Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十三年(四月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

前後
1  四月一日(火) 晴
 午前一時四十分、先生を東京におつれ申す準備をする。丑寅の勤行の最中であった。
 日淳猊下のご心境、先生のお心、いかばかりか。今世のお別れとなられるか。恐れ多くも、猊下には、勤行を、早目に終えられ、お見送りに来られたとのこと。
 今日の大宗門の繁栄に、心を砕いてこられた日淳猊下、猊下をお護り申し上げて、身命を捧げて戦ってこられた地涌の菩薩の総帥、戸田城聖先生、三世につながるお二人の深き縁を、深く尊く、考えずにいられない。
 鳴呼、玄妙なり、合掌たり。
 理境坊の二階より、午前二時ちょうど、出発。
 フトンのまま。「先生、お供いたします」と申し上げると、「そう、メガネ、メガネ」とおっしゃった。メガネを、お渡しするいとまもあらず、心残りなり。階下より、担架にて、車におはこびする。二時二十分。
 奥様と医師同車。続いて、理事室、私共の車。最後に青年部の車であった。
 月おぼろにして、静寂なる田舎道を、沼津駅へ。三度、四度、車止まり、先生の容体を伺い、また注射をなす。
 三時四十五分、沼津駅に到着。
 四時十五分発急行「出雲」に乗る。「先生、これで安心です」と申し上げたところ、「そうか」との徴笑は、永久に忘れることはないだろう。
 早朝、六時四十五分、東京駅着。一睡もせず、沈痛な気持ちで、担架でお降ろし申し上げ、ただちに、駅側の配慮により、エレベーターにて寝台車におはこびする。
 ただちに、私どもは、日大病院前にて、お待ち申し上げる。
 お疲れと、重体なるお顔に、胸がせまる。
 ああ、世界の大偉人の最後のご帰京となられるのか、心で題目をあげるのみ。全快を祈るのみ。
 ただちに、K医師、H医師の手当てあり。九時過ぎ、一切の手続きを終わらせ、ご家族にお願いし、会社に帰る。
 万感、ただ、平癒を祈るのみ弟子、皆同じ。
 一日中暖かな日であった。されど、弟子一同の心、暗雲の如き気持ちは、いかようにもなし難い。
 われらは、更に、自己の信心を磨くべきである。自己の建設をなすべきである──無数の偈、去来して一日を送る。
2  四月二日(水) 曇
 朝、緊急に、部隊長会議を招集する。心急ぐ感あり。先生のご容体非常に悪し。
 一週間、部隊長全員にて、本部にて勤行することを決意する。
 午後、本部にて、秘書部長より「先生の経過良好になる」との報を聞き、われは狂喜。
 五時より、理事室、青年部首脳と、連合会議をなす。
 六時四十五分、管理部のH老より、真剣な表情で、私に「病院から子息、喬久君より電話」とのこと。風の如く、管理室の電話を受く。喬久君より、落ち着いた語調で「ただ今、父が亡くなりました」との悲報を受く。
 この一瞬。われ、筆舌に尽くし難し。愕然たる憶念は表記でき得ず。永劫に、わが内証の座におく以外なし。
 ただちに、重大会議になる。
 先生のご遺志は、清らかに水の流れの如く、広布達成まで流れゆくことを祈る。強くなれ、と自分に叱咤。
 早速、日大病院の病室に、理事室、青年部首脳のみ、馳せ参ず。
 静かな永眠の姿に、はたまた、微笑したお顔に、感無量。滂沱。
 鳴呼、四月二日。四月二日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一向にとって、永遠の歴史の日になった。
 ただちに、日淳猊下へ電報、細井尊師へ連絡、ご親戚へ連絡。
 先生のご遺体にお供して、目黒のお宅に帰る。小雨、少々降る。
 細井尊師おみえくださる。読経・唱題。
 理事室、青年部首脳にて、死水を。
 妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、王仏冥合実現の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ。
