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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十一年(四月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

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2  四月二日(月) 雨後曇
 朝、疲れて勤行せず。弱き若人。
 午前中、個人面接‥‥数十名来る。
 午後、H君と共に、奈良を視察。
 華厳宗の総本山、東大寺を見る。古蹟にして、生命の息吹、全くなし。正倉院、猿沢の池、懐かしきなり。
 若草山にて、二十分程、天を仰ぎ休む。修学旅行を思い出し、少年に返る。
 五時すぎ、本部に帰る。六時より、班長指導。夜はH君宅へ行く。詩を作り、和歌を作る。現実と、理想の青年。
3  四月七日(土) 曇後雨
 昨日の無理で、今朝は起床するのがやっと。
 読書後の感想、鮮明に非ず。
 横浜駅で、九時三十五分発の「桜」に乗車。I君、M君、I君等と。大阪二支部連合総会出席のため。共に、学会の未来、人物論を語りゆく。
 八時三分、大阪着。懐かしき大阪となる。
 雨──念願の大会も雨となるか。胸痛し。
4  四月八日(日) 雨
 雨、遂に雨だった。悲し。
 今日は、熱原の三烈士の刑死の日。法難の悲しき日でもある。胸打たれ、身が引き締まる。(編注・刑死の日は①弘安三年四月八日②弘安二年十月十五日の二説あり、現在は②説がもちいられている)
 難波球場──一時、開会宣言。
 二万の学会員、整然と集まる。春雨なれど、降雨はげし。統監部長講演、文化部長講演、参謀室長講演
 指導部長講演、両支部長挨拶
 主任参謀挨拶、理事長挨拶、最後に、
 会長戸田先生の大講演あり。
 二時少々すぎ盛会裡に終了。
 七月八日を目指し、ひとり起ちゆこう。一歩も退かず。
 二次会、面白からず。
5  四月九日(月) 曇後晴
 燦然と輝く、太陽を見る。昨日の風雨は夢の如し。
 午前中、文化部長と種々打ち合わせ。彼も若い。われも若い。共に意見に意地がある。反省‥‥。本有の慢と共に許そう。
 梅田駅、十二時三十分発「はと」にて、一人淋しく帰る。車中八時間、読書できえず。勿体なし。惜しいことをした。
 断固、煙草をやめねば。身体健全の第一歩なれば。
 横浜駅に、妻と弟、迎えに来ている。心慰む。楽しい、幸福な吾が家に。
 先生の慈悲を偲ぶ。側近の無慈悲を悲しむ。
6  四月十日(火) 薄曇
 記憶が減退して来た。疲れか。
 人間の社会は、複雑である。人間社会が、いやになることがある。慢、権威、策‥‥。
 福運、誠実、信念‥‥。入り乱れた実相。青年は苦し。
 東京方面の参院選、苦戦との事。信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな。船頭が多すぎる。首脳達よ、先生の意志を知れ。それ以外に道は開かれぬであろう。
 われは、断じて関西で指揮をとる。東京の闘争に栄光あれ。
 夜、先生と、選挙の全般的な展望を語る。真剣なる、先生の瞳、忘れきれず。
7  四月十一日(水) 雨後曇
 午前中、先生に一時間程、報告。朝の勉強も、随分進んだと、褒めて下さる。
 師の下に、巣立つ栄光。世界一の青春。われに悔いなし。われに幸あり。
 大阪の折伏、断然、群を抜いてゆく。楽し。上げ潮の関西。油断なく、美事な指揮を執りぬこう。数千世帯はゆくだろう。
 早めに帰宅。妻の手料理を、おいしく戴く。
 墨索、読書。‥‥十二時すぎに、寝床。
8  四月二十日(金) 曇
 朝、先生、非常にご機嫌。私共も春の如し。生命の感応の不思議。長の一念の作用。
 先生と、ご一緒に総本山へ登山。東京駅より″急行″で。幾人かの先輩理事あり。久しぶりに会う。
 二時より、総本山御影堂にて、御座替り奉告式に列席。荘厳なり。法華講多く、学会側は、大幹部数十名。
 読経、御法主上人猊下、奉告の辞。
 次に、宗務総監、宗会議長、全国宗務支院長代表の祝辞。
 次に、法華講講頭、創価学会会長、全国信徒代表、富士宮市長の祝辞。
 先生の曰く、
