Nichiren・Ikeda
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昭和二十九年(七月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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2 七月二日(金) 曇
久しぶりに、太陽輝く。
明るい朝であった。しかれども、朝の西洋歴史の講義がなかなか頭にはいらなかった。
惰眠があってはならぬ。浅学は人生の恥である。
Mさんと、午後二時過ぎまで、会計のことその他、社の機構について談合する。
その後、家庭の問題についても、種々話し合う。
三時少々前、東京・S軒にて、S君と会う。
S君の会社の人事機構の点、販売網の点等、私見を呈する。
愚見に対し、ひじように喜んでくれる。
成功を祈る―――。
六時五十分―――文京支部幹部会、S宅。
第十部隊歌を、創作してあげる。
自分の決意を、この歌調に入れて託する。
(一)五濁の嵐 逆巻きて
怒濤に起ちし 若武者よ
正義の利剣 ひっさげて
祖国のために 進みゆけ
(二)崑崙山を 目ざし行く
白馬につづき 戦うは
壮烈 義烈 尽忠の
その名を誇る 親衛隊
A君等は、真に戦い抜いてきた。功労ある支部の幹部、部隊幹部を、大事にしてあげよう。文京の友が、栄えることの歓び。―――文京の友の悲しみは、身を切られる思いなり。
帰りに本部へ寄る。
戸田先生は、まだ会長室におられる。
偉大なる師の姿に、吾れ感涙す―――。
3 七月三日(土) 雨後曇
暑い一日であった。
熱気で、苦しい社内。身体が疲れてならぬ。
半日ほど身体を休めたい思い。
来月は、夏季講習会。
八月一日より、三日まで、参加申し込みをする。
毎年この講習会を節として、実力をつけるよう修行をしていかねば―――。わがままを捨てて。
本部に三時着。
本部の御本尊様の前にすわると、尊厳さと広大さとに、力が自然に湧きいづるをおぼえる。
会長室で、先生に御挨拶申し上げる。
慈愛の瞳を交わすたびに、不思議に安心感となる。先生の長寿を祈るのみ。
夜、女房と子供を連れ、映画を観る。
子供は、半分以上寝ている。女房は、本当に嬉しかった様子。―――また、連れて行ってあげたい。
明日は、登山―――。
4 七月四日(日) 曇
仏法は、実に厳しい。
お目通りの時間に、一分遅れる。先生に厳しく叱られ、苦しい。
一時三十分より、御開扉。
妻と並んで、身体のこと、学会のこと、子供のこと、胸臆より大御本尊に願う。
父母を連れて登山し、御開扉を受けている人の姿を見ると、うらやましい。
最高の親孝行できる人こそ、最高に立派な人であるといえよう。
霊鷲山への参詣、月一回。先生の直弟子としてこれを歓び、これを実行できぬようでは、正信の人とはいいきれない。
帰り、バスで富士駅まで出て、沼津駅にて急行に乗り換え、皆と一緒に帰る。車中、疲れて眠ってしまう。激しく、いびきをかいていたもょう。夜、心ゆくまで勤行、唱題。
本門戒壇の大御本尊様に祈念申し上げたことを、さらに御報告申し上げる。
東洋広布ということが、脳裡より離れない。
日本の折伏から、さらに、待ちに待った東洋の広布を思うと、心が躍る。
5 七月五日(月) 曇後雨
本日もまた小雨。
しだいしだいに、社会の暗黒の響きが、そして時代の波が寄せてくるようである。恐怖と、残忍と、野獣の声が―――。
悪世末法である。
強靭に生きねばならぬ。勇気ある信仰しかない。
午後―――社の関係の、中元を買いに行く。会社でなすべきととだが、全部自費でまかなう。
