Nichiren・Ikeda
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昭和三十三年(四月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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3 四月八日(火) 曇
先生のご遺言により、ご遺体を、一週間、お護り申す。今日が、最後のお別れ。
悲しい、くやしい。「在在諸仏土常与師倶生」のご金言をかみしめる。
朝、先輩が迎えに来る。私は断る。
師匠との最後のお別れの日である。私は私なりに、一人して先生宅にお邪魔したい。最後の先生とのお別れに、誰人よりも淋しく、悲しい弟子は、私である。
厳しい父であり、やさしい父であり、今日の私あるは、全部、恩師の力である。
瞻仰。
三十の遺弟、青年、八時三十分、師の宅へ。
九時より、細井尊師の導師により、読経、出棺。十時、目黒のお宅を出発。棺の前を、理事と共に抱く。必ずや、先生は、喜んでくださっていることを信ずる。
「先生、お休みなさい。お疲れだったことでしょう」
私も、御遺命を達成し、先生のもとに早く馳せ参じたい。黙念。
十一時、池袋の常在寺着。
当日の焼香者、十二万人。誠心の人であり、先生を、心からお慕い申し上げる方々である。
今後、この方々を、更にさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決意。父にかわって。
十一時四十分。日淳猊下御出座。読経、歎徳文、遺族喬久君挨拶、最後に葬儀委員長挨拶。僧侶約六十名、大幹部、部隊長、ご親戚、友人等、計約三百名での焼香、順次終了。
三時十分、最後のお別れの出棺。″一週間″の遺言を全うす。
最後まで、先生のおそばで、お供する。必ずや先生は、喜んでいてくださると信ずる。
三時三十分、青年部幹部を先頭に、僧侶二台、遺族の車、そして先生、ご親戚、大幹部、理事室と、落合火葬場に向かう。
常在寺、最後の細井尊師の読経の際、一陣の強き風吹けり。火葬場にでも、また天空に真っ赤な色彩を強く強く感ず。
二日より今日まで、曇天続く。
4 四月二十九日(火) 薄曇
季節は緑に。
桜散り、木蓮落ち、水仙の花、黄金色に開き、夢の色濃く高し。
二十五日‥‥特急「つばめ」にて、神戸並びに関西の教学試験へゆく。恩師逝去後はじめてなり。師亡くも、伸びのびと溌剌たる学会っ子たち。前途たくまし。
S夫妻に、厳しく指導。
幾千、幾万の真面目な受験者に、胸打たる。盤石なる学会の底力を示すか。無事。安心。
二十八日──一切の試験、口頭試問、採点を終えて、四時三十分、東京駅着。
師子座なき本部に、淋しく帰る。十時まで会議。打ち合わせ会。
二十九日‥‥午前中、休養。健康にならねば。一段と、大切な身体となる。恩師の遺業達成のために。くやし。
意義深き五月三日、目前に迫る。実質的──学会の指揮を執る日となるか。
胸苦し、荷重し。「第五の鐘」の乱打。
戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒涛を乗り越えて。本門の青春に入る。
タ五時、Gに、妙光寺、K尊師の招待。妙光寺第二代住職大慈院二十三回忌のため、僧侶、幹部、数十名出席。
熱のため、八時過ぎ早目に帰宅。静かに、美しく待つ妻。
レコードを、久しぶりに聞く。横になりながら。
5 四月三十日(水) 晴後薄曇
微熱つづく。一日中、だるし。この一年で、健康にならねば、大変なことになる。真剣勝負の人間革命。
先生の「巻頭言」を読む。出版のため。その一節にいわく、「他人の利するものを、汝施せ」と。その利する最高のものを与えゆくを折伏というか。妙法なりと確信するか。生涯、言行一致の師であられた。
本陣、日一日と多忙になる。死するまで、妙法の革命に戦う一日一日でありたい。
午後五時、会長室にて、理事長中心に、新任部隊長の面接。
女子部‥‥五十部隊に発展
男子部‥‥五十六部隊に進展
可愛い青年部、必ずこの人達を護るぞ。
六時三十分‥‥四月度幹部会。常に学会は前進するのだ。
帰路、ひとり二十年後の学会を、考えゆく。心労あり。苦衷あり。
帰宅、十時を過ぎる。春風、暖。