Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和三十年(二月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

前後
2  二月二日(水) 晴
 平凡な一日であった。
 大事な建設期に、悠長な一日であっては済まぬような気がする。自分自身に。
 『鴻門の会』を読む。『四面楚歌』を読む。
 『虞美人草』の、悲哀―――史誌に胸懐そぞろなり。
 六時より、教授会。非常に、神経疲れる。明日より、先生に左記の御書の教示をお願いする。
  一、百六箇抄
  二、本因妙抄
  三、御義口伝
  四、観心本尊抄
  五、開目抄
  六、六巻抄    以上
3  二月三日(木) 晴
 寒い一日であった。
 自分の性格に困る時がある。自己の性格を、これで良しと思う時もある。詮ずる所は、誰人に批判され、誹謗されようと、師につききり、妙法を唱え切ることだ。自身に恥じぬ仏道修行を、忍耐強く日々続けゆくことにつきる。
 一級講義出席。豊島公会堂。幹部の出席少なし。先生存命中に、此の不思議なる、法華経の妙義、原理を究めたきものだ。
4  二月四日(金) 雨後曇
 六時、臨時幹部会(青年部幹部室以上)。於本部。
 R寺問題に付き、集合。
  一、六十名、代表として出動。
  二、七十七か寺に分散して、話し合う事。
 十一時、解散。
 小生、明日は仙台・仏眼寺に行くことに決まる。
 疲労重なる。疲れたるこの姿。
5  二月五日(土) 晴
 九時五十分、急行「みちのく」にて、仙台に出発。先生の随行。他にK、Y、B夫人、Y、A等であった。
 先生の厳しき指導。そして愛情深き振る舞い。真剣に給仕を為す。三時四十九分、仙台着。
 多数の人々が、出迎えに来ていた。非常に寒し。胸が痛み困る。
 法華経は冬の信心なり。冬は必ず春とならん。吾人の人生も又、斯くあるらん。
 四時三十分、東北放送局において、小島アナと、戸田先生の対談あり。小生は唯一人、その中に入る。
 師匠の語る、録音をまのあたり見る。
 六時、「方便品」の講義。労働会館。
6  二月六日(日) 晴
 十時、労働会館に於いて、昨日に引き続き、講義。「寿量品」に入る。
 一時より、第三回目の講義あり。用事か、お身体の具合故か、先生二時間遅れてお見えになる。その間、吾々、派遣部隊一同にて、指導をする。
 私も、生命力、罰論、利益論の話をする。
 四時三十分、S宅にて、青年部班長会開催。苦しき生活の中、よくも頑張って来たと感嘆する。此の中より、偉大な大幹部が必ず出現することであろう‥‥と。
 土性っ骨、忍耐力、強き男性の完成。この風土、この環境。
 六時三十分、仏眼寺に、S尊師を訪ねる。S住職の事に付いて意見を種々伺う。驚くべき資料を多数、お教え下さる。
 十一時二十八分発にて、仙台駅を離れる。東京へ向かう途中、つぶさに、先生に報告。先生、深く黙し、思索しておられた。
 自分の使命は、達成した様子。
7  二月七日(月) 曇後雨
 朝六時三十五分、上野着
 先生位、直接本部へ。私は、床屋へ行き、八時十分、出勤。
 小雨降る。久し振りなり。一雨ごとに、春の光の到来を感ずる。
 先生の指導、お話等を、書き留めておく必要性を深く自覚する。
 五時三十分、本部。
 先生に、各寺院派遣隊の結果を、詳細に亘り報告する。先生の、真剣な態度に恐れ入る。
 帰り、T支部長、婦人部長と三人で、五反田にて、うなぎを食う。雨やまず。
8  二月八日(火) 雨後曇
 平凡なる一日であった。
 決して傲らず、自己の、社会に尽くすべき任務を、真面目に考えねばならぬと反省。
 明日より、一段と心を引き締め、何事も処理していこう。惰性と建設、義務と権利、消極と積極。更に、規律と放縦、土性っ骨と意気地なし。偉人といわれる連中は、どこが偉く優れていたのか。―――結論は、自分自身に克ったことか。そして、所期の目的に進み抜いたことか。
  一、教学を徹底的に致す事
  二、読書し、将来の糧としゆく事
  三、自己の建設を、常に忘れざる事
 六時、本部、部隊長会。これで良しといえる、指導がしたいものだ。
