Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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譬如良医。智慧聡達。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
4  仏は人類の″根本苦″を治す医王
 この「法華七譬」のうち「良医病子の譬え」だけが、本門で説かれた譬喩であり、残りはすべて迹門にある。
 寿量品では、「仏の永遠の生命」という究極の教えはすでに説かれました。しかし、それだけでは十分ではない。前段で述べたように、その究極の教えを「自分自身で」実践させ、「自分自身で」体得させることが、仏の最大の目的です。そのための最高の「方便」として、仏は入滅の姿を現すのです。
 その「方便現涅槃」を、譬えの形で表したのが、「良医病子の譬え」なのです。
 また、「良医病子の譬え」は、仏が入滅の時に、後世の人々を救う妙法を説き残すことを示している。滅後末法の衆生に、妙法が自分たちのために説かれたものであることを、理解させようとしたのです。
 譬えは、登場人物の紹介から始まります。
 ──一人の名医がいた。聡明で智慧があり、薬を作り、病を治すことに秀でていた。彼には、たくさんの子どもがいました。十人、二十人、いや百人もいた。医師は所用で、しばらく他国に行っていました。
 この名医は、五百塵点劫久遠実成の釈尊のことです。無限の智慧を具えた仏です。薬を作るとは、教えを説くことです。百人というと、ずいぶん子だくさんに思えますが、これは仏にとって一切衆生が子であることを表したものです。
 しばらく他国に行くというのは、五百塵点劫の釈尊が、過去世において入滅し、その国土からしばらくいなくなったことを譬えています。
 仏は、しばしば「医王」、最上の医師に譬えられます。仏が医師に譬えられるのは、ちょうど医師が患者の状態にしたがって適切な治療法を施すように、仏は、衆生の悩みを解決する最適な方法を知っているからです。
 病気にはさまざまなものがあります。歯痛に風邪薬を飲んでも効かない。腹痛の場合に、目薬を注しても何にもならない。病と薬との関係を熟知しているのが名医です。
 日本人の宗教常識として、「宗教は何でもよい」ということがよく言われます。では、「薬は何でもよい」と考えてもいいでしょうか。それはあまりに自分の人生に無責任な態度ではないでしょうか。その宗教が自分の人生や生き方に、どのような影響を与えているのかを厳密に見極めるべきです。
 しかも、仏はたんなる「名医」ではない。「医王」です。すべての衆生の悩みの奥底に横たわる根本の苦──元品の無明を治療する妙薬を知っている。それが後世のすべての衆生のために仏が残す究極の教法──寿量文底の妙法なのです。

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