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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十一年(三月)  

「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)

前後
1  三月二十三日(金) 晴れたり曇ったり
 暖かな一日。
 勤行せぬ日は、調子悪し。
 文化部作戦会議──本部面接室にて。文化部の人材の刷新を心に思う。学会の進展も、消滅も、此の部の如何にありと、憂いつつ。
 信心と政治、社会と仏法、絶対性と妥協性、等々の本質的問題をはきちがうと、危なし。
 研究、そして書きたきテーマ。
  ① 日蓮大聖人の国家観、世界観
  ② 宗教界の分析と、その未来
  ③ 文化と宗教        以上
2  三月二十四日(土) 晴後曇
 暖かな春。
 春は、われらの天下なり。
 朝、先生とお会いする。厳愛の瞳。先生も、生命を酷使、自分も生命を酷使。共に、疲れ、共にいたわるべき会見。
 東京発一時三十五分、名古屋行きにて、総本山大石寺へ。妻と、博正、城久と一緒。久しぶりの旅行である。家族で霊山の旅とは──。幸福満喫。
 六時、本山着。
 客殿にて、質問会あり。参加人員、二千二百との事。終わって、御法主上人現下に、お目通り。日昇現下に、「一高寮歌」――″鳴呼あゐ玉杯に花うけて″と歌い、御供養申しあぐ。
 猊座、最後の夜であられる。御隠尊へ。胸奥いかばかりか。師と共に、万感の思いを感ずる。
 東洋広布の健児、健在なり、と叫びたい。美しき、偉大なる夢で、未来へ進軍だ。
 幾度も、大阪へ行く事になる。大阪の人々と、心から仲良くしたい。嬉しい事だ。真実の同志、大阪よ、と叫びたい。
3  三月二十五日(日) 雨
 七時、起床。直ちに、先生を囲んだ大幹部会。理境坊二階の本部にて。
 春雨、粛々たり。約一時間‥‥「折伏」の事について話あり。
 先生は、最後に一言、われ妙法蓮華経の当体なり、との大確信のもとに生ききる事が、折伏に通ずる義なりと。
 折伏の上の摂受は、本山なり、即ち折伏の中に含まれた摂受は、当然なりと。
 財施、法施の中で、法施が真の折伏なりと
 十二時二十七分発「東海」にて、先生のお供して帰京。車中、青年部長更迭の話あり。又、未来の広布の構想の様々な話あり。恐ろしくもあり、面白くもあり。
4  三月二十六日(月) 雨
 四級講義に、出席しようか、欠席しようかと、迷い、遂に欠席。弱い、不真面目な自分が、いやになる。自責にかられ、終わりごろ、文京支部の班長会に出席。少々、気が済む。
 豊島公会堂に、K女史来ている。文化闘争の先駆のためか。自分も、王仏冥合の実現が広宣流布なり、との第一声を発す。必ずや、闘争の決意をしてくれたと信ずる。
 帰り、O宅にて、地区部長会。全生命力を発揮して指導す。
  ① 阿仏房の信心
  ② 大聖人御在世の文化闘争と現代の文化闘争の共通性
  ③ 折伏精神──法施
 右の項目を大綱にして話す。
 H夫人と帰る。様々な境遇の姿を、よりよく知ってあげたい。信心を奮い起こし、広布の暁まで、健康でありたい。
 疲れた。しゃくだ。残念だ。
5  三月二十七日(火) 曇
 午前中、平凡。
 三時、本部にて、最高協議会。先生見えず。理事長中心では、会議の進展はかどらず。組織の位置と、信心の力の相違。いかようにもならずか。先生のお見えになる事が、唯一の私の希望であり、生き甲斐なのだ。
 六時より、久しぶりに、水滸会。二時間、先生のおそばで、歴史観、当時の社会観、人物論等を、胸を痛めつつ聞き入る。博学なる師、深き大指導者。
 信長の理想、そして将としての本質。秀吉、家康の、社会観、そして統率力。桶狭間の合戦の、勝因、敗因の分析。感銘多々。
 先生を、送り、K氏の作戦の打ち合わせ。第二応接室。
 総本山います、国土世間の参議院選なれば、その栄誉と自覚で、戦いゆかれたし、と激励。
 おそく、目黒で、妻と会ぃ、食事をして帰宅。
6  三月二十八日(水) 曇
 社会との協調、大切ではある。社会への正義の挑戦、大切ではある。折伏は、慈悲の、社会への挑戦か。政治は、社会への協調の第一歩か。折伏は、その人の本質を革命させ、最大の調和の生命となしつつ、全社会、否、全宇宙の大調和をなしゆく第一歩なり。政治は、その上にあってのみ、社会秩序の、創造と繁栄と、協調が出来るのだ。
 夕刻、T夫妻と夜食。少々酒を飲む。愛する文京支部の未来を語りながら。
 帰り、妻に、万年筆とショールをプレゼント。給料日なれば。
7  三月二十九日(木) 雨
 心身共に、疲労過重。勤行の不足か。
 久しぶりに、法華経の講義あり。豊島公会堂。
 先生の、真意、次第に解了。喜び多々。
 夕刻、豪雨に近し。その足で、池袋の地区部長会に出席。地区幹事のなかに、よからぬ者あり。恐ろし。
 今月の折伏、二万世帯にもゆかず。先生は、この根本原因は、どこにあるかと、側近に聞いていたとの事。吾れ苦悩す。
 大阪方面は、五千五世帯と、未曾有の大発展なり。
 遂に、立宗七百四年の、偉大なる歴史を飾る日が来るか。
  七百年(昭和二十七年)
    蒲田支部の、大建設を残す。
  七百一年(昭和二十八年)
    文京支部の、大発展を期する。
  七百二年(昭和二十九年)
    青年部の基礎の確立と大進展を終わる。
  七百三年(昭和三十年)
    都議選、並びに市議選の大勝利を飾る。
  七百四年(昭和三十一年)
    弥々大阪春の陣に吾れ進む。
 妙法の青年革命児よ、白馬に乗って、真っしぐらに、進みゆけ。
 山を越え、川を越え、谷を越えて。
 ″走れメロス″の如くに。厳然と、師は見守っているぞ。
8  三月三十日(金) 雨
 春雨──。
 ひねもす降りつづく。木曾路を、古城を、歩みゆきたき心いづ。
 闘争につぐ闘争のためか、色心共に疲労深し。
 「唱法華題目抄」に、
 「謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり」云云と。
 大御本尊に対し、唯一無雑の純信あるのみ。学会活動即仏道修行も又、その道理に生き抜くほかに道なし。
 誠実と、勇気と、真実に、起ち進む生涯でありたい。
 感情と知性について、先哲は各別に論ずること多し。
 しかして、知性の学者の、事実の人生の本質において、いかに頑迷なる感情の強きことよ。大慈悲、大感情の上にたつ、英知が、真実の人問完成か。
 六時より、先生、奥様と共に、K劇場へ。十時まで観劇。お疲れの先生に申し訳なし。
 悲劇の主人公を、吾が若き主人公の姿として、観賞。
9  三月三十一日(土) 曇
 春暖。
 東京駅、十二時三十分発「はと」にて、一人、大阪指導へ。
 到着と同時に、分隊長会、ブロック座談会、女子部教学研究会に出席。獅子奮迅。大阪の友も、本当に頑張ってくれる。謝す、心の中で。
 未来、功徳は山と積まれゆく事であろう。功徳は、信心は、組織に非ず、役職に非ず。

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