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日蓮大聖人・池田大作

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昭和二十九年(十二月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

前後
1  十二月二十日(月) 快晴
 春の如き暖かな一日であった。
 身体の具合悪し。宿業の深きを悩む。
 恐ろしいことだ、宿命とは―――。
 肉体年齢は五十代を過ぎている感じ。
 あと幾歳生きることか。感傷的になる日がある。
 午前中、矢口中学校にS校長を訪う。
 昨日、女子部総会を明大記念館講堂にて行う。
 その席上、正式に渉外部長に就任。嬉しくもなし、楽しくもなし。実際は毎日実践していることなれば。
 総会は三千余名が参加して、盛況であった。
 四時より、会長代理として、M銀行本店での、頭取更迭式に出席。
 三階講堂にてカクテル・パーティー。財界人、政界人、約四百名が出席していた。
 彼等、社会の首脳部こそ一丸となって国家再建に進まねばならぬ。
 若き革命児の胸は、様々なことを思う。
 夜、T支部長宅へH氏と共に行く。常在寺の第十部隊の総会に出席する。疲れる。疲れ切る。
2  十二月二十七日(月) 快晴
 昨日、先生宅に、お歳暮にお伺いする。
 先生より、泰山も裂けんが如く、叱時さる。
 厳父の怒り、先生の激烈なる大音声に、身のすくむ思いなり。
 鳴呼、われ過てり。先生の仰せどおりなり。人生の落伍者にならぬためへの厳愛。
 敗戦の将軍とならざるための訓戒。
 ここ数日、自己の罪業、宿命をみつめ、泣き、憤り、思索して、先生のご期待に応えんと決意する。
 先生の力、仏力の如し。先生の眼、仏眼の如し。真実の師弟の情、今ここに肺腑につきささる。お許しを乞い、生命を賭して、更に広布の先陣に立つのみ。
 一日中、木枯らし吹く、寒き日であった。
 わが胸臆と同じ暗さで―――。
3  十二月二十八日(火) 快晴
 本年も、あと二、三日となる。
 大鵬が、この一年、飛び、戦い、巣に帰り、今、休んでいる感じである。二十六歳の青春も去りゆくか。
 時は去り、時は来る。歴史は創られて過ぎゆき、又、われらは、今後の歴史を創らんとす。
 「人生如何に生きるか」―――実に、難しい事である。正しい師。正しい信仰。しかし、自分の強い一念が、更に大切ではあるまいか―――。
 午後、本郷・東大赤門前のS書房に行く。聖教新聞へ寄贈の、仏教書購入のため。―――本の少ないのに全く驚く。
 夜、忘年会。「黒田節」の第二節を歌い、先生より激憤を受く。
 この二節目の歌が、恩師牧口先生を殺したのではないかと。―――涙さえ浮かべて居られた。申しわけなし。
 心重し、何と愚かな自分よ。
 師の心、知りしつもりが、何も知らざりしなり。
 帰宅、午後十一時半。
4  十二月二十九日(水) 曇後晴
 雲垂れ、朝寒く、午後より小晴れとなる。
 朝、漢詩を手にする。
 身体の調子、頗る悪し。苦しい一日であった。
 午後一時より、K君等と会食。午後四時より、新橋O店にて、M君等と会食。
 七時過ぎ、半年ぶりに実家に帰る。われを育てし大事な父、母がおわす家である。―――父母の、一日も長生きくだされんことを願い、失礼する。
 八時、R宅へ。参謀室の友と共に。生意気な一家、特に女房に怒りをおぼえる。
 午後十一時三十分、帰宅。
 来年度の予定を、色々決定していく。
 学会誹謗の記事をみる。
 なんとあさはかな言論よ。なんと責任なき批評か。思い上がりの評論家たちにあきれるだけ。
 ともあれ、正義の言論により、十年先、二十年先に、その勝負を決するのみ。
 就寝、午前一時を過ぎる。疲れる。
5  十二月三十一日(金) 晴
 午後二時、社を出る。散髪し、爽快な気分。色心は不二であることが、その度に実感される。
 午後四時。本年最後の全体会議。
 先生、少年時代、青年時代、壮年時代等の懐古談をしてくださる。波乱の生涯であられた。
 ―――幾多の偉人もいた。幾多の先駆者もいた。しかし、庶民と共に、今、これだけ青年をひきつけ、新時代を建設している人は、先生をおいて断じてない。
 権力なく、財力なし。背景なく、地位もない。所詮は人間の裸になった力。全生命よりほとばしる信心の力。十年後、否、二百年後をめざしての英知。
 われ、無量の思いあり。
 夜、同志と共に、本部にて勤行。終わって、待望の大石寺へ出発。
 一、八〇〇名の、友と共に。―――

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