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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十年(十月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

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1  十月一日(土) 雨後曇
 台風、二十二号とやら。
 新潟大火の事。
 向島支部関係の、新潟における世帯数、千数百とのこと。その中で、罹災者は一軒との報告を受ける。
 今更乍ら、妙法の法力の、偉大さに驚く。
 六時、M新聞のH記者に会見。
 暴力行為云々のことにて、強く否定する。本人は、納得せり。だが、五段抜きに報道され、あきれる。
 信なき言論。社会を更に悪化させゆく。
 言論の暴力。言論の独裁。
 弱き者は、常に、哀れなり。
 不公平極まる、民主主義。
 本部。「如説修行抄」講義。
 全部、終了する。割り合い良く講義できた。但し、候補生たちの浅学には、驚く。自分も、初めは、そうであったか。
2  十月二日(日) 雨
 午前中、休息。疲労、全く取れず。残念。死魔との戦いの如し。
 吾人は、人々に誤解される宿命らしい。不徳のいたすところか。修養の足らざるか。―――
 一時過ぎ、志木支部の総会に出席。
 小雨、降る。三千四百余名の結集。不安定ながら、無事終了。
 帰り、支部長宅へ。支部長と共に、京王地区の総合座談会に、出席。
 力の限り、指導し、激励して帰る。
 指導して、意気揚々と帰る自分より、これ程まで結集させた、中堅幹部の人々に深く思いを致すべきである。
 本当に、吾れは、若い。先生を、思い出す。先生なかりせば、どのように育っていったか。鳴呼。
3  十月三日(月) 雨
 又、雨。
 身体疲れ、暗き淵に沈むが如し。
 信心、強盛になるのみ。打開、打破、転換。自己の力、能力のなさを、悲しく思う。
 正午、郵政省に、I君を訪う。
 商業学校、大世学院の友である。食事を、地下食堂で、ご馳走になる。
 信心の方は、二、三遍、題目を、唱えている様子。困った友。
 大風のため、日航機飛ばず。先生、夜行「銀河」(十時三十分、東京発)にて出発。お見送りに行く。下関の指導であられる。
 I秘書部長の策と、小才は、宜しくないと思う。随分、私も、人々も、いじわるをされ、讒言され、曲解されて来たことか。
 側近達は、誰一人、思い上がるべからず。
 先生を、利用すべからず、である。
 特に、女人は、恐ろし。未来、重々、注意。
 I婦人部長、並びに、U女史を、厳しく叱る。増上慢と―――。多数の人々が、遠慮し、伸びのびと信心出来ぬことを恐れて。―――
 H先生と、東京駅まで行き、帰宅。
 十二時近くなる。疲れてならぬ。実に、疲れる。しゃくだ。
 秋深し。夜半の街、静寂。
 孔明を思う。正成を憶う。竹中半兵衛を念う。頼朝を、清盛を、秀吉を。―――
4  十月四日(火) 晴
 秋晴れ。
 世界中で、最高に澄み切った、秋か。
 M君、W君を、厳重に注意する。
 不真面目な人達だ。五回が陣営を、軽々しく考えている。甘く見すぎている。
 y君、N君を、やはり、強く指導すべき時期に来たと感ずる。
 六時三十分、豊島公会堂、男子青年部会。
 前半、皆、元気なし、後半より、次第に盛り上がる。男子部の底力。あわてることは、決してない。だが、緊張すべき時である。
 長として、幹部としての自覚につき、約三十分、指導。元気出ず。疲労か、老いか。
 第二部隊の隊長会に出席。若い。弱い。未熟だ。これでは、未だ、革命は出来ぬ。
