Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自我得仏来。所経諸劫数。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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8  偉大な仏の境涯も信の一字で得られる
 あの友が苦しんでいる! そう思ったら、じっとしてなんかいられない。見て見ぬふりなど絶対にできない。自分も大変なのを振り捨ててまで、まわりの人のために働いていく。そんな庶民の英雄の集いが学会です。
 あの阪神・淡路大震災のときの、同志の皆さまの活躍が、まさにそうでした。「負けたらアカン!」。それが皆さまの心でした。だれもが大変な状況でした。しかし、その命を振り絞っての行動が、一言が、励ましが、どれほど多くの人々の希望となり、勇気となっていったことでしょうか。
 また、悩める友のために、時間のたつのも忘れて御本尊に向かっていく、あの真剣さ。苦しむ友の顔を見ると「大丈夫、絶対に乗り越えられるから!」と励ましてやまない、あの大確信。だれに命令されたわけでもない。また、言われたからといってできるものでもない。世間体や形式や外見にとらわれていたら、生命本有の力は出ません。本気で人々のため、広宣流布のために生きているからこその姿です。
 その「心」、その「一念」、その「振る舞い」のなかに、「三身如来」が生き生きと現れていくのです。生命本来の無限の力がわき上がってくるのです。そうでなければ、いったいどこに現れるのか。だれが「三身如来」だというのか。皆さま方の人生こそ、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」と仰せどおりの人生になるのです。
 私どもは、この三身如来の境涯──求めても得られない、否、あまりにも偉大すぎて、求めることさえ思いもよらない仏の大境涯を、自得できる。「信」の一字によって、「妙法を持ちぬく」ことによって、「自ずから得る」のです。まさに経文どおりの「無上宝来不求自得(無上の宝聚は 求めざるに 自ら得たり)」(法華経二二四ページ)ではありませんか。
 私たちの胸に「最高の宝」はあります。苦難に立ち向かう勇気、限りない希望、燃え上がる情熱、汲めども尽きぬ智慧──全部が、自分の「本有の宝」です。それを確信して戦った人が仏です。その人自身が、「最高の宝の集まり」(無上宝聚)となるのです。生々世々、大長者であり、大満足の人生となるのです。
 結局、「自得」とは、だれかから与えられるものではありません。自ら得るものです。この三世にわたる「自身」の自在の大境涯を、信心で自ら勝ち取るのです。また、必ず勝ち取っていけるのです。これが自我偈の真髄であり、寿量品の結論なのです。

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