Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十年(九月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

前後
1  九月八日(木) 晴天
 蒸し暑き一日であった。
 身体の具合、誠に悪し。悲嘆。
 先生の、期待、恩義、遺言に応えずば、今生の使命、いずくにぞあらんや。
 燃えあがる、宿命打開の信仰あるのみ。これなくば、自身の敗北は、決定さる。
 午後、日大講堂へ、総会等の準備に行く。
 一番苦労して、推進せねばならぬ、宿命。
 冥ノ照覧ヲ、信ズベシ、と御聖訓にある。
 終了後、木曜講義(方便・寿量)に出席。
 豊島公会堂。新入信者が多い様子。
 久しぶりで、妻と共に、帰宅。
2  九月二十日(火) 晴
 六時、本部、先生を囲んでの会合あり。
 厳しき、先生の質問、訓練あり。
 剣豪ノ修行、正ニ此ノ姿ナルカ。
 帰り、理事長等とI宅へ、指導に回る。先生の指名なれば、責重し。
 涼しくなる。‥‥
 明日より、日記を、新しいノートに誌そう。
 小樽法論の、記念に下された歌。
  空を飛び
    小樽の海に
      敵ぞつく
    若き姿は
      永久に残れり
 「開目抄」の本に下された歌。
  大鵬の
    空をぞかけ
      姿して
    千代の命を
      くらしてぞあれ
 夜半まで、静かに読書。
 就寝、二時近くになる
3  九月二十一日(水) 雨後曇
 日誌の、第一枚目に。
 生命は、悠久、永遠にして、一生は、夢の如くである。朝露に似たり、冬霜に似たり。太陽昇りて、一瞬にして消えゆかん。
 自己の、一期の歴史、将来、活動は、善に付け、悪に付け、細胞より極小なりといえども、此の土に、此の字宙に、一つの足跡を、残すことであろう。
 而れども、その因果本質の足跡を、誰人が観、思念してくれるであろうか。
 人事は、小なり、あまりにも極小なり。無辺なる方向、久寿無始の時間より望むれば。―――
 即ち、自己の感情、自己の思惟、自己の追憶、自己の秘密、更に、自己の激憤等を、つれづれに、一書に誌すこと。これ面白く、意義あり。孤独の世界を伸ばしゆく所以なりと思う。
 一つの自己と、又、もう一人の自己との、交渉、対談、激励ともなるか。記録の日記、事務的のみの日記は、強く嫌うなり。
 未完成の、翼を飛ばすまで。未完成の、建設を大成するまで。自由の空、自由の世界、自由の活躍の、夢を胸奥に秘めながら。
 二十七歳―――秋。
4  九月二十二日(木) 晴
 非常に、涼しくなる。
 秋風、吾が胸に、深々たり。
 O社も、茲に五年を経過。
 幾度の、苦難も越え、安定、文安定。
 幸福、満足。一人驚く。
 冥益―――厳然と証明される。
  一、我儘な自己を振りかえると、冷汗。
  一、現実を、楽観視せぬこと。
  一、常に、修養を忘れざること。
 二時より、参謀会議。五時三十分まで。
  (1) 指示系統の徹底。
  (2) 仏立宗、急襲の作戦決定。
  (3) 立正交成会、破折攻撃の決定。
 立宗七百三年、最終の闘争を、立派に飾りたし。自身の一念あるのみ。信心、決心あるのみなり。
 法華経講義―――出席。豊島公会堂。
 先生、お身体の具合、宜しいとの事。これ程、嬉しき事はなし。
 秋霜の如く、厳しく、自己をみつめ、戒めて、人生を送ろう。
5  九月二十三日(金) 晴一時曇
 本部、会長室に於いて、先生と、三十分程お話しする。自分の報告が、精密でないので悩む。
 六時三十分より―――第一回、教学部員候補生の研究会。
 「如説修行抄」第二段まで。
 下手な講義となる。
 ―――無技術、技術、芸術の三段階あることを、深く思い出す。
 無技術の、自分の講義は、未だ教授の資格なし。
 実力、勉学、錬磨。―――精進あるのみ。人よりも、誰よりも。
 人生の船出して、二十七歳。
 あと、三星霜にして、三十にして起つ、の年齢。
 強く生きよ。
6  九月二十四日(土) 曇時々雨
 彼岸の中日。
 両親の事を思念する。
 仏法は厳し。弱く、ずるい信心だけは、したくなし。
 午前中、在宅。先生の御写真を泌々と仰ぐ。慈愛、温情、厳格。激励し、見守って下さる。
 一時、小岩支部総会。中央大学講堂。
 盛大な、意義ある総会であった。前途、逞しく進軍されんことを祈る。四時、終了。
