Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十二年(十二月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  十二月一日(日) 曇
 関西へ講義のため、特急「つばめ」にて、東京駅より出発。
 H氏等数名と一緒。皆なにも語らず、あじけなし。
 私らの一行は、京都の幹部会に寄る。皆、心より、喜んでくれる。大好きな京都。
 終わって、S宅にて、レコードを鑑賞する。皆の顔に、生き生きとした希望があり、青春がある。
2  十二月二日(月) 曇
 朝早く、目が覚める。神経が休む日なしか。責務と激務の連続なれば、いたしかたなしだ。
 京都の幹部、九時ごろより来る。善人ばかりだ。品格のある婦人ばかりだ。Yさんも、実に善良な人だ。真剣に対談を。
 一時少々前、関西本部へゆく。
 本部広聞にて、「末法相応抄」を講義。幹部に厳しくあてて解釈させる。幹部、狼狽せり。
 夜、堺支部の幹部会に出席。引きつづいて、尼崎の幹部会。終わって、総ブロックの会合へ飛んでゆく。今日も悔いなき法戦。
 会合後、宴会の用意あり──学会の会合には、絶対、いかなる幹部たりとも、もてなす必要なし、と厳しく叱る。青い顔になりし、幹部と婦人の顔が可哀想でならない。
 来年は「勝利の年」にしたい。学会を批判する人、多し。
 ヒルティはいった。
 「高慢は、つねに相当量の愚かさに結びついている。高慢はつねに破滅の一歩手前であらわれる。高慢になるひとは、もう勝負に負けているのである」と。
 革命に生きる青年は障魔の嵐を恐るるな。
 一人して、関西本部に泊まる。
3  十二月三日(火) 晴後曇
 一日中、微熱あり。色心とも陽気になれず。今日の帰京の特急は、ことのほか疲れた。
 先生のご容体、全くよくならずとの報あり。心配である。心配である。
 六時より、一般講義。「大白蓮華」の解釈と相違あり、と抗議あり。解釈も、慎重を要す。活字はこわいものだ。
 寒くなる。本部も、街も、わが家も、冬の彼方には陽光燦たる春が待つ。人生は常に北風に向かい、そして春を待つことだ。
 人生も、社会も、複雑である。しかし、長い人生であり、大きな社会だ。失敗を恐れず、大いに北風にあたり、色心を鍛えることだ。
 歩みながらも、車中でも、諸行無常ということを──常楽我浄ということを思索する。
 先生、先生の回復を、待つのみ。
 今日もまた、明日も雄々しく、戦えと、
 己が心に、おのがむち打ちて進め‥‥と師の声あり。
 就寝──一時をまわるか。
4  十二月四日(水) 晴後曇
 先生のお声をお聞きしたい。しばし、お会いできず。なんと淋しきことよ。
 先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る。
 夜、本部にて、会議。学会のテンポ遅まる感じ。これでよいのか。
  十 歳まで‥‥平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代
  二十歳まで‥‥自我の目覚め、病魔との闘い
  三十歳まで‥‥仏法の研鎖と実践。病魔の打破への闘い
  四十歳まで‥‥教学の完成と実践の完成
  五十歳まで‥‥社会への宣言
  六十歳‥‥‥‥日本の広布の基盤完成
 いろいろに思う。未来の指標。
 今、三十代になんなんとし、今世の指標、いずこまで完成できたと、一人思索する。
5  十二月五日(木) 雨
 微熱あり、暗い憂うつな日であった。一日中、自身と戦い、広布と戦う。
 原稿が滞り、非常に困る。大学者、牧口先生、戸田先生の、お偉さを、泌々と知る。自
 己の力なさを悲しむ。人間革命あるのみか。
 夜、男子部班長会に出席。帯広の開拓者・依田勉三の話をする。
  ますらおが 心定めし 北の海
    風吹かば吹け 浪立たば立て
 われらの宿命を語りかける。終わって、女子部の幹部会に出席。「女性は、四十代で、その人生の幸・不幸の勝負あり」と話す。