六時三十分、五級講義。「観心本尊抄」。
九月より、教学に全魂を打ち込まねばならぬ。
朝の研究会の時、先生より、御書の読み方を断定してゆく癖があるとの注意あり。
地方折伏の打ち合わせ会を、本部にて行う。
理事室を中心に検討―――決定までなかなか進まず。理事室の強化を期待する。
会長の精神、構想を、一段と深く、強く、そして公平に、もっと迅速に実践してゆくべきだ。
帰り、支部長等とソバを食す。
電車の中で三、四人の学会員と会う。皆、活力に満ちている。頼もし。次の時代の潮流は起こり始めた。
十年先よ、二十年先よ、世人は、我等の正義と前進に驚き、うろたえ、かつ信頼していくことだろう。
6 七月七日(水) 曇一時雨
一日中、薄ら寒い日であった。
大自然の運行は、科学の極中の極か。否、大生命の所作であり、妙法それ自体の作用なのだ。
故に妙法を受持し、妙法に生きる人が最高、最極の人生であることは、必定であり、道理である。
身体の具合良好。嬉しい。
午前中、いつものとおり社員と懇談。
平凡のみに生きると、不幸に通じてしまう感じだ。波澗万丈の人生こそ、生きがいを感ずる。
午後の電車で、保土ケ谷に行く。
M宅の座談会に出席。二百人以上の盛況な会となる。八人入信決定。
折伏ほど楽しきものはない。
私達は実に幸福である。それは、世界の大偉人、戸田城聖先生にお目にかかれたことである。
師の恩を忘却せば、我等は、その時より、畜生より劣るなり。
師匠のためには、身命を捧げ切れる。此れ、まことの師弟である。
妻、妊娠三か月とのこと。自分も、一日一日、重責となる。
責任ある男として、妻のため、子のためにも、いかなる苦難にも、勇敢に戦い、道を開ききってゆこう―――。
7 七月八日(木) 曇
涼しい一日であった。
一日一日を、着実に建設する努力は、最も大切だと反省。
江戸っ子は性急でいけない。
もっと落ち着いて、忍耐強く頑張るよう修養せねば―――。
夕刻、神田にて古本屋を回る。欲しくとも高価で、思う本が買えぬので残念。七冊購入。神田は迫力のある街である。
七時、―――鶴見支部の「開目抄」講義。力一杯、頑張る。
もっと成長せねば、受講者に申しわけないと思いつつ帰る。
実力。常に実力を養い、実力を持つことだ。
8 七月九日(金) 晴れたり曇ったり
午後、本部面接の担当。
計三十数人の指導で終わる。自己の指導が、はたして相手を納得せしめえたか、否か―――。
未熟な自分を、早く成長、向上させねばならぬ。
六時三十分より十時まで参謀会議。
一、組織拡充の件等
一、教学研鑽の件
一、組織拡充の件等
帰り、K氏を中野に見舞う。
9 七月十日(土) 曇
早朝に起き、菊池寛の著作を一冊読む。あわてて食事をし、出勤。
夜、先生宅に、お中元に伺う―――。
遅くまで、お邪魔し、御馳走になる。申しわけない思いなり。
女性の着物の事、料理の事、その他、女性として大事なあり方を、種々、妻に教えてくださる。
帰宅、十二時近くなる。
自宅前の路に、自動車が年ごとに激しく通るようになる。数年したら、相当騒がしくなることだろう。
10 七月十一日(日) 雨
朝より小雨。
爽快な涼しに、本当に助かった。
三時より先生、ご家族と共に、帝劇に行く。
帰り、新橋にて会食。
楽しい半日であった。
夜、本部にて参謀会議。十二時まで。
優秀なこれら参謀室が、十年後には、必ず、学会の中核となり、日本の中核となって、勇ましく、野より山より躍り出で、突入してゆくことだろう。
帰り、皆をすし屋に連れてゆき、御馳走してあげる。
良く食べる。―――頼もし。戦いには鉄の如き身体が基調だ。
11 七月十三日(火)曇一時俄雨
夜、久しぶりに、一時、月が見えた。