 訓練、訓練。
 T部長と共に帰る。
 帰宅、十二時。疲れた
 Mさんは、立派な人と思う。賢い人である。
5  十月五日(水) 晴
 秋晴れの一日であった。
 先生の御事は、一刻たりとも忘れられぬ。実に、私の一生の運命は、先生にお会いして決定し、左右され、終幕となろう。
 嬉しいことだ。貧しき、自分の生涯を見て戴ければ、これ程の栄光はない。
 幾多の雑誌に、学会批判記事あり。
 次第に、第三類の敵人ある感じ。断じて、恐るるな。不退転の心、今こそ大事なり。
 六時より、会長室にて「御義口伝」の講義を受く。
 八時三十分。
 第一応接室。―――邪宗の実態に関する、座談会。聖教新聞主催。記者達も、次第に成長して来た。勇敢である。革命児の信念、頼もし。
 邪宗の害毒、他宗派の実態、魔の姿に、痛憤を覚ゆ。
 一人、強く強く、闘争の決意を固む。
 人、見ざれども、倶生神あり。妙法の照覧おもえば、心楽し。
6  十月六日(木) 曇一時雨
 法華経の講義、休む。
 中野支部の『折伏教典』の研究会指導のため、荻窪の古物商会館へ行く。
 元気に、指導して来たと思う。
 健康が―――、体力が―――、強ければ、今の、五倍、十倍の闘争が出来るのだが。
 夜、身延攻撃を指示。
 立宗七百三年、最後の闘争である。
 大成功に終了せんことを、御本尊様に祈る。諸天善神に、申し付けて下されと。
 秋の清気、日増しに深まる。
  一、人を、慈愛を込めて、面倒みよう。
  一、暖かく、包容しながら、進もう。
 何故か。自分は、あまりにも、激情家だ、厳格である。‥‥と思うからだ。
 日本一、世界一、これを望むは、幸か、不幸か。どのような人生行路が、日本一、世界一か。反問。
 人生一期ナレバ、悔イノミハシタクナシ。
7  十月七日(金) 曇
 最近、少々失敗多し。
 過去の、欠陥、失態、それを変毒為薬していけば、決して、恥にあらず。
 本部講義、‥‥会場の都合で、中止。
 先生と、映画「新・平家物語」を、観に行く予定なりしも、緊急部隊長会議のため、残念にも、行けず。先生のおさそいに、大きな意味を感じた。奥様より、あとで、見ておくように、との連絡を戴く。
 立宗七百三年の、掉尾を飾る段階。
 部隊長会、庶務主任会、教学部員候補生の勉強等、六時より、全部出席。
 戦いがあると、元気湧現。不思議。あたりまえ。
 最後に、皆して「白虎隊」の歌を、歌う。悲嘆の気持ちになる。可憐な少年達の純情、尽忠を。‥‥
 新たなる、学会の、福運ある、紅顔の少年、青年達には、断じて同じ轍を踏ますべきにあらず。
8  十月八日(土) 晴後曇
 先生、今朝、仙台へご出発。講義のため。
 自分は、大阪講義に。
 先生、非常に、ご疲労の様子。
 私は若い。私は死んでも、大きな波はない。先生は、東洋の、世界の柱であられる。
 長寿を祈るのみ。八十歳代までは―――。
 十二時三十分発特急「はと」にて、大阪へ。一人、静かな旅であった。
 大阪、堺の支部、共に、実に親しみ深いところである。
 講義終了後、Y宅に寄る。付近の学会人と、親しく懇談する。
 本有常住、常楽我浄、種熟脱、未来記、等々、質問多々。
9  十月九日(日) 晴
 非常に寒くなる。
 日本アルプスに、初雪との記事。
 終了後、質問会。
 十時より、講義。「顕仏未来記」。出席約四百人。
 午後二時より、「妙密上人御消息」。
 四時三十分、終了。
 六時より、支部長、幹事、部隊長と共に「新・平家物語」を観る。平清盛の、夢、建設、栄華、盛衰を、考える。
 日本に遊行した、権力の役者。
 特に、青年期を大事にと思う。
 理想、勇気に満ちた、前進。
 而し、それよりも大事なのは、晩年の人生である。心すべし。心すべし。
