Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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我浄土不毀。而衆見焼尽。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
2  〔通解〕──私(釈尊)の浄土は壊れることはないのに、衆生は、(世界が劫火に)焼き尽くされ、憂い、怖れなど諸の苦悩が悉く充満していると見るのである。この諸の罪の衆生は、悪業の因縁によって、阿僧祇劫を過ぎても三宝の名を聞くことがない。
3  〔講義〕「我浄土不按(我が浄土は殻れざれども)」とは、何と力強い言葉でしょうか。この裟婆世界は、久遠の仏の″本国土″です。不滅の仏が衆生救済のために戦いぬく″本舞台″です。だから絶対に壊れるはずがない──そう仏が断言しているのです。
 この仏の言葉を一念にすえれば、何もこわくない。今、自分は不壊の浄土にいると確信すれば、その確信がそのまま不壊の勇気、尽きぬ希望となって現れます。″無常の穣土″を転じて、本来の″常住の浄土″を実現していこうという″変革の力″がみなぎります。
 日蓮大聖人は仰せです。「浄土と云ひ穢土えどと云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」と。また、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方はことごとく宝土なり宝土何ぞ壊れんや」とも仰せられている。心一つで世界が一変するのです。人間生命の変革が平和実現の根本です。
4  信仰とは″わが一念″の大革命
 「而衆見焼尽(衆は焼け尽きてを見る‥‥)」とあるのは、迷いから迷いへ、闇から闇へと流転する衆生の眼に映る裟婆世界です。流転の果ての絶望の淵しか見えないのです。だから世の終わりの劫火に、世界が焼き尽くされていくと見える。しかし、それは劫火などではない。自分の″煩悩の業火″にすぎないのです。
 また、「憂怖諸の苦悩み 是の如き悉く充満せる」ともある。迷いの衆生は、この世界が憂いや怖れなど、ありとあらゆる苦悩に満ちていると見るのです。
 ここで、「見」という一字が大事なのです。衆生にとっては、苦悩が充満している世界に「見えている」にすぎないのです。しかし、真実はそうではない。仏の眼から見れば、この世界は、厳然と、仏国土であり、浄土なのです。
 ゆえに大聖人は「いかなる、わずらわしいことがあったとしても、すべて夢となして、法華経のことだけを深く思い続けていきなさい」(御書一〇八八ページ、通解)と仰せです。
 ″すべてを夢となせ″──大変な精神の力です。一念の力であり、信心の力です。信仰とは″わが一念″の大革命にほかなりません。ここに変革の原動力があります。この力を知らない人は悲しい。そういう人のことを「是の諸の罪の衆生 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず」と説いている。
 「罪」とは、根本的には、妙法への「不信」です。また、「悪業の因縁」とは、煩悩・業・苦の果てしない流転です。その人は、身は仏国土にいても、自分のまわりを自ら霧に包み、眼前にいる仏を見ることができないそれどころか、「不信」によって、頑に心の扉を閉ざしてしまえば、阿僧祇劫という長い間、流転しても、三宝の名前すら聞くことができません。
 「三宝」とは、仏と、仏の教え(法)と、その教えを守り弘める人々の集い(僧)のことです。三宝は、いわば民衆救済の要です。それゆえに、仏法では、人々を救う宝として尊重する。
 私どもは、厳然と末法における真実の三宝を知っている。すなわち、仏宝は末法の御本仏日蓮大聖人、法宝は三大秘法の南無妙法蓮華経の御本尊、僧宝は日興上人にほかなりません。
 また、僧とは、″集い″を意味するサンガ(僧伽)のことですから、広げて言えば、大聖人の仏法を正しく持ち弘めて、民衆救済、平和実現に励む和合僧団を指す。現代で言えば、創価学会が、その和合僧団であることは、言うまでもありません。
5  「三妙合論」を現実社会で実践
 さて、ここで寿量品の「三妙合論」について述べておきましょう。前段からこの段にかけて学んだ「衆生見劫尽」以下の経文には、裟婆世界が本来、″不滅の浄土″であることが説かれています。これは、これまでにも長行の「我常在此。裟婆世界。説法教化」をはじめとする経文に示されていた。「本国土妙」のありさまです。
 また、すでに学んだように、「我実成仏己来。無量無辺。百千万憶。那由他劫」や「我成仏已来。甚大久遠」等の文には仏の常住不滅が説かれています。これが「本果妙」です。そして「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」の文には、″九界の生命の常住″が説かれています。これが「本因妙」です。
 この三つの″妙″が、寿量品で合わせて論じられていることを「三妙合論」といいます。仏と九界の衆生と国土の常住不滅を示す三妙合論によって、本門文上の一念三千が顕されます。十界の差別を越え、依報(国土)と正報(衆生)の違いを越えて、すべてが永遠にして常住なのです。三千諸法をすべて具する永遠の大生命が示されているのです。
 この永遠の大生命を南無妙法蓮華経として顕し、末法の凡夫の生命に具現する道を開いたのが大聖人の事の一念三千です。ゆえに大聖人の仏法を真剣に実践する皆さまこそ、この三妙合論を現実社会で実践しておられる尊い仏の使いなのです。

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