Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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為度衆生故。方便現涅槃。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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7  妙法の同志は来世も広布の陣列へ
 戸田先生は、この「方便現涅槃」が「生命は永遠であると説きながら、なぜ死ぬのかという問題」を明かしたものであると語られました。すなわち、「生死不二」という永遠の境涯から見れば、死は方便であることを教えられた。
 戸田先生は、死をよく睡眠に譬えられた。長く起きていて疲れたら眠る。ぐっすり眠って起きれば、元気が戻る。長く生きていて疲れたら死ぬ。そして元気になって新たな人生を始める。死は、次の生のための充電期間なのです。
 妙法に生きた人は、すぐに生まれて、来世も広宣流布の陣列に戻ってくる。最高に充実した願いどおりの使命の人生で活躍できる。ゆえに、死を恐れることもなければ、諦めて開き直ることもない。この真実をしっかと見つめて、堂々と、また悠然と生きて生きて生きぬくのが、仏法者の生き方です。今世も生きぬき、三世を生きぬくのです。
 ただし、戸田先生も強調されていましたが、永遠の生命といっても、″生まれ変わる″のではない。過去世から今世へ、また今世から来世へ、生命自体は連続している。因果の理法は三世永遠である。生命に刻まれた善悪の因はそのままでは消えない。
 戸田先生は、私たちの生命は死後、宇宙に冥伏する、溶けこむのだ、と教えられた。
 ──溶けこんだけれども、他と混じり合ったりはしない。それぞれが独立していて、生前の行いに応じて、いろいろな喜びや悲しみを感ずる。それは夢の中で、泣いたり笑ったりしているようなものである。そして、何かのきっかけで夢から覚めるように、縁に応じて再び生まれてくるのである──と。
 だから、″来世があるから今世では手を抜こう″というわけにはいかない。また″今世の、一回限りの人生だから、好き勝手をしよう″というわけにもいきません
 宿命を根本的に打開するのが大聖人の仏法です。真に「永遠の生命観」に立てば、まず「今世」が変わるのです。
 御本尊に祈る時、生命の奥底からの変革が起こる。強く清らかな生命力が、ふつふつと涌き上がる。宿命の鉄鎖を断ち切り、生命本来のすがすがしく、たくましい仏界の姿が現れるのです。
 つねに「新たな命」として生きる──それが、私どもの「人間革命」の生涯なのです。

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