Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(二月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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2 二月十二日(木) 快晴
晴れの日、続く。春近し。
本部、閑散選挙も静か。大丈夫か。
善積もれば仏となる。悪積もれば地獄となる。一生涯を、流れゆく水の信仰で、有意義に人生を限りなく貫きたいものだ。
日興上人のごとく、峻厳なる信心を。
日目上人のごとく、国諫の実践者に。
僧侶もすべからく、そうあってほしいものだ。
──と、想う。念う。
輝く自室、六畳間。時計の針の動く音が、耳にさわるぐらい静か。妻の出す″おしる粉″をすすり、一時過ぎ就寝。
明後日は、また旅行だ。名古屋へ。そして、関西へ再び。使命を胸に抱き、勇んで行こう。
3 二月十五日(日) 曇
十四日──。
横浜駅より、特急「つばめ」に乗る。親類に挨拶のため家族全員で。
名古屋駅に午後二時前に着く。
午後、夜にかけ──班長会、班担当員会を開催。
中京もまた元気。学会は堅し。関西の次は中京だ。一支部でなく、全学会で力を入れゆく国土世間だ。梶を誤るな。
十五日──午前中、東山動物園へ。
博正、城久の喜ぶ姿は‥‥小鳥のごとし。
O宅に挨拶。義兄の仕事のことで。一時間ほど打ち合わせを。
四時より──愛知の会館入仏式。七時より、青年部幹部会。
子らと別れ、八時三十分──特急「こだま」に乗り、関西へ。裁判のため。
恩師の一周忌、近づく。行躰即、新たなる精進と、決意を。
車中、思うこと多し。限りなし。
4 二月二十日(金) 晴
微熱あり。朝、ゆっくり休む。
新宿の病院に、再びレントゲンを撮りに行く。病院にて、足立支部の方という──看護婦さんに会う。びっくりしていた。
午後──本部面接。忍耐強く人間指導に頑張る。
夜、K氏らと、打ち合わせ会。ダイヤモンド・ホテルにて会食をしながら。好感のもてない人だ。
恩師の生命の叫びが、一日一日、消えゆくようでならない。断じて消してはならぬ。
組織あり、教学あり、社会の地位あり‥‥大切なのは、慈悲だ。慈悲ある人だ。不退の求道だ。無限の求道の人だ。
わが広布の真の味方は‥‥。
5 二月二十四日(火) 雪
朝、雪
銀世界の東京を──タクシーで本部へ直行。
朝日に、宝石のごとく輝く瞬間、瞬間。
先生の、昭和三十一年十月の客殿における、講義の録音を聞く。一時間。『無量義経』──「十功徳品」。
毎日、一つずつ聞くことに決める。そして、全部、後世のため、レコードにすることに決定。
先生逝去後──次第に、幹部の精神的支柱の、減退を痛感。
公正な人事と、暖かな指導が必要と一人、憂うる昨今。
恩師の信任の人が、伸びのびと闘えるようにしてあげねばならぬ。増上慢の人が、気ままに振る舞うようでは、学会は衰退してしまうからだ。
学会家族は、いずこよりも暖かく、盤石であらねば広布はできないからだ。
帰宅遅し。疲れた。