 会長室にて、先生より、T精工の文化棚のことにて、ひどく叱らる。已むを得ぬ。友を助け、友を守るためだった。
 御本尊様に、恥じざるなり。
 帰り、S宅へ。おやじさんの威張りすぎにはよわるなり。困ったことだ。いくつになっても、人は調子に乗るものか。―――
 誰もいない、淋しき吾が家へ。
 帰宅、十二時一寸前。
9  二月九日(水) 晴後曇
 午前中、在社。
 戸田先生に、お詫び申し上げること多々。自身に鞭打ちて、前進することだ。
 青年は、過去にとらわれるな。現当二世が、大聖人の教えではないか。
 過去にとらわれすぎるは、老いの心、死の心である。笑われても、軽蔑されても、断じて前に進め。
 六時三十分、文化部会。吾人は、無冠、草莽にあるなり。王仏冥合の先駆をゆく、彼等の前途に、祝福あれ。道違わず、後輩のために、強く、広く、堅固な道を築かれん事を。
 終わって、参謀会議。皆、疲れている様子。吾人も―――。
10  二月十日(木) 薄曇
 全身疲れきる。
 苦しい一日であった。罪業か。
 「衆罪は霜露の如し慧日能く消除す」の経文を、自身が色読することだ。
 正午より、三越及び伊勢丹に、明日の先生のお誕生日に贈る品を買いに行く。
 Yシャツ、ネクタイ二本、真珠のカフスボタン、靴ベラ等を購入。誠心込めた贈り物と確信する。
 二時、本部面接担当。
 疲れたせいか、元気ある指導出来得ず、残念。
 七時、一級講義出席。
 八時三十分、常在寺に、意見書伺い。
 九時三十分、班長会。
 疲労のため、T宅に泊まる。
11  二月十一日(金) 晴一時曇
 先生、満五十五歳の、お誕生日。
 小生、二十七歳となる。
 項羽は、三十一歳にして自殺。アレキサンダー大王は、三十一歳にして世界の統一。ナポレオンは、又、三十歳にして皇帝。誰人が、真に偉大なのか。その根底に持つ思想か。実現せる、偉業の価値内容か。その人の持つ、宿命的、先天的な力か。
 自分は、平凡でよし。されど、大宇宙の本源力たる妙法の流布に、生涯生きゆく事だ。波もあれ、風もあれ、曲解もあれ。されど、末法万年、尽未来際まで、功力ある大法則に、此の人生を捧げきる事だ。
 社会の風波、栄枯盛衰は、迹の中の迹であり、幻影にすぎない。妙法厳護の人生のみ、本の中の本である。ここに真実がある。その人々が栄えゆくことは、必定である。
 二十七歳。倒れたくない
12  二月十二日(土) 快晴
 寒き一日であった。
 朝、遅目に起床。非常に疲かれていた。
 常に思うことは、教学に力を注がねばならぬという事である。
 六時、本部へ。勤行をする。題目が順調な声であがらぬことが困る。
 六時三十分、部隊長会議。第一応接室。文化部の件について、打ち合わせ。
 帰り、大森駅にて、Z氏、他二人と会食。
13  二月十三日(日) 曇後晴
 九時、起床。
 寒い朝であった。一人で、風呂に行く。
 正午前後、S氏、M女史、子供のお祝いに来てくれる。お茶も出せぬので困った。
 一時、蒲田支部、第五回総会。
 四、五〇〇名集合との事。頼もし。
 渉外部長祝辞として、二、三分程度の挨拶。
 六時三十分、S宅にて、祝賀会。淋しい、つまらぬ会であった。
 終わってH氏と共に、支部の会合に出席。戸田先生のお具合、かんばしからずとの連絡あり。早速、学会本部に。
14  二月十四日(月) 快晴後薄曇
 夕刻、先生お休みのところ「百六箇抄」の講義を、お願いする。快く、床の上から、指導、講義して下さる恭い。
 四級講義、出席。
 教授陣、助教授陣の、見事なる進歩に、いささか驚く。地味な人ほど、着々と、実力をつけている。本当に嬉しくもあり、油断のならぬことだ
 M君、H君等に、帰り、食事を御馳走する。思いあり。
15  二月十五日(火) 快晴
 先生、朝より厳咤。
 吾が心、峻岳の氷雪を踏む
 寒風、裸者を刺す如し。申し訳なし。
 精神年齢、肉体年齢、共に革命せねば。色心連持で、仏法の実践、実証をなす事だ。
 夜、「百六箇抄」の指導、講義。着々と進む。
 終わって、常在寺にて、組長会。大盛況。歓喜に集う、民衆。利害、名誉、権力等々、皆無の会合。これこそ、真実の民主主義である。後世の歴史家よ、心して見よ。