青年詩人の心は、嬉しい。しばし天空を仰いで思索する。
―――善と悪、正義と邪義、理論と実践、理性と感情、物財と魂、現在と未来、力と役職、権力と民衆―――。
いろいろなことが漠然と去来する。
一日一日、泥沼の中に引きずられるように感ずる時もある。一日一日、天空に昇りゆく感じになる時もあり。人の心は不思議なものだ。瞬間たりとも不動の時がない。
もし信心なく、師をもたざる自身であれば、今ごろ、どんな破局の人生になっているか―――。恐ろし、恐ろし。
一時近くまで、雑記帳に戸田先生の指導を整理する。
12 七月十四日(水) 晴後曇
太陽が強烈に輝く。新しい空気を胸一杯に吸い込む。午後は、割り合いに涼しくなる。
先生、十大部講義録の原稿で、お忙しい御様子。長時間お話しする機会がなく淋しい思い。
ただ、先生の不思議な力の強さを、泌々と感ずる。
次のことを、確立すること。
一、T支部を、最後まで応援すること
一、K支部を、側面から援助すること
一、S支部を、わが支部と同じまで成長、充実させてゆくこと
一、青年部を、完全に数歩前進させる企画をなすこと
常に頭の中を整頓し、次には実践だ。
13 七月十五日(木) 雨
梅雨まだ続く。非常に身体重し。
お盆―――T宅にお中元に行く。一家、全く元気なし。M女史も来ていた。なかなか小才の利く女性である。しかし、私には何も関係なし。
自分も二十六歳。
仏法の為には、いつでも生命を捨てる覚悟ができた。思う存分、戦いもしてきた。だが深く考えてみれば、一切、戸田先生の懐に包まれている中の所作か―――。
先生の御招待にて、再び観劇。
新橋演舞場―――五時開演。
先生の御家族、小生と妻と。
天外、明蝶等の熱演を観る。帰りに劇場前でお別れし、二人して有楽町に出て、散策し帰宅。
静かな夜である。
14 七月十六日(金) 曇
朝、新しい開襟シャツで家を出る。
形式的な服装は嫌いだ。また無駄である。複雑な社会も、毎年、実質主義の服装となることだろう。
午後、B宅に、お中元に―――。儀礼主義を撤廃せねばならぬと、心で思いながら―――。
欧米には、仕事上の、このような習慣はないと思う。日本的な良さ、伝統としてのこしてゆくべきか―――。
所詮、富める者は弥々驕り、貧しき者は益々気をつかわねばならなくなる。
可哀想な悪循環か―――。
六時、S宅にて総会内容の最後の打ち合わせ。十時まで全魂をかたむけて取り組む。
長男博正、実にいたずらっ子になる。この一子、将来はどう運命づけられてゆくことか―――。
ただ祈る。健康で正義の人に。純信なる、正宗の信者たれと―――。
15 七月十七日(土) 曇時々晴
城南、神奈川方面へ出張。
真夏の季節であるのに、冷害続く。
淋しく、悲しい予感のする年だ。
米価七百六十五円とは、日本経済の将来が思いやられる。
政治家よ、指導者達よ、「しっかりせよ」と叫びたい。名聞名利をなげ捨て、苦しむ民衆のため「身命を賭せ」と叫びたい。
夜、先生宅にお邪魔する。
種々指導あり。厳しく叱られもする。已むを得ない。己れの非なり。叱られでも、叱られでも、つききって成長していくのが弟子だ。生意気になっては決してならぬ。
力も基礎も持たぬ自分が、偉くなったと思つては増上慢である。
生涯―――精進、生涯―――勉強。
生涯―――努力、生涯―――建設。
16 七月十八日(日) 曇
待望の、文京支部の大総会。
暑くもなく、雨も降らず、良好の日であった。
豊島公会堂に二千五百名の支部員の結集を得る。嬉しい。感激の一日でもあった。
入場式も、退場式も、張り切っていた。闘争的な総会でもあった。
第二次会―――常在寺。いずれも立派であった。
皆、よくやった。非常によく頑張った。
