴
朝、身体の具合悪く、自動車にて出動。もったいない思い。やむをえぬ。
本部の面接指導、多忙なり。来る人、壮年、婦人、青年ら多数。
午後七時、常泉寺にて、向島支部の幹部会。立宗七百七年の最終の学会活動である。帰り、向島会館により、同志と共に、戸田先生を慕う話で夜半まで──。
帰宅遅し。静かな、明るい家庭。
11 十二月二十九日(火) 晴後雨
本年も、はや終わらんとす。
悩みと、建設と、努力と、懸命の一年であった。
先生のおわせぬのが淋し。毎年、大晦日と正月に、親の子を労うがごとき、先生の言葉ありて、私は感動したのであった──が。
夕刻、本部会議室にて、大幹部たちと、種々談合。善人の結束。
政治乱れ、国土、国民乱れ、恐ろしき未来と未来世を予感。
背中、非常に痛む。
12 十二月三十日(水) 快晴
本部仕事じまい。皆、よく働いてくれた。すまぬ気持ち。本陣の守人としては、まだまだ、勇気がないとも思う。来年より、訓練をしてゆかねば──。
立宗七百七年も、あと一日。この一年、生涯来らず。令法久住への、絵巻物のごとくで、あったとも思う。
先輩たちの惰性を悲しむ。
先輩たちよ、元気を出してくれ、と祈念。
13 十二月三十一日(木) 曇
七百七年、遂に去り、
七百八年、遂に来る。
家でゆっくり休む。思うこと多々。
「味方は少なし、敵多し」の、恩師の歌が、なぜかはなれぬ大晦日。われらに、諸天の加護を信じて前進。来年もまた──と、一人決意する。
人間と平和と、広布のために、思師の歌を涙と共に、歌いたき心境。