Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十四年(一月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  元旦(木) 雨
 立宗七百七年。
 「黎明の年」にしたい。
 午前七時──自宅出発。S宅へまわり、妙光寺に挨拶。さらに、常在寺に参詣。
 十一時──学会本部。恩師より頂戴したモーニングを着る。晴れやかな一年の出発。
 本年こそ、若き将として、指揮をとらねばならない。不退不動の決意で。‥‥戸田城聖先生の直弟子なれば。
 方便品・寿量品の、読経・唱題を終わって、恩師の昨年元日の初講義の、録音テープを聞く。深く、厳しき、三妙合論の不思議な講義。
 東京駅午後一時三十五分発にて、大幹部と共に総本山へ。
 駅も車中も混雑をきわむ。
 元旦の雨は九年ぶりなり、と。元旦の雪は二十八年ぶりなり、と。
 本山に集合せし、全国の友の顔、顔。幾千万の人間のなかで──幾千年の時代の流れのなかで──今、宿世にあいみる友。決して、おろそかにすまいぞ。
2  一月二日(金) 晴
 満三十一歳の誕生日
 初御開扉。新たなる決意を。
 「わしの死んだあと、あとは頼むぞ」「お前が、わしの葬儀をしろ」との遺言が‥‥胸奥に轟き、響きわたる。
 午前十時より──五重塔前の恩師の墓前にて、音楽隊、合唱団と共に「五丈原の歌」合唱。新たなる男子部歌をご報告。
 十一時──青年部幹部と共に記念写真を。
 一日一日が、激務なればなるほど、貴重な歴史となる。この一年は、輝く足跡でありたい。
 帰り──ご遺族と共に下山。明るくなられた。安堵。
 車中思う──本年は、教学と読書を、十年分ぐらいやりたし──と。
 今年からの──この日誌は、遺言の思いなり。黄金と試練と、歴史の一日一日。
 その記録を‥‥。自身の人生は‥‥今日以後。先生──必ず見守ってください。
 繋明のごとき希望もあり、決意もあり、苦悩もありの、正月。
3  一月三日(土) 晴
 心豊かに勤行・唱題。家族一同で朝食。
 年賀状を見る──返書を三十通書す。
 午前中──多数の人びとが来宅。多忙の応対。生涯、誰人に対しても、同じ心で接したいものだ。
 午後──読書。『財界人物論』。
 結局、恩師の十年間の、教育、指導、行動、思想、人格、人間性、英知に勝るものなし。万書に超越し、万人の指導者に勝るか。
 一日、一日が身の引き締まる思い。
 自己の運命の──人事が着々と準備されゆくことを感ずる。広宣流布への宣言の人事。
 内奥の響きに呼応して──何か動き始めゆく──御本尊にお任せする以外の何ものもなし。
 わが子ら、近所の子らと、たいへん親しく遊んでいる、と妻より。
 夜──多数の来宅。疲れる。妻の顔も。
 皆、満足して、帰ってもらいたいと念ず。皆、服装が立派になってきた。嬉しいかぎり。
4  一月四日(日) 晴
 生涯で、最も静かな正月。
 午前中、子らと団らん。
 正午より──荻窪のM宅へ挨拶に。
 帰り、青年部首脳たちと、新宿にて会食、別れる。
 夜、読書──和辻哲郎著『倫理学』。
 二時過ぎるか──就床。
5  一月五日(月) 晴
 午前、在宅。
 三日と同じく、来宅の人びとと談合の日と決める。一歩も外に出ず。定根の修行か。
 午後、少々横になる。思索──大石良雄(内蔵助)と大石良金(主税)のことを思う。父の性格──良金の純情。
 彼らは主従の仇──一つの首に生涯を散らす。悲し。あさまし。われらは、万人救済による生涯。百千万億倍優れた──法戦。
 先生の墓前に──広宣流布が終わりました、とご報告できるまで、私は闘う使命があるのだ。
 夜、昨日に続き読書。
6  一月六日(火) 晴
 身体を、静養させてくれた正月。
 職員と、初顔合わせ。皆、元気。一人の職員に、頭痛める。
 午後──新橋のRにて、新年宴会。ふぐ料理を食す。おいしかった。
 終わって六時より──皆で東京タワーにのぼる。東京の夜景を見る。寒風しきり。面白からず。
 理髪店による。さっばりして、文京の青年部の会合に出席。厳しき宗教革命についての指導を──。
 男女青年部企画室のメンバー──一緒に自宅へ。信頼しあうこの人たちは、必ずや大人材になりゆくことだろう。
 「マウルヤ王朝の最大の意義が、チャンドラグプタの孫アショカ(阿育)によって創り出された独特なインド的帝国にあるとすれば、われわれは右の見方に賛同せざるを得ないであろう。アショーカ王は、マウルヤ帝国の巨大な権力を傾けて、ダルマ(法)の支配を打ちたてようとした。その法は特にブッダによって説かれたもの、慈悲の理想を原理とするものである」(和辻哲郎著『倫理学』)
 妻とともに、ラーメンを食う。美味。
 就寝、一時三十分を過ぎるか。
7  一月七日(水) 快晴
 午後三時から──本年初の連合会議。
 学会建設の寺院を──全部、総本山に御供養することに決定。当然のことであり、これが本筋でもある。
