Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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衆見我滅度。広供養舍利。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
2  〔通解〕──人々は、私(釈尊)の入滅したのを見て、広く私の舎利を供養し、みな、ことごとく私を恋い慕う心を懐いて渇仰する心を生ずるのである。人々はすでに信伏し、心がまっすぐで柔らかく、心の底から仏を見たいと念願し、自らの身命も惜しまないようになる。その時、私は、多くの弟子たちと共に、ここ霊鷲山に出現するのである。
3  〔講義〕朝夕に
      方便品と
        寿量品  
      宇宙の曲に
        合わせ楽しめ
 講義をつづりながら、私は、この一首を詠みました。朝夕の勤行は、小宇宙である私たちの生命と、大宇宙の合唱の調べです。妙法の音声、題目の声は「宇宙の曲」です。
 私どもは、朝な夕な、大宇宙に響きわたる妙法のシンフォニー(交響曲)に包まれて生きている。三世十方の仏・菩薩、諸天善神が、皆さまを讃え、守り、包んでくれている。このことを確信して、今世の人生を楽しく、愉快に生きぬいていただきたい──。これが私の心です。
 先に述べたように、広布に生きる皆さまは、つねに仏と一緒です。″孤独地獄″のような現代で、これほどの「安穏の道」「常楽の道」があるでしょうか。しかも今日では、世界中どこにでも地涌の友がいる。心の通う同志がいる。これほど尊い、すばらしい人生はありません。この「無上の道」に生きぬく私たちは、いつでも、どこでも、尊い仏様と会うことができる──ここの経文では、このことをさらに深く学んでいきましょう。
4  仏を求める時、師弟の「永遠の縁」を実感
 仏から見れば、涅槃は方便です。本当は、いつも衆生のそばにいます。衆生には、なかなか、その真実の姿が分からない。しかし、仏が亡くなると、仏を求める心、恋慕渇仰の心が起こるのです。″みんな、心配する必要はないよ″と、仏は「方便現涅槃」という自身の入滅の意義を明かした後、皆に慈愛の言葉を注ぎます。
 ″私が死んだ後、私の遺骨を供養して、私を渇仰するであろう。そのように、ひたぶるに仏を求める心が起これば、必ずまた、私と会えるのだよ。私は、この霊鷲山に、多くの弟子たちと出現するのだよ″と。滅後の衆生を思う仏の心がひしひしと伝わってきます。仏と弟子の関係は、今世だけではありません。本来、師弟は三世永遠です。私も、戸田先生といつも一緒です。戦ってきた私には分かります。
 ただ漠然と座していても、仏との絆を感ずることはできません。この経文では、「仏を求める心」とはどうあるべきかが、具体的に描かれています。
 まず「広く舎利を供養し」とあります。これは、舎利(遺骨)供養それ自体を奨励しているのではありません。民衆が仏に直結していく信仰の大切さを教えているのです。仏への最高の供養は、仏を偲ぶ物を拝むことではありません。「仏の遺志」を継承することです。すなわち、″一切衆生が皆仏″との思想を掲げ、民衆救済に立ち上がった「仏の心」を、自身の心」として、一分なりとも実現しようと戦うことにあります。
 「釈尊の心」は法華経です。「大聖人の心」は三大秘法であり、人類を幸福にする広宣流布の大事業です。私たちにとっては、御本尊に唱題し、広布の活動に参加することが、現代における「広供養舎利(広く舎利を供養し)」になるのです。
 御本尊を供養し、御本尊に対する「恋慕」の情、「渇仰の心」を生ずる。これが信心の極意です。日蓮大聖人は、妙一尼という女性に送られた御手紙の中で、「信心というのは、決して特別なことではありません。妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のためには命を捨てるように、また、親が子どもを捨てないように、子どもが母親から離れないように、そのように御本尊を信じ、題目を唱えることを信心というのです」(御書一二五五ページ、通解)と認められています。
