Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十三年(七月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

前後
2  七月五日(土) 晴
 暑い、暑い一日であった。
 北海道も東京と同じか。
 午前中、U部長と、語りながら理髪店へ。
 午後、I宅にて、指導会等。勤行。
 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔輭
 一心欲見仏 不自惜身命
 夕刻、円山グラウンドにて、予行演習。
 戸田門下生は、真剣。先生を迎えての会合なりと思って。それを、先輩らは、自分たちを迎えてくれていると、増上せるか。
 愚かや、愚かや。
 夜半まで、青年部首脳と、ゆっくり語る。
 明日を夢みて‥‥本年二度目の北海道だ。休もう。ゆっくりと。
 先生、お休みなさい。
3  七月六日(日) 晴
 第二回北海道総会。十二時少々前、開始。
 暑い一日であった。
 私は「広布実現を目指して」と題し、講演。
 私の一生は、戸田先生の遺言ともいうべき構想を、叫び、戦い、達成することだ。これだけが、私のこの世の使命だ。
 笑う者は笑え。怒る者は怒れ。
 私の信念として、弟子として当然のことだ。その使命に生き抜くことが、絶対、間違いなき信心だ。三世十方の仏、菩薩の照覧もあれ。
 鉄道事務所にて、祝賀会あり。
 北海道の風、月、緑を、私は愛する。恋する。
4  七月七日(月) 晴
 今日も、暑い北海道。
 午前八時に、札幌駅へ、御法主上人猊下を、お見送りに行く。お元気そうで、安心。
 午前中、ロープウエーに皆で乗る。完成したばかりのようだ。
 U宅により、夕刻の日航機で帰京。
5  七月八日(火) 曇
 身体の調子、全く悪し。午前中、休む。旅の疲れか。若いくせに残念。三十七度八分と体温計。
 いかなる社会も、複雑であり、思うようにいかぬものだ。人間世界の葛藤模様。人間の世界ほど、美しくもあり、醜きものもないようだ。
 諸行無常を常楽我浄の世界に転換せしむる仏法。
 涼しい一日であった。
 十年、二十年と生き抜こう。そして、恩師の実証を、厳然と示して死にたい。
 為説種種法 毎自作是念
6  七月九日(水) 曇
 微熱、三十七度八分。内臓、少々苦し。
 ひたすらの信心で進む以外に方途なし。
 午後一時三十分発の急行にて、総本山へ。戸田城聖先生の百か日忌法要。納骨。
 五時少々前、総本山着。ご遺族らと。
 七時より、大講堂にて、追善大法要。
 御法主上人のご導師をたまわる。
 追憶談あり。われ、新たなる決意を深く、静かに固む。
7  七月十日(木) 晴
 総本山に於て。
 百か日忌法要終了。納骨の式完了。
 先生の全生涯、ここに終わる。先生は、この世におられぬのだ。鳴呼。
 生死不二なれば、先生、今ここにあり。お見守りくださいと熱涙。
 納骨の墓前にて「先生お休みなさい」と申し上げる。線香、五本供う。私と、妻と、博正と、城久と、尊弘の分として。
8  七月十二日(土) 曇
 特急「つばめ」にて、関西総会へ。
 本年の、地方拠点最後の青年部総会。
 横浜駅より乗車。部長、青年部首脳らも同乗。
 関西に近づくにつれ、暑さ、いよいよ増す感。
 青年部首脳たちの、立派になったことよ。I君がもう一歩。
 関西本部、総会準備で大変。本当にご苦労なり。この修行の因──必ず果の人材と飛躍してゆくことと確信。
9  七月十三日(日) 晴
 第一回関西青年部総会。
 会 場‥‥大阪府立体育館。
 女子部‥‥正午開催。
 男子部‥‥午後四時半開始。
 女子部、七千人。男子部、八千人。
 実に立派な総会であった。あっばれだ。関西はよくやった。
 終了後、首脳たちと″すし″を食う。美味。
 生涯、青春の生命で乱舞をしたい。
10  七月十六日(水) 晴
 午後、本部応接室。ご遺族と半日語る。非常に喜んでくださる。これほどの喜びなし。淋しさを越え、私の心境が、わかってもらえることは、最も嬉しいことだ。人の心を、わかる人間になりたい。
 五時より、連合会議。人間なれば、議論沸騰の会合となる。それもよいだろう、新建設の途上なれば。ただ、先生の本丸を護るのはわれしかない。
 唯ひとり、家に帰る。暑い日であった。
 七年先を目指して、不自惜身命の覚悟で、起ち上がれ
11  七月十七日(木) 晴
 次の法戦に、決意盤石。
 一日中、興奮‥‥若獅子のごとく。
 ご遺族、明るい顔で本部へ挨拶に。嬉しい。
 午後より、面接指導を。全魂を傾けた。
 終わって、遅くまで、I君と語る。小生の心情が、なかなかわからぬ人。美しき友情よ、生涯につづけと唯々祈る。
 M宅へ、お中元に行く。
 乱戦には、革命児は、毅然たる態度が、最も必要。
12  七月十九日(土) 曇後雨
 今朝も、熱三十七度を越えている。
 Mさん、お元気になる。午前中、本部に見える。
 本当に結構なことだ。あとは、自身の信心だ。
