Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十二年(十月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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1  十月一日(火) 曇
 秋に入る。理想的な陽気。静かで青き空。深く爽やかな大気。秋の朝の一瞬、生きとし生ける物への愛情を実感す。
 月々の経済を、確立する必要迫る。
 子供の教育の、指標を考える要あり。
 夜、今月第一回の、講義をなす。本部広間にて。
 「三重秘伝抄」の、「一念三千の数量を示すとは」の段。先生より、指導をうけしところなれば、確信ある講義となる。
 帰り、M宅に寄る。早く帰ればよいのに──。人のためとはいえ、自分のお人よしに、あきれる。
 妻と、遅くまで、生活設計等について、懇談。静かな、幸福な、わが家。
2  十月三日(木) 快晴
 ″K氏をかこむ青年の夕″の様子を知るため、東京体育館へ。六時四十五分開会。
 場内、雑然たり。老人の集いとした方がよし。
 中途にて退場し、杉並での、青年部幹部会に出席。同じ″青年の集い″なれど、前者は、名誉と利害と、虚偽と退嬰のなんと浅き会合か。後者は、信念と、理想と太陽の力の、清浄の集いか。
 帰り、新宿のDにて、青年部最高幹部と会食。
 十二時少々前に、タクシーにて帰宅。
 子らは、すやすやと、寝入っている。その顔の、可愛きことよ。若き父──若き母。あまりにも。
 長命を願う。
3  十月五日(土) 晴
 上野発、午前九時三十分、急行「佐渡」にて──新潟指導へ向かう。
 秋晴れの、快適な旅行である。妻と城久、二人で、見送りに、来てくれた。身重の妻の姿が、可哀想に見える。
 長岡駅で──″歓迎池田室長″と記入した、大きな″のぼり″あり。苦笑す。その無邪気な、誠実さに、面白さを感ず。
 三時十五分──新潟駅着。O宅へ向かう。ただちに、男子、女子、壮年の、幹部の面接をす。小さな、小さな支部であった。これでは、皆が、伸びのびできぬ、と思った。これでは、学会の大理想は、わからぬであろう、とも思った。
 七時──寺院にて、男女合同の、指導会を催す。
 二時間近く、真剣なる質問会。自身の、下手な弁舌に、反省の要を、痛感。
 終わって──O宅にて、地区部長、支部幹事らと懇談。幹部少数と、一泊。三重秘伝等の話に夜の更けるのを忘れて。
4  十月六日(日) 雨
 朝、八時、起床──勤行。
 寝不足のため、背痛し。午前九時の列車にて、長岡へ向かう。
 青木荘に入る。──ただちに、宿舎にて、指導会となる。
 雨、激しく降り始む。
 班長クラスの人のために、小宴会を催し、黒田節を久々に舞う。善良な人々だ。生涯、忘れざる同志。
 長岡駅発、午後二時十六分の列車にて、上野へ向かう。雨、雨‥‥。車中、M君らと、「十法界事」「顕謗法抄」等を、拝読。有意義な、車中であった。
 七時、上野駅着──妻、一人で、迎えに来ている。影の身に添う如く、そっと、我の出発と、帰京に、馳せ現る人。雨でも、雪でも、早朝でも、夜半でも──。
5  十月七日(月) 曇
 色心ともに、一日中だるし。
 インドのネール首相来日中。
 慶応義塾大学と早稲田大学にて、「青年は″明日の世界″だ」と呼びかけ、世界平和と人類愛についての演説あり、と。
 仏法発祥のインドに一日も早くゆきたし。
