Nichiren・Ikeda
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昭和三十三年(五月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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2 五月十三日(火) 晴
朝、熱あり、健康になりたし。
午前、在、本部。午後、T君の結婚式に出席。夜、中野の組長会。皆、元気、われのみ元気なしか。
本部に戻り、先生の講義を整理。
「三大秘法抄」の意義
① 釈迦仏法にはないか
② 戒定慧との関係
③ 小乗・権大乗・遮門・本門の現代的解釈
④ 受戒者の資格について
⑤ 祇園精舎の意義
⑥ 戒とは
⑦ 戒体
⑧ 年齢と受戒
⑨ 破戒について
大聖人の三大秘法について
① 民衆の教育高く、知覚できる
② 内容‥‥因果の二法で誰人も納得する
③ 本因・本果・本国土に約す
④ 本門の戒壇の意義
⑤ 戒壇論(世界中の戒壇なり)
⑥ 正法と時代の流れ
⑦ 外国流布の推移
⑧ 田中智学等の誤り
⑨ 日我・日進等の過ち
⑩ 本因妙抄論(日有上人)、等々
「松野殿御消息」拝読。
昔し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる。
就寝、一時を過ぐるか。静。
3 五月十四日(水) 曇
今日も無理して家を出る。微熱あり。心身つらし
太陽でありし師、今はなく、指標まったく暗し。自己の建設が、指標とならねば。
午前・午後‥‥本部会議室に。小一時間、指導部長、秘書部長と語る。視野の狭きこと、驚くべし。悲しむべし。
誰人も、先生の遠大なる目的を解せぬことか。われに憂い出づ。
恩師の道を切り拓くのは、われの使命か。重責の感、厳しき日々。
4 五月十九日(月) 曇
十六日‥‥特急「つばめ」にて関西指導へ。
十七日‥‥大阪地裁にて第三回公判。
十八日‥‥九時五十分発の日航機にて九州指導へ。午後一時‥‥久留米の会場へ到着。
二千名の女子部幹部の総会。盛大。はちきれんばかりに。
五時より、同会場にて、男子部千五百名の幹部総会。偉大なる革命児の息吹高し。歴史的な一ページとなるか。″九州男子よろしく頼む″との師の言に、応える姿なるか。頼もし、嬉し。
九時少々過ぎ、博多のT館に一泊。
十九日‥‥十二時四十分発の日航機にて、東京へ向かう。天候悪く、気持ち悪くなる。
師の四十九日を前にして、午後七時より御逮夜、本部広間にて。
支部幹部全員集合。九時、解散。
夜半まで、一人、師の指導を整理。
帰宅、十二時五十分。
一人の、戸田門下の青年は進む。一人、凛然と、北風と嵐に向かって。
5 五月二十日(火) 雨
『吉野朝太平記』を、読み始む。あまり面白からず。
夕刻、五時より、七時まで‥‥四十九日の法要のため、理事室、青年部幹部にて、恩師の目黒のお宅へ。
細井尊師の導師にて、読経・唱題、焼香も。懐かしき玄関、なつかしきお部屋。なつかしき楠公のガク。立正安国のガク。
喬久君より、種々の話あり。
肉親の親・仏法の師。
帰宅、十時。
自宅にでも、師の法要を妻と二人でなす。
遅くまで、先生のことについて、妻と語る。
休む前、御書の一節を拝読する。
陰徳あれば陽報ありと申して云云(陰徳陽報御書)
6 五月二十一日(水) 曇
″福運″、信心ある人、信仰なき人──共に、福運のある人生、福運のなき人間──あるものだ。不可思議の人生の、本質。
努力、才智、学歴、世襲、等々──と、福運との関連を、思念することあり。
正成には、正行、正時、正儀の、三人の子あり。今、私も三人の父となる。博正、城久、尊弘と。この三人、いかなる運命の道をたどるや。父として、思わずにはいられない昨今。
午後五時三十分より──本部にて理事室、青年部首脳との連合会議。
一、文化闘争の打ち合わせ
一、本部機構の点検
一、その他
自分は、部署をもたず、総括的に、指導、運営の中核になる。先生の、ご境涯を知る人、少なし。淋し。残念。自分が、しっかりせねば。