 ″宗門のため、広宣流布のため、戸田の生命のある限り、御奉公申し上げるものであります″と。
 真実の、奥底より響く、誓いに、すべての人、襟を正す思いあり。
 此の、山をも抜く、簡潔にして、大なる雄弁を。わが胸奥に点火されたこの火は、生涯、消えることは、断じてない。
 ああ、霊山に覚徳比丘おわし、信徒に有徳王あり。宗門の万年、興隆の法運、弥々確乎たり。
 夜、理境坊にて、大幹部会。親子の如く。
9  四月二十一日(土) 晴
 総本山に在り。師と共に。
 晴天。太陽は輝く。大法興隆の実相を表象して。
 朝、六時三十分より、先生を囲んで座談会。大幹部一向。
  ① 参議院選の打ち合わせ
  ② 啓蒙運動のあり方
  ③ 公明選挙の推進
  ④ 信心第一
 の内容なり。
 九時より、御虫払い。客殿‥‥。御法主上人猊下より、二箇の相承、並びに御譲状の御説法を、泌々と、お聞きする。
 日興上人の譲状に曰く、
 ″本門戒壇の大御本尊″──。
 御聖訓の、本門戒壇の建立こそ、私の生涯の使命なりと、心深く秘めるものだ。
 総本山にまします、重宝に胸躍る。御仏意。
 紫震殿御本尊。日天月天の御本尊。不老不死の御本尊。本門寺重宝の御本尊。日向常住の御本尊。御座替り御本尊等々。ほぼ百幅の当門の御真筆に、頭垂るるのみ。
 正流なり、根源なり、霊山なり。富士大石寺をおいて、末法の大白法は、いずこにもなきなり。
 日本、そして世界への、真実の宗門の宣言の犠式なるか。
 正午より、御開扉。
 末法万年の闇、次第に、太陽に開かれゆく一日。
10  四月二十二日(日) 曇後晴
 一日中、暑し。苦しい陽気。
 昨夜、遅きゆえ、朝よりぐったり。
 八時、先生と御一緒に御開扉。思い出の登山となる。午後三時に帰る予定を、先生より、車で東京まで一緒に帰るよう伝言あり。
 ご家族と同乗して東京に。車中、楽しく、談話をはずませる。
 本部に寄り、帰宅十一時すぎる。
 生涯、二十代の青春の如き人生でありたいと、思う今日。
 「九界即仏界」という原理を思索。
 前途は多難あり、嵐あり。その中に勝ちゆく「栄光」が、真実の「栄光」か。
11  四月二十三日(月) 曇
 人生の欲望、人生の倦怠、人生の意義、‥‥何故、われとして生存したのか、何故、苦労して生きねばならぬのか。こんなことを、何気なく思う日がある。
 一日一日、社会への挑戦、自身への挑戦。こんな社会では、疲れ、敗れゆく人が多いであろう。
 夜、文京の地区部長会に出席。厳しき指導をす。これで良いのか。
 ″天台山の竜門の滝″の講義をなす。二十数名の妙法の武将達、本当に眼を開き、心を聞きて聞いてくれる。
 力とは何か。──信仰のエネルギー。
12  四月二十四日(火) 晴
 私は感情家である。いな、激情家である。正義にも、自己にも、戦いにも。これで良いのか‥‥あやまりか。未来が、その正邪の決定をしてくれるであろう。必ずや、証拠が出るであろう。その時に決めよう。今、自分ではどうしょうもないのだ。
 六時三十分、参謀会議。
 『世界美術全集』平凡社版を購入。嬉し。
 帰り、H君等と会食。散財多し。
 帰宅、十一時少々過ぎる。
13  四月二十五日(水) 曇
 朝より薄曇り。
 大阪支部、九千二世帯との報告あり。未曾有の成果なり。学会の歴史に、宗門の伝統に輝かしき、金字塔を打ち立つ。永遠の栄冠、ここに輝く。
 断固、五月度も追撃だ。一万世帯の夢も可能だ。上げ潮だ、怒涛の如き。不幸の人々を救っているのだ、俺達は。喜べ、舞え、叫べ、踊れ、歌え、妙法の健児達よ。同志たちよ。
 五時、本部で、最高会議。先生欠席。先生がおらぬと、誠に淋し、悲し。
14  四月二十六日(木) 雨後曇
 明日は大阪へ。
 縁深き、大阪。友多き国土世間。共に栄えゆく関西。‥‥大苦戦の大阪地方区。学会最大の、大闘争となるS候補。その、最高責任者たるわれ。頭がぐらぐらする時がある。
 夜、本部にて、第三部隊の隊長会。
 「大白牛車」の講義をなす。不退転の信心の決意、学会活動の本道、社会活動の本道、等につき語る。
 将来の、部隊長、参謀室に期待すること大。
 帰宅、十一時を過ぎる。少々雑誌を開く。

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