Nichiren・Ikeda
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其諸子中。不失心者。‥‥
講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)
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9 「今留とは末法なり」「日本国なり」
「今留在此(今留めて此に在く)」とは、一往は釈尊が、滅後の衆生のために、法華経を一閻浮提(全世界)に残すということです。
これを文底から読むとどうなるか。
「御義口伝」には「今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり」と、仰せになっています。日本は「一闡提(正法を求める心がない者)が生み広げた国」(御書九五九ページ、趣意)です。もったいなくも大聖人は、この一闡提の国に出現されました。そして、末法の顛倒の衆生のために、南無妙法蓮華経の大法を残されたのです。
また、「汝可取服。勿憂不差」について、大聖人は「汝」とは末法の一切衆生であると仰せです。そして「取る」とは、南無妙法蓮華経を受持することです。「服す」とは唱題です。大聖人は、「服することにより、無作の三身があらわれ、始成正覚の病が癒える」(御書七五六ページ、通解)と述べられています。
″始成正覚の病″とは、釈尊が今世で始めて仏になったという考え方にこだわることです。仏と衆生とは隔絶した存在であると思っている限り、私たちは、自身の中にある偉大な生命に気づかない。
妙法は、人々に「自分も、もともと仏であった」ことを教える大法です。仏の偉大な生命が胸中にあらわれれば、すべての苦悩は太陽に照らされた朝露のように消え去るのです。そうすれば、「勿憂不差」です。心配はいりません。絶対に幸福になる、そう仏が断言しているのです。