Nichiren・Ikeda
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昭和三十年(一月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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2 一月二日(日) 晴
大石寺にあり。
二十七回目の誕生日。
過去の人あり、現在の人あり、未来の人あり。常に未来の人でありたい。
二時三十分、下山。狭い小さなわが家に向かう。
夕、七時前に帰宅。
疲れた、早く寝ょう。
3 一月三日(月) 快晴
寒い正月であった。
午前中、休息。身体の調子、悪し。
幸せな家庭である。もったいないほどである。
これ皆、先生のご恩である。この恩、生涯、忘却すべからず。
午後、T支部長宅に挨拶に行く。支部幹部等、集まっている。共に食事をする。皆、楽しそう。
大幹部に一詩をおくる。意義ある一夜であった。
皆、正月であるが、服装、質素なり。
法華経は後生のはぢをかくす衣なり、経に云く「裸者の衣を得たるが如し」云云。(寂日房御書)
帰宅、午前零時を過ぎる。静かなる家庭。
4 一月四日(火) 晴れたり曇ったり
午前中、在宅。身体の調子、悪し。悔しき思い。
来客―――多数。正月なれば、快くお会いし、挨拶をする。
午後、支部長等と共に、T宅に行く。
支部及び部隊の幹部、多数集合している。種々打ち合わせ、共に雑談。
皆して、古典音楽を聞く。続いて詩の朗読をする。
帰路、星座輝く。無量の恩を忘れるなと、教えるが如く。―――小さなことにとらわれすぎるなと、さとすが如く。
5 一月五日(水) 煙霧
学会の世界、即仏法の世界は、真面目な人が最後は勝つ。いずれの社会も文同じ原理と云える。
吾人も、二十七歳となった。いつまでも、子供に非ずだ。
思師の下に、強く、立派に育って死にたい。
立派な、広布の人材といわれて死にたい。
立派な、戸田先生の弟子の鏡といわれて死にたい。
立派な、大信者なりといわれて死にたい。
世間なぞ恐れることはない。人の批判なぞこわくはない。しかし、仏法は恐ろしい。大聖人様は、恩師は、実にこわい。
夜、妻と映画を観る。
6 一月六日(木) 晴一時曇
いよいよ、本年度の火蓋は切らる。
十時より、先生を中心に種々打ち合わせ。
先生、とみに、おふけになられていく。
夜、学会本部にて、同志と共に勤行。
終わって、T会社の会合に出席。思い切り、大車輪で動くことにする。
同志は若い。溌剌としている。学会は、永遠性が存在している。未経験もある。だが、大完成の要素は、さらに大である。大胆に、勇敢に、旧き殻を破って、新しい道を切り開こう。
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり。(曾谷殿御返事)
就寝、午前一時少々前。
7 一月七日(金) 快晴
夜六時。年中行事の子供会。会場―――N園。
多数の夫妻、子供達が集合。皆、楽しそう。
一夫妻、遅刻し、先生より厳しく指導さる。当然なりと思う。
子供会に集合できえぬ人々のことを思うと、私の心は暗くなる。楽しんでいる人がいる半面、必ず淋しがっている人がいる。このことを生涯忘れぬ人でありたい。
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。
学会歌を、五丈原を、大楠公を、日本男子の歌を、歌いまくる。
この夫妻、この子等が、一人ももれなく、学会の中核になる責務があるのだ。
8 一月八日(土) 晴時々薄曇
夜、Y店にて、社員達と共に新年宴会。
終わって、正月輸送班として倒れたY君宅にM君(H君)、F君、三人して挨拶に行く。
香典、金二十万同也を、父親に差し上げる。