 帰宅、十一時少々前。二時まで原稿執筆。自分の忍耐のなさを嘆く。
 教学と雄弁は、最大の武器なり。
6  十二月六日(金) 曇
 暖かな一日であった。春の如し。
 学会も、大きな曲がり角にきた感じあり。
 重大なる方向を、誰人が知るや。
 夜、文京支部の地区部長会に出席。皆、元気。頼もし。学会の重鎮を大切にせねば。
 「上野殿御返事」を講義。皆、真剣。
 今夜は、早目に休もう。よく休もう。闘争の準備のために。
7  十二月九日(月) 晴時々曇
 寒い日であった。
 先生の動かざる学会は、なんとなく静か。これでよいのかと自問。題目で生命力を。″妙とは蘇生の義なり″だ。
 午前中、「聖教新聞」の″座談会″。″立宗七〇六年の展望″と題して。
 夜、Y宅へお歳暮。遅くまで語る。
 十二日は、総本山にて、堀日亨上人の御本葬。本年最後の登山である。心より霊山におおくり申し上げたい。
 心豊かに勤行。読書。
8  十二月十日(火) 快晴
 愛親覚羅慧生、大久保君の心中、社会を驚かす。共に十九歳と。多情にして、多感の青春の末路は悲し。可哀想に。
 朝、先生のお宅にお寄りする。一時間半ほどお邪魔する。H博士が来たところであった。博士いわく「非常に良好」との由。嬉し涙。
 北海道のお餅を二つご馳走になる。質素なる師の宅。先生の鋭き瞳、先生の生きぬかんとする生命力、恐るる感じあり。
 午後、品川の妙光寺へ、父の一周忌の塔婆供養にゆく。兄と、妻と、子供二人をつれて。
 夜、第六回青年部総会を前に、本部にて、部隊長会を催す。八時過ぎまでかかる。有意義な会合であった。本末究寛して等しければ、今日のこの真剣さの延長として、総会は大成功となるはずだ。大切なる勝利の因は、まず企画の足並みで決まる。
 帰宅、十一時少々前、静かなる、わが家。疲れも自然に消えゆく、暖かな、わが家。
9  十二月十一日(水) 快晴
 夕刻より理事会。
 来年度の行事、財務の件、および除名者復帰の件。
 帰り、目黒にて、理事長、理事たちと焼き鳥屋に入る。面白からず。飲んで、調子に乗るものは、私はきらいだ。
 帰宅、十時少々過ぎる。Z氏来宅。遅くまでいる。疲れる。読書の時間がなくなり、困った。
 中共の戦術を読む。
  敵進我退  敵進めば我退き
  敵駐我擾  敵とどまれば我みだし
  敵疲我打  敵疲れれば我打ち
  敵退我追  敵退けば我追う
 就寝、三時近し。体力がほしい。ほしい。
10  十二月十五日(日) 晴
 十二日──午後一時三十分、東京発の急行にて、総本山大石寺へ。日亨上人の御本葬列席のため。
 午後七時より、御本葬の儀。
 十三日、十四日──在、総本山。午後一時三十分より御開扉を受ける。戸田先生の健康のこと、青年部のこと、一家のことを祈念。
 十四日夜、静岡県吉原市の文京支部関係の会合に出席。活気全くなし。力ある指導者を派遣の要あり。
 深夜、帰宅。妻、縫い物をしながら待っている。美しき一夜。
 誰人にも、侵害されず、誰人にも頼らぬ、家庭の建設でありたい。
 さあ! 明日よりまた、一センチ、二糎と進むぞ。
11  十二月十六日(月) 快晴
 先生と、お会いできる日、少なくなる。淋しい。苦しい。
 午後、先生より厳しき電話あり。先生は、いろいろの報告を待っておられるのだ。
 六時より──第六回青年部総会。
 遂に先生のお姿見えず。残念、無念。
 東京体育館に、二万の青年結集。会場は、われんばかりの柑塙であった。次代を背負う、青年部の前途はここに。八時三十分──終了。
 この青年を、見守りゆく責任を更に感ず。疲れる。
 今日は、遅いので、明朝、先生にご報告にゆくことにする。
 社会で、また、先輩に、いじめられている青年に、サインをして、本を贈呈し、激励す。明るい顔に、安心。闘争力を強く、彼らを護るために。
 帰宅、十一時。
12  十二月十七日(火)晴時々曇
 朝、理事長来宅。犬を連れながら。
 八時、目黒の先生宅へ一時間、談合して戴く。昨日の総会等のご報告を申し上げる。イチゴをご馳走になる。