 八時二十分発、夜行「明星」に乗る。
10  十月十日(月) 雨
 朝、七時三分、新橋に着く。
 東京は、小雨。東京温泉の朝風呂に入り、さっばりして出勤。
 朝の、先生の講義、頭が重く、身に入らず。
 学会の闘争も、月々、年々、熾烈を極めて来る。肌に泌々と感ずる。
 覚悟、決意、‥‥。瞬時も、忘るべからず。死を決意してのみ、吾人の力は湧く。
 五時、本部。
 先生に、種々報告。青年部のことで、文、失敗あり。先生に、厳しく叱らる。よし、男らしく、責任を負い、叱られよう。
 参謀会議。及び「当体義抄」の勉強を、蒲田支部の助教授達と共にする。
 此の十年。全く、無茶な程、心身を消耗して来た。
 帰宅、十二時となる
11  十月十一日(火) 雨後曇
 先生、少々不機嫌。淋し。
 お疲れか。
 又、吾人の、反省と、指導とを含まれた、厳愛か。一日一日、安定の心となる。
 六時、本部。部隊長会議。
 先生、非常にお元気なし。
 八時三十分頃より、臨時幹部会。
 種々、指示を下す。
  一、明日、十月十二日、午前七時を期し、一斉に、全身延山、及び周辺に、聖教新聞(編注・身延破折特集)を配る。
  一、無事故であること。
  一、部長以下、六百二十名。
 青年部の歴史、学会の歴史に、不滅の歴史を止めん。この作戦。
 十一時三十三分東京発にて、参謀一行と共に、富士へ、身延へ向かう。
 富士駅前の旅館に一泊。
12  十月十二日(水) 晴後曇
 五時三十分、起床。
 六時、小型タクシー二台して、身延へ。
 身延の周辺は、暗く、寒く、静まりかえっていた。続々、青年部が、山門に集合。
 意気揚々たる革命児。強い。逞しい。
 学会の未来は、無限に明るいと思う。
 七時三十分、第一班二百五十名が、一斉に身延本山内へ向かう。
 同時に、他の部隊、第二班等は、大町方面、波木井、塩ノ沢等、五か所へ。
 同時作戦は、立派に十時完了。
 坊主の、あわてふためいた姿が、目に残る。
 増上慢の寺。仏に弓を引きたる、堕地獄の源の寺。
 吾々は、民衆の覚醒のため、害毒の根を切るため、言論戦によって、戦ったのだ。
 必ずや、この実践、一念を因となし、身延は、近く崩れゆくことだろう。
 日興上人様は、心から、お喜びのことと信ずる。
 一時二十六分、富士駅より、帰京。
 皆、戦った後の、勝利の喜びで一杯。
 自分は、これほどのことでと、心で思う。
 四時五十分、会長室へ、報告。
 私は、作戦、実践の人だ。
13  十月十三日(木) 晴後曇
 一日中、落ち着かぬ日であった。
 二時より、本部面接。
 三十数名の人来る。自分としては、精一杯の指導をする。
 終了後、会長室へ。
 先生、お元気なし。而れども、大師匠の、気風、凛々たり。
 吾れ、第一の弟子として―――起たねば。進まねば。
 一級講義の重要なることを、泌々と知る。
 天台、妙楽の教義をも、大聖人様の御観心より拝しゆく、師の厳しさを、―――永遠に、正宗学徒は、学会員は、寸事も忘れてはならぬ。さなくば大謗法の失、免れ難しとなる。
 師弟の誠を―――猛省。
 師匠の言々句々を、深々と―――、色香美味出来る自分に、弟子にならねば、無漸なるべし。
 O社も、T支部も、K支部も、青年部も、B支部も、全部、師の命により、広宣流布の建設と勝利を、遂行出来たことを歓ぶ。
14  十月十四日(金) 曇後雨
 身体の調子、少々良好。珍しき日であった。而し、良くなれば、すぐ無理を為す、悪いくせがある。
 夕刻、伊勢丹で、先生の奥様と、買い物。帰り、Tにて、食事。
 「観心本尊抄」の講義さぼる。苦しきなり。
 自宅にて、S兄と語る。
 非常に元気なし。来春の、参議院選の初陣は、小生にとりても、S兄にとりても、運命の戦とならん。