青年部員達の誠心の香料である。この父親達が、信心を立派に貫き通しゆくことを、心配しながら帰る。
一年毎に、広布の法戦が激烈になることを、想像する。新しい決意で、若き指導者らしく指揮を執らねば―――。
一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず。(四条金吾殿御返事)
9 一月九日(日) 曇
Y君の支部葬。
常在寺において、午後一時より開始される。約六百人が参列。
青年部長代理として、弔辞を述べる。
全員、感涙と感激の同志愛を、まのあたりに見る。学会のこの清らかな異体同心のある限り、前進は限りなく、さえぎるものはない。
六時三十分。学会本部にて、青年部班長会。
未来の部隊長、大幹部の勢揃いを思わせる様子であった。″後生畏る可し″の感を深くする。
K君、夜遅く来宅。可愛い青年だ。しかし、どうも骨がない感じ。心配あり。
10 一月十日(月) 曇一時晴
六時、R亭において、銀行招待の新年宴会。
酒を飲まぬ自分には、何も面白からず。
無駄な時間とも思う。これが社会か、世間かとも思う。
年配者達と付き合わねばならぬ機会の多いことよ。自分の宿命でもあるのか。
社会の中堅リーダーは、ぜんぶ四十代、五十代のようだ。二十代の自分には、ちょっと年齢が離れすぎている
帰宅、九時半。読書。
11 一月十二日(水) 快晴
午後三時三十分、本部にて、聖教新聞社友会会議。
堀米尊師をはじめ、数名の各部の代表で、なごやかに、懇談的に打ち合わせを進める。先生も楽しそう。
言論界の先駆、「聖教」の発展を期す。これ、広布の進展を決定づける基準なれば―――。
素人一名乃至二名で始まったとの紙弾。今、数十万部に近い勢力となる。人々は笑った。素人になにが出来るか、と。先生のいわく″素人も、五年たてば玄人になってしまう″と。
堀米尊師の、お身体を心配申しあげる。
12 一月十三日(木) 快晴
五時三十分、所化小僧、招待。於本部広間。身体の具合、悪し。
帰り、T宅に、教学の勉強に行く。皆、真剣そのものである。恥ずかしい思いである。いかに幹部たりとも、真剣に勉強せねば、どんどん後輩に抜かれてしまう。恐るべし。
「行学の二道をはげみ候ベし」とは、万人等しくいいわたされた、大聖人の御聖訓である。一人として、別人はなきはずだ。
13 一月二十二日(土) 快晴
朝九時、特急「つ、はめ」にて大阪に向かう。
先生と、細井尊師、ならびに理事、婦人部常任委員と私の五人であった。
天気晴朗。車中にて、御書の話、その他、指導多々あり。
大阪一泊。
14 一月二十三日(日) 晴
八時四十分、伊丹飛行場より、S、A、T氏をまじえ、極東航空にて、高知へ。
九時五十五分、野原の如き高知飛行場に着陸。戦時中、海軍の飛行場であったとのこと。
出迎えの車、三台にて、三翠園に着く。
高知地区総会、一時三十分、開催。
先生、ルソーの『民約論』を思想とした、自由民権で起ち上がった板垣退助、中江兆民等の革命の講演。―――新時代の平和革命の大思想は、この日蓮大聖人の仏法あるのみと―――。
自分は、渉外部長として挨拶。高知の広宣流布は、皆さんの手でこの意を話す。
七時より祝宴、四国全土の僧侶と共に。十名以上の僧侶等であった。
十一時三十分発夜行にて、大阪に向かう。疲れた。この長き旅、夜行列車は、生涯忘れられぬだろう。
15 一月二十四日(月) 晴
朝、甲板上に起つ。瀬戸内海の金波銀波の絶景に胸すがすがし。絶妙の色彩。無量の音律。極微の朝風。多感の青年には、宇宙に没我せし一瞬なり。
十二時十分、大阪着。
午後、大阪総会に臨む。盛大。
夜、花園旅館に一泊。
先生、峻厳な指導あり。
I兄と共に、外に出て、会食する。
16 一月二十五日(火) 晴
特急「つばめ」にて、東京に帰る。
本部にて、全国部隊長会。
先生、お早くお帰りになる。
先生の思いやりを感じねばならぬ。甘えすぎる感あり。