 夫婦の情愛。親子の愛情。これは、ありのままの人間性の発露であり、人間の純粋な心です。もっとも、今の時代は、こうした愛情すら、希薄になってしまった面もあるかもしれない。どんなに、名誉や財産があっても、人間としての情愛を見失っては不幸です。これ以上の苦悩はありません。
 反対に、この御文をいただいた妙一尼は、この心を最も大切にした女性です。置かれた境遇は厳しかったけれども、心は最大に富んでいた。しかも、妙一尼にとって、この大聖人の言葉は、たんなる譬えなどではありませんでした。
 竜の口の法難、佐渡流罪の渦中、妙一尼は、夫婦して信仰を貫きました。法華経の信仰ゆえに所領を没収されるなどの難にもあった。しかも、夫は、大聖人の流罪の赦免の報を聞く前に亡くなってしまう。残された幼い子どもたちの中には、病身の子もおり、女の子もいた。妙一尼自身も病弱であった。
 しかし、妙一尼はけなげに戦った。亡き夫の分も、信心の炎を燃やし続けた。生活が苦しくても、佐渡へ、身延へ、大聖人のもとに家僕(従者)を送り、お仕えさせた。大聖人からいただいた「冬は必ず春となる」という希望のメッセージを、心の支えに頑張った。
 大聖人も、激励の言葉を重ねられています。「法華経に命を捨てたあなたのご主人は、仏となって、一日中、見守っておられますよ。あなたには見えないかもしれませんが、何の不安もありませんよ」(御書一二五四ページ、趣意)と。この励ましに、どれだけ妙一尼が勇気づけられたことか。
5  信心の極意はつねに御本尊を求めること
 最も不幸な人が、最も幸福になる権利がある。これが仏法です。大聖人の御心です。妙一尼が一歩も引かず、その苦闘を続けている時、大聖人は御手紙を送られますそれが、「夫信心と申すは別にはこれなく候」で始まる、先ほどの一節です。すなわち、妙一尼が、亡き夫の分まで戦い、子どもたちを立派に育ててきた。夫や子どもに対する、その心のままに御本尊にぶつかり、唱題していきなさい。それが「信心」ですよ、と励まされている。
 信心の極意は、難しいと言えば、難しい。やさしいと言えば、やさしい。要するに、どんな苦境でも御本尊を忘れず、求めることです。子どもが″お母さーん″と求めゆくように、母親が子どもを抱きしめるように。素直に、純真に仏を求めれば、胸中に崩れざる幸福の城が涌現する。反対に、疑い深く、生命に煙幕を張ってしまうような生き方であれば、その信仰は仏の大生命との感応を失ってしまう。
 自我偈の経文は、そのことを教えているのです。信心とは「恋慕」「渇仰心」であり、「質直意柔輭」、どこまでも、仏に対して、また、御本尊に対して素直であり、柔軟でなければならない。心を硬く閉ざす「硬直」な姿勢であってはならない。経文にはさらに、信心の姿勢として、「一心欲見仏 不自惜身命(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば)」と示されている。
 ″心の底から仏を見たいと念願し、自らの身命も惜しまない″そうした、素直な信心、求道の心、不惜の実践がある時、仏は多くの弟子たちと共に霊鷲山に出現する。すなわち、いつでも仏に会えるということです。
6  わが生命に仏の生命が涌き現れる
 戸田先生はこう講義されていました。
 「われわれの生命のなかに、厳然と仏が現れますれば、不幸がないはずであります。すなわち、御本尊を拝んでいるときは気がつきませんけれども、われわれの生命のなかに御本尊がきちんと現れていらっしゃいます」「われわれの体が霊鷲山になります。そこで、日蓮大聖人即大御本尊の力が、われわれの体に満ちみちてくるのであります」(『戸田城聖全集』5)と。
 「一心欲見仏 不自惜身命」の人は、必ず「時我及衆僧 倶出霊鷲山」の境涯となれる。経文では、この二つの句は、「時に」の字で結ばれています。すなわち、自身の心が定まれば、その「時」、必ず、仏の大慈悲に包まれることが明かされているのです。