 敗戦あれば、広布の駒足がにぶる。自己の為でもなく、名誉の為でもなく、王仏冥合の第一戦を、断固勝ちたい。自己の使命、重且大となる。
 此の一戦を本とし、未来の選挙戦を末とする。所詮、本末究寛して等しき故に、勝ち戦にせねばならぬ、運命の一戦。―――
 「兵衛志殿御返事」
 過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろとび愚者は退くこれなり、云云。
15  十月十五日(土) 曇
 昨夜は、実に、いやな夢を見る。朝まで、感じ悪し。
 午前、荻窪のS宅訪問。
 国土世間の作用によるのか、そこに住する人々の様子まで、多分に決定されているようだ。
 品の良い家族を、今更、不思議に思う。
 夕刻より『折伏教典』の講義。
 場所、中野桃園会館。盛況。全力を傾け、講義をする。嬉し。此の中より、未来の大指導者いでよと。―――
 帰り、新宿にて、妻と遇い、帰宅。
 蒲田駅より、徒歩。途中、お好み焼きを食す。楽し。
 先生、本山。
 先生のお姿、いつも心に消えず。
  東洋の王子は
    馬上に剣あげ
  指揮とる日をば
    待ちてはげまん
16  十月十六日(日) 快晴
 秋晴れ。
 雲一点なし。
 博正、城久、共に可愛くなる。親子の感じ全くなし。若年の故か。小生の我儘故か。されど、二人とも、正義の人となり、広布の、金の翼もち、飛びゆく事を、胸臆より祈るのみ。
 五時、W君の結婚式。於常在寺。
 小生、初めての、仲人なり。
 久し振りに、モーニングを着す。
 自分の、年重在りゆくを、淋しく思う感じ。
 先生の、御出席を戴く。他に来賓出席。約六十名。
 式、並びに小宴終了、八時三十分となる。非常に疲れる。
17  十月十七日(月) 晴れたり曇ったり
 秋空なれど、一日中、頭痛あり。
 最近、多忙にかとつけ、勤行せぬ罪を思う。
 心身共に、疲れてならぬ。
 吾人は、いかにして、様々に評価され、反感をもたれるのか。己むを得ぬ。大胆に一人進む故に。先輩の嫉妬、同僚の反目、当然、当然。
 総て、大御本尊が、決定し給う。
 師匠が、厳しく、決定しゆかれることだ。頼もし、楽し。
 何も恐るな、人々の批判なぞ。断固進め、そして、見よ、世紀の青年の指揮を。
 勇猛、更に、邁進。宗教革命と、政治革命の為に。
 笑うものは笑え。謗る者は、勝手に謗れ。後になり、後悔しゆくらむ。
 夕刻、「大白蓮華」座談会。教学について、教学部長中心に、約二時間。
 終わって、身延攻撃の報告を、会長室にて聞く。
 立派に目的果たす。皆、歓んでいる。
 吾人思う。あまりにも小さな戦なりと。
 幾千万倍の勝利なければ、吾れは、心安からずと。
18  十月十九日(水) 雨
 一日中、小雨。
 今朝、国土開発論を発表することになっており、病気をおして出勤す。
 先生、お見えにならず。残念、淋しい。身体、死するが如し。三時まで、会社にて休む。
 四時、本部へ寄り、自宅に帰る
 一日中、沈痛な、苦悩あり。体温三十八度五分とのこと。頭痛し。背痛し。一体、何の病気であろうか。
 題目を、千遍、二千遍と、元気に唱えゆくことだ。生命力の源泉を造ることだ。断じて病魔に負けてはならぬ。死んでたまるか。
 求道者は、常に、若く、逞しきなり。
 知識のみに捉われて、自惚れし者は、最阜、過去の人生となるなり。
 妙法の智慧、価値創造のための知識、これが、未来の、青年の理想像なるか。
19  十月二十日(木) 雨後曇
 色心共に、調子悪し。
 今朝も、先生と、お目に懸れず。私は残念である。淋しい。
 幸・不幸の基調は、生命力なるか。これ第一義のことも明確である。此の実証と、解決をする、自己の実験が、これから数年のことと考えたい。