″先生、どうか見護っていてください。私が、先生の偉大さを、必ず世界に顕照し、先生のもとに帰ります″ ひとり誓う。
帰宅、十時。女子部企画室来宅している。適切に指導し、早目に帰す。
真剣な、乙女らの健康を祈りつつ。
7 五月二十二日(木) 曇
健康、少々とり戻す。
K宅に──A子さんの死を弔う。キリスト信者の淋しそうな両親の姿に、幼き時のことを、語り合う。大変嬉しそうであった。若き娘の、急逝に、親としての落胆は、誰人も同じだ。
新橋駅──午後三時三十分発の列車にて、支部長と共に、沼津の会合にゆく。車中──熟睡。
8 五月二十三日(金) 曇後雨
沼津の指導終え、支部長らと、熱海に一泊。全く眠れず、読書三昧。
結局、わが家が、いちばんの休息場だ。
衆議院議員選挙終わる。次第に関心をもちはじむ。
錦糸町に──登山会の陰の推進者・輸送班の労をねぎらう。皆、心から喜んでくれる。嬉しいことだ。
理事長を送り、自宅へ。
一日一日が、責務ある行動に入る。
9 五月二十四日(土) 晴
午後三時より──国立競技場にて、第三回アジア大会を観にゆく。青年部幹部二、三人を連れて。将来の、学会青年部の体育祭、文化祭の参考にとも思い‥‥。
二十か国の若人の‥‥アジアの夜明けになりゆくか。政治も、国境も、思想も、超越して──の理想はよし。されど、その理想の恒久的実現はいつの日か。絢爛たる、若人の熱と力と技。五時三十分まで観て、本部へ。来年は、必ず、青年部で開催してみたい。
久しぶりに、本部近くの、理髪店にゆく。さっばりして帰宅。
自宅の態勢も、次第に整う。安心して、闘争ができるぞ。嬉しい。
読書‥‥。
10 五月二十五日(日) 晴
朝、七時に起床。博正を残し、城久と妻と三人にて、二か月ぶりで登山。
先生、逝去以来、初めての登山である。多繁な数十日であった。苦しい日々であった。しかし、弟子は、いつまでも、感傷的になっておられぬ。再び、嵐の中を突進するのだ。
御開扉──真剣に、祈念。
登山参詣者──一万余。時代の偉大な流れ。
多数の幹部たちは、先生の死を忘れたのか、と憤りを感ずることあり。くやしい。
帰り‥‥数人の幹部と、横浜に降り、種々打ち合わせ。皆、頑張ってもらいたい。
Kより、電話あり。可哀想な人だ。
11 五月二十六日(月) 曇
自宅の経済逼迫とのこと。なんとかせねば。とにかく、出費を、最小限にすることだ。
頼みの綱──柱──である先生は、最早、この世におられないのだ。私が、皆をみなくではならぬのだ──夢ではない。現実だ。自己に鞭打つ。
理事長と、学会全体のことを打ち合わせ。長時間かかる。首脳は、一支部に固執せず、公平に、平等に、全学会を、全学会員を、見守ることだ。
偏狭な、指導者では、後輩が、可哀想でならない。
疲れきって帰宅。室の花‥‥鮮か。
少々、自宅前の自動車の響き、激しくなる。家も、揺れる感じ。
12 五月二十七日(火) 晴
一日中、不愉快な日であった。
疲れきっているせいか、朝、悪夢で、目を醒ます。何者かに、責められ、叱られている夢。″大作の意気地なし″といわれていそうだ。
夕刻──常在寺。新住職就任の祝賀会。理事長、理事室、青年部幹部、出席。全く面白からず。先生がいなくなって、威張る人多し、情けない。
われ思うこと多し。
われ憂えること多し。
日記を誌すことが、夢の中にいるようだ。わが先生が、脳裏に焼きついて離れぬ、生きておられるのが──真か、亡くなられたのが──真か、混線する夜中。
13 五月二十八日(水) 曇一時晴
午前‥‥本部にて、A文学博士と会う。傲慢なる人。価値論の話になる。本部第一応接室。
夕刻‥‥葛飾のブロックに出席。久しぶりなり。「佐渡御書」を講義。御書は、実践のたびに、信行深まれば、また深く読みゆけることを痛感。
全く、身体を無理している。大切にせねば。しかし、われは戦う。
帰宅、十二時少々過ぎ。
思念‥‥。
御書に「鳩鴿三枝の礼あり行雁連を乱らず・羔羊踞りて乳を飲む・賎き畜生すら礼を知る」と。
われも、先輩も、兄たちも‥‥社会の人々も──。