 十二時、帰宅。一人読書す。
16  二月十六日(水) 快晴
 大聖人様の、御聖誕日。心豊かに唱題する。
 『隊長ブーリバ』を読み始む。脳裏に去来するものあり。
 正午、会長室へ。厳しき指導に、心痛し。I君、A君と三人して、Y新聞社に、二月九日付け埼玉版の批判記事に、抗議に行く。事実無根のデッチ上げ記事を追及。A編集長、反抗強し。これが、公平なる言論かと、怒りおさまらず。引き続いて、浦和支局でK局長と会い、訂正を申し込む。最後に、一往非を認めさせ、目的達成して帰る。
 夜、地区部長会。皆の真剣さに応えるべく、真剣に指導。皆、良く戦ってくれる。涙溢れる。
 帰り、本部へ。先生に、新聞社への抗議の報告。
 先生、吾等の戦いを、歓んで下さる。安心せり。
17  二月十七日(木) 晴後曇
 出離生死の問題を、真面目に考える昨今である。
 午後、会長室へ。R寺問題で、私が先生より、厳しく叱られる。何時でも、私が、叱られてしまう。理事長や、理事は、あまり叱られぬ‥‥。思うように敢然と指揮がとれれば、やりいいのだが‥‥。進退窮まれる立場なり。
 早速、緊急理事並びに参謀会議を開く。終了後、引き続いて、参謀会議。真剣に、作戦及び、編成を考える。
 夜半に帰宅。大阪関係に電話連絡をする。
18  二月十八日(金) 曇
 朝六時、起床。
 早朝の空気は、万金に優る。余裕ある、朝でありたい。
 先生より、電話あり。厳しく叱らる。R寺事件の新聞記事を知らぬとは、何事かと。
 早速、御自宅に伺い、お詫びする。種々、指導を賜る。
 魏徴の「述懐」の詩を、電車の中で読む。
  中原還逐鹿  中原 また 鹿を
  投筆事戎軒  筆を投じて戎軒じゅうけんを事す
  縦横計不就  縦横の計 らざれども
  慷慨志猶存  慷慨の志 なお存せり
  仗策謁天子  策をいて 天子に謁す
  駆馬出関門  馬を駆って関門を出づ
  請纓繋南粤  えいを請うて南粤なんえつつな
  憑軾下東藩  しょくりて東藩とうはんを下さん
  鬱紆陟高岫  鬱紆うつうとして高岫こうしゅうのぼ
  出没望平原  出没して平原を望む
  古木鳴寒鳥  古木に寒鳥鳴き
  空山啼夜猿  空山に夜猿
  既傷千里目  既に千里の目をいたましめ
  還驚九折魂  また 九折きゅうせつの魂を驚かす
  豈不憚艱険  豈 艱険かんけんはばからざらんや
  深懐国士恩  深く国士の恩をおも
  季布無二諾  季布くふ二諾にだく無く
  侯嬴重一言  侯嬴こうえいは一言を重んず
  人生感意気  人生 意気に感ず
  功名誰復論  功名 誰かまた 論ぜん
 愛読の詩、亦楽し。
19  二月十九日(土) 晴天
 先生、朝、登山会に御出発。お見送り出来ず、残念。
 自己の愚を思う、昨今である。
 大御本尊様に、おすがりする以外になし。
 十一時の列車にて、本山へ。
 T部長、U部長、M参謀と共に。車中、良く眠る。
 本山三時着。各坊の住職に、R寺のこと、先生の登山止めの、宗務院の通達のこと等に関し、話し合いを重ねゆく。
 夜半、かがり火を燃やす。青年部の登山者達のことにつき、先生より、ひどく叱らる。側近のつげ口はこわい。
20  二月二十日(日) 曇
 於本山。
 早朝、四時頃より、風速二十米以上の風が吹く。嵐である。
 十時、Y君の納骨式。
 先生のお墓に入れて下さる。
 師の慈悲深きこと、海よりも深し。
 誰人も、思ったことであろう。広布の途上、先生に抱かれ、死してゆきたしと。
 十一時すぎの夜行列車にて、富士駅より、二十四名の同志と共に、大阪へ直行。
 京都付近より、真白き雪、頻りに降り始む。印象的である。‥‥外は厳寒であった。
 朝八時十六分、大阪着。
 直ちに、寒き中、二班に分かれ、R寺、R会に行く。宗門の師子身中の虫、恐るべし、恐るべし。猊下を外護申し上げる、唯一つの、正義の陣営、学会の偉大さよ。
 なにもいとわず、清純に、強信に動く同志先輩の姿、有り難し。美しき、絵図の如し。
21  二月二十一日(月) 晴
 厳寒。
 五時三十分、起床。
 四班に分かれ、それぞれ行動を起こす。
 宗門、第八教区関係の僧侶と会う。
 正蓮寺、住職とも会う。