 帰り、老いたる理事長、理事らと焼き鳥を食す。進歩的な話題全くなし。若き、よき友がほしい。未来の清新の友が、側にほしい。
8  一月八日(木) 曇
 午後六時より子供会。N園にて。
 先生ご在世からの定例。
 三十一組の先生指名の子らに加えて──集いし人数七十六名となった。
 無意味な会合であってはならず──子供会の指針ともいうべき考えを話す。
  一、恩師は父である。父の遺訓を護り、実践することが根本である。
  一、全学会を指導していける、努力と責任感をもて。
  一、真の兄弟、姉妹となり、全学会を死守せよ。
  一、主・師・親の後継を護り、広宣流布を実現しゆく人であれ、と。
 帰り、青年部首脳たちと語りながら帰宅。
 はやくも、満三十一歳となる。
 人生──生涯にとって──最重大の年代に入るか。
9  一月九日(金) 曇
 明るい家、わが家。新春のごとき生命、わが家族。妙法即蘇生の生活
 『法華経』──「法師品」に曰く、
 合掌して我が前に在って 無数の偈を以って讃めん
 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
 持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん
 午後二時より──本部に於て、社友会を。
 新春放談のごとく、その会、終了。
 夜、遅くまで在本部。今日も悔いなき一日。帰宅、十二時を過ぎる。
10  一月十日(土) 曇
 昨秋は大風あり。黒日あり。本年、また二の日出づ。自界叛逆の、いよいよの瑞相なり。
 また、黒き雨降れりと報道記事あり。今年の秋、彗星出づとの記事もあり。太陽の黒点は、最大になりゆく、と。
 われら凡人は、社会の現象のみを追い──天体の不思議の作用を深く知らず。法眼よりみれば──大聖人様ご在世と、厳しく類似せる時世か。在世と今日──その本質は一つ。その未来現象の方程式も、また確信せざるを得ず。
 正法流布の時──いよいよ来るか。
 地涌の菩薩の使命──ますます重大な行動に入るか。
 日本の前途──社会──世界の動向──動かしゅく大信心でありたし。
 分別功徳品に日く「悪世末法の時 能く此の経を持たん者は」と。
 夜半まで──先生の指導を整理。
11  一月十五日(木) 曇
 成人の日。
 自室に──バラの花、数本。
 午前十時二十分発の日航機で、羽田をたつ。午後一時三十分──千歳空港着。
 多数の同志待つ。申しわけなし。われよりも、喜々たる顔。
 蒙明の七百七年──第一歩の闘争は、恩師の故郷から、と決意。
 六時より──思い出の小樽市公会堂にて、御書講義と質問会。「日厳尼御前御返事」。
 参加の数──千人なり、と。
12  一月十六日(金) 晴
 午前八時三十五分発にて──小樽より、旭川へ向かう。健康状態もよい。嬉しかった。
 午後一時三十分──旭川着。多数の同志待つ。
 二時三十分より──大法寺にて、御書講義「西山殿御返事」ならびに質問会。超満員。
 六時三十分より──N宅にて、再び御書講義「妙一尼御前御返事」と、質問会。
 終わって──男女青年部幹部会。
 北海道の冬景色を、心ゆくまで味わう。
 忘れ得ぬ、雪と清気と牧歌調の街──旭川。
13  一月十七日(土) 曇
 旭川駅──午後零時三十五分発にて、夕張へ向かう。
 北海道は、実に雄大だ。世界の冠たる──精神界の大開発を決意する。
 いつの日か、この大地よりあまたの指導者が輩出するのは。
 夕張駅──五時三十分着。
 大歓迎をうける。ありがたい。これらの強き同志あれば──これからの闘争に、断じて敗れまい。この人びとのために──私は起たねばならぬ。時は‥‥刻一刻と近づいて来た。どうしょうもない。時の流れか、要求か、宿命か。
 夕暮れの──小雪ふるなか──T支部長宅へ。
 夜──映画館を借り、御書講義「四条金吾殿御返事」と質問会。
 立錐の余地なき、この熱と力を、求道の姿にと──ますます決意堅む。
 炭労事件の発祥地。
 恩師の、若き青春の教鞭をとりし地。
 文京の友らが、築きし歴史の地。
 夜半まで、T宅で幹部たちと、過去のこと、現在のこと、未来のことを、語る。懐かしい、懐かしい地、友、時であった。
14  一月二十一日(水) 快晴
 朝、M君来る。女性問題で自殺まで決意の様子。可哀想でならなかった。因果の厳しさ。──真剣に人問革命の指導を。
 午後、K君の結婚式に出席。
 夜、本部幹部会。豊島公会堂。元気に指導する。
 帰宅、十時三十分。
 シュヴァイツァーの『バッハ』(辻荘一・山根銀二訳 岩波書店)を開く。
 暖かな一日であった。
 天皇機関説を提唱し、天皇主権を厳しく攻撃した美濃部達吉は、弱冠二十七歳よりこの提言を三年間で確立した、と。青年期のみ、偉大な創造と勇気と、正義の闘争ができるものか。

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