 「時に」とは、″やがて″とか″未来に″という意味ではありません。「受持即観心」の成仏です。御本尊への強盛な信心に立つ人は、その「時」、その「瞬間」に、わが生命に仏の生命が涌き現れるのです。その人のいる所が、仏のまします霊鷲山──仏国土になるのです。
 日寛上人も「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(文段集五四八ページ)と言われている。自身の胸中に、即、御本尊の生命が、大聖人の生命が涌現するのです。これほどの大功徳はありません。
 心に仏界という最高の秘宝を持っていない人はいません。この平等性に「法華経の心」があります。そして、末法の全人類のだれもが、その宝の箱を開けられるようにしたのが大聖人の心」です。その箱の扉を開く鍵が、「一心欲見仏」の″信″と、「不自惜身命」の″行″にあたります。真剣な求道と実践こそ根幹となるのです。
 ただし、「不自惜身命」といっても、当然、生命を軽んずることではありません。それは法華経の心に反するとの経文の真意は、小我に執着する自己を惜しまず、それを乗り越えて、大我──真の尊厳なる自己に生きることにあるのです。
 真の「不自惜身命」とは、妙法を根幹に、現実社会の中で生きぬくことです。最大に自己の可能性に挑戦することです。
7  ″求道の人″の生命は充実し輝く
 妙法の信仰を持つ人が、どれほど境涯を広げられるのか、人生を豊かにできるのか。それを実践していくことです。そのために身を惜しまないことです。自己を最大に充実させ、輝かせるための妙法です。苦悩に行き詰まらないための仏法です。
 御本尊は「功徳聚」です。すなわち、あらゆる功徳のあつまりであられる。わが心、わが「信心」、わが「実践」に、全宇宙の功徳が集まってくる。「観心の本尊」とは、「信心の本尊」です。「信心」以上に偉大なものはありません。ゆえに、「信心」強き、求道の人は輝いている。その生命自体が珠玉となる。それが大聖人の仏法なのです。
 すでに述べたように、自我偈は「大いなる自分自身」の讃歌です。″内なる本尊″を開くのも「自分」であり、自分の「心」です。ゆえに、揺るがぬ「信心」がありさえすれば、堂々たる自分自身が築かれる。嵐にも動かぬ大山の人となるのです。
 「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」苦しい時も、楽しい時も、ともに励むのが、真の「受持」であり「信心」なのです。
8  末法の衆生の″成仏の鍵″を示す
 今年(一九九六年)は、戦後、戸田先生が、法華経の講義を開始されてから五十年。私の胸中には、いつも、戸田先生の講義があった。先生の深遠にして明快な、人間愛の響きあふれる講義を後世に残す思いで、私も一つ一つつづってきました。
 講義を通して、戸田先生の智慧と確信の指導を、世界各国の人々がいちだんと深く読んでいる。感動と決意が広がっている。霊山で、破顔一笑されている戸田先生のお顔が目に浮かぶようです。
 霊山と言えば、先に学んだ、寿量品の「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山」の文は、末法の凡夫が成仏するための要諦を示しています。戦後の創価学会の発展の原点となった戸田先生の″獄中の悟達″も、この自我偈の文に通ずる意義がある。この段では、この経文の意義を日蓮大聖人の仏法のうえからさらに立ち入って述べておきましょう。
 前にも述べたように、自我偈は釈尊滅後の衆生、とくに末法の凡夫に呼びかける詩であり、歌です。その中でも、末法の凡夫の成仏の鍵を示しているのが、「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば 時に我れ及び衆僧は 倶に霊鷲山に出ず」の経文です。その鍵とは「一心」です。そして、この「一心」の秘密を明らかにし、三大秘法の南無妙法蓮華経として末法の一切衆生に開いてくださったのが、大聖人の仏法です。