 「御義口伝」講義──本部──六時三十分より。「提婆品」「勧持品」「安楽行品」の三品であった。客観視して生活に約し、主観視して生命に約してゆく、先生の見事なる講義。
 妙法を抱きしめ、ありのままに、人生を生きぬくことが、真実の安楽なり、と。
 早目に帰宅。妻、蒲田駅まで‥‥。
 第五回の″男子部の歩み″を執筆。
6  十月八日(火) 曇時々晴
 一日中、先生にお目にかかれず。こんなにも淋しいものか。
 総本山へ、日昇御隠尊猊下のお見舞いに。
 「ソ連で、人工衛星の打ち上げ成功」との報道あり。科学の進展とともに、指導者は、常に高き次元に着眼点をおき、思考していかねばならぬだろう。
 勉強だ。勉強だ。理想の道のために勉強だ。
 午後三時より、本行寺。W君の結婚式。盛大に送ってあげる。
 六時三十分──青年部首脳会議。
  ① 北海道の青年部指導について
  ② 九州、関西の幹部指導について
  ③ 音楽隊の件
  ④ 三月総登山の件
  ⑤ ブロック組織とその運営について
 帰宅、十時少々過ぎる。半年ぶりで、妻と二人して、語りながら夜食。
 狭き庭に出て‥‥‥‥数歩の散策。
7  十月九日(水) 晴時々曇
 身体を大切にせねば。未来まで、力を蓄積できぬ自分。
 午前中──後楽園競輪場に、秋季本部総会の準備にゆく。
 会長就任──七年目の僣聖増上慢の嵐あるを、感ずる昨今。
 八時より、本部にて、御書研究会あり。「観心本尊得意抄」「聖人知三世事」。
 先生と、今日も、お会いできず、淋しい。日昇御隠尊猊下の御容体、芳しからず、とのこと。
 若き後輩と共に帰る。楽しい連中。
 秋の夜、静かなり。妻と共に、遅くまで縁側で語る。笛でも吹きたし。琴でも聞きたし。
 「男子部の歩み」の執筆完了。
8  十月十日(木) 快晴
 今夜は、満月であった。人工衛星、飛ぶとはいえ、なんたる詩情深き夜であったか。
 疲れた身に、幽玄にして無限の妙なる曲を聴きし念いあり。
 生の歓び。一生の胸奥よ。いつもかくあれ。
 御書を持読す。
 いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし。(南条兵衛七郎殿御書)
 折伏の精神、折伏の生命のみが、所詮、最大最強の生命力の源泉なるか。
 戸田先生に、今日は、お会いできた。嬉し。慈悲に包まれながら、種々お話を受ける。
 青年部幹部会議に、少々出席。終わって池袋・振興会館にて男子部指導会。皆、元気なし。寝不足の様子。青年の指導の要諦、ここに知る。この簡単な、日常生活のリズムを察知せねば、皆が可哀想だ。われは、指導をうけた思いなり。
 蒲田駅に、妻、迎えに来ている。子らの待つ楽しいわが家へ。
9  十月十一日(金) 晴後曇
 無理な一日。そのためか──心身の調子、芳しからず。
 夜、豊島公会堂にて、会長講義あり。自由自在の、偉大なる講義と、振る舞いの師に胸打たるなり。″自我得仏来″の境涯であられるか。
 帰宅して、原稿を書く。未来、大いに書けるよう、雑記帳につれづれに誌す。
 静かなる夜。いつまでも、思索す。
10  十月十二日(土) 快晴
 東京駅──午後一時三十分発、急行にて総本山へ登山。
 先生と、I部長、T支部長、妻と私。
 この日になると、奉安殿にまします、一閻浮提総与の大御本尊様のことを思いかえす。
 広布の総仕上げの、第一歩たる、正本堂に、お出ましはいつの日か、と。
 ──夜、客殿にて質問会──先生の名回答。終わって、杉並支部の宿坊へ。また、客殿にて、男子部の会合に出席。