3  四月八日(火) 曇
 先生のご遺言により、ご遺体を、一週間、お護り申す。今日が、最後のお別れ。
 悲しい、くやしい。「在在諸仏土常与師倶生」のご金言をかみしめる。
 朝、先輩が迎えに来る。私は断る。
 師匠との最後のお別れの日である。私は私なりに、一人して先生宅にお邪魔したい。最後の先生とのお別れに、誰人よりも淋しく、悲しい弟子は、私である。
 厳しい父であり、やさしい父であり、今日の私あるは、全部、恩師の力である。
 瞻仰。
 三十の遺弟、青年、八時三十分、師の宅へ。
 九時より、細井尊師の導師により、読経、出棺。十時、目黒のお宅を出発。棺の前を、理事と共に抱く。必ずや、先生は、喜んでくださっていることを信ずる。
 「先生、お休みなさい。お疲れだったことでしょう」
 私も、御遺命を達成し、先生のもとに早く馳せ参じたい。黙念。
 十一時、池袋の常在寺着。
 当日の焼香者、十二万人。誠心の人であり、先生を、心からお慕い申し上げる方々である。
 今後、この方々を、更にさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決意。父にかわって。
 十一時四十分。日淳猊下御出座。読経、歎徳文、遺族喬久君挨拶、最後に葬儀委員長挨拶。僧侶約六十名、大幹部、部隊長、ご親戚、友人等、計約三百名での焼香、順次終了。
 三時十分、最後のお別れの出棺。″一週間″の遺言を全うす。
 最後まで、先生のおそばで、お供する。必ずや先生は、喜んでいてくださると信ずる。
 三時三十分、青年部幹部を先頭に、僧侶二台、遺族の車、そして先生、ご親戚、大幹部、理事室と、落合火葬場に向かう。
 常在寺、最後の細井尊師の読経の際、一陣の強き風吹けり。火葬場にでも、また天空に真っ赤な色彩を強く強く感ず。
 二日より今日まで、曇天続く。
4  四月二十九日(火) 薄曇
 季節は緑に。
 桜散り、木蓮落ち、水仙の花、黄金色に開き、夢の色濃く高し。
 二十五日‥‥特急「つばめ」にて、神戸並びに関西の教学試験へゆく。恩師逝去後はじめてなり。師亡くも、伸びのびと溌剌たる学会っ子たち。前途たくまし。
 S夫妻に、厳しく指導。
 幾千、幾万の真面目な受験者に、胸打たる。盤石なる学会の底力を示すか。無事。安心。
 二十八日──一切の試験、口頭試問、採点を終えて、四時三十分、東京駅着。
 師子座なき本部に、淋しく帰る。十時まで会議。打ち合わせ会。
 二十九日‥‥午前中、休養。健康にならねば。一段と、大切な身体となる。恩師の遺業達成のために。くやし。
 意義深き五月三日、目前に迫る。実質的──学会の指揮を執る日となるか。
 胸苦し、荷重し。「第五の鐘」の乱打。
 戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒涛を乗り越えて。本門の青春に入る。
 タ五時、Gに、妙光寺、K尊師の招待。妙光寺第二代住職大慈院二十三回忌のため、僧侶、幹部、数十名出席。
 熱のため、八時過ぎ早目に帰宅。静かに、美しく待つ妻。
 レコードを、久しぶりに聞く。横になりながら。
5  四月三十日(水) 晴後薄曇
 微熱つづく。一日中、だるし。この一年で、健康にならねば、大変なことになる。真剣勝負の人間革命。
 先生の「巻頭言」を読む。出版のため。その一節にいわく、「他人の利するものを、汝施せ」と。その利する最高のものを与えゆくを折伏というか。妙法なりと確信するか。生涯、言行一致の師であられた。
 本陣、日一日と多忙になる。死するまで、妙法の革命に戦う一日一日でありたい。
 午後五時、会長室にて、理事長中心に、新任部隊長の面接。
  女子部‥‥五十部隊に発展
  男子部‥‥五十六部隊に進展
 可愛い青年部、必ずこの人達を護るぞ。
 六時三十分‥‥四月度幹部会。常に学会は前進するのだ。
 帰路、ひとり二十年後の学会を、考えゆく。心労あり。苦衷あり。
 帰宅、十時を過ぎる。春風、暖。

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