 健康、丈夫の人よ、―――感謝を忘却せざれ。
 夕刻、本部へ行く。
 「御義口伝」の講義を欠席し、I参謀と、青年部の将来のことで、打ち合わせをする。
 先生と、会長室にて、三十分程、お話し合い出来た。嬉しい。
 先生の、おやせになっていくお身体を憂う。衰弱気味の状態も、亦、悲し。
 N支部の二級講義を、高円寺の白木屋にてする。終わって、八時過ぎ、舞踊家、O宅へ。女子第十部隊の会合に出席。
 実に、疲れる。品川まで、車で帰る。
 乱世、無責任、利己主義の、今の世に、清純な、妙法の乙女に、幸多かれと祈らずにいられない。
 十年間、一人も退転するな、と。―――
20  十月二十一日(金) 晴
 秋晴れ。
 疲労多し。宿命の打開、運命の転換、過去世の謗法の、厳しさを知る。実に、生命は、永遠なることを、身をもって感ずる。さなくんば、此の生命を納得するに、矛盾だらけとなるなり。
 一日中、在社。身体を休め、且、種々思考。
 一生は夢の上。なれば、全力を傾注し、これで良しとの、一日一日、更に、一生を送りたいものだ。
 実業家もよし、政治家もよし、平凡なれども、深き人間として、生きゆくも亦、良からん。
 本部講義。
 日蓮大聖人の仏法の真髄「観心本尊抄」を、完全、且、精密に、勉学せねばと、痛感する。
 立宗七百三年、秋季大総会の打ち合わせを、理事会にて、理事長中心に行う。
 小生は、″仏勅実現の日まで″と題して、講演することに決まる。
 帰り、部隊長等と共に、串かつを食べに行く。皆、嬉しそう。楽し。
21  十月二十二日(土) 快晴
 早、週末をむかえ、土曜日となる。
 明治の人は、半どんという。ポルトガル語の″ドン″とは休みを意味し、日本流で、半日休日と通称されるようになったものか。
 誰人も、止めようとして、止めることの出来ぬのが、時の流れである。
 大自然、大法則の力、このリズムに則っていくのが、妙法の人生である。
 欧米は、土曜、日曜と休日。将来は、日本も、模倣をするようになるか。―――
 秋風千里―――。秋になると、特に、大自然の流転の不思議を、感ずる。
 午後、一人して、中国見本市を観にゆく。幾千万の波、民族意識の熾烈を響かせている。新中国の、三千数百点の製品を、早足にみる。工業製品は、未だしとの感じを受く。日本民族の偉大さと、優秀性を、更に感ずる。
 夕刻、教学部員候補生の講義に出席。「顕仏未来記」。真剣なる受講者に、頭の下がる思い。講師の資格なしを、済まぬと思う。
22  十月二十三日(日) 晴
 総本山、大石寺に詣でる。
 大御本尊様にお目通りすると、確かに、生命力が湧く。これは、厳然、たる事実である。自己の体得、万人の体験。―――愚かな、不信の徒の批判―――あわれむべし。悲しむべし。
 旭日、昇る、厳粛なる本山。
 衆生所遊楽の源泉地、大石寺。
 富士を、背に画きし、総本山。
 霊鷲山、いま、滋に有り。
 東洋の民も、必ず来る。世界の指導者も、必ず来る。いま、この、吾れ起てる所に。
 登山をかさねるごとに、生涯、成長の節とせん。
 下山の途中、富士宮に寄り、T部長、参謀等と、I社長宅、並びに、I氏宅を訪う。
 自宅着、八時近くとなる。城南方面は、樹木少なし、水少なし。環境可とせざるか。
 一時間程、子供をつれ、妻と共に、付近を散歩。食事、美味、楽し。
23  十月二十四日(月) 雨一時曇
 先生の、限りなき境涯、構想等を、泌々、深く偉大なりと、知る一日一日である。
 自己の浅はかさを、猛省することしきりなり。
 午後、一時二十分東京発にて、沼津へ。着、四時十分。T氏、R君、A君と共に、実業家、政治家T氏を訪う。
 一時間程、待たされ、九時少々前まで、懇談。充分に語る。
 国土開発の事、中央道、経済、政治等の件に付き、意見交換。