どの顔も悔いがない。明るい―――。
可愛い。本当に可愛い同志達である。
涙溢るる思いであった。
先生も、吾人以上に喜んでおられた。
私の最後の総会か―――次期はいずこに行き、そして新たな法戦場で戦い、法城を築きゆくことか―――。
一人、次の広布の旅路を念う―――。
17 七月十九日(月) 曇時々雨
月曜日―――この日は、なんとなく、リズムを失いがちだ。平衡をくずす感を抱く日だ。一週間の第一歩なれば、乙の日より順調にならねば―――。
午後、臨時参謀会議―――夏季折伏の決定等。
何となく調子のらず、面白からず。
―――いかに我儘か、私の最大の欠点なりと、猛省する。尚、自分の、強情張りも―――。
良き師―――、良き先輩、良き友、良き隣人を大事にせよ大切にせよ。尊敬せよ。
18 七月二十日(火) 曇
一日一日が重苦しい感じ。
久しぶりに、太陽の顔が薄く見える。
毎日の新聞は水素爆弾、原子爆弾の記事ばかり。
いささか頭が疲れる。現代は科学の粋と、修羅界と、地獄界を混同した世界である。
院、冷害の恐るべき時代に、「立正安国論」の予言を強く感ずる。
夜、向島S宅に行く。下町は少々文化的にする必要あり。本人の自覚、価値創造、および政治による環境造りの努力が必要である。
帰路、一人、念う。
自分は戸田先生以外の者に、唯一人として頭を下げる事なし。自分が先生亡きあと、要として振る舞わねばならぬ重責あれば―――。
嵐も来い。怒濤も来い。反感、批判がなんだ。策略がなんだ。
仏法の厳しき法則に、優れるものは宇宙にはない。
遅く、O宅での班長会および慰労会に出席。十時過ぎまで。笑いの嵐に終了、全く愉快な会合であった。
先輩ヨ、後輩ヲ、己レヨリ伸バシユケ。
後輩ヨ、先輩ヲ、追イ抜イテ進メ。
19 七月二十一日(水) 晴れたり曇ったり
朝、実に品格のある乙女を大森駅にて見る。良家のお嬢さんであろう。無言の中に、楽しい。
新聞記事の、冷害報道に恐ろしさをおぼえる。
食糧難なきことを願う。政治家達の有能なる策を期待す。
朝の西洋歴史講義、続く。
先生、お疲れもいとわず、真剣に指導して下さる。申しわけない気持ち―――。
午後、鶴見・Tて、婦人達と会食。
皆、大変に仕事のことでお世話になり、感謝する。
夜、鶴見支部の講義。
講義の度に思う。精進せねばと、勉強せねばと―――。
20 七月二十二日(木) 晴
先生とお話しする機会少なし。淋しい。
先生の生命力、ご心境は、吾人には解し難い。誠に不可思議な仏法の覚者であられる。激、静、冷、観、寛、圧、厳、慈、様々である。
吾人は、ただ、純粋に信順すればよいのだ。
知識に頼る自己の無能を深く恥ず。
「開目抄」の拝読を中心に行ったが、終わらず。秋より、一段と懸命に、教学に取り組まねば―――。
八時過ぎ―――豊島公会堂での蒲田支部幹部会に出席。満堂を埋めて、盛況であった。挨拶をなす。
所謂、学会第一の使命たる広布の自覚は立派である。共に、すべてにおいて、リードしていく指導者にならねば、意味がないと話す。
帰り、幹部一同にて、すし屋に寄る。
面白からず。幹部は小人物になること勿れ、と思う。
21 七月二十三日(金) 曇
日のたつのは早い。
今週も、はや金曜日―――。所詮、すべての闘争の根本の力は、生命力であることを痛感する。
涼しい一日であった。
信心は生涯、峻厳にして、真実の大道を、堂々と進んで行きたい。
七時三十分―――池袋・常在寺。
M部隊の会合に出席する。
一、団結の力について、
二、学会活動と職業との関係について、
三、教学、理念と実践について、
等の内容で話す。
九時三十分―――先生、秋田の総会にご出席のため、上野駅にお見送りに行く。