 「五丈原の歌」の解説をまじえて指導。遅く、大阪、堺の支部にも出席。皆、喜んでくれる。友は嬉しいものだ。
 霊山より仰ぐ、月光。この瞬間の幸福感──生涯に忘れざらんと止めておく。
 午前一時──丑寅の勤行。元気で出席。
 昼、日昇上人のお見舞いにゆく。ご立派な御徳のある上人であられる。私も、大変可愛がって戴いてきた。せめて、お見舞いできたことは、生涯の喜びである。
11  十月十三日(日) 晴
 爽快なる、秋晴れ。
 朝、八時三十分──御開扉。
 裁判が十八日である。無罪を祈念し奉る。一切を大御本尊に、お任せ申し上げる以外にないのだ。自己の真の宿命打破。
 帰り──沼津の組長会に出席。
 支部長と共に全力をあげ、人材の育成に尽くす。太陽の輝くところは、草木繁茂す。指導あるところは、必ず人材の輩出することを確信しながらーー。
 疲労、日々に重なる。妙は蘇生の義なれば、必ず、再生の生命やあるらん。
  我が此の土は安穏にして
  天人常に充満せり
  園林諸の堂閣
  種種の宝をもって荘厳し
  宝樹華果多くして
  衆生の遊楽する所なり(法華経寿量品)
12  十月十四日(月) 快晴
 Nさん、結婚の由、お目出たい。しかし、先方のことを聞くと、信心もなく、幸せになれるかどうか、まことに心配。
 夜、F君宅の入仏式に出席。帰り、T尊師と横浜まで帰る。
 遅くまで──原稿整理、妻に手伝ってもらう。
 窓に──月光キラキラ。鳴呼、青年の心情は、さらに清く輝く。妻の顔、また、美し。共に若く、共に、若さを忘れまい。
13  十月十五日(火)~十六日(水) 晴
 昨日、日昇御隠尊現下‥‥御遷化、なさる。
 本日、夜、御通夜の連絡あり。先生は、大阪より、私どもは、東京より、直ちに大石寺へ登山。
 先生より、すべての連絡悪しと、厳しく叱らる。その通りと反省。
 七時──蓮葉庵にて御通夜。感無量なり。先生の、日昇上人を、お偲びする姿に、ただただ感泣。
 丑寅勤行にでる。
 十六日──午前十時より、御密葬。十一時、御出棺。日蓮大聖人様の、御入滅の当時が連想できるようだ。
 最後に、上人のお顔を、拝することができた。ご立派な、仏様の、御相に、尊くもあり、驚きもする。
 三時過ぎの汽車で──先生と共に帰京。車中──宗門と学会の将来について、深い指導あり。
14  十月十七日(木) 曇後小雨
 少々小雨
 東京駅、午前九時発の特急「つぼめ」にて、大阪へ向かう。明日は、裁判の日。大阪の方々への挨拶のため、妻も同行。三等車なれど、一生の思い出の旅か。
 その夜、A宅の見舞い。T宅、S宅、Y宅に挨拶。
 権力の魔性──裁判の公正──弁護士の正義──すべてを、克明に脳裏に刻もう。
 寒さ厳し。十二月の如しと聞く。
 遅くまで、同志と語る。生涯、忘れざる人々なり。
 一人して、会長室に休む。二時近し。
15  十月十八日(金) 快晴
 生涯、忘れえぬ日。
 二時より、初裁判。人定尋問にて終わる。
 夜、神戸方面に指導に走る。二千数百名の結集とのこと。遂に戦いは始まったのだ。
 今こそ、信心の前進の秋と知れ。
 友よ、次の勝利に、断固進もう。
 俺も、戦うぞ。
16  十月十九日(土) 曇
 在、関西本部。
 早く目が覚める。
 大阪駅十時二十五分発にて京都へ向かう。Hさんたちと宇治方面の見学。記念写真を撮る。
 特急にて、再び関西本部へ。
 男子部幹部会、女子部区長会に出席。
 更に、船場の地区部長会等に出席、指導。終わって、青年部の個人指導等──多忙の一夜となる。
 信心なれば、惜しみなく、真剣に、汗を流しゆくことだ。
