Nichiren・Ikeda
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昭和三十二年(七月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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1 七月十七日(水) 雨
七月三日は、戸田先生の、出獄記念の日。
この意義ある日の、午後四時──私は、大阪府警に入る。
戸別訪問の、容疑なり。十五日問、検事の調べのため、警察の雑房に数日──拘置所に、十日あまりいる。
無実なることは、明瞭なり。下部の責任をとることも、己むを得ぬことだ。ただ、K支部の、N君らの買収や、支部長らの無責任な態度には、怒りをおぼえる。先生の精神も、崇高なる学会の伝統も、忘れて。悔し。
この日、十七日──午後の十二時十分──出所す。大阪の同志数百名が、迎えに来てくれる。嬉し。学会は強い。学会は正しい。学会こそ、美しき団体哉。
大阪の友のこと、また東京より、心配して、馳せ参じてくれた友のことは、生涯、忘れまいぞ。Mさん、Wさん。Bさん。F兄弟等も。H、M‥‥大阪のM、S、T、Y氏等々。
午後一時三十分、伊丹空港へ、先生を、お迎えに行く。師匠の慈悲に、胸臆で泣く。この間の、先生のご心配の胸中、海よりも深きことを知る。このご恩には、断じて、生涯かかって、お応え申し上げねば。
六時──中之島の中央公会堂にて、臨時の大阪大会あり。
二万の同志、結集。万雷の拍手に迎えられ、更に広布の前進を、決意す。
生涯の、記念の日となる。
諸天の加護に、感謝す。
2 七月十八日(木) 雨
大阪──在、関西本部。
疲れ、重々。様々な人あり、様々なことを、漠然と考える。
先生の力強き講義を、久しぶりに聞く。
先生の寿命を、一人、心配しながら。
先生、先生、ただ、ただ、広布まで、お元気で、あられますように。
私は、先生を念った。学会本部を念った。自己を、犠牲にしながら。
今回の検事め調べは、あまりにも謀策である次第に、憤怒の情が、湧いてくる。必ずや、われらは、真実が勝利する時代を創らん。事実を、明確に記さん。