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日蓮大聖人・池田大作

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昭和二十八年(十月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

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2  十月二日(金) 雨後曇
 秋雨瀟々。
 連日、連夜の敢闘に、自己が成長出来得る境遇に、感謝多々なり。
 青年時代、青春期、健児の時代に、全魂を打ち込める仕事、使命、活動を持つ身の福運よ―――。
 来春は、二十六歳か。
 建設、向上、戦闘、前進、精進―――唯々、師の下に、生き、戦い、進むことだ。
 青年幹部らしく。門下生らしく。革命児らしく。
 矢口で、Y君と、仕事の事にて会う。
 夜、支部長と共に種々語る。立派な支部に、建設すること。力ある人材を育てゆくこと。この二点を成就する旨を、結論とする。
 金曜講義。先生、喉を痛められている様子。
 祈る、祈る。広布の日まで、御健在を。
3  十月三日(土) 晴
 秋晴れ、満天に亘る―――。
 旭光、天地に輝く―――。十月は、静かで、深く、広々たり。
 青年の大志、希望、思索も、斯くありたし。
 横浜・黄金町に、K君と共に出張。なかなか、うまくゆかず。信心即仕事と反省する。
 朝の、先生の講義、天文学、半ばを越える。仏法と天文学の関連性に、胸躍る。
 帰宅、一時過ぎ。
 喜劇と、悲劇の交差が人生か。
4  十月四日(日) 曇
 午前中、自宅。疲れが出る。唯、願わくは丈夫になりたし。
 午後、T支部長と共に、神奈川県・橋本にゆく。H氏の入仏式のために。
 帰り、新宿にて会食。師匠の事、学会の前途、支部の革新等、種々語る。
 十一時、帰宅。革命児は、家に居るのが少ないことは、当然のことである。私達の幸福建設なれば。―――
 地球も、太陽の焔も、生命の細胞も、草木の成育も、すべて停滞するものなし。
 広布実現の指導、信心も、止まる事があってはならず。
 師を想う、学会を思う、同志を考う。
5  十月五日(月) 晴
 秋晴れ。
 雨の日もある。雪の日もある。曇りの日もある。同じく、元気の日、悩める日、悲しき日、悔しき日、又あるらん。
 城東方面に行く。仕事、思うように運ばず。青年の心の動揺は、激しきものだ。強く、正しく、撓まず―――克己。
 六時、全体会議―――八時終わる。先生より、種々指導を賜る。帰り、社員等と、銀座を通り帰宅。久しぶりの中心街の夜の変化に驚く。
6  十月七日(水) 晴
 晴れ渡る、秋の一日。
 太陽は輝く。天空は、夢の舞台の如し。
 人生も、輝いて、此の地球の舞台で、乱舞し衆生所遊楽してゆきたいものである。
 天文学、終わる。将来の最良の糧となる。深謝する、先生に。
 読書。『織田信長』―――勇猛なる将。明晰なる頭脳。男性の本望たる活動。藤吉郎も、面白き、親しみ深き人物なり。
 幾度も、歴史の本を読むよう、常に先生はいわれる。大事は、史観なりと。―――
 夜、武蔵野地区講義。出席者、約八十名。
 帰宅、十一時少々前。
7  十月九日(金) 小雨
 一日中、心身共に、苦痛。
 自己の信心の、向上あるのみ。自己を、峻厳に修行させてゆくことだ。
 雨の中、Mさんの親戚の、新宅購入の交渉に、横浜市中区に行く。帰り、横浜にて、味覚を楽しむ。
 金曜講義。「開目抄」―――頭痛にて、講義頭に入らず。先生の、全生命より雄叫ぶ気迫に、涙ぐむ。
 先生、何卒、あと三十年長生きして下さい。日本のため、東洋のため、世界の平和のため。私は犬馬の労をいといません。祈ります。唯、祈る。祈る。
 帰り、久しぶりに、第一部隊の班長会議を行う。闘将、決然と、再び起つ。
8  十月十日(土) 晴
 秋晴れ。
 会社のMさんと、会社の将来のことにて、午後まで相談。良い人である。
 身体の具合、芳しからず。
 夕刻、妻と、銀座にて買い物をする
 疲れ、早く帰り、倒れるが如く休む。
 宿命打開の信心。簡単にゆかぬものだ。
 疑つてはならぬ。原因は、自己の了念、信心だ。
 使命があるのだ。使命が無ければ、地涌の菩薩は、生きている必要はない。人間、使命を忘れてしまってはならぬ。なれば、強く、撓まず、勇敢に信心の精進あるのみだ。
9  十月十一日(日) 晴
 六時三十分、起床。日帰り登山。
