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日蓮大聖人・池田大作

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昭和二十九年(九月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

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1  九月一日(水) 曇
 待ちに待った後半の闘争期に入る。
 この秋を、この年を、悔いなく送らねばならぬ。
 午前中、先生と共に種々語る。
 先生の信頼を心から嬉しく思う。幸せである。
 統監部の事務員を一人採用したいとのこと。早急に手配する。
 夜、鶴見の講義。「顕仏未来記」。
 真剣に予習をした時の講義は、たしかにいい。いつもそうであらねば―――。
 M君と十一時近くまで、すし屋で会談。
 昼間、I女史を見舞う。
 帰宅、食事の用意してある。今日は家にて食事をするといって出勤したとのこと。すまぬと思う。
2  九月二日(木) 曇一時俄雨
 小雨。
 方便品・寿量品の木曜講義に出席。於豊島公会堂。毎週、必ず出席したいと思う。
 帰り、先生宅に行く。
 先生、理事長、私、三人して将来の学会の進み方について検討す。
 十一時過ぎまでお邪魔する。先生も真剣であられた。
 他の理事級、大幹部をさしおき、最も重大問題の審議を私に直接して下さる。この信頼に応えねばならぬ。
  一、十一月三日、本部総会を期し、一応、折伏のテンポを緩め、着実に前進はかる
  一、青年部は、十月三十一日を期して、実質二万を確立し、邪宗攻撃を一旦中止する
                         以上
 理の不惜身命、事の不惜身命について質問する。
3  九月三日(金) 曇一時雨
 眠たい一日であった。
 涼しくなる。ここ数日、特に寝不足だった。
 無理をしている人生は、必ず行き詰まる気がする。要注意。
 夜、常在寺における、文京支部豊島地区総会に出席。
 不愉快極まる感じで帰る。
 帰宅、十一時少々前。『東西英雄論』を読了。
4  九月四日(土)〜五日(日)
 四日午後三時、本部前からバスにて水滸会第一回野外訓練に出発。
 戸田先生をはじめ、六十四名。
 夕方、氷川の渓流に篝火をたき、食事。
 浩然の気満ち、精鋭の、意気軒昂―――。
 先生から感情と理智の話、並びに東洋哲学と西洋哲学の話あり。
 最後に、十年後に再びこの地に集まって貰う。その時に、ぜひ頼みたいことがある―――と、不思議なる予言の講演で終わる。
 見よ、二十年後の水滸会の実力を。
 見よ、二十年後の水滸の活躍を。
 先生と共にバンガローに一泊。楽しい思い出の二日間であった。
5  九月十五日(水) 快晴
 先生、奥様、私と、三人してN園にて会食。
 先生、ご機嫌頗る悪し。
 厳しく叱られる。自分も、たしかにまずかった。‥‥猛省あるのみ。
 未来の会長、理事長のあり方の指導あり。厳しい。あまりにも、こわき師である。勉強せよ、勉強せねばならぬと、繰り返し注意あり。
 先生を、ご自宅までお送りし、帰宅。
 十時近くになっていた。
6  九月十八日(土)〜十九日(日)
 土曜日は嵐であった。
 われも、二十六歳、人生の船出して―――。
 来年は早二十七歳。自己との戦いで、一年一年、終わってしまう。
 淋しい、悔しい。
 何故、力ある師に、賞賛される青年になれぬものか―――。
 死を思う時がある。生の歓喜に満つる時がある。
 妙法に感謝し、感激して指導する時もある。惰性になり、義務感で指導、折伏する時もある。先生に飛び付きたい時がある。先生を心の底で避けたい時がある。
 孤独なる青年。多感なる若人。宿命の青春。前進のみ、ただひたすらに―――。
 ともあれ、苦しくとも、楽しくとも、学会っ子として、前に進むことだ。
7  十月八日(金) 曇後雨
 秋深し。
 タ月、清し。わが心に鏡の如く映ず。
 仏法は厳し。
 師弟の道の峻厳さを、泌々とかみしめる夜である。
 先生を離れて自己はない、師弟不二なれば。他の友人等の自由の姿がうらやましくなる時がある。
 だが、十年後は、その力の相違が、いちじるしく明確にされゆくことか。
 日々新たなる目的に進む決意で生きてゆくことだ。今日一日も全力をあげよう。それしかない。如何なる山にさしかかっても―――。
 白雲飛び、大河流々。「自然」と題し、詩を雑記帳に記す。
 夜、S宅にて支部幹部会。
 七時過ぎ、本部会長室にて参謀会議。
 議題
  一、交付金の件
  一、一万名総登山の件
  一、本部総会の件
  一、体育大会の件
 右の行事が終了せば、立宗七百二年の、わが使命は終わる‥‥。
8  十月九日(土)〜十一日(月)
 八日午後九時五十分発、夜行列車に乗車―――上野駅。仙台の指導である。車中にて良く眠る。
 第六回仙台支部総会は立派であった。S支部長の、調子に乗る姿が、将来、多少心配である。
 五千名の結集とのこと。スポーツセンターを埋め尽くした感じ。
 出席メンバー、先生、理事長、F支部長、I女史、Mさん、A君と、私であった。
 第二次会―――「日本男子の歌」の指揮を、先生より指名さる。二度繰り返させられ、疲れ切る。
 先生は、大作も弱いのに、これだけ精力を使い切っては、長生きは出来ないなあと、悲しげに側近に語っておられた由。題目をあげ、宿命打開あるのみ。
 九日―――午前中、部隊幹部面接。午後、支部総会。
 十日―――秋空の下、青葉城祉にて、十三部隊の運動会。
 午後、先生の法華経講義。
 深淵なる仏法の真髄を、千名の学会員は如何に聴聞せしや。
 終了後、仙台銀座を一人歩み、旅館に帰る。街に品物が少ないのに驚く。
 十一時二十八分、準急にて帰京。先生の切符の寝台車に、かわりに休むように申されるので、一人休ませて戴く。
 上野の朝は、小雨がしとしとと降っていた。目黒に先生をお送りする。自分は、その足にて出勤する。早すぎて困った。
 この三日間の闘争も、歴史に残る闘争であった。

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