 午後一時三十分発の急行で、新潟行き。高崎あたりから雨。涼風を感ず。全く助かる。
 七時三十分、新潟着。T氏らと共に。ただちに寺院にて、支部幹部会。元気溌らつの越後の友ら。
 明日は、新潟支部の初の運動会。
13  七月二十日(日)~二十一日(月) 雨
 雨。残念。皆も。
 午前中、再度、寺院にて指導会。
 結局、運動会中止を宣言。
 大波のなか、十二時発の汽船にて、佐渡島に渡る。多数にて。船揺れ、気持ち悪くなる人続出。四時間以上、波しぶきを船体にうけつつ、佐渡に着く。われわれの船のあとは、全船欠航のよし。忘れられぬ一日。
 旅館にて、疲労のため熟睡──驚き起きて、幹部指導会へ。
 生老病死即金銀鋼鉄につながる、生命論の話をする。
 「御義口伝」にいわく、
 金銀銅鉄とは金は生・銀は白骨にして死なり銅は老の相・鉄は病なり此れ即ち開示悟入の四仏知見なり。
 翌二十一日──塚原三昧堂、一の谷等を見学。史実とは相当の違いあるを知る。ともかく、大聖人様の歴史を偲びつつ漫歩する。有意義な半日。
 生まれて初めての佐渡──再度、ゆっくりの視察を心に秘む。
14  七月二十三日(水) 雨
 台風十一号、本土上陸。
 午前八時ごろより、東京をはじめ関東を荒らしまわる。本部への出勤、大いに困った。
 豪雨──凄まじいぐらい。大型台風の来襲、九年ぶりと報道。
 午後より、本部応接室にて、理事室と連合会議。
  ① 八月の行事
  ② 人事の決定
  ③ 各支部の分析
 一日も速やかに責任指導者の出現を望む声あり。集団指導よりも、と。
 夜、葛飾の、ブロックに出席。
 自己の止まらぬ廻転。
 「星落秋風五丈原」を歌いながら帰宅。夜半。
 妻の明るい、静なる顔。
15  七月二十四日(木) 曇
 天候悪し。蒸し暑い一日。
 午前──「大白蓮華」編集会議。扇風機きかず、皆、汗ばんでいる。早く冷房設備をと、ひとり考う。
 機関誌は、一人のためでなく、全学会の指導書なることを忘るな、と。
 終わって、H理事と語る。のん気な人だ。
 強くゆけ、皆よ。
 夕刻、H弁護士宅へ。墓地問題、その他の打ち合わせのため。正義の弁護士、少なし。これでは、弱者は可哀想だ。力の論理の世界では、庶民の苦しみは、徳川時代と変わらずか。
 宗教革命──社会革命。自分たちの社会を創るために、民衆が起ち上がることだ。その起爆剤とならねば。
16  七月二十五日(金) 曇
 七月度本部幹部会。豊島公会堂。午後六時。
 先生という、柱なき幹部会の淋しさ。終わって常在寺にて大幹部会。足並みそろわず。
 所詮、自己保身が、人間模様か。戸田門下生よ、いずこにと嘆く。
 私は戦います。先生、見ていてください。
 私は闘います。愚人に褒められず。
 批判の嵐のなか、先生に褒めていただくために。
 池袋駅より、帰宅。雑踏のこの駅にも、友の姿、多し。
17  七月二十六日(土) 雨
 憂うつな一日。
 本部応接室にて、K女史と、学会の将来について、種々語り合う。
 一日、一日、心配とのこと。牧口門下生の団結を力説。
 午後五時三十分より、G園にて、総本山の所化さんをご招待。宗門の鳳雛──。
 途中より(六時二十分)河口湖へ出発。K館に十時着。
 水滸会‥‥戸田先生を、追憶しながら、百名の同志と一泊。広布の人材にと誓い合う。全員に″実践″ということについて、指導。
 会員の顔、決意を秘めて喜々。
 第一期生の名簿を、久しぶりに見る。
18  七月二十七日(日) 曇
 早朝、起床。
 朝食後、皆でモーターボートに乗り、湖を一周。心爽やか。
 午前中──ドッジボール、相撲等を、力いっぱいやる。
 正午、出発。山中湖による。乗馬、競輪等を、愉しむ。
 本部着、夕方六時。
 K氏と共に、矢口の実家による。食事をご馳走になり、早目に帰宅。
 妻、ずいぶん陽に焼けたという。
19  七月二十八日(月) 曇
 夜、中野会館へ行く。住宅街にあり、隣近所のことを心配する。神経を使わないで、伸び伸びと使用できる会館を、たくさん建設してあげたし。
 青年部会。地区部長会。われより求道の人びと。尊敬す。
 八月より、教学を一段と深めてゆく決意をする。このスランプのごとき時代に、教学を真剣にやった人と、やらぬ人とは、数年後、大変な違いを示すことであろう。恐ろし、恐ろし。
 帰り、新宿で食事。
 帰宅、十一時少々前。
 静かな、ふくよかなわが家‥‥。
20  七月三十一日(木) 晴
 午前八時五十分──K氏と会見。小一時間。
 名刺を渡す。ただちに、池田君の名前は戸田会長から聞いておりました、とのこと。
 先生の先手には、ただ驚く。
 時代よ──急激に変わりゆけと願いつつ、本部へ。
 二十年後を見よ、と。
 七年後‥‥大客殿建立。また七年後‥‥正本堂の建設。そしてまた七年、昭和五十四年‥‥広布への大前進。そしてまた七年‥‥いかなる波浪が前途にあることか。
 思惟、限りなし。思索、止まるところなし。
 夕刻、男女部長らと懇談。

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