 先生のいわく「大作、あと七年で、二百万世帯まで闘いたい」と。「勇気百倍、断固、闘います」と申しあぐ。
 しかれども、私の内奥には一抹の淋しさあり。悲しみは消えず。先生の寿命、先生の境地は。ああ、悔しいでありましょう。苦しいでありましょう。残念でならぬでしょう。
 先生、私はよく知っております。私は。
 夜、Hにて、青年部の首脳たちと会食。ご馳走してあげる。
 幸福な、静かな、わが家に。早く、読書をしたいと思いつつ、急ぎ、三通、返書を。
13  十二月十八日(水) しぐれ後晴
 『太閤記』再読完了。現代社会にも、その機微、通用ありか。
 一日中、熱あり。
 病魔との闘いの日々。
 今日より『ガモフ全集』を再読することにする。
 過去の先入観による仏法観を、超越し、下種仏法の偉大さを次第に知る。
 「科学が進展すればするほど、この大仏法の奥義の証明は楽になる」と、師は常にいう。
 夕刻より、自宅にて幹事会。支部長はじめ、真剣に会議。疲れる。実に疲れる。
  ① 来年度の基本方針を語る
  ② 幹部は自信をもつこと
  ③ 瞬間瞬間、変化する生命の不思議
  ④ 会長就任七年にして、学会の大きな変化の必然性
 以上のことにつき、懇談的、感想的に語る。善人ばかりの、尊き同志。
14  十二月十九日(木) 晴
 今日も熱あり。心身だるし。咳きこみ。大事にせねば。
 御書を持読。
 鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵署して試みるなるべし。(佐渡御書)
 こんなことを書いてある本あり。
 「人生七十年・働く年数十九年・睡眠二十三年間・病気四年間・娯楽九年間・着物の着替二年間・食事の時間三年間──」と思う! ″実質的、価値ある人生、何年間なり″と。
 夜、東横地区の座談会へ。美しい、神々しいほどの夜である。
 地区員に、決して無理せぬよう注意する。「人生、決して、疲れては、全てに勝てぬ」と。
 可愛い、地区員に幸あれ。
 就寝、十二時近し。
15  十二月二十一日(土) 快晴
 夕刻、目黒の先生宅へ、お歳暮のご挨拶にゆく。妻とともに、御飯を頂戴する。先生、神経がいらいらしておられる。秘書部長の報告が、かえって、先生の身体に悪いと思う。
 微熱下がらず、早目に帰宅。
 ゆっくり思索を。読書を。
16  十二月二十日(金) 快晴
 午後、M宅へお歳暮のご挨拶。妻と共に。大変にご馳走になる。
 夕刻、池袋、常在寺にて、第三十七部隊会に出席。
  ① 部隊長を中心に清い団結を
  ② 御書の一節を色読するように
  ③ 長く、忍耐強き信心で幸福な人生を、と。
 来年は、全精魂を傾けて、青年部の発展に尽くす決意をする。それ以外に、学会の未来の発展はない。
 楽しい、明るい家庭に帰宅。十一時。
17  十二月二十二日(日) 曇・濃霧
 朝、Hさんのお母さんの葬儀に出席。馬込のお宅へ。少ない人に驚く。「四十九日には、多数出席してあげたい」と話す。
 午後、本部にて、個人面接。
 先生の休みし本部のもの静けさよ。水に波動のある如く、生命にも、躍動、一念の波動というものがある。先生のいない今日は、それがない。不思議。
 夕刻、少々、横になる。体力つく。やはり休養をとることも必要。体力が闘争の源泉だ。
  勝ち負けは 人の生命の 常なれど
    最後の勝をば 仏にぞ祈らむ
 先生より贈られた和歌を、生命に刻みつけ、忘れまじ。
 夜、妻と二人して、来年の生活設計を語る。希望湧く。未来開く。
18  十二月二十三日(月) 快晴
 皇太子殿下、二十四回目の誕生日。新時代の夜明けの表徴であれ。男子部の歩みにも似て。
 夜、文京支部幹部会。
  ① 現実ということについて
  ② 力ということについて
 終わって、K支部会館の忘年会に出席。騒々しい雰囲気に、いや気がさす。
 清例たる青年と共に、語り、食し、悩み、生きゆくことが、自分の最大の歓びだ。
19  十二月二十四日(火) 快晴
 今日も、身体の調子、芳しからず。
