Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和二十五年(五月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

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2  五月十日(水) 雨
 仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。(法華初心成仏抄)
 疲れてならない。題目しかない。重苦しい中を、仕事のことで、部長と、O学園にゆく。また、O第一小学校に回る。事業は、劇の如く、戦争の如し。
 夜、少々早めに帰る。実家の安否を、しきりと念う。
 隣室の子供をはじめ、数人の子等と遊ぶ。一晩中、嬉しそうに、騒いでいた。可哀想な子等を、何とか、仏法で導き救わねば。
3  五月十一日(木) 雷雨
 昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る問・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり。(上野殿御消息)
 若き生命。何と力強き表現であろうか。
 この生命を、どう生かし、どう消耗させてゆくか。有意義な仏道修行に、まかせることだ。
 六時、0氏、T女史を、部長と共に、G軒に招待。。久しぶりに、ゆっくり食事をする。
 若き人々よ、明日に生きよう。
 過去に、とらわれるな、全て夢だ。
4  五月十二日(金) 曇
 父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり。(開目抄)
 暑い日であった。激戦に、多少、疲労を感ず。
 人類に、一大哲学を絶叫しつつ進軍する、青年の姿こそ、尊く、美しい。
 事業は、劇の如く、戦争だ。男らしく、思う存分、檜舞台で、活躍する面白さ。
 夕、K宅にて、座談会。
 帰宅、十一時三十分。明日の戦いに備えて、早く休む。
5  五月十三日(土) 曇
 銅鏡等は人の形をばうかぶれども・いまだ心をばうかべず、法華経は人の形を浮ぶるのみならず・心をも浮べ給へり。(神国王御書)
 善戦、ここに半月。本日も惜敗す。
 部長と一日中、歩く。老いたる姿をみていると、眼に痛むものを感ずる。事業をして、忘れ得ぬ、貴重な人と吾人は思う。先生を、護っている人なれば。
 悪戦に、疲れたのか。身体の調子、頗る悪し。
 大聖人の弟子が敗れて、たまるものか。大信念よ、燃え上がれ。信仰よ、奮い起て。
 本日より、左の事項に付いて注意する事。
 一、教学のこと
 二、経済面の縮小
 三、価値生活の確立
6  五月十四日(日) 快晴
 心なき女人の身には仏住み給はず、法華経を持つ女人は澄める水の如し釈迦仏の月宿らせ給う(中略)法華経の法門も亦かくの如し、南無妙法蓮華経と心に信じぬれば心を宿として釈迦仏懐まれ給う、始はしらねども漸く月重なれば心の仏・夢に見え悦こばしき心漸く出来し候べし。(松野殿女房御返事)
 非常に有意義な一日であった。歓喜寮(編注・昭倫寺)にて、心ゆくまで、題目を唱えることが出来た。清浄になっていくようだ。また、小学校の先生、Tさんを、折伏することが出来た。
 久しぶりに、実家に帰る。母の健在な姿に胸おどる。
 帰り、吾が家の近所の、友人等と会う。皆を、激励、折伏して帰る。皆、何の信念も、目的観もない。可哀想な友達になってしまった。
 帰宅、十時三十分。I氏がドアの前で待っている。事業の失敗で相談とのこと。信心なき、飛ぶ鳥をも落とす勢いの、事業家の哀れさに、同情する。
7  五月十五日(月) 晴
 心根は猿喉の如くにして暫くも停まる時あることなし 若し折伏せんと欲せば当に勤めて大乗を誦し仏の大覚身、力無畏の所成を念じたてまつるべし。(観普賢菩薩行法経)
 宇宙大の生命の心境。悠久の美を追う観念。鉄火の如き堅固なる信念。以上は吾人の修得せんとする所なり。
 人類、世界に、尽くすために。民族を愛し、指導せんが為に。
 笑う人は笑え。怒る人は怒れ。人の悪口なぞ何かせん。