女子部をはじめ、其の他三百名ぐらい集まっている。盛況に驚く。而し、これでは統一がない‥‥。社会性、大衆性を考えた時、広布の妨げになってしまう。一人心配する。もっと実質的に、学会も訓練する必要ありと―――。
帰り、先生のご家族と共に、上野の不忍池を散歩する。この平和な池も、最近は恐怖の池に変わってしまったとのこと。
平凡な人が、実直な人が、そして一般の女性達が、安心して散歩を楽しめる公園であらねば、何で民主国家といえるだろうか。―――
無責任と校滑な指導者に怒りをおぼえる。
S園にて食事。
幸福な日である。幸福な夜である。幸福な一日一日でもある。
22 七月二十四日(土) 曇
午前中、神奈川方面に出張。
O宅、M宅、Y宅、皆、庶民の代表である。
だが宰相より、大学者より、賢明な話をする時がある。これ等の人々と交わることは、天の声を聞くと思わねばなるまい。
生涯、庶民の味方になることだ。
生涯、大衆と共に生き抜くことだ。
五時ごろ、家族と、両国の花火大会を一時間程見る。
人生の栄枯盛衰も、かくあらんかと、心で思う。
七時、本部に行く。
文京支部組長会に出席する。皆、元気である。嬉しい。
ある幹部の話の中に―――、
太閤秀吉にまつわる話として、最も多きは人なり、また、最も少なきは人なり云々と、身近に感ずる至言なり。
良いことを言うな‥‥と思う。
帰宅、十一時少々前。
23 七月二十五日(日) 曇一時雨
午前中、新聞の切り抜き、並びに本棚の整理。
正午より、先生のご家族をお連れして、歌舞伎に行く。四時まで皆、楽しく見ていた。
夜、文京支部幹部会五百五十八世帯の成果であった。
偉大なる、支部の前進であるC級支部より、ここにA級支部に堂々と育つ。
一、折伏後の指導を徹底すること
一、班長、地区部長を抜擢すること
一、適材適所の人事を常に考えること
一、組員、組長たりとも、心から尊敬して、自信を与えること
一、地涌の菩薩として、誰人も使命あることを、知らしめること
以上、留意すべき点なり。
24 七月二十六日(月) 曇後晴
信心して満七年が来る。
長くもあった。早くもあった。
今日、初めて夏らしき陽気を示す。
低温が続き、稲作の不作を心配する。豊作であるよう祈る。
午後、T会社に応援に行く。皆、頑張っている。いじらしい感じ。この苦境を乗り越えて、幸福な、安心できる経営であるよう、期待して止まぬ。
国も、個人も、家庭も、経済の破壊が一切の終わりであるとする世の中である。これでいいのか。否、一念の破壊を食い止めることが、即ち魔との戦いが、終極の問題ではなかろうか。
一念を壊る環境。環境を再度創り上げる一念の力‥‥、依正の問題を思考せねばなるまい。
25 七月二十八日(水) 曇
暑い一日であった。
日航機の切符を、先生の分と二人分購入に行く。初めて乗る飛行機に子供のごとく楽しさが湧く。
六時三十分、本部にて教学大会の問題作成。
夜遅く、先生より電話あり、厳しく叱られる。意味深し。弁解するいとまなし。
26 七月二十九日(木) 晴後曇
夜、G園にて全体会議。
さびれゆくG園に驚く。かつての華やかさを先入観としてもっていた自分には、一層の淋しさを感ずる。
先生より種々指導あり。
一、株価の問題
一、日銀券発行高、並びに本年度の国家予算の問題
一、日蓮宗を信奉せる、過去の偉人と称せられし人々の人物論
一、東洋広布と経済論等々
帰り、S宅に寄る。明るい一家である。福運に満ちた一家である。
27 七月三十日(金) 曇
大宮方面に出張。
K氏の生意気を憤る。
五年後、十年後の勝負を―――と我慢する
疲れ切って、八時過ぎ帰宅。
面白からず。身体をいたわらねばならぬ。
静かに机に向かい、雑記帳に落書き。