 遅くY宅訪問──。
 疲労困憊の、関西の夜となる。将来、幾百千の同志が、ここより、堂々と巣立ちゆくことであろう。
 二時近く、ぐったりと床につく。心配そうな、妻の顔。
17  十月二十日(日) 晴
 午前中、神戸の友らと会う。皆、功徳を受けている姿に安堵。
 午後、宝塚で″秋のおどり″皆して、観る。若く、美しき見事な踊りに、自己の励ましを感ず。文化の乱舞を夢みる。
 夕刻、関西本部にて、幹部と、種々打ち合わせ。
 夜、九時発の急行「明星」にて、車中の人に。
 親しき、見送りの人々に、敬意を表す。
 京都着──九時三十九分──多数の女子部の人々の見送りに驚く。本当に可愛い。皆に、幸いあれと、祈りつつ、寝台車の人となる。
 妻、上台にのる。初の三等寝台に、疲れを忘れ‥‥。
18  十月二十一日(月) 曇後晴
 朝、七時三十分──東京着。結局、夜行列車は疲れる。妻も、疲れきったことであろう。
 朝飯を共にする。初の思い出の四日間。
 朝の先生による勉強──『日本歴史』に入る。藤原時代より。
 先生に、種々報告。悠然たる師の姿に、勇気百倍。真実と、正義の人となり、一生を送りたし。
 夜、本部第三応接室において、渉外部員会。第七回の総会を、意義あらしめんと、真剣に立ち向かうことを決議する。
 早目に帰宅。蒲田駅に、城久ら、迎えに来ている。可愛い。楽しい。
19  十月二十二日(火) 快晴
 朝、先生より「F君の仕事を、面倒みであげよ」と注意うける。
 車中、『第三の眼』を読了。先生より、たびたび、「読書せよ」と注意あり。「あの本も読め、この本も読んだか」と──。
 来年は、三人の父となる。責任ますます重大。様々のことを考えてゆく。忍耐。時期。
 夜、先生より、法華経方便品の幼児の砂の塔、華の功徳による成仏の原理を教えて戴く。釈迦仏法の、歴史、思想と、大聖人様の、唯、南無妙法蓮華経の大哲理との相違を深々と伺う。
 おそく──支部長宅へ。幹事および地区部長任命について、打ち合わせ。
 帰宅、十二時過ぎる──。
20  十月二十三日(水) 晴一時曇
 ああ五丈原──(八月)二十三日は、諸葛孔明の命日。
 先生の好む孔明──その心境や、誰ぞ知る。われも、生涯、孔明の如くありたし。
 ″健全ナル 精神ハ 健全ナル 身体ニ宿ル″至言でもあるか──その知恵と行動をフィットさせねばならぬからには、色心不二の原理は正義である。
 今日は、先生とお目にかかれず。やはり淋しくてならぬ。
 夜、葛飾のおブロックに出席。大変な地区だ。最初、第一ブロックの座談会に、次いで、K宅の大ブロック長会に出席。親しみすぎて、感激がない。残念なり。
 上野駅より、ひとり疲れ果てて帰る。心奥の理想と、情熱は別として蒲田駅に、遅くとも、妻、迎えに来る心がなごやかになる女性。
 明日は″国連の日″なりとの記事。一日も早く、国際社会の檜舞台へ。同志よ。
 南無妙法蓮華経
 十二時過ぎに、休むことにする。
21  十月二十四日(木) 曇
 日昇上人の御通夜──総本山。
 東京駅──十二時発にて、文京の人々と、出発。先生は、奥様方と、一時三十分発の急行にて、お見えになる。
 理境坊(本部)にて、幹部会。先生の私に対する、思いやりに、深く感動。先生の偉大さを、泌々と知る。嬉し。率直な青年でありたい。
 夜、七時より──客殿で御通夜の儀式。日淳御法主上人の出仕。一時間ごとに導師が交代──明朝、五時まで、勤行回向とのこと。
 参加者──千五百名。地区担当員以上。