 夕刻、七人の幹部と、Dにて忘年会。野戦に生きぬく侍たちである。愉しく語る。
 本部に帰る。青年部の首脳、来宅との由、至急帰宅。
 誠実とめて‥‥遅くまで語る。未来の戦士、信頼の勇士。なんで、いいかげんのことがいえようか。抱きしめてあげたし。この青年たちを。
 先生より、遅くお電話あり。本山の土地購入等のことについて。
20  十二月二十五日(水) 晴後曇
 本部幹部会。於、豊島公会堂。先生ご欠席。
 遂に七十五万世帯達成さる。輝く目標完遂。戸田城聖先生の確信は、まさしく実現されたのである。仏法の厳しさを、生命の奥底より知悉する思い、多々。
 来年度の指針を先生より伝言。
  ① 一家和楽の信心
  ② 各人が幸福をつかむ信心
  ③ 難を乗り越える信心
 堂々たる宗教革命の前進。
 終わって、常在寺にて、支部長・部長会。忘年会を兼ねて。
 九時三十分、終了。家路に。
 ひとり、御書拝読。
 勉強不足は、幹部の恥なり。
 われ、求道者として、如何。慢心の人には断じてなるな。師の瞳、厳しく叱る。
21  十二月二十六日(木) 曇後雨
 先生の病、深し。
 小生も病む。残念なり。自宅よりタクシーで。所詮、タクシー代も、身体を大事にする医療代と思いつつ。
 新宿Kにて、男子部隊長会。自分の、第一部隊長時代、男女部隊長会の新年会に、新宿Sにて、先生より厳しく叱られしことを話す。
 先生の、激烈な指導の時代であった。いまは懐かし。
 来年は、六十五部隊の結成を決意。
 会長就任──七年にして、七十五万世帯の完遂は成れり。青年部の目標はいかに。第一段階、「国士訓」の如く、十万名の結集をなす宿命あり。われに。
 それまで、断じて、病魔と闘う。先生のご再起を祈るのみ。
  冬枯れに 春の若芽は 因果倶時
 池田蔵書がふえゆくのは、最高に愉し。並ぶ本は、吾が子の如し。
 子らの健康な寝顔。未来は、いつまでも、いつまでも、つづきゆく。
22  十二月二十七日(金) 濃煙霧後にわか雨
 午後、本部応接間にて「大白蓮華」の″座談会″。″堀日亨上人を偲んで″と題して。
 疲労のためか、声出ず、話しづらかった
 人の言語に色心あり。その言語に生命の力あり。大事なことだ。人の言語を奪う悪鬼、鬼神あり、と古書にあり。医学のみにて解決できず、生命全体より考える問題なり、と思う。
 新聞紙上にS会長逝き、また、この日、Y氏倒るとの報道あり。老人の時代より──新しき青年の時代に変遷しゆく前兆か。
 青年は″明日は俺たちのものだ″と胸を張って、進軍することだ。常に、山を越え、谷を越え、颯爽と、どこまでも、どこまでも。
 風邪、ふたたび。咳がとまる。
 先生、少々お元気になられるとの報を受く。安心。嬉しい。
23  十二月二十八日(土) 曇一時雨
 二十九歳も、あと数日となりゆく。
 来春は三十歳だ。いつまでも甘えた子供というわけにいかなくなった。
 勉強を、実力を、闘争を。
 午後、S宅へお歳暮にゆく。
 よき家族かな。模範なり
24  十二月二十九日(日) 晴
 一年ごとに責任を感じ、一年ごとに、先生から講義をうけ、勉強しゆく、この年末。成長の節を顧みる実感あり。深く強く。冥益は正法の現証なるを。来年の新しき坂を登ろう。
 午前中、休養
 午後、先生宅へご挨拶。実家へ、兄宅へ、理事長宅へ、お歳暮に回る。
 おそく帰宅。ゆっくり一家で勤行。
25  十二月三十日(月) 快晴
 午前、午後と、在宅。
 午後、読書。御書も‥‥。
 午後六時より、I氏宅を、青年部最高幹部、夫妻ともども、訪問。皆して、遅くまで語る。
 帰り、新宿に寄り、妻と二人で、正月の装飾品を求む。
26  十二月三十一日(火) 快晴
 二十九歳よ、永遠にさようなら。
 三十代の人生に、栄光あれ。
 本年は、苦難の年であった。負け戦であったかもしれぬ。
 来る年は、断じて勝ちゆく、晴れの人生の出発を。
 昭和三十二年よ、さようなら。
 厳風に、富士の勇姿は、かわらずに。

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