 帰り、H、T夫妻、0夫妻と共に、お茶の水にて、会食。
 六時三十分、常在寺。細井尊師と、法華講、檀家等の件に付き、会談。
 僧俗一致、異体同心なれば、広布の大目的に共に進むべきだ。小細工の策は、やめるべきだ。
 文京支部の座談会に出席。久し振りなり。
 可愛い支部である。幾多の英才が、輩出することか。
 疲れて帰る。十二時少々前。
7  九月二十五日(日) 曇後晴
 七時四十六分の、品川発にて、本山へ。
 妻及び、両子も共なり。
 信心の歓喜、人生の意義、現実への凝視等々を、登山ごとに考えるようになった。
 泥沼に咲く、蓮華の花とは、吾々のことである。
 十一時四十分―――本山着。
 秋晴れ。本山に、生気満つ。
 二時、御開扉。三時より、猊下のお目通り。
 先生の、本山への忠誠。全宗門も、深く、早く、知悉、嘉賞されたし。
 先生の壮健を、先生への諸天の加護を、心から念ずる
8  九月二十六日(月) 曇一時小雨
 朝、長男、高熱。小生も又、身体実に苦し。一日中、灰色の如し。
 肉体の限度は、わかる。而し、生命力という力は、肉体力、精神力を、超越し、かつより強く作動させゆく、不可思議な力と思う。その生命力の湧現は、一念の所作による。いや、妙法の力、信心の力に依つてのみ、無限に、出ずるわけだ。その実践。実験。実証。‥‥
 四級講義を休み、四谷病院へ、診察を受けに一人ゆく。血沈、検尿、レントゲン等の―――。
 灯火親しむ候に入る
 帰り、神田にて、食事。古本数冊、購入して帰宅。
 読書ト、文筆ニ、励ミタシ。
9  九月二十七日(火) 雨
 戸田先生は、私にとって人生の主であり、師であり、親である。
 年、十九歳より、生涯、おそばに仕え、指導、訓練され、一人前にして下さる。奇しき縁を、深く念う。生涯、お供することこそ、吾が本望。これで、今世の使命達せられん。
 叱時、訓育、慈愛。なべて、吾が色心に、刻印せしなり。
 六時、水滸会。
 先生、御出席。『三国志』今夜にて、終了。
 東洋広布の進め方、日本の広宣流布の仕上げ方等の、遺言にも似た、指導となる。
 帰り、第一部隊の隊長会に出席。
 厳しき、指導を為す。已むを得ん。
 帰宅、十一時三十分。‥‥家で、少々食事を出して貰う。妻、嬉しそう。
10  九月二十八日(水) 雨
 台風、接近との事。
 それることだろう。
 本年は、戦後、初めての豊作とのこと。―――
 朝の講義『政治学』終了に近づく。
 頭の中に入るは、全くなきが如し。
 午後、先日の、病院に行く予定を、止める。結果を知りたいとも思うし、知っても、自分でなおす以外ないとも思う。面倒になり、中止。
 夜「末法相応抄」三分の二、終了。次第に、明瞭になって来た。二度、三度と、勉強せねば、本当には、わからぬものだ。
 十一時まで、講義あり。疲れる
 遅くまで、寝られぬ。
11  九月二十九日(木)雨一時曇
 一日中、疲れ切った日であった。
 六時、全体会議。九時近くまで、種々、検討、及び打ち合わせ。
 先生も、お疲れの様子。
 帰り、社員、友等と、有楽町まで行き、会食。つまらぬ。この時間を、本でも読めばと、悔いる。
 学会も、大勢になった。先生の、指導、目の届かぬ人々が、多くなって来た。
 政治家あり、経済人あり。―――亀裂と、分裂を恐れる。吾人が、毅然とすることだ。
 先輩、後輩にも、数名の、力ある学会守護の人あるを信ずる。
 夜中、輸送班のことで、M君と、種々連絡を取りあう。頼れる、真剣な人。彼の前途に、祝福あれ。
 二時過ぎまで、起きている。自分が、すごく老けて来た感じ。
12  九月三十日(金) 晴後曇
 蒸し暑き一日であった。
 天候の作用は、万事を動かす。況んや、人体は敏感である。
 参謀会議―――本部、六時招集。
 全く、結論が出ぬ。各人、各様な主張。大使命、大目的を、忘れ勝ちになっている、力のみの各人の意思。先生の下だったら、早く結論も出ることだろうに。―――
 それが恐ろしい。それでは、先生より託された、参謀会議の意義は、最早、なしだ。
 続いて、常在寺へ。
 緊急輸送班会である。学会の、陰の任務。この人達を、大幹部は、大事にすべきだ。
 帰り、T宅へ。地区部長会、出席。
 人の心は、常に変わる。自己が、強くなることだ。
 南無妙法蓮華経。

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