 青年部首脳会議を──寂日坊にて開催。青年部が主体となる次代のために。時代を見極めゆく、洞察力を欲す。
 理境坊‥‥先生のそばで休む。
22  十月二十五日(金) 小雨
 朝、先生より、厳しく叱らる。
 孔子は″九思一言″というも、われは、そうはいかぬ。しかし、自重せねばならぬか。
 十二時十分──客殿にて、御出棺の儀。つづいて、御経蔵前において、本葬の儀あり。古式にのっとり行われた、二時間余の儀式に胸打たる。
 先生と、奥様の、涙して、日昇上人とお別れする、純粋な姿に、胸、はりさける想いあり。真の大聖人の子供。
 富士駅は大変に混雑とのことにて、沼津まで車──大幹部と。
 ああ、流転。凡夫には、なべて諸行無常に映る。それが、妙法では、常楽我浄といえり。この身も、この妻も、この師も、この友も、幾十年にして、皆、この世から去りゆくとは。無常。
23  十月二十六日(土)~二十七日(日) 雨
 朝寝坊して──急ぎいそぎ、上野駅へ走る。妻と、博正と、城久と。
 初の、金沢、高岡、富山方面の講義指導。第三グループとしての信越、北陸の旅なり。
 午後七時十五分──金沢着。ただちに、指導会。参加者‥‥三百名。
 二十七日──午後一時より、高岡の指導会。参加者‥‥三百名。六時三十分より富山の指導会。講義のできなかったことが、返すがえすも残念。
 如来の使いだ。誇り高くあれ。慢心にならず。決して威張らず。
 水の流れゆく、心境と忍耐で。
 車窓から──千曲川の旅情を想う。
 川中島のつわものどもの夢を念う。
 金沢に──前田藩、十四代の歴史を思う。
 詩人を、将軍を、武将を、政治家を。
 北陸にも、広布の響き始まる。
24  十月二十八日(月) 曇後晴
 朝、七時三十一分、上野着。
 誰もいないと思ったら、妻の姿あり。三等寝台はいいものだ。必ず、今後はこれにしよう。
 午後、本部へ──先生に、種々報告に伺う。お元気そうなれど──根本的には、相当の覚悟あるを感ずる。最後まで、立派に先生にお仕え申し上げたい。
 「人事等を、理事長らに任す」との話あり。いい方程式でもあり、悲しき思いもするなり。
 夜、青年部指導会に出席。
 皆、顔色がわるい。よく休息を与えねばならぬ。将来の闘士なれば。指導者なれば。
 帰り、首脳達、理事長らと、目黒で会食す。
25  十月二十九日(火) 雨
 朝寝坊する。
 前日の夜行列車の疲れか──身体のふしぶしが痛む。
 朝の勉強‥‥先生、「待ちぼうけだよ」と厳しき瞳。
 弟子として、全く申し訳なし。猛省。
 山崎の合戦における、一浪人の武勇伝をお聞きする。先生の心境を、たとえとしての指導か。
 四時より、常在寺。M君の結婚式に出席。多くの、青年の結婚を、真剣に考えてあげねば──先輩として。大切な人生の第一歩。
 終わって、白蓮院へ。班長会。皆、明るく元気あり。この中核の力が、広布の力だ。
 駅より、途中の屋台の店で″もつ焼き″を十八本食す。胃が痛む思い。食欲もほどほどにせねば。
26  十月三十日(水) 曇
 午前中、腹痛にて困る。途中、家に帰りたかった。
 午後──Nにて、首脳会議。総会の件等、打ち合わせをする。身体の調子わるく、面白からず。
 夜、N君の自転車をかり、葛飾のブロックを回る。一か所──「佐渡御書」の講義。もう一か所──ブロック長指導。立派な──幸福なブロックにしたいものだ。
 今月、生活費──赤字とのこと。
 いつも、休む時間おそし。

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