 車中にて、良く眠る。勉強せねばならぬと、痛切に思う。
 御目通り、一時。
 御開扉、二時。
 身体健全、当面の仕事、部隊の発展を祈る。
 帰宅、八時過ぎる。実に疲れる。無理が続いているのか。
10  十月十二日(月) 雨
 一日中。小雨
 灰色の世界。吾が心に似たり。
 四級講義、休む。
 M君の結婚の事で、S宅に談合に行く。帰り、目黒にて食事をする。去年まで住みし地に、懐かしさをお、ぼえる。
 夜、部隊員、二、三人が、指導を受けに来る。可愛い。実に可愛い。退転なきことを切望する。皆、偉い。皆、勇ましく、苦難と戦い、人々を救っている。苦しき生活とも戦っている。
 尊いことだ。一人一人を、心から大事にせねばならぬ。巷間は、利那主義の、無責住の青年の多き事よ。
 政府は、此の事実、此の二者を、どのように賞罰してゆくつもりか。
 善悪の基準のなき、政治の愚かさよ。
 就寝、十二時。疲れた。
11  十月十三日(火) 晴時々曇
 『花の生涯』を読む。
 何といっても、教学を深く、備えねばならぬ。
 七時、自宅において、班長会議。
 「諸法実相抄」の講義をする。自分の講義の反省を要す。
 皆、元気で帰って行った。弟より、親類より、縁深く、可愛らしき、後生よ、友よ、同志よ、多幸を祈る。無事の成長を祈る。
 ああ、時は去る。時は去る。
 新しい、時よ来たれ。時を待つ。時に生きなん。青年時代よ、有意義な前進だ。
 辛くとも、悲しくとも、青年らしく、学会っ子らしく、元気で、明晰に。
 反省―――先生より、出社遅れる。全くの不肖の弟子と、嘆く。
12  十月十五日(木) 晴
 七時、東京・池袋の常在寺。対仏立宗、上田応声以下、代表四名、青年部八名と会談。
 春より、惹起している、正宗本尊強奪事件の交渉である。
 十時まで、続く。最後のあがきの、彼等の卑怯な行動に、激怒する。
 夜遅く、銭湯へ。約一貫目、痩せている。驚く。天高く、馬肥ゆる候というのに。身体の変調しきりなり。自分と戦うことだ
 明夜、先生は、仙台方面の指導である。上野発、十時四十五分、準急とのこと。お見送りに行こう。秘書なれば当然のこと。
 就寝、二時過ぎる。
13  十月十七日(土) 曇後雨
 秋雨。
 一日一日の過ぎゆくことの速きことよ。大河の流れに似たり。吾れ、いか程の成長ありや。猛省せん。
 夜、先生の御家族の奥様、坊や、妻、四人にて、国際劇場に行く。
 秋の踊り。思いきり、躍動する、乙女等の踊り、生命の息吹、その姿、頼もし。
 帰宅、十時過ぎる。明日の地区部長会の打ち合わせに、幹事二人、来宅。
14  十月十八日(日) 曇
 午前中、読書。
 午後、支部長宅へ。五時より地区部長会。皆、元気である。
 嬉しい。唯、各自の生活のことが心配でならぬ。而し、皆、功徳に輝いた顔である。よく成長したものだ。よく自分と一緒に戦ってくれた。感謝にたえぬ。その顔、その人、その功績をば、妙法は、永久に照らすことだろう。
 私も、一生涯、決して忘れない。
 十時より、総会の打ち合わせ会をする。更に、支部幹部会の、企画を練る。
 帰宅、一時。
 闘え、されば魔は退散せん。進め、されば、雲を破り、仏界の朝日は、必ず出でなん。
15  十月二十二日(木) 晴
 六時三十分、起床。
 八時、出勤。千葉、勝浦に出張。
 帰京、八時。九時より、教学部助師と勉強。
 Y君、少々慢となって来る。そろそろ厳重に、指導の要あり。自分が謙虚になっていると、図に乗って来る。自分が指導し、叱る以外、誰人も指導は出来ぬだろう。
 本年も二か月余となる。
 自分も、新たなる決意、自覚をもって、働かねばならぬ段階になって来た。独身時代の、浅い考え方ではならぬ。すべて、責任をもっていくべき時代に、なって来たわけだ。
 所詮、一歩、一歩、信心根本に、撓まず、大目的を失わず、進むことだ。あとは、大御本尊様が、解決して下さることだろう。―――
16  十月二十六日(月) 晴後曇
 聖教新聞社員等含めて、計三十六名にて、秋季の慰労旅行。塩原温泉であった。
 戸田先生、御病気の為、出席出来得ず、誠に残念であった。
 二十五日、朝、八時、市ヶ谷ビル前、出発。二時、塩原、玉屋旅館着。
 二十六日、十時。玉屋旅館発。
 二時、鬼怒川着。四時三十分発、東京・上野に十時着く。
 直ちに、御報告に、目黒の先生宅に。先生、微熱が下がらぬ御様子。みんなの、楽しんだ元気な様子を申し上げる。非常に喜んで下さる。
 帰宅、十二時を回る。

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