 結論として、深入りして語る人にては無きと思う。
 相当、科学的、具体的に、自己の主張をせしも、何となく、神懸り的である。
 九時五十分発、上りにて東京に着く。
 十二時五十分、吾が家に。
 政治家も、学者も、科学者も、実業家も、総て、一人の力によって、偉くなったとは思えぬ。どうも、対人間関係から、恵まれた環境から、伝統上から、そして、閥から、組織から、家柄から―――等々、多分に、偶然的に、決定され、演出されゆく如くに見えてならぬ。
24  十月二十五日(火) 曇一時雨
 朝、先生、お見えにならず。
 淋しいものだ、心奥の空虚―――。
 一日中、平凡に在社。頭痛しきりなり。
 夕刻、本部へ。会長室に、昨日の、T氏の報告をなす。
 水滸会。六時。
 来春の参議院選挙の、候補の発表あり。胸揺る。
 五名。
 H統監部長。K指導部長。T青年部長。S大阪支部長。文化部最高顧問。(編注・後日、一名が追加される)
 右の者なれば、妥当の感を抱く。
 帰り、常在寺へ。支部班長会に出席。元気ある会合であった。なつかしき人々である。
 十二時、帰宅。無理矢理に、身体をこわしては、ならぬ。
 遅くまで、読書。本を読まねばならぬ。若いうちに。老いて、後悔せざる為にも。―――
25  十月二十六日(水) 雨後曇
 一日中、薄ら寒いぐらいであった。
 凡人在れば、刻々心境が、めまぐるしく変化するものだ。
 修羅界になる時。地獄の苦悩。天上界の歓び‥‥。
 信心根本なれば、常楽我浄の、人生、生活に、自然に則っていることか。
 来春の政界進出は、学会の歴史的第一歩となることだろう。是非とも、勝利へ導きたい。必ずや、未来の栄光ある足跡となろう。
 学会の華も、大きく、たくましく咲いて来た。全幹部、来年より、再び、心を引き締め、新時代建設に、自覚して貰いたいものだ。
 油断は大敵である。有頂天は、必ず、悔いる時がある。
 学会丸も、東京湾より、太平洋へ向かったのだ。黒潮に乗るか―――。怒濤に揺れるか。波浪を、乗り越えるか―――。
 夕刻、T兄妹に、渋谷にて食事を御馳走する。可愛い人達だ。立派に育って貰いたい。
 帰り、腹痛しきりなり。その儘、帰宅。薬をもらい、読書。静かな夜。
 平和な夜。幸福な夜。暖かな夜。
 有り難い。
26  十月二十七日(木) 晴れたり曇ったり
 身体を、大切にせねばならぬと思う。
 午後まで、在社。社会は不景気である。
 恵まれた環境を謝す。
 一級講義出席。豊島公会堂。
 先生、非常にお疲れのご様子。
 左記のことを思う。
  一、弁解する人物になるな。
  一、人の栄誉、人の幸福を喜べ。
  一、人に、干渉するな。
 講義の帰り、矢口のS宅へ寄る。皆、よろこんでくれる。
 帰宅、十時少々過ぎ。二人の子供、静かに寝ている。可愛い。広宣流布の、立派な人材になれよ、と想う。
 秋月万観の詩を作る。
 地上の葛藤、豈。小饑しょうきの動なり
 栄楽も空し 一風を去る
 名財も消滅せん 大流の一泡
27  十月二十八日(金) 雨
 読書の秋。否、三百六十五日、読書の日にしたいものだ。
  一、御書を、完全に読み切ってゆく事
  一、六巻抄を、熟読すべき事
  一、古今東西の、良書を精読すべき事
 特に、この三年‥‥。此の三年によって、私の生涯は決定するなり。
 運命、宿命―――。大河の流れの如し。
 誰人に語らん。誰をか、うらまん。
 午後、歯科へ行く。どうして、こんなに、方々悪いのか。
 夜「観心本尊抄」の講義出席。信心で、講義を受けねばならぬ。更に、精読、思索をせねばならぬ。
 問うて日く、
 十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。