 真の仏道修行を、達成することだ。それには、人一倍の努力が必要となる。その努力が、また必ずや、幸福の大道に続いていることは確かだ。
 激戦、今日も激戦。戦いに負けてはならぬ。弱き者よ、それは不幸を意味する。敗走者よ、汝の名は、惨めと、命名されよう。
 戦え、そして、勝て。そして、敗走者、弱き者どもを救ってやれ。これ、勝者の正義感ならずや。
8  五月十六日(火) 曇
 水あれば魚すむ林あれば鳥来る蓬莱山には玉多く摩黎山には栴檀生ず麗水の山には金あり、今此の所も此くの如し仏菩薩の住み給う功徳聚の砌なり、多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。(四条金吾殿御返事)
 久しぶりに、早く家に帰る。八時。
 室代を、支払う。
 戸田先生も、攻防戦が、大変の御様子。私も、そろそろ起ち上がる決意をせねば‥‥。
 革命児の奮起する時は、近づいてきた。
 この汚ない、六畳の室も、有意義な思い出になることだろう。
 青年は、恐れるものが、あってはならない。
 小心は、青年の最大の欠点だ。
 青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ。
9  五月十七日(水) 曇
 汝後生をば余処の事とのみ思ふあはれさ、我身を思はぬ者かな。人間に生を受る事は盲亀の浮木に値るが如しとこそ仏は説給へ。(中略)夢幻の如くなる一旦の身を思ふて、生涯空く暮して今かゝる憂目を見ることの愚さよ。(十王讃歎抄)
 社会の葛藤、これ、生存競争の本能なりや。生きるため、栄えるためには、巳むを得ないことなのか。しかし、何と浅ましきことか、暗き心になる。
 吾等は、さにあらず。窮極は、その姿の本質、本体を知覚して、合理的な、法則を見出さねばならぬ。偉大なる思想、政治は、そこにこそ生まれる。大哲学が、その終結を決すは、明らかなり。
10  五月十八日(木) 曇
 当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。(開目抄)
 初夏の候となる。汗も次第に流れ、一段の忍耐も必要となる。
 I氏を折伏。
 昨日、先生より「御義口伝」講義、唯以一大事因縁の事を拝聴。もう一度、拝読する。
 自己の仕事を、真剣に考える。先生をお護りする自分を、嬉しく思いつつ。
 大成は、小成の延長なり。小成の連続が、大成の一歩と自覚せねばならぬ。勝利は、現在の一歩一歩を、忍耐と建設によってのみ、達成出来るものだ。
 毎日、地味在、誰人にも知られぬ仕事。これが大事だ。自分の振る舞いを、満天下に示すのは、時代が決定するものだ。
 正法を奉持し、一日一日を、少しも侮らず、励まんや。
11  五月十九日(金) 晴
 魚の子は多けれども魚となるは少なく・菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し。(松野殿御返事)
 暑くなって来た。今年、一番高温の模様。
 目下、先生の尖兵として、外交戦、専門。
 外交は、苦しい仕事だ。しかし、実力の評価は、最大にわかるものだ。
 日本の政治も、力ある、智慧ある、外交官が必要だ。優秀なる外交官のいない政治は、世界の檜舞台には、進出できない。世界平和への、歴史的貢献は出来得ない。
 一国は、世界、国際に、直結し、国際の一分子が、一国と考えてゆくのが、これからの時代だ。
 外交。個人も、一家も、一会社も、一国も、大事なことだ。武力でなく、財力でなく、一個の人間の力を根本とした外交。
 度胸と、智慧と、誠実の修行は、外交をおいてない。先生は、外交の出来得ぬ者は、一社の重役にはしないと語っていた。
 K宅にて座談会。意義ある一夜であった。
 帰宅、深夜。
12  五月二十日(土) 雨
 父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども・母の御思の事殊に心肝に染みて貴くをぼへ候、飛鳥の子をやしなひ地を走る獣の子にせめられ候事・目もあてられず魂もきえぬべくをぼへ候、其につきても母の御恩忘れがたし。(刑部左衛門尉女房御返事)
 勇気は青年の特技だ。父を、母を幸福にするのも、事業の再建も、生活の確立も、国を救うのも、勇気が根本だ。
