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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十三年(三月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  三月十九日(水) 晴後曇
 一か月にわたる大講堂落慶記念登山の輸送指揮に、神経と体力、実に疲れた。あと約十日間、更に決意を新たにして、立派に、悔いなく、使命を果たしたい。正法に目覚めた人を、誠心こめて指導することは、人生最高の尊き仕事である。
 先生のお身体、非常に悪い。二十二日に重要会議として、最高首脳部を招集さる。
 将来の学会と、自分の活躍を、真剣に考える。よし、所詮は、大御本尊様に祈念し、大御本尊様にお任せする以外に道なし。
2  三月二十九日(土) 雪後晴
 先生、身体の衰弱甚し。
 「あと、二、三日です。何も事故は、ございません。ご安心しておってください。大幹部も、だんだん来ております」と、申し上ぐ。
 先生、ご安心しきったお顔で、「そうか」と申される。
 その時、「追撃の手をゆるめるな」と、毅然たる語調でお叫びになる。大将軍の指揮に頭垂れるのみ。
3  三月三十日(日) 快晴一時雪
 午前十一時五十五分発の列車にて下山する。
 支部長と共に。満員列車にて、品川まで、立ち通しであった。暖かい一日であったが、胸奥は苦しい、疲れきった、闇の如き一日であった。
 二時過ぎ、目黒の先生宅に、お邪魔する。先生の入院について、御子息、奥様とお話しする。奥様は「自宅に帰ってもらいたい」と。御子息は「入院」と。私どもも入院をおすすめ申し上げる。しかし、胸奥は「本部に帰る」との先生のご意思を、そのまま、お通しすることが、私の責務であることにも迷った。
 どん底に落ちゆく気持ちである。弟子として、力弱き自分をなげく。ああ、一生取りかえしのつかぬ自己を、厳しくみる。これに報いるは、先生のご精神を、生涯、貫き通す以外にない。
 先生宅にて、七時過ぎまで、種々、入院の準備に苦心する。疲れる。全く心身共に疲れた。
 久しぶりに自宅に帰る。
 法戦──戦場に生きゆく運命を思う。
4  三月三十一日(月) 快晴
 午前中、先生宅へ。さっそく、奥様と共に、タクシーにて駿河台の日大病院へゆく。あまり良くない部屋にて、再三、交渉。弟子として、せめて、最善の部屋(病室)をと頼みしも、通らず。全くくやしい。H博士も「応急的の段階なれば、了承されたし」とのこと。
 やむを得ず決める。しかし、治療に対しては、全力最善を尽くされるよう、篤と頼む。
 一時三十分「西海」にて、再び登山。五時少々前に着く。ただちに、理事長、理事室に報告。
 先生のご容体、すこぶる悪し。帰京を延ばしたい。H博士は「よろしい」という。
 一晩中、休まず。階下にて、先生をお護り申し上げる。「五丈原の歌」を思い出す。
 理事長、理事等、最高首脳と、ほか青年部同志数人、同座。皆、口数も少なし。

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