 答えて日く、
 汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや、然りと雖も試みに之を云わん仏に値いたてまつつて覚らざる者・阿難等の辺にして得道する者之れ有ればなり、其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道すこには仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり、其の上仏教己前は漢土の道士、云云‥‥。(観心本尊抄)
 自宅にて、種々将来のこと、身体のこと、家庭のこと等を思索。運動不足。生命力が、欲しい。
28  十月二十九日(土) 晴
 上天気。爽快な、秋の朝であった。
 芸術の極の感あり。否、種々の芸術が、この大自然の粋より、有為の形となるか。
 先生より、朝、電話あり。最近、度々なり。ある時は、やさしく、ある時は、厳しく。いずれにせよ、幸せなことである。
 先生の指示により、山喜房版『富士宗学要集』のことで東販に行く。
 午後四時。本部第一応接間にて、社友会。何もしゃべらず悪いことをした。
 夜、先生と共に、N中華料理屈にて、会食。二人の外部の人を、紹介して下さる。
 先生、相当お酔いになる。
 帰り、先生を自宅までお送りし、帰宅。
 疲れる。若いくせに、困った生命。
29  十月三十日(日) 晴れたり曇ったり
 九時まで休む。
 疲労、全く取れず。
 三時よりの、M君の結婚式に、出発しようとすると、T部長が来る。共に、池袋まで、同車。弱い人である。可哀想な先輩でもある。
 静閑な、式であり、宴会であった。出席者と、密着なき人であることを感ず。これ又、可哀想でならぬ。随分、この数年、支援してあげたが、本人は、どれほど自覚していることか。何も感じていない人のようにも思える。
 六時、支部長宅へ。支部の地区総会に、共に行く。文京地区―二百七十名、出席との事。場所、豊島公会堂新館。二十分程、激励する。皆、元気であった。こちらが激励されることの多きことよ。
 終了後、H兄と共に帰る。
 自己のことを、深く考える事は損なのか。それは、絶対必要なことなのか。
 自己を批判しすぎて、消極的になる人あり。自己を、深く思索、反省して、勇然と、突進出来る人もあり。愚かな自己批判より、青年らしく、常に、あたって砕けゆく根性が、大切な時代なのか。
 所詮、妙法あれば、自分らしく、考え、進み、行動すればよし。‥‥人には、迷惑をかけずに。―――
30  十月三十一日(月) 曇
 形式に走り、形式に流される心を、保守というか。文は、過去のみを重んじ、未来への改革を欲せざる心をいうか。
 革新―――俗に世間でいう言は別として、真実の革新とは―――形式に流されざるを得ぬ社会の中より、真実の生気を出しゆく、即ち、妙法を唱え、新たなる、みずみずしい生命力を湧現して、自らを革命し、環境をも変えゆくことといえよう―――。
 本部幹部会―――豊島公会堂。
 時間、六時三十分より。
 終わって、常在寺において、大幹部会。
 先生より、深い功徳論の話あり。我々は、幸せである。
 自宅にて、種々反省。
 厳しく、御本尊様に、お詫び申す。
 来春の参院選のことを、心配する。
 運命戦でもある。仏天の加護を信ずるのみ。いや、美名にかくれた言語でなく、全魂を傾け、全霊を尽くして、初めて、仏天の加護を願うことだ。
 自己流の、価値論―――自我流の、信心利用の言語は、厳禁すべきだ。さなくんば、将来、広布の大道に、妄想の御書用語で、邪魔されることは、必然である。

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