 たとえば、「義浄房御書」で大聖人は、「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって「日蓮が己心の仏界」を顕し、「三大秘法」を成就したと仰せです(御書八九二ページ)。その際、「一心」の秘密を明かされて、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」と仰せられている。「一心欲見仏」の経文を「一心に仏を見る」から「一心を見れば仏なり」へと読み換えられている。
 これは、″仏を求める凡夫の一心″が、そのまま″仏の一心″となって現れることを示されているのです。大聖人は、この一心の成仏を「無作の三身の仏果」の成就であると仰せです。ここに生命の最も深い秘密があります。この一心においては、凡夫は即ち仏です。十界互具・一念三千の不思議が体現されているのです。
 大聖人が己心に顕された「仏の一心」「無作の三身の仏果」を、私たち末法の一切衆生のために、もったいなくも顕してくださたのが御本尊です。末法において一心に求めるべき仏とは、御本尊にほかなりません。したがって、次の「時我及衆僧 倶出霊鷲山」の経文は、「御義口伝」に「御本尊は此の文を顕し出だし給うなり」と仰せのように、御本尊の出現について説いているのです。
 法華経の霊鷲山の儀式それ自体が、釈尊己心の仏界を顕した生命の儀式です。仏の宇宙大の生命を顕しているのです。この経文の「我」とは釈尊、すなわち仏界です。また「及び衆僧」とは、菩薩であり、二乗です。「倶に」とは十界すべての衆生を指します。要するに、霊鷲山の儀式は、十界互具・一念三千の妙を体現した仏の生命を表しているのです。
 大聖人は、この霊鷲山の儀式(虚空会の儀式)を用いて、御自身の己心の仏界、無作三身の御生命を、御本尊として顕されたのです。ゆえに、大聖人は、この経文について「霊山一会儼然未散(霊山の一会、厳然として未だ散らず)の文である」(御書七五七ページ、通解)と仰せです。これは、霊驚山の儀式は、今なお、おごそかに行われており、いまだに終わっていない、という意味です。
 大聖人は「妙法を修行する場所は、どこでも寂光土の都なのである。われらの弟子檀那となる人は、一歩を行かないうちに天竺の霊鷲山を見ることができ、本有の寂光土へ昼夜に往復することができる」(御書一三四三ページ、通解)とも仰せです。
 私たちが、御本尊に向かって唱題することは、この「霊山一会」に参列する厳粛な儀式にほかなりません。唱題に励めば、己心の霊鷲山が、自身の胸中に輝いてくる。わが生命それ自体が、虚空会となる。日常生活そのものが、ことごとく霊鷲山における振る舞いとなるのです。なんと、すばらしいことでしょうか。
9  創価学会は霊山一会厳然未散の姿
 また、広く言えば、日蓮大聖人の門下として、異体同心で広宣流布に向かって進んでいる創価学会の姿そのものが、「霊山一会厳然未散」と言えます。
 戦時中、戸田先生は、獄中において法華経の虚空会の儀式に地涌の菩薩として参列している体験をされました。この獄中の悟達は、「霊山一会厳然未散」を身をもって体験されたものと言えます。そして、この時の先生の地涌の使命の自覚こそ、戦後の創価学会の発展の原点となったのです。
 かつて日淳上人は、戸田先生亡きあと、心を一つに前進を誓った私たちの姿を見て、「全く霊山一会厳然未散と申すべきであると思うのであります。これを言葉を変えますれば真の霊山で浄土、仏の一大集りであると私は深く敬意を表する次第であります」(『日淳上人全集』)と述べられたことがあります。
 創価学会は、まさしく「霊山一会厳然未散」の姿そのものの、崇高なる仏子の集いであります。学会は、霊山の儀のままに、久遠の誓いを果たそうと、末法の衆生の救済のために出現した、地涌の菩薩の集いであり、私たちは、久遠からの三世の同志にほかならないのです。

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