 警察にも、足をはとぶ。
 仏法に照らし、吾等の行動の、絶対正しきことよ。
 悪人は、どこまでも、図太く、卑怯であり、悪智慧があるものだ。
 仏の軍と、魔の軍の相違。仏の眷属と、提婆の眷属の相違。永久に、この縮図は存するものか。―――
22  二月二十二日(火) 快晴
 九時二十四分、三等車にて、東京着。
 即刻、先生に、御報告に行く。先生、病院に行かれ、お会い出来ず。残念。
 一時過ぎ、あらためて本部に、報告に行く。先生、良く聞いて下さらず、困る。その理由、全くわからず。いたたまれず失礼する。
 先生の意の如き結果出ず。さぞや、先生も、悩んでいらっしゃる御様子と思う。否、我等の未だ青い姿に、残念と思っていらっしゃる様子か。―――
23  二月二十三日(水) 快晴
 春の如き陽気を思わせる。
 午前中、平々凡々に過ごす。頭がまとまらぬ思い有り。妙は頭なり。頭の乱れは、謗法に由来するか。唱題あるのみ。
 三時より外出。春光の小路を、社員達と共に、御徒町より上野まで散歩。様々な相の人がいる。戦後、特に形相が悪くなって来たように思う。修羅道の故か、畜生道の故か。
 早目に、大森の我が家に。ぐっすり休むことにする。
24  二月二十四日(木) 快晴
 「当流行事抄」の講義を休む。
 先生と、談合の機会少なく、いと淋し。
  一、御本尊様に、恥じぬ信心をしたい。
  一、師匠に、賞讃される弟子になりたい。
  一、同志に、信頼され、尊敬される人になりたい。
 夜、日大の事務長宅へ。
 常在寺の幹部会に、遅れて出席。
 早目に帰宅。
 一人、机に向かう。
25  二月二十五日(金) 薄曇
 暖かな一日一日である。
 どうも、自分は、落ち着きが足らぬ。
 信心ということが、次第にわかって来た。
 一時、目黒の先生宅へ。
 三時四十分、A君と、M新聞社へ。
 六時、本部へ。先生、お見えになって居られる。直ちに、報告。
 T氏、先輩なれど、どうも因ったものだ。狭量なる人よ。
 志木支部の幹部会に出席。遅くまで、個人指導をして帰る。
 就寝、一時三十分を回る。
26  二月二十六日(土) 曇後快晴
 天気の模様、悪化して来る。
 希望も、歓喜もなき日がある。進歩と、前進を感ずる日もある。所詮、いかに調子悪しき日なりとも、自己の修練は続けるべきだ。況んや、永劫の生命会得の、仏道修行においてをやだ。
 本年第二回目の全体会議。
  一、生命力、生活力について
  一一、一日の生活のあり方
  三、有能な指導者とは
 等々の、先生の指導あり。
 終了後、A町に、H氏を訪う。義弟の大学の先生宅である。
 矢口のS宅に寄る。理事長、H氏らも来る。おやじの、狭小さに驚く。
 現実の生活、給料少々足らなくなる。
 資本主義、共産主義、社会主義。理想はいかにと、経済機構を考える昨今なり。
27  二月二十七日(日) 薄曇
 八時、起床。
 気兼ねをしながら、生きる青年でありたくない。自身の生命力、自己の責任をもった、信念の行動が大事なのだ。
 十時より、第二部隊葬。。横浜久遠寺。T部長と共に、出席。
 午後、常泉寺にて、N君の結婚式に出席。同志に幸あれ。
 先生より、
  一、功徳の事につき、お話あり。
  一、一念という事につき、指導あり。
 厳しき、お話であった。
 疲れる。倒れるような半日であった。
 帰り、葛飾の連合地区座談会に出席。集合人員、二百三十名とのこと。
 久しぶりに、折伏を敢行。爽やかなり。
28  二月二十八日(月) 雨後晴
 八時まで休む。勤行出来ず。
 六時、幹部会。豊島公会堂。
 終わって、大幹部会。常在寺。
 先生の、大幹部への指導たるや厳なり。
 私は、私の力の限り、頑張ることだ。
 「本因妙抄」に臼く、
 仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す境智互に冥薫して凡聖常恒なる是を刹那成道と謂う、三道即三徳と解れば諸悪儵に真善なる是を半偈成道と名く。
 生活が、日毎にきつくなる。題目を唱えることだ。
 十二時、帰宅。

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