一、一日一日の職分を、真面目に、忍耐強く建設していくこと。
一、真剣に、教学に励むこと。今なさざれば、後日、恥をかく故に。
一、生活経済を、地味に着実に確立してゆくこと。
但し、広布の為、学会の為には、全財産を、捧げること。
17 一月二十六日(水) 曇
夕、五時三十分、先生宅に集合との事。
何の会合やら、私にはわからなかった。
K、I、H、T、U、そして、私のメンバーであった。
何時、何処の会合でも、最下端の自分。先生の深き指導、面白し。
学会の、批判の嵐も、日増しに強くなって来る。各先輩も、よく戦っている。
先生の胸中は、此の波を、更に一歩乗り越え、次期の学会の安定、飛躍を考えていらっしゃるのだ。皆は、明確に、先生の意中が、わかったであろうか。難し。
海苔屋の貧之息子、大作。糞を黄金にかえられる、この妙法。なんで、生命が惜しかろう。真に生命を賭した時、悠然たる力が湧く。
18 一月二十七日(木) 快晴
常在寺にて、支部幹部会。
支部長の更迭を発表。新支部長を迎え、大歓喜の幹部会であった。
新しい支部の段階となる。時代は激流の如く流れゆく。此の支部に、私は全力を傾注して来た。意義すこぶる深し。
御本尊様に、悔いない報告が出来得る。
帰り、すし屋にて、幹事以上によって、小宴会を催す。文京の人々の善人の眷属たるを泌々と知る。
人事は特に大切。しかし、去る人も、新たなる人も、信心で、楽しく去来して貰い度いものだ。尚、人事の責任者も、公平に、適材適所を旨に、運営しゆくことだ。それには、先生の指導通りが間違いない。
真夜中、妻が陣痛とのこと。大森・山王のアパートより、矢口の実家に、車にて移す。
車のないことを心配したが、ちょうど、一台、アパートの前に通りかかる。
諸天の加護と思う。矢口に泊まる。
19 一月二十八日(金) 曇
午前四時二十分、第二子誕生。
五体満足の由、安心する。御本尊様に感謝の気持ち。
生命の不可思議。学者も、医者も、科学者も、首相も、大臣も、此の宿命ある子に対し、寸分も解決と確信なきなり。所詮、生命の根本解決は、仏法の真髄のほかは、断じてない。
今日より、更に子の親とし、更に家庭の責任を自覚する。力を持たねばならない。子等と家庭を護り、幸福にしてゆかねばならぬ。
帰宅、十一時少々前。一人読書。
20 一月二十九日(土) 雨
小雨。
何となく灰色のような一日。
午後より、千葉誕生寺の調査に行く予定を取りやむ。雨である故に。
三時三十分より、本部にて、渉外関係の仕事。
人は何も、責任が無いように見える。責任は、何でも自分一人にあるように思えてならぬ。愚痴か―――。
21 一月三十日(日) 晴後曇
暖かな一日であった。
十時、床より出る。頭脳が疲れてならぬ。
勤行、遅くなる。やはり、早い方が良いと思う。
六時よりの財務部会を間違え、午後一時に行く。思い違いの恐ろしさ。
六時、幹部会と財務部会。
支部旗返還式を、支部長代理として、私が行う。
帰路、友と三国志等を語りつつ―――。
曹操の勇を思う。項羽の大勇を念う。関羽の人格。張飛の力。孔明の智。孫権の若さ。
是非論、善悪論、多々論じあった。
王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。
民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。
大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。
善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ。
22 一月三十一日(月) 晴
午後一時、東大に。
O助教授、および東大生四名と座談会。
宗教の研究との事。
六時三十分、全体会議。疲れる。非常に疲れてならぬ。
早目に帰宅、床につく。