 大聖人様の、母を念う御気持ち、ただただ感泣するのみ。
 古来、幾百万の孝人が、母のことを、歌に詠み、詩に書いたことか。母を讃え、母に泣いたことであろう。
 夜半まで、読書。腹がへって困る。
13  五月二十一日(日) 晴
 人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医・薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか。(撰時抄)
 久しぶりに、ゆっくりとした日曜日を迎えた。友人と朝風目にゆき、朝食を取る。外食券食堂にて。
 アパートの子供等に、大森駅前の店にて、おもちゃを買って与える。嬉しそう。
 アパートの管理人、信心の悪口を云いに来る。隣室のI氏夫妻も、厳しく批判してゆく。全く、世人の口はうるさい。
 詮ずるところ、起つ以外ない。進むほかない。生き抜く勇気しかない。唯、何といわれようと、前進だ。慈悲の下に。
 夜半まで、読書。一時、就床。
14  五月二十二日(月) 晴
 一日中、身体の具合悪い。題目をあげねばならない。
 立派な人は、泣く事を知る。叱責することを知る。じっと忍ぶことを知る。人の悩みを知る。大聖人様の弟子として、立派な人間の完成をしていきたいものだ。
 青年は、小心であってはならない。偉人伝を読むことも大事だ。自分は、これでいいと思つては、絶対にいけない。
 一日中、仕事に励む。働くことは貴い。要領のみで生きる人は、乞食、泥棒のような場合と等しい。
 汗ばんだ、蒲団にもぐる。
15  五月二十三日(火) 曇
 青年ハ、如来ノ、使タレ。
 青年ハ、革命ノ、闘士タレ。
 人類ヲ、愛スルガ故ニ、
   苦難モ、怒濤モ、如何ニセン。
 帰室、十時。
 法華経を読む。全く難しい。
 六難九易。
 法華経宝塔品第十一に日く「諸余の経典 数恒沙の如し 此等を説くと難も 未だ難しと為すに足らず 若し須弥を接って 他方の 無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ難しと為ず 若し足の指を以って 大千界を動かし 遠く他国に擲んも 亦未だ難しと為ず 若し有頂に立って 衆の為に 無量の余経を演説せんも 亦未だ難しと為ず 若し仏の滅後に 悪世の中に於いて 能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす」云云。
 此の実践には、偉大なる勇気が必要だ。
 一時、寝床に入る。
16  五月二十四日(水) 曇
 日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや。(一昨日御書)
 初夏の候となる。
 一日一日が、大事な激戦だ。
 世界の激流が、膚を打つ。胸に響く。
 六月四日投票の参院選、追い込み近づく。池田蔵相は、帰国。総理と語り、四か国会談は、急を告げた感じ。″冷たい戦″が、暗く国民の中に漂う。戦争は、罪悪だ。いかなる大義名分ありとも、武器をもった戦は絶対にならぬ。
 正義の定義は何か。力等に依って、評価されるものではない。真の正義とは、宇宙の大法則よりの原理でなくてはいけぬ―――。
 学会より、未来の大政治家、大指導者が、ぞくぞく出現しなくてはならない。
 就寝、一時。
17  五月二十五日(木) 曇
 仁は不殺生戒、物を憐む故に物の命を断ざるなり。義は不偸盗戒、万の理を失はざる故に、人の物を主に知らせずして我が物とせず、又押ても取らざるなり。礼は不邪淫戒、淫は必ず礼を破る。愛心あればさるまじき人なれども、邪なる振舞をなす。是を守れば上下濫れず、行法もたゞしきなり。云云(戒法門)
 日蓮大聖人。ああ、吾人は、御仏の弟子なり。仏弟子なれば、恐れるものが有つてはならぬ。ただ、大慈悲を受持し、突進あるのみ。観念にては、事を為さず。観念の弟子は、真の弟子に非ず。吾人に、迷いなきか。吾人に、信心実践の大生命力、発揮しているや否や。
 経文の如く、俗衆増上慢、近隣に盛んなり。無能にして、批判のみしている、寮室の人々よ。憐れなる人々よ。夢の、また夢に、兢々としている人々よ。
 いかに、それらの人々を覚醒さすべきか。吾等の使命は大なり。吾人の苦難も、又益々多大なり。
18  五月二十六日(金) 小雨
 身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し、幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已。(聖人知三世事)
 身体の具合、非常に悪し。生命力が減退したのか。題目の数あるのみ。
 生活上の、根本問題から、改革する事なきか。反省、反省、反省なくして、前進はない。
 青年は、決して、斃れではならぬ。前進だ。前進だ。死ぬまで、前進だ。広宣流布のために。永遠の生命の会得のために
19  五月二十七日(土) 雨
 蔵の財よりも身の財す、ぐれたり身の財より心の財第一なり。(崇峻天皇御書)
 身体の調子、非常に苦しい。九時五十分、出勤。本日の戦い、出発より敗北だ。
 今月は全く苦戦の月であった。公私共に。あますところ、あと四日。最後まで頑張らねば。先生も、大変な御様子だ。
 吾れは男子なり。人生の船出して、茲に早二十年。歓喜と希望の年齢でなくてはならぬ。理想に向かって、燃え上がる年ではないか。
 前進だ。唯前進だ
 今に見ろ。この青年を。この人を。この活躍を、確信を、理想を、実践を。
 大聖人様、そして、戸田先生―――
    偉大なる母よ、同志達よ
 明日より、書体を、丁寧にすべし。
 K氏宅、座談会。
 帰宅、十二時。就床、一時。
20  五月二十八日(日) 雷雨
 午前八時三十分、起床。歓喜寮にゆく。
 仏法を学ぶ者の心構えを、切実に考えさせられた。日蓮大聖人の信者、眷属なる吾人。断じて、斃れではならぬ。
 自己の信心を反省する。大仏法を、受持し、広宣流布する者の、大使命の段階を、思えばなり。
 大願を起こせ。大使命と、大苦難に、莞爾と進め。
 若いのだ。雄々しく、歓喜を湧き出して、前進するのだ。
 大御本尊様、未来の青年を、広布成就への確信に、照覧あれ。
21  五月二十九日(月) 晴
 恩沢普く潤し慈被すること外なく、苦の衆生を摂して道跡に入らしめん。(無量義経)
 人生の船出して、二十年。本年も、早半ば過ぎ去る。本年の、しのぎよき季節となる。
 青年―――何と頼もしき言葉であろう。この言葉の如く、意義ある、そして、思い出に満ちみちた、青年時代を進もう。
 吾人の使命はなんぞ。広布の人材になることに尽きる。文豪もよし、大政治家もよし、大実業家もよし。若き生命力の有らん限り、ただ、今日の山に向かって、進むことだ。活躍することだ。
 そしる者には、そしらせておけ。笑う者には、笑わせておけ。そんなものが何だ。
 吾人を、照覧するものは、大聖人様あるのみ。
 小善に、死すること勿れ。大善に生きよ。
 人の為、世の為、法の為に。
22  五月三十日(火) 小雨
 只一心に信心おはして霊山を期し給へ、ぜにと云うものは用に・したがって変ずるなり、法華経も亦復是くの如し、やみには燈となり・渡りには舟となり・或は水ともなり或は火ともなり給うなり、若し然らば法華経は現世安穏・後生善処の御経なり。(弥源太殿御返事)
 久しぶりに、床屋にゆく。
 先生の事業、なかなか大変の模様。膚にひしひしと感ずる。
 本有常住。いかなる心で、苦しむも、泣くも、喜ぶも、同じだ。
 吾人は、進む。火宅の中を。大敵に向かおうが、決然と。
 これが、真実の吾人の取る、唯一つの道だ。
 御本尊様、照覧あれ。
 母のことを、念う
23  五月三十一日(水) 小雨
 汝等、当に共に一心に精進の鎧を被、堅固の意を発すべし。(法華経従地涌出品)
 新緑の五月は過ぎぬ。涼しい日であった。身体の具合、少々良好。此の調子で頑張ろう。大馬力をかけて。
 明日より、六月。青葉、若葉の薫り、床しき律動の青月。人生なれば、青春。ああ、心は、躍らん。心は、弾まん。若人の活躍の月だ。
 過去は夢なり。未来も夢なり。過去の夢は、月の如く寂にして、情火は燃えぬ。未来の夢は、太陽の如く、朝日の如く、曙光と感激の溢るる夢が生ずる。
 青年は、未来の夢を追って、生きねばならぬ。
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