Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(三月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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2 三月九日(月) 晴
自己の感情は、次第に荒くなる。激情か。見るもの、聞くこと、全ていやだ。悪世末法の社会。
純粋に、利害も捨て、名誉も捨てて進む、青年のみが、私は大好きだ。ここにのみ、建設の源泉がある。
なんとずる賢い、円熟の人の多きことよ。自分には、耐えられない。
先生の「種種御振舞御書」の講義の録音を、聞く。
半日──本部にて、先生の指導の整理。
遺品の整理も含めて。つい涙あり。
夕刻、遺族のMさんたちと、Hにて会食。
信心の世界と未来の話が、自分にはご馳走なのだ。今は、愚痴は困る。
夜、恩師の一周忌についての「大白蓮華」の原稿を書く。
折伏・布教を忘れたら──創価学会の存在価値はなくなる。
3 三月十七日(火) 雨
十五日──東京駅午後一時三十分発の急行にて、総本山へ。一泊登山。M君と二人で。
夜、客殿にて「四条金吾殿御返事」を講義。
静寂なる本山。
十六日──。
十七日──午前、本部にて、恩師の指導の記録を進める。
午後──客、応対。
夜、池袋・常在寺にて、文京ブロックの指導。「四条金吾殿御返事」の御書を中心に。
御書をはきちがえた、自己中心主義の、幹部のいるのに頭痛あり。
指導者は、絶対に頑迷と偏狭であってはならぬ。後輩が可哀想でならない。恩師の指導・訓練が、もう消えたのか、と怒りたい。
遅くまで、デュルケム著『宗教生活の原初形態』を読む。難解。
4 三月十九日(木) 晴
一日中、先生の指導の、結集に奔走。
生涯、若き雪山童子のごとき、清心でありたい。
悔むこと多し。油断して、記録少なし、残念。
夜、足立支部の幹部会に出席。御書を講義しながら指導。
帰り、腹痛。冷えか。
5 三月二十八日(土) 晴
昨日、地方指導より帰る。
豊橋、大津、福井、福知山、そして岐阜と。五日間の真剣勝負の日程に悔いなし。
恩師の二回忌を前にしての、せめてもの奮闘だ。先生──私を、見守り給え。
新しき時代と、社会は、われらで築くぞ。
夜、